[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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終章

1節 最端の街

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 神話によれば、その土地は邪神がこの世界で初めて降り立った場所であると言われている。

 多量の穢れに侵され草木も生えず、見渡す限り遮る物もない茫漠とした荒野。その地の底には今も邪神が眠っているとも言われ、魔王の居城はそれを護るために建てられたという説もある。

 人類から見ればそこは、大量の兵士が行軍できる平地であり、距離で言えば最も早く魔王の元に辿り着ける、理想的な道でもあった。
 そこに兵を送り込めれば、勇者だけに重荷を背負わせずに済む。悪しき魔王を共に討ち滅ぼすことができる――
 ただし。その道には行く手を遮る者が存在した。地を埋め尽くし、雲霞うんかの如く押し寄せる、魔物の軍勢が。

 人類は数百年に渡り、各国共同でこの地に兵を送り込み続けている。押し寄せる魔物をこの場で押え込み、可能ならば制圧し、魔王の城を攻める橋頭堡きょうとうほとするために。
 対する魔物にとっても、この荒野は城を護る要衝ようしょうであり、また獲物が自ら寄ってきてくれる狩場でもある。周辺の土地からも魔物が集中し、人類軍を殲滅せんと襲い掛かってくる。

無窮むきゅうの戦場〉

 いつしかここは、そう呼ばれるようになった。この土地は、終わらない戦争を続けているのだと。

 最端の街アライアンスは、その戦場を支援するための補給基地として始まり、次第に街として発展してきた場所だ。
 デーゲンシュタットと並ぶ、最前線の一つ。魔物の領土に最も近い街。そこに、私とアレニエさんはやって来ていた。

「ここが、最端の街……」

 城門を抜けた私は、街の内部を眺めながらぼんやりと呟いた。
 左右を山に挟まれた街は、それだけでも天然の要塞のようだったが、前後の空間にも城壁が築かれ、護りをさらに堅くしている。
 街を貫くように敷かれた大通りには、何台もの馬車がせわしなく行き交っている。おそらく戦場への物資を運んでいるのだろう。

 街を歩く人の大半は、まず様々な国の兵士たち。
 次いで、手に手に武器を備えた冒険者や傭兵たち。
 最後に、この街に物資を運んでくる商人など。
 一つの街として成立した今も補給基地としての役割は続いているため、戦場に関連する職の割合が多いようだ。

「ちょっとその辺の人に道聞いてくるね」

 言うが早いかアレニエさんは、道行く通行人に声を掛け、目的地までの場所を訊ねていた。首尾よく情報を聞き出せたのか、わずかな時間でこちらに戻ってくる。

「こっちだって」

 教えられた道を、アレニエさんと二人で歩いていく。
 大通りから離れると、徐々に人気は減っていく。落ち着いた雰囲気に生活感を覗かせるこの通りは、どうやら住宅地のようだ。
 しばらく進み、やがて辿り着いた石造りの建物の前で、私たちは足を止めた。
 教会をそのまま利用しているらしいその建物は、敷地内に簡素な立て札が掲げてあった。

『ウィスタリア孤児院』

 コンコン――

「すみませーん」

 アレニエさんが扉を軽く叩き、声を上げる。
 しばらくすると中から誰かの足音が聞こえ、扉の前で止まる。しかし扉は開かず、誰何すいかの声だけが聞こえてきた。

「……どちらさま?」

 若い女性の声だった。声音だけで分かるほど、警戒した様子だ。閉めたままの扉といい、この辺りの治安があまりよくないのかもしれない。
 アレニエさんは特に気にした様子もなく、扉越しに自己紹介する。

「わたしは、アレニエ・リエス。オルフラン・オルディネールの娘、って言って、分かるかな」

「オルフラン……? って、確かアインくんの……。……え、アインくんの? ……娘ぇ!?」

 ガチャガチャ、ガチャン

 慌てて鍵を開ける音が響き、閉ざされていた扉が開かれる。中から姿を現したのは、一人の女性神官だった。

 年齢は、おそらくアレニエさんと司祭さまの中間くらい。二十五、六といったところだろうか。
 肩口まで伸びる赤い髪を、白いベールで覆っている。服も同様に白の聖服だ。その特徴から、私と同じアスタリアの信徒であることが窺えた。

 彼女は私とアレニエさんを交互に見比べ、混乱したように言葉を紡ぐ。

「ど、どっちが娘さん? というか、娘にしてはアインくんと歳が近くない? それに、お相手は? やっぱりラルちゃん? ラルちゃんなの?」

 ラルちゃん?

