[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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終章

7節 黙する影の襲撃

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 そこにいたのは、黒い影だった。

 夜の闇に溶け込むような、ゆったりとした黒のローブで全身が覆われている。
 さらにフードを目深に被ったうえ、装飾の少ない白い仮面で顔を隠しているため、顔も性別も判然としない。闇の中で、白い相貌そうぼうだけが宙に浮かんでいるようにも見える。

「あなたが、神官殺人事件の犯人さん?」

「……」

 謎の人影は何も言葉を発しない。離れた距離から、こちらの様子を窺っている。
 そして、手には何も持っていない。少なくとも、目に見えるような武具は何も。
 が、黒い影は、その何も持っていないはずの手を前方に掲げてみせた。その手の先に一瞬光が集まった――そう思った時には、人影の手に弓と矢が現れていた。

「(――は?)」

 弓矢はどちらも月の光を反射し、淡く輝いている。通常よく見る(それこそ今日見たばかりの)木製の物じゃない。金属か宝石あたりで覆われているのだろうか……?

 それに、あの武器、どこから取り出したの? さっきまでは確かに持っていなかったし、ローブに隠すのだって難しいはず……
 考える間もなく、輝く矢が素早く引き絞られ、こちらに向かって撃ち放たれる。

 ヒュンっ――!

 風切り音を鳴らして飛来するそれを、愛剣で叩き落そうとしたのと同時に――

「《プロテクション!》」

 リュイスちゃんの祈りによって発現した光の盾が、撃ち込まれた矢を迎え撃った。

 バヂィ!

 盾と矢が接触し、音を鳴らす。
 リュイスちゃんは盾を斜めに、矢を後方に逸らせるように構えていた。逸らされた矢は路地の壁に当たり、そのまま突き刺さる。ちらりとそちらに視線を向けて、ようやくその正体に気が付いた。

「(氷……?)」

 放たれた矢は――そしておそらく弓も――氷で形作られているようだった。だから光を受けて反射していたのだろう。魔術によるものだろうか。
 そうしている間に、襲撃者は次なる矢を弓につがえる。

「リュイスちゃん、そのまま盾を張って身を護ってて!」

「はい!」

 彼女の返事を聞き終わる前に、わたしは前方に駆け出した。
 相手は明確にこちらの命を脅かしにきている。なら、下手な遠慮はいらない。右腰に差した愛剣〈弧閃〉の柄を逆手に握る。

 接近するこちらに向けて、襲撃者は再び弓矢を構え、一矢、二矢と放ってきた。が……
 放たれた矢はわたしを迂回するように大きく曲がり、後方のリュイスちゃんに向かって飛んでいく。

「くぅ……!」

 背後からリュイスちゃんが呻く声と、盾で矢を防ぐ音が続けざまに聞こえてくる。わたしを無視してあくまでリュイスちゃんを狙うなんて……それで彼女を討てるうえ、わたしへの対処も問題なくできるという主張なのか。舐められたものだ。

 いや、これはむしろ、それほどに神官への怨恨が強い証だろうか。初撃もわたしじゃなくてリュイスちゃんを狙ってたんだとしたら……

「(やっぱり目の前の相手は事件の犯人で、よっぽど神官を恨んでる……?)」

 このタイミングでリュイスちゃんに狙いを定めてくる相手が、事件と無関係ということはないだろう。犯人か、あるいはその一味かは分からないが、叩きのめして隠された素顔を引きずり出す必要がある。

 とにかく、これ以上リュイスちゃんを狙わせるわけにはいかない。続けて襲撃犯から放たれた二本の矢を、走りながら抜き放った剣でどちらも叩き落し、さらに接近する。
 近づいてしまえば、弓の優位性は失われる。今度はこちらが一方的に攻撃する番だ。そう目論んで数歩足を進めたところで……フっ、と、襲撃者が手にしていた弓矢が、唐突に消失する。

「(!?)」

 次いで、再びその手に光が集まるのを確認した次の瞬間には、襲撃者は新たな武器を握っていた。細長い棒状の柄と鋭い穂先を持つそれは――

「(槍……!?)」

 ボっ――!

「くっ……!?」

 ギャリィ!

 慌てて足を止め、突き出された刃の側面に剣を当て、後方に受け流す。
 突然現れた槍は、先ほどの弓矢と同じく氷でできていた。氷で武具を造り出す魔術……? でも……

「(さっきから、詠唱が聞こえない……)」

 魔術は、心象を具現化する技術だと言われている。
 肉体という檻の外に心象を出現させるには、道標となり鍵となる詠唱が必要不可欠になる。――人間であれば。
 詠唱なしに魔術を扱える者。それはつまり人間ではなく、魔族だ。
 彼らは、肉体と精神の境界が薄い(実はどういうことかよく分かっていないのだが)ため、思い描くだけで魔術を行使できるというのだ。その脅威は計り知れない。

