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第1章
46節 わたしの番
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――――――。
――――。
――浮いている。
気づけばわたしの足は地面から離れ、宙に投げ出されていた。
それまでより少しだけ近づいた青空が、伸びた枝葉の隙間から顔を覗かせる。それを、場違いに綺麗だと感じた。
広場を覆っていたはずの風の『牢』は、いつの間にか解除されていた。逃げ場のない空中にわたしを留め置くためだろう。
全身に、痛みを感じる。
致命傷はないが、体中に裂傷が刻まれていた。そもそも純粋な攻撃じゃなく、こうして吹き飛ばすための風でしかなかったのだろうが。
少し遅れて、意識を追いやっていた間の記憶が、脳内を駆け巡る。それで現状は把握した。わたしが見え見えの罠にかかった間抜けだってことも。
とーさんなら……〈剣帝〉なら、こんな無様は晒さなかっただろう。無心になりながらも、相手の強さも企みも不運も、全てを斬り伏せ、敵を討っていた。
考えることは生き抜くのに必要だが、時にはその思考が邪魔になる場合もある。だからそれを追いやる技法も、とーさんから学んでいた。ただ……
「――この程度の見え透いた罠、貴様に意識があれば見抜いていただろう。あるいはそれでも魔覚さえ万全であれば、魔術の察知も容易かったはずだ」
ただ、わたしはそれを、不完全にしか習得できなかった。思考を排除すると本能に寄ってしまい、感覚が鋭敏になる反面、普段より視野が狭くなる。今回のように。
それに、魔覚や魔力が人並みにあった場合……
「……いや。それでは初めの奇襲が成り立たぬか。ままならぬものだな」
あぁ、もう。一々的確だなぁ。
なにもかも眼下の魔将が言う通りだ。
魔覚の鋭い魔族相手に不意を突けたのが、魔力を持たないからこその恩恵なら、魔術に対する反応が鈍いのも、その弊害でしかない。
読まれぬようにと思考の放棄を選択したのがわたしなら、追い込まれてこんな状況になったのも、その選択の果てでしかない。
誰だって、今持っているものから選んで戦うしかできない。もしもを言い出したらキリがないし、今さらなんの言い訳もできない。
狩人に追い立てられた獣が檻に囚われたのは、だからその結果でしかない――
「……貴様との戦は、実に有意義だった」
心なしか満足そうに息をつき、イフは剣先を真っ直ぐこちらに突き付ける。逃げ場を失った獲物に、今度こそ『槍』を突き立て、仕留めるために。
「貴様は我が知る限り最も優れた剣士だ。この目に捉えた技の冴え。この身で受けた傷の鋭さ。全てが我が血肉となり、この先も生き続けるだろう」
反面、先ほどより距離が開いたのを差し引いても、その姿がどこか小さく見え、声からも熱が失われているのは、気のせいだろうか。
あるいは祭りの終わりのような寂しさを、向こうは感じているのかもしれない。それだって勝負の結果でしかなく、互いの選択の果てでしかない……
「(………冗談じゃない)」
体は、動く。痛みはあるが動かせる。
けれど、手足が届く位置にはなにもない。拠って立てるものがなにもない。
道具は? ダガー……は、さっき全部使い切った。
あとは、煙玉。爆弾。ロープ。……ロープを周りの木に巻きつければ――?