「……って、もしかして、クラルテ司祭のことでしょうか? ……クラルテ、の間を取って、ラルちゃん?」

 気になって思わず口をついた言葉に、目の前の女性が食いつく。

「ラルちゃんのこと知ってるの? ということは貴女が二人の娘!?」

「「えーと……」」

 混乱から抜け出せないまま盛り上がる女性を前に、私もアレニエさんも呆気にとられるのだった。


   ***


「はい、お茶。安物で悪いけどね」

「ありがと」

「ありがとうございます」

 興奮が治まり、落ち着いた様子の女性が、応接室のソファーに座る私たちにお茶を振る舞ってくれる。玄関先で立ち話もなんなので、中に招いてもらったのだ。
 彼女は各自にカップを配り終えると、私たちの対面に腰を下ろす。

「院長や他のシスターは今留守にしてるから、代わりに私の応対で我慢してね。私はライエ・ウィスタリア。アインくんやラルちゃんより下の世代の卒業生で、今はこのウィスタリア孤児院で子供たちの面倒を見ているわ」

「わたしは、さっきも名乗ったけどアレニエ・リエス。とーさん――オルフランの義理の娘で、一緒に暮らしてる。で、こっちの子が……」

「リュイス・フェルムといいます。クラルテ司祭に師事しています」

「アレニエさんに……なるほど。貴女がリュイスさんね」

 神官の女性――ライエさんは、私たち、特に私のほうに意味ありげに視線を送る。

「さっきはごめんなさいね。つい興奮しちゃって。娘っていっても養子だったのね」

「うん。血は繋がってないよ。拾われたってだけ」

「そうよね。そこまで歳が離れてるようには見えないし。あー驚いた。私はてっきり、アインくんとラルちゃんがとうとう結婚したのかと思っちゃって」

「あははは……」

 珍しくアレニエさんが小さく空笑いする。クラルテ司祭のことを苦手にしているようだったし、彼女とマスターがどうこう、などと話されるのはあまり面白くないのかもしれない。

「それにしても、アインくんに娘かぁ。そういうの、なんにも教えてくれないからなぁ」

「あまり交流はないんですか?」

 気になって、つい口に出して聞いてしまう。それにライエさんは、困ったような笑みで答えた。

「失踪した後、一応手紙だけは届いたんだけどね。でも、名前を変えたことと、生きてるってことぐらいしか書いてなくて。それ以降はなんの報せもないし」

 彼女は小さく肩をすくめる。

「ま、何か理由があって隠さなきゃいけないのは分かったし、生きてるならそれで十分だったからね。それに、元から頻繁に連絡取るタイプでもないだろうし」

「……そうだね。基本無口だし、特に理由がなければ手紙も出さないんじゃないかな」

「でしょ? だから、便りがないのは元気な証拠かと思って」

 ある意味、信頼されてるんだろうか。

「クラルテ司祭とは、連絡を取っているんですか?」

「うん。たまに手紙が届くし、こっちからも返してるわよ。だからリュイスさん、貴女のことも話には聞いてる。ラルちゃんが娘として引き取ったことも、そのあと弟子として鍛えてることも。いやー、アインくんとラルちゃん、それぞれの娘さんが一緒に旅をしてて、揃ってうちを訊ねてきてくれるなんて、なんだか感慨深いわねー」

 ライエさんは一度カップに口をつけてから、改めてこちらに尋ねてくる。

「それで、今日はどうしてここに? ただ顔を見せに来てくれただけ?」

 私はちらりとアレニエさんに視線を向ける。彼女はちょうどお茶に口をつけているところ(熱かったからかペロリと舌を出していた)だったが、訊ねられるとカップから唇を離し、口を開いた。

「その、ちゃんとした目的があるわけじゃないんだ。旅の途中でこの孤児院があるのを思い出して、急に立ち寄っただけで……でも、もしよければ、とーさんが暮らした場所を見てみたいな、とは思ってるんだけど」

