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第2章
1節 悪夢
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魔物と人間との領土の境界線に当たる場所。人間共が〈ラヤの森〉だの〈黄昏の森〉だのと呼ぶ森にあたしは来ていた。
昼でもなお薄暗いほど樹々が茂った森の中を、あたしは散歩でもするように歩いていく。
普段は徘徊しているはずの魔物共は、今は付近に見当たらない。あたしの魔力に恐れをなして逃げ出したのだろう。気分がいい。
それは、しばらく歩いた先に見つけたもので最高潮を迎える。
見つけたのは、兜だ。全体を漆黒に塗り固め、所どころを金で装飾を施してある。
生い茂る樹々の一つ、その根元にぽつりと置かれた兜は、まるで誰かの墓標のように見えた。
いや、見えるだけではなく、それは本当に――
「――まさか、お前がやられるなんてな」
高い声を目一杯低く鳴らし、あたしは呟く。
森には不釣り合いな黒いドレスと、背中まで伸ばした金の髪を揺らしながら、兜が置かれた木の前まで足を運ぶ。そして……
ガっ
小さな足で、眼下の兜を足蹴にする。
「いつもいつも偉そうにふんぞり返っていたくせになぁ。キヒヒ……ざまぁねぇぜ」
あぁ、愉快だ。
あのイフが。〈暴風〉と呼ばれた魔将が。選ばれて間もない人間の勇者ごときに遅れをとったのだ。こんなに愉快なことはない。
あたしは兜を踏みつけていた足をわずかに上げ……次には勢いよく蹴りつける。
ゴギン!
静けさに包まれた森に、鈍い音が響く。
あたしの華奢な足で蹴りつけられた兜は、周囲の地面ごと陥没していた。ひび割れた土の下からは、兜と同じ意匠の鎧が顔を覗かせている。
「蘇生が終わるまで地の底で見てなよ。お前の代わりに、このあたしが、勇者を始末しといてやるからさぁ。キヒ、キヒヒヒヒ……!」
魔物が棲みつく暗い森の中、あたしの哄笑だけが辺りに響き渡っていた。
◆◇◆◇◆
――赤い。左の視界が、赤く染まっていく。〈クルィーク〉を起こし、魔族の血を解放させたときの副作用。
〈クルィーク〉――左腕の黒い篭手は今、メキメキと音を立てながら肥大化した左手を飲み込み、一体化し、大きな異形の腕と化していた。
わたしは、右手の短剣と異形の左手を構えながら、小さな体をさらに縮めて警戒する。目の前には、四人の人間。
軽装の鎧を纏い、長大な剣を構える剣士。
聖服に身を包んだ神官。
帽子とローブを纏い、杖を掲げる魔術師。
そして……憤怒の形相でこちらを見据える――勇者。
「お前……お前は! 魔族か!」
半魔の姿を露わにしたわたしに、勇者は憎しみに満ちた瞳を向け、怒声を張り上げる。そして、即座に突進してくる。
剣幕に怯み、反射的にわたしは魔力の弾をつくり、撃ち出す。が、それは勇者の振るった剣の一振りで全てかき消されてしまう。
意に介さず突き進み、勇者は全力の殺意を込めてわたしに斬りかかってくる。
咄嗟に魔力を固め、盾を張るが……その一撃だけで後方に大きく吹き飛ばされ、背後の木に激突してしまう。
「あ……か……!」
背中を強打し、息が詰まる。視界が段々狭くなってくる。
その狭まった視界に、怨嗟の声を吐きながらこちらに近づいてくる、勇者の足元だけが映り込む。
「魔物も! 魔族も! 全て俺が滅ぼしてやる――!」
――怖い――怖い――殺される――……!