……ダメだ。ここは広場のほぼ中央で、空中で、直前の攻撃で態勢も崩れている。『気』を練るどころか受け身を取れるかも怪しく、たとえ投げ渡す力を振り絞れたとしても樹々からは離れすぎている。到底間に合いそうにない。
今度こそ〈クルィーク〉を起こす? いや、それでも防げる保証がない。それ以前に、この子を目覚めさせるよりも、おそらく『槍』が到達するほうが早い。
他には? 今この状況で出来ることは? なにかない? なにか……まだ……
「さらばだ。〈剣帝〉の弟子よ」
……まだ、死ねない。諦めたくない。
けれど、そんなわたしの想いを置き去りに、荒れ狂う螺旋の大槍と、簡素な別離の言葉が、空に張り付けられた獲物に突き付けられ……それが、とうとう撃ち出された瞬間、悟った。
「(あ――……死ん、だ?)」
わたしはあれを、避けることも、防ぐことも、できない。
数秒と経たず破滅の暴風は到達し、足掻くわたしの両腕ごと、胴を貫き、五体を引き裂き、空に血肉の花を咲かせる。
その未来を――間もなく訪れる現実を。なにより体が先に、理解してしまった。
「(……そっか。わたし、ここまでなんだ……)」
一度理解してしまうと、ついさっきまでは確かにあった抗う気持ちも、もう湧いてきてくれなかった。
時間が泥のように重くなり、周囲の光景が緩慢に流れていく。
手足も鉛のようなのに、意識だけはそれらに逆行するように働いている。
歪な感覚の中、わたしは――……わたしの生が終わりを迎えることを、静かに受け入れ、諦め……力なく、微笑んでいた。
かーさんに護られ、とーさんに拾われた、わたしの命。
今まで、それをなんとか守ろうと、それだけは譲るまいと、生きてきた。
必要なら相手の命を奪うことも、躊躇ってこなかった。
だけど――だから――……いつか、自分が奪われる側になることも、ずっと前から、知っていた。
――ごめんね、とーさん。気をつけるって言ったのに、約束、破っちゃった……
――ごめんね、かーさん。わたし、最後まで笑えてたかな……?
――それから……
まだ出会って間もない、彼女を想う。
真面目で、素直で、世間知らずで、他の人ばかり助けようとする神官さん。
できればもう少し一緒にいたかったけど……ここで、お別れみたいだ。
「(一人にしてごめんね。……じゃあね、リュ――)」
「――――アレニエさんっっっっ!!!」
それまで乖離していた感覚は、不意に聞こえた叫び声で現実に引き戻された。
声の先に視線を向け、見えたのは……木陰から飛び出し、こちらに差し出すように手を掲げる、今まさに思い描いていた、少女の姿。
「(リュイスちゃん――?)」
「《プロテクトバンカーっっっ――!》」
彼女が叫びと共に突き出した拳から、その勢いに押されるように光で編まれた盾が撃ち出される。それが、迫りくる『槍』とわたしとの間へ割り込むように、飛び込んでくる。
「――なんだと?」
魔将が、わずかに驚いたような気配を発する。
ああ――……見つかっちゃった。
せっかく、わたしだけで仕掛けたのに。そのまま隠れてくれていれば、逃げられたかもしれないのに。
それに、あれは彼女の盾じゃ防げない。巻き込まれて諸共に砕かれるだけだ。意味がない。彼女だって、それを分かって…………
「(……意味がない?)」
――本当に?
疑問の答えを得る前に、彼女の叫び声が再度、耳に届いた。
「跳んでっっっ!!」
「――っ!」
その叫びが聞こえる頃には、盾はもう目の前まで到達していて……わたしはそれに、反射的に足を伸ばした。
盾を蹴った反動で跳躍(というよりほとんど落下)し、かろうじてその場を離れる。直後――
寸前までわたしが居た空間を風の槍が貫き、光の盾を易々と引き裂く。
先の想像と重ね合わせ、遅れて背筋がゾワリとする。が、そういうのは全部後回しだ。変化した状況に、自然と思考が切り替わる。
即座に、残っていた煙玉を取り出し地面に投げつけ、駆け出す。
