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第七章

7-16.方策

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 記憶の中で、仁は荒野でドラゴンの大軍と戦っていた。空にも大地にも、見渡す限りに体長20メートルを超える何体ものドラゴンがひしめき合っていた。仁と相対する前方のドラゴンたちが仁に向かって一斉に竜の吐息ドラゴンブレスを放つが、仁が自身を中心として作り出した半径2メートルほどの半球状の半透明の膜に触れると、全ての吐息ブレスは霧散するように消え去った。

 仁は怯まずに向かってくる赤や青、緑、黄、白、黒など様々な色の鱗を持ったドラゴンたちに向けて左手を突き出す。仁の口が何か言葉を発した次の瞬間、仁の左の手のひらから禍々しい紫の闇の球体が生まれ、ドラゴンの大軍目掛けて放たれた。直径30センチの闇球は天と地のドラゴンの間で一気に膨れ上がり、空を飛ぶドラゴンも地を駆けるドラゴンも、二足歩行のドラゴンも四足歩行のドラゴンも、その全てを呑み込んだ。その後、闇球は音もなくゆっくりと縮み始めると、元のサイズを通り越して一点に収束し、そのまま消失した。巨大なスプーンですくい取ったかのように綺麗に抉られた大地を、冷たい風が吹き抜ける。荒野の空と大地から、ドラゴンが消えていた。

 仁は右手に持っていた漆黒の大剣を背負うと、遥か彼方からこちらの様子を窺ういくつかの視線を無視して、無表情でキビスを返した。仁の視線の先で、褐色の肌と短く尖った耳を持つ扇情的な紫の衣を纏った女性と、白い衣を纏った女性が刃を交えていた。



『我を前に呆けるか。我を舐めるなあああ!!!』

 脳裏を駆ける知らない記憶に意識を取られて立ち尽くしていた仁に、ドラゴンの収束された火炎の吐息ブレスが迫る。ドラゴンの怒号でハッと我に返った仁が咄嗟に魔剣を盾にして火炎の範囲外へ逃れると、吐息ブレスのレーザーは仁の体を掠め、彼方の城の壁を撃ち抜いた。

「くっ」

 仁は表情を歪めながら壁を崩壊させる城を視線の端で捉える。吐息ブレスで破壊された場所がコーデリアやセシルがいるであろう場所とは異なることを確認し、仁は安堵の息を吐く。

「城を破壊すると子竜を巻き込むぞ!」

 仁はこれ以上城を攻撃させないように声を上げるが、ドラゴンは気にも留めずに口の端から炎を噴き出す。

『やはり城に捕らわれていたか。だが安心するがいい。卵ならいざ知らず、既に孵っているならば何の問題もない。幼竜とはいえ、炎竜には我の炎など通じぬわ』

 むしろ探す手間が省けると獰猛に笑うドラゴンを、仁は睨みつけた。仁は漆黒の魔剣を持つ手に力を込め、城を背にしない位置にじりじりと移動する。ドラゴンから視線を逸らさないようにしながら、仁は先ほど脳裏に浮かんだ光景を思い出す。仁にとっては絶望的に思える状況を淡々と跳ね返した圧倒的な力。なぜ身に覚えのない知らない記憶が自身の中にあるのかわからず、仁の頭は混乱し、もやもやとした思いを抱く。仁には過去にドラゴンと戦った経験はなく、最後に現れた2人も知らない女性だった。しかし、その一方で白い衣の女性はどこかで会ったことがあるような矛盾した思いが胸に去来するのを感じた。

『上の空で我に勝てると思うな!』

 仁が超重量のドラゴンの体当たりを避けた先に、ドラゴンの尾が待ち構えていた。反応の遅れた仁は左の腕に側面から強烈な一撃を受け、弾け飛んだ。仁は右手一本で何とか魔剣を地面に突き刺し、勢いを殺す。左腕をだらんと垂らした仁の頭上から、高く跳び上がって前方に宙返りしたドラゴンの尾が迫っていた。

 仁は魂喰らいの魔剣ソウルイーターから手を離して間一髪で回避するが、勢いよく振り抜かれた尾は大地を砕き、弾かれた空気と石のつぶてが仁の体を打ち据える。つぶては仁の黒炎の鎧と全身を覆う黒炎の膜が守り、大したダメージにはならなかったが、左腕の黒炎の手甲は砕かれて形を変えていた。仁の表情が左腕から伝わる燃えるような痛みで苦痛に歪む。左腕のみならず、全身が悲鳴を上げていた。

闇霧ダークミスト!」
『そのようなものが効くか!』

 ドラゴンの視界を奪うべく仁の右手から放たれた黒い霧を、ドラゴンの咆哮が空気を震わせて吹き飛ばす。背後に飛びずさった仁の真横から、ドラゴンが大口を開け、鎧ごと仁を噛み砕かんと牙を剥く。長い首が伸び、鋭い牙が仁に迫る。