 オルフランさん――〈剣帝〉アイン・ウィスタリアが寝食を過ごした場所というのは、私も興味がある。それに、そこは同時に、クラルテ司祭が生活していた場でもあるのだ。

「いいわよ。それじゃ、お茶を飲み終えたらざっくり案内しましょうか」


   ***


「ここは、食堂。食事はここでみんな一緒に取ってる。あまり豪華な食事は出せないけれど、幸い飢えずに食べさせてあげられてる。大地の女神に感謝だね」

「ここは、集会室。屋内で集まって何かする時はここを使う。基本は、読み書きを教えるための勉強ね。あの二人もここで勉強してたのよ」

「ここは、聖堂。聖典を読んだり、みんなで祈る時に集まる場所。神官になったラルちゃんはもちろん、アインくんも意外に大人しく聖典を聞いてたわね」
 
「ここが、私室。こっちが男子の部屋で、アインくんは入って右側奥のベッドに寝てた。で、そっちが女子の部屋。左側手前の二段ベッドの、上がラルちゃん、下が私の寝床だったのよ。人が入れ替わってるから、さすがにもう当時の面影はないけどね」

「ここで、とーさんが……」

「ここに、司祭さまが……」

 今は別の子供たちが生活してるであろう私室に目を向けながら、私は当時の様子に思いを馳せようとする。が……司祭さまの子供時代というのを、上手く想像できなかった。けれど、ここで彼女が暮らしていたと聞いただけで、よく分からない感慨のようなものは湧いてくる。
 それはアレニエさんも同じだったようで、眉根を寄せていたかと思うと、次には微かに笑みを浮かべたりしている。
 と――

 ――ガッ、カシン――

 堅い、けれど軽い何かを打ちつけ合っているような音が、私たちの耳に届いてくる。実はこの音は、この孤児院を案内されてる間中、断続的に聞こえてきていたのだけど……
 いぶかしむこちらの様子に気づいたらしいライエさんは、少し楽しそうに笑みを浮かべながら、無言でついてくるように促す。それに素直に従い、廊下を進み、途中にあった扉を抜けると――

 そこは、無数に立ち並ぶ柱と、それが支えるアーチが並んだ回廊だった。
 回廊の内側には中庭が広がり、中庭の外周には花壇や畑が、内には芝生の広場が広がっている。

 その広場で、男子女子合わせて十数名ほどの子供たちが、手に手に木剣を持ち、あるいは素手を駆使して、鍛錬に励んでいる。
 一人黙々と素振りをする子。二人で木剣を握り合い立ち合う子たち。年上らしき子に教えを乞う子。中には木陰に座り込み本を読んでいる子などもいたが。
 先刻から聞こえていたのは、彼らが稽古で木剣を打ち鳴らす音だったらしい。今もそれは続いており、木と木がぶつかる音が甲高く響いていた。

「あの子たちね、自分からああやって鍛えてるの」

「自分から?」

 ライエさんの言葉に、アレニエさんが少し意外そうに聞き返す。

「アインくんが初めて剣を握った時の話は聞いてる?」

「確か、この孤児院が野盗に襲われた時に、他の子供たちを護ろうとして、だよね?」

 返答に頷いたライエさんは、昔を懐かしむように少し遠い目をする。

「なんとかその野盗は撃退できたけど、同時に力不足を痛感したのかな。アインくんはそれ以降、ひたすら剣の鍛錬を続けるようになったの。それに触発されたのかラルちゃんも、神官の勉強をしながら素手での戦い方を独学で練習し始めた。二人の様子を見ていた他の子供たちも、それぞれ自分にできる方法で孤児院を護ろうとするようになって……」

「それが受け継がれて、今の子供たちまで伝わってる?」

「そ。だからこの光景は、アインくんとラルちゃん二人が残してくれたもの。二人がいた証みたいなものなのよ」

 彼女はそれを誇らしげに語っていたのだが……その表情が、次にはわずかに陰る。

「……ほんと言うと、あんまり子供たちに危ない真似はさせたくないんだけど……暮らしてるのが、こんな街だからね。いつ何が起こるか分からない。魔物の被害はもちろん、前みたいに食い詰めた野盗が襲ってくるかもしれない」

「……そうだね。ほんの十年で魔王が蘇るご時世だし、身を護る術は覚えておいて損はないね」

「でしょ? それに、子供たちが自分からやりたがってるなら、それを後押しするのも大人の役目かな、と思って。少しくらいの怪我なら、法術で治してあげられるしね」

 と、そこへ――

「シスター!」

 こちらに気づいた子供たちが訓練を止め、ライエさんに向かって集まってきた。
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