わたしの心には張り詰めた恐怖と共に、驚き、失望、怒り――勇者に対する様々な思いが胸の内で混じり合い、渦巻いていた。
「(怖いよ、かーさん……これが、こんなのが、勇者なの……? 絵本と全然違う……わたしが、半魔だから? だから、あんなに怒ってるの?)」
魔を払う力を持つという〈神剣・パルヴニール〉。
その刃に斬りつけられれば、半魔のわたしもただでは済まないだろう。
けれどもう、体が動いてくれない。まぶたも少しずつ狭まり、意識が段々薄れていく――
そして、勇者の剣は振り下ろされる。わたしは、なにもできずにそれを受け入れ――
***
飛び起きる。
「――…………」
目を覚まし、周囲を警戒する。次に、自分の姿を確認する。
あちこち跳ねたショートカットの黒髪。女性らしく丸みを帯びた、けれど引き締まった身体。同年代より若干小柄な身を白い軽装鎧で包んでいるが、左手の篭手だけは黒い。
さっきまで見えていた子供の目線ではない。大人になった自分の姿だ。
そして周りを見回してみても、勇者の姿はない。当たり前だ。今のは夢なのだから。
分かっていながら、わたしはしばらく警戒を解けなかった。
最近はあまり見なくなっていた、子供のころの夢。まだ、動悸が収まらない。
「……アレニエさん? どうかしましたか?」
見張りをしていた神官の少女は、わたしが突然起きたことに驚き、心配げに声を掛けてくる。
栗色の髪を白いベールで覆い、同色の聖服に身を包んだその少女は、わたしの旅のパートナーだった。
「リュイスちゃん……」
神官の少女――リュイスちゃんの姿を確認し、思わず安堵する。悪夢の恐怖が、それだけでわずかに和らぐ。
気づけばわたしは彼女を引き寄せ、その体に抱きついていた。
「えっ、え? アレニエさん?」
「……ごめん、ちょっとだけ、こうさせて……あー、癒されるー……」
彼女の体にしがみつく。こうしているだけで、早鐘を打っていた心臓が少しづつ落ち着いていく。
わたしはそのまま自身の鼓動が落ち着くまで、しばらくの間、彼女を抱き締め続けていた。
***
わたしとリュイスちゃんは今、パルティール王国の北に位置する国、〈ルーナ王国〉に向けて旅をしている。
『物事の流れが見える』リュイスちゃんの目、〈流視〉に、再び見えた勇者の危機。その現場は、ルーナ王国の領地の外れにある、〈アルマトゥラ〉という砦だった。
勇者の命の流れは、その砦で再び途切れていたらしい。
ただ、今回はなぜか相手の姿が見えず、その場所で命を落とすこと以外は何も分からなかったという。
また、魔族が相手なのだろうか。
……まさかまた魔将ということはない、と思いたいけど、今のところ情報が少なくて判別ができない。
とにかく、実際に現地に行けばわかるだろう、と、わたしたちは準備を整え、すぐに王都を発った。
そしてその道中のある日、街道脇で野宿し、最初の見張り番をリュイスちゃんに任せて眠りについたわたしが見たのが、先刻の夢だった。
「(最近は、ほとんど見なくなってたのに)」
それを再び見たというのは、なにかの予兆だろうか。
見張りの番をリュイスちゃんと交代したわたしは、もやもやとしたものを抱えながらも、朝までの見張りを務めることにした。
***
「リュイスちゃん。リューイースーちゃーん」
「……ふぇ?」
名前を呼ぶと、彼女は寝ぼけ眼でこちらに視線を向ける。かわいい。
今日もリュイスちゃんはかわいい。彼女を眺めているだけで、昨夜の夢も忘れられそうな気がした。
寝顔も寝起きの顔もできればずっと見ていたいけれど、残念なことにそろそろ起きて出発しないといけない。
彼女が寝ている間に後片付けは終えているので、あとは彼女の準備が整うのを待つだけだ。
その間、わたしは太陽の位置などから方角を確認。それから、なにか普段と違うことがないか、周囲を警戒する。旅を始めたばかりのこんな場所で、変わったことも特にないとは思うけど、念のため――
「……?」
なにか、かすかに物音が聞こえた気がして、わたしはその場にしゃがみ込み、地面に手を置いた。