見る間に煙が視界を奪うものの、イフの風ならすぐに吹き払ってしまえる。先刻一度実証済みだ。けれど。
今は、この場に彼女がいる。
「リュイスちゃん!」
その彼女がいるほうに向かい駆けながら、叫ぶ。
「〝煙を守って〟!」
「! はい!」
呼びかけをすぐに理解してくれた彼女が、祈りと共に新たな法術を発動させる。
「《守の章、第二節。星の天蓋……ルミナスカーテン!》」
現れた半球状の光の天幕が周囲を広く覆い、充満する煙を包み込む。それが、獲物の姿を捉えるべく放った魔将の強風を遮る。天幕内部の煙が遮蔽になって、逃げるこちらの姿を覆い隠してくれる。
法術が効果を失い、煙幕が風に散る頃には、わたしたちは樹々が林立する森の奥へと、無事にその身を隠していた。
――――。
――浮いている。
気づけばわたしの足は地面から離れ、宙に投げ出されていた。
それまでより少しだけ近づいた青空が、伸びた枝葉の隙間から顔を覗かせる。それを、場違いに綺麗だと感じた。
広場を覆っていたはずの風の『牢』は、いつの間にか解除されていた。逃げ場のない空中にわたしを留め置くためだろう。
全身に、痛みを感じる。
致命傷はないが、体中に裂傷が刻まれていた。そもそも純粋な攻撃じゃなく、こうして吹き飛ばすための風でしかなかったのだろうが。
少し遅れて、意識を追いやっていた間の記憶が、脳内を駆け巡る。それで現状は把握した。わたしが見え見えの罠にかかった間抜けだってことも。
とーさんなら……〈剣帝〉なら、こんな無様は晒さなかっただろう。無心になりながらも、相手の強さも企みも不運も、全てを斬り伏せ、敵を討っていた。
考えることは生き抜くのに必要だが、時にはその思考が邪魔になる場合もある。だからそれを追いやる技法も、とーさんから学んでいた。ただ……
「――この程度の見え透いた罠、貴様に意識があれば見抜いていただろう。あるいはそれでも魔覚さえ万全であれば、魔術の察知も容易かったはずだ」
ただ、わたしはそれを、不完全にしか習得できなかった。思考を排除すると本能に寄ってしまい、感覚が鋭敏になる反面、普段より視野が狭くなる。今回のように。
それに、魔覚や魔力が人並みにあった場合……
「……いや。それでは初めの奇襲が成り立たぬか。ままならぬものだな」
あぁ、もう。一々的確だなぁ。
なにもかも眼下の魔将が言う通りだ。
魔覚の鋭い魔族相手に不意を突けたのが、魔力を持たないからこその恩恵なら、魔術に対する反応が鈍いのも、その弊害でしかない。
読まれぬようにと思考の放棄を選択したのがわたしなら、追い込まれてこんな状況になったのも、その選択の果てでしかない。
誰だって、今持っているものから選んで戦うしかできない。もしもを言い出したらキリがないし、今さらなんの言い訳もできない。
狩人に追い立てられた獣が檻に囚われたのは、だからその結果でしかない――
「……貴様との戦は、実に有意義だった」
心なしか満足そうに息をつき、イフは剣先を真っ直ぐこちらに突き付ける。逃げ場を失った獲物に、今度こそ『槍』を突き立て、仕留めるために。
「貴様は我が知る限り最も優れた剣士だ。この目に捉えた技の冴え。この身で受けた傷の鋭さ。全てが我が血肉となり、この先も生き続けるだろう」
反面、先ほどより距離が開いたのを差し引いても、その姿がどこか小さく見え、声からも熱が失われているのは、気のせいだろうか。
あるいは祭りの終わりのような寂しさを、向こうは感じているのかもしれない。それだって勝負の結果でしかなく、互いの選択の果てでしかない……
「(………冗談じゃない)」
体は、動く。痛みはあるが動かせる。
けれど、手足が届く位置にはなにもない。拠って立てるものがなにもない。
道具は? ダガー……は、さっき全部使い切った。
あとは、煙玉。爆弾。ロープ。……ロープを周りの木に巻きつければ――?