「玲奈ちゃん……」

 仁は自身に近付くドラゴンの勝ち誇ったようなワインレッドの瞳を見つめながら、再会した直後に離れ離れになった玲奈の名を呟いた。走馬灯のように、仁の脳裏にいろいろな玲奈との思い出がよぎる。次の瞬間、ドンッと何かが衝突する音が響き、ドラゴンの首が軌道を変えた。直後、仁の直前で合わさった牙がガチンと甲高い音を立てた。

氷砲アイスシェル!」

 僅かな焦りと緊張感を孕んだ澄んだ声と共に、次々とドラゴンの側面に氷の砲弾が着弾し、弾けて砕けた氷が舞い散る。仁は月光を反射してキラキラと輝く氷の花吹雪に目を奪われた。ドラゴンが鬱陶しそうに目を細め、ゆっくりと声の主に顔を向けた。それを追うように動いた仁の視線の先に、玲奈の姿があった。仁は目を見開いて玲奈を見つめる。長い黒髪を風に靡(なび)かせ、凛とした視線をドラゴンに向ける玲奈の姿に、仁は元の世界で玲奈が演じていた戦乙女ヴァルキリーを思わせるアニメのキャラクターを幻視した。

『貴様は覚えているぞ。我の吐息ブレスを防いだ盾、今度こそ砕いてくれる』

 ドラゴンはそのまま体を玲奈の方に向け、大口を開ける。玲奈は左腕に装着した毒蛇王の小盾バジリスクマジックタージェを構えて魔力を通し、展開した鱗から外側に青い半透明の魔法の障壁を作り出した。初めてドラゴンと遭遇した際と同様、ドラゴンの火炎が半球状の障壁に沿って周囲に流れる。

「れ――」

 玲奈の名を叫びそうになった仁の口を、色白の肌触りの良い綺麗な手が塞いだ。

「ジン殿。レナ様がドラゴンを引きつけている間に態勢を整えましょう」

 仁は小声で告げるロゼッタに小さく頷き、ドラゴンを刺激しないように静かに距離を取る。ロゼッタが肩を回して仁を支えた。移動した先に、必死に涙を我慢しているように顔をくしゃくしゃにしたミルが待ち構えていた。

「痛いの痛いの飛んで行け――治癒ヒール!」

 ミルは仁の傷ついた左腕にそっと手を当て、擦れた声で詠唱を行った。青白い光が仁の左腕から全身に広がっていく。光が消えたとき、仁の体から痛みが消えていた。仁は左腕を曲げ伸ばしして問題のないことを確認すると、ミルの頭の上に左手を乗せた。

「ミル、ありがとう」
「ジンお兄ちゃん……!」

 遂に涙腺を決壊させたミルが仁の腕にしがみ付く。

「ロゼもありがとう。それに玲奈ちゃんも……」

 仁は微笑を浮かべるロゼッタからドラゴンの吐息ブレスを耐え続けている玲奈に視線を移す。炎の隙間から、青い障壁越しの玲奈と目が合うと、玲奈は優しい笑みを浮かべた。

「ジン殿。何かドラゴンを倒す方策はありませんか?」

 仁は再び真剣な表情でドラゴンに顔を向けた玲奈の横顔を見つめながら、眉間に皺を寄せた。

「試してみたいことは、ある。だけど、成功する保証はない。それに、それを試すにも少し時間がいるんだ」
「わかりました。自分たちがレナ様と時間を稼ぎます」

 ロゼッタが真摯な目を仁に向け、ミルがこくこくと何度も頷く。

「ミルたちに任せるの!」

 仁はすぐにでも玲奈を助けに行きたい思いを抑え、大きく頷いた。このまま仁が玲奈たちと共闘しても、ドラゴンに致命傷を与えられるとは思えなかった。

「わかった。みんなに任せるよ。だけど、絶対に無理はしないで。危ないと思ったら迷わず逃げるんだ」

 仁はドラゴンの側面に向かうロゼッタと、炎を回り込みながら玲奈の元に駆け出したミルの背中を見送り、奥歯を強く噛みしめた。口内に血の味が広がる。

 仁は目を閉じ、先ほど脳裏に浮かんだ知らない光景を瞼の裏に描き出した。あの記憶が何であるのか、今は関係ない。

「玲奈ちゃん、ミル、ロゼ。俺が必ずドラゴンを倒してみせる。だから少しだけ、生き抜いて……!」

 仁は祈るように呟くと、玲奈たちとドラゴンの戦う音を意識から締め出したのだった。
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