手の平から伝わる振動は、馬や馬車ほど騒がしくはなく、しかしある程度の重量を持った複数人の足音を届かせる。おそらく、金属鎧を着た誰かが歩いている音だ。
ここは街道のすぐ近くだし、わたしたち以外の旅人が近づいていてもおかしくない。
とはいえ、以前の旅で経験したように、こちらを襲おうとする一団などの可能性もある。警戒はしておいたほうがいいだろう。
手近な樹々を駆け登り、樹上から周囲を見回す。すると、王都のほうからこちらに近づいてくる複数の人間を見受けられた。
槍を携えた戦士っぽいのに、聖服を身につけた神官っぽいの。とんがり帽子とローブを纏う魔術師っぽいのに、それから…………
「――……リュイスちゃん」
わたしは下にいるリュイスちゃんに、一方的に声を掛けた。
「ごめん、ちょっと先に行くね!」
「……えっ? アレニエさん!?」
戸惑いの声をあげる彼女を置いて、わたしは樹上を跳び渡り、先を急いだ。
昼でもなお薄暗いほど樹々が茂った森の中を、あたしは散歩でもするように歩いていく。
普段は徘徊しているはずの魔物共は、今は付近に見当たらない。あたしの魔力に恐れをなして逃げ出したのだろう。気分がいい。
それは、しばらく歩いた先に見つけたもので最高潮を迎える。
見つけたのは、兜だ。全体を漆黒に塗り固め、所どころを金で装飾を施してある。
生い茂る樹々の一つ、その根元にぽつりと置かれた兜は、まるで誰かの墓標のように見えた。
いや、見えるだけではなく、それは本当に――
「――まさか、お前がやられるなんてな」
高い声を目一杯低く鳴らし、あたしは呟く。
森には不釣り合いな黒いドレスと、背中まで伸ばした金の髪を揺らしながら、兜が置かれた木の前まで足を運ぶ。そして……
ガっ
小さな足で、眼下の兜を足蹴にする。
「いつもいつも偉そうにふんぞり返っていたくせになぁ。キヒヒ……ざまぁねぇぜ」
あぁ、愉快だ。
あのイフが。〈暴風〉と呼ばれた魔将が。選ばれて間もない人間の勇者ごときに遅れをとったのだ。こんなに愉快なことはない。
あたしは兜を踏みつけていた足をわずかに上げ……次には勢いよく蹴りつける。
ゴギン!
静けさに包まれた森に、鈍い音が響く。
あたしの華奢な足で蹴りつけられた兜は、周囲の地面ごと陥没していた。ひび割れた土の下からは、兜と同じ意匠の鎧が顔を覗かせている。
「蘇生が終わるまで地の底で見てなよ。お前の代わりに、このあたしが、勇者を始末しといてやるからさぁ。キヒ、キヒヒヒヒ……!」
魔物が棲みつく暗い森の中、あたしの哄笑だけが辺りに響き渡っていた。
◆◇◆◇◆
――赤い。左の視界が、赤く染まっていく。〈クルィーク〉を起こし、魔族の血を解放させたときの副作用。
〈クルィーク〉――左腕の黒い篭手は今、メキメキと音を立てながら肥大化した左手を飲み込み、一体化し、大きな異形の腕と化していた。
わたしは、右手の短剣と異形の左手を構えながら、小さな体をさらに縮めて警戒する。目の前には、四人の人間。
軽装の鎧を纏い、長大な剣を構える剣士。
聖服に身を包んだ神官。
帽子とローブを纏い、杖を掲げる魔術師。
そして……憤怒の形相でこちらを見据える――勇者。
「お前……お前は! 魔族か!」
半魔の姿を露わにしたわたしに、勇者は憎しみに満ちた瞳を向け、怒声を張り上げる。そして、即座に突進してくる。
剣幕に怯み、反射的にわたしは魔力の弾をつくり、撃ち出す。が、それは勇者の振るった剣の一振りで全てかき消されてしまう。
意に介さず突き進み、勇者は全力の殺意を込めてわたしに斬りかかってくる。
咄嗟に魔力を固め、盾を張るが……その一撃だけで後方に大きく吹き飛ばされ、背後の木に激突してしまう。
「あ……か……!」
背中を強打し、息が詰まる。視界が段々狭くなってくる。
その狭まった視界に、怨嗟の声を吐きながらこちらに近づいてくる、勇者の足元だけが映り込む。
「魔物も! 魔族も! 全て俺が滅ぼしてやる――!」
――怖い――怖い――殺される――……!