……ダメだ。ここは広場のほぼ中央で、空中で、直前の攻撃で態勢も崩れている。『気』を練るどころか受け身を取れるかも怪しく、たとえ投げ渡す力を振り絞れたとしても樹々からは離れすぎている。到底間に合いそうにない。
今度こそ〈クルィーク〉を起こす? いや、それでも防げる保証がない。それ以前に、この子を目覚めさせるよりも、おそらく『槍』が到達するほうが早い。
他には? 今この状況で出来ることは? なにかない? なにか……まだ……
「さらばだ。〈剣帝〉の弟子よ」
……まだ、死ねない。諦めたくない。
けれど、そんなわたしの想いを置き去りに、荒れ狂う螺旋の大槍と、簡素な別離の言葉が、空に張り付けられた獲物に突き付けられ……それが、とうとう撃ち出された瞬間、悟った。
「(あ――……死ん、だ?)」
わたしはあれを、避けることも、防ぐことも、できない。
数秒と経たず破滅の暴風は到達し、足掻くわたしの両腕ごと、胴を貫き、五体を引き裂き、空に血肉の花を咲かせる。
その未来を――間もなく訪れる現実を。なにより体が先に、理解してしまった。
「(……そっか。わたし、ここまでなんだ……)」
一度理解してしまうと、ついさっきまでは確かにあった抗う気持ちも、もう湧いてきてくれなかった。
時間が泥のように重くなり、周囲の光景が緩慢に流れていく。
手足も鉛のようなのに、意識だけはそれらに逆行するように働いている。
歪な感覚の中、わたしは――……わたしの生が終わりを迎えることを、静かに受け入れ、諦め……力なく、微笑んでいた。
かーさんに護られ、とーさんに拾われた、わたしの命。
今まで、それをなんとか守ろうと、それだけは譲るまいと、生きてきた。
必要なら相手の命を奪うことも、躊躇ってこなかった。
だけど――だから――……いつか、自分が奪われる側になることも、ずっと前から、知っていた。
――ごめんね、とーさん。気をつけるって言ったのに、約束、破っちゃった……
――ごめんね、かーさん。わたし、最後まで笑えてたかな……?
――それから……
まだ出会って間もない、彼女を想う。
真面目で、素直で、世間知らずで、他の人ばかり助けようとする神官さん。
できればもう少し一緒にいたかったけど……ここで、お別れみたいだ。
「(一人にしてごめんね。……じゃあね、リュ――)」
「――――アレニエさんっっっっ!!!」
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声の先に視線を向け、見えたのは……木陰から飛び出し、こちらに差し出すように手を掲げる、今まさに思い描いていた、少女の姿。
「(リュイスちゃん――?)」
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「――なんだと?」
魔将が、わずかに驚いたような気配を発する。
ああ――……見つかっちゃった。
せっかく、わたしだけで仕掛けたのに。そのまま隠れてくれていれば、逃げられたかもしれないのに。
それに、あれは彼女の盾じゃ防げない。巻き込まれて諸共に砕かれるだけだ。意味がない。彼女だって、それを分かって…………
「(……意味がない?)」
――本当に?
疑問の答えを得る前に、彼女の叫び声が再度、耳に届いた。
「跳んでっっっ!!」
「――っ!」
その叫びが聞こえる頃には、盾はもう目の前まで到達していて……わたしはそれに、反射的に足を伸ばした。
盾を蹴った反動で跳躍(というよりほとんど落下)し、かろうじてその場を離れる。直後――
寸前までわたしが居た空間を風の槍が貫き、光の盾を易々と引き裂く。
先の想像と重ね合わせ、遅れて背筋がゾワリとする。が、そういうのは全部後回しだ。変化した状況に、自然と思考が切り替わる。
即座に、残っていた煙玉を取り出し地面に投げつけ、駆け出す。
見る間に煙が視界を奪うものの、イフの風ならすぐに吹き払ってしまえる。先刻一度実証済みだ。けれど。
今は、この場に彼女がいる。
「リュイスちゃん!」
その彼女がいるほうに向かい駆けながら、叫ぶ。
「〝煙を守って〟!」
「! はい!」
呼びかけをすぐに理解してくれた彼女が、祈りと共に新たな法術を発動させる。
「《守の章、第二節。星の天蓋……ルミナスカーテン!》」
現れた半球状の光の天幕が周囲を広く覆い、充満する煙を包み込む。それが、獲物の姿を捉えるべく放った魔将の強風を遮る。天幕内部の煙が遮蔽になって、逃げるこちらの姿を覆い隠してくれる。
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