わたしの心には張り詰めた恐怖と共に、驚き、失望、怒り――勇者に対する様々な思いが胸の内で混じり合い、渦巻いていた。
「(怖いよ、かーさん……これが、こんなのが、勇者なの……? 絵本と全然違う……わたしが、半魔だから? だから、あんなに怒ってるの?)」
魔を払う力を持つという〈神剣・パルヴニール〉。
その刃に斬りつけられれば、半魔のわたしもただでは済まないだろう。
けれどもう、体が動いてくれない。まぶたも少しずつ狭まり、意識が段々薄れていく――
そして、勇者の剣は振り下ろされる。わたしは、なにもできずにそれを受け入れ――
***
飛び起きる。
「――…………」
目を覚まし、周囲を警戒する。次に、自分の姿を確認する。
あちこち跳ねたショートカットの黒髪。女性らしく丸みを帯びた、けれど引き締まった身体。同年代より若干小柄な身を白い軽装鎧で包んでいるが、左手の篭手だけは黒い。
さっきまで見えていた子供の目線ではない。大人になった自分の姿だ。
そして周りを見回してみても、勇者の姿はない。当たり前だ。今のは夢なのだから。
分かっていながら、わたしはしばらく警戒を解けなかった。
最近はあまり見なくなっていた、子供のころの夢。まだ、動悸が収まらない。
「……アレニエさん? どうかしましたか?」
見張りをしていた神官の少女は、わたしが突然起きたことに驚き、心配げに声を掛けてくる。
栗色の髪を白いベールで覆い、同色の聖服に身を包んだその少女は、わたしの旅のパートナーだった。
「リュイスちゃん……」
神官の少女――リュイスちゃんの姿を確認し、思わず安堵する。悪夢の恐怖が、それだけでわずかに和らぐ。
気づけばわたしは彼女を引き寄せ、その体に抱きついていた。
「えっ、え? アレニエさん?」
「……ごめん、ちょっとだけ、こうさせて……あー、癒されるー……」
彼女の体にしがみつく。こうしているだけで、早鐘を打っていた心臓が少しづつ落ち着いていく。
わたしはそのまま自身の鼓動が落ち着くまで、しばらくの間、彼女を抱き締め続けていた。
***
わたしとリュイスちゃんは今、パルティール王国の北に位置する国、〈ルーナ王国〉に向けて旅をしている。
『物事の流れが見える』リュイスちゃんの目、〈流視〉に、再び見えた勇者の危機。その現場は、ルーナ王国の領地の外れにある、〈アルマトゥラ〉という砦だった。
勇者の命の流れは、その砦で再び途切れていたらしい。
ただ、今回はなぜか相手の姿が見えず、その場所で命を落とすこと以外は何も分からなかったという。
また、魔族が相手なのだろうか。
……まさかまた魔将ということはない、と思いたいけど、今のところ情報が少なくて判別ができない。
とにかく、実際に現地に行けばわかるだろう、と、わたしたちは準備を整え、すぐに王都を発った。
そしてその道中のある日、街道脇で野宿し、最初の見張り番をリュイスちゃんに任せて眠りについたわたしが見たのが、先刻の夢だった。
「(最近は、ほとんど見なくなってたのに)」
それを再び見たというのは、なにかの予兆だろうか。
見張りの番をリュイスちゃんと交代したわたしは、もやもやとしたものを抱えながらも、朝までの見張りを務めることにした。
***
「リュイスちゃん。リューイースーちゃーん」
「……ふぇ?」
名前を呼ぶと、彼女は寝ぼけ眼でこちらに視線を向ける。かわいい。
今日もリュイスちゃんはかわいい。彼女を眺めているだけで、昨夜の夢も忘れられそうな気がした。
寝顔も寝起きの顔もできればずっと見ていたいけれど、残念なことにそろそろ起きて出発しないといけない。
彼女が寝ている間に後片付けは終えているので、あとは彼女の準備が整うのを待つだけだ。
その間、わたしは太陽の位置などから方角を確認。それから、なにか普段と違うことがないか、周囲を警戒する。旅を始めたばかりのこんな場所で、変わったことも特にないとは思うけど、念のため――
「……?」
なにか、かすかに物音が聞こえた気がして、わたしはその場にしゃがみ込み、地面に手を置いた。
手の平から伝わる振動は、馬や馬車ほど騒がしくはなく、しかしある程度の重量を持った複数人の足音を届かせる。おそらく、金属鎧を着た誰かが歩いている音だ。
ここは街道のすぐ近くだし、わたしたち以外の旅人が近づいていてもおかしくない。
とはいえ、以前の旅で経験したように、こちらを襲おうとする一団などの可能性もある。警戒はしておいたほうがいいだろう。
手近な樹々を駆け登り、樹上から周囲を見回す。すると、王都のほうからこちらに近づいてくる複数の人間を見受けられた。
槍を携えた戦士っぽいのに、聖服を身につけた神官っぽいの。とんがり帽子とローブを纏う魔術師っぽいのに、それから…………
「――……リュイスちゃん」
わたしは下にいるリュイスちゃんに、一方的に声を掛けた。
「ごめん、ちょっと先に行くね!」
「……えっ? アレニエさん!?」
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