「(つまり、今、目の前にいる相手は――)」

 必然的にそれは、街に入り込んだ魔族、ということになる。姿を、そしてその身から溢れる穢れを隠し、内部に侵入した敵性存在――

 わたしが思考を巡らせる間も、襲撃者は攻撃の手を緩めない。大きくかわされて一気に距離を縮めさせないようにするためか、こちらの動きを制限するような素早い突きを、小刻みに打ち込んでくる。
 二撃、三撃と鋭く突き出される氷の槍の穂先を、しかしわたしは愛剣で身体の左右に受け流し、じりじりと前へ詰めていく。このまま進めば、遠からず剣の――わたしの間合いに入る。

「……!」

 先に痺れを切らしたのは、襲撃者のほうだった。こちらの動きの要を封じるためか、右足の腿を狙って刺突を繰り出してくる。それをわたしは――
 左足を軸足に後方に一回転して刺突をかわし、回りながら振り上げた右足で、槍を上から踏みつける。

 ガンっ!

「……!?」

 踏みつけた槍から、相手の動揺が伝わってくる。わずかに動きが鈍る。
 が、動揺は、一瞬だった。次にはわたしは、槍を踏んでいた右足に手応え(足応え?)がなくなり、つんのめりそうになるのを踏ん張って防ぐ事態に陥る。相手が再び武器を消失させたのだ。
 三度、襲撃者の手に光が灯る。そうして次に生み出された武器は、こちらと同じものだった。

「……!」

 襲撃者が無言でその武器を――氷の細剣を振るう。軽快なステップで距離を詰め、こちらの足元を切り払ってくる。

「っとぉ!」

 咄嗟にその場で跳び、切り払いをやり過ごす。が、相手はこちらの動きを予測していたのか、即座に剣を引き戻し、瞬発力を乗せた全力の突きを見舞ってくる!

「く、の!」

 その突き出された剣の側面に自身の剣を当て、相手の攻撃をわずかに逸らす。そして、それを支点に空中で独楽のように回転し、勢いを乗せて、順手に持ち替えた剣を横薙ぎに振るった。

「――!」

 剣は、襲撃者が目深に被っていたフードと仮面を浅く切り裂く。相手はあくまで顔を隠そうとしてか、切られた箇所を咄嗟に手で押さえていた。

 傷は与えられていない。正体に繋がる手掛かりも見受けられない。
 けれど黒ずくめの影は見るからに攻め気を失い、造り出していた武器も消失させていた。まさか、このまま逃げる気なのだろうか。
 逃がすまいと駆け出そうとしたところで――

「……!」

 再び襲撃者の手に光が集まると……次には、路地を塞ぐような巨大な氷の盾が生み出され、わたしの行く手を阻んだ。

「……ふっ!」

 浅い袈裟切りの角度で、氷の盾を全力で斬りつける。
 身体から剣まで伝えられた『気』が、〈弧閃〉に混じる気鉱石と反応し、不自然な残光を伴って、目の前の障害物を切り裂く。
 盾は斜めに両断され、ややあってから、上の側が重さでずり落ちていく。そうして拓けた視界の先に視線を向けるのと同時に、盾が消失し――

 次に見えたのは、路地の入口まで後退した黒ずくめの襲撃者が、再び弓を構える姿。しかもその狙いはわたしではなく、上方に向いていて――

「(――まさか!?)」

 氷の矢が、空に放たれる。それは放物線を描いて落下し、そして落ちる最中に幾重にも分裂し、雨のように降り注ぐ。――リュイスちゃんがいる地点へと。

「リュイスちゃん!」

 慌てて引き返し、彼女の名を叫ぶのと、彼女が法術を唱えるのとは、ほぼ同時だった。

「《しゅ、守の章、第二節。星の天蓋てんがい、ルミナスカーテン!》」

 祈りと共に、地面から半球状の光の幕が生み出され、リュイスちゃんを覆った。

 ドドドドド――!

 多数の氷の矢が光の幕に、その周囲の地面に突き立ち、衝撃で砕け散る。冬も過ぎて久しいというのに、辺りは雪が舞い散ったかのように雪煙が広がった。
 やがてそれも治まり、視界が徐々に晴れてくる。
 見えてきたのは、かろうじて形を保ったままの光の幕と、その幕の内側で身を縮めて防御姿勢を取っていた、神官の少女の姿。

「リュイスちゃん、大丈夫!? 怪我は!?」

 リュイスちゃんの傍に駆け寄り、光の幕に手で触れる。それが合図になったかのように幕が消え、突き刺さっていた氷の矢がガランと落ちる。彼女は恐る恐るといった様子で縮めていた身体を解き、こちらに視線を向けた。

「アレニエさん……はい、無事です。なんとか」

 ほっ、と息をつくのと、辺りに散らばる氷の矢が消失するのは、同じ頃だった。
 路地の入口に視線を向ける。既にそこに黒ずくめの襲撃者の姿はない。

「(……逃げられたかぁ)」

 小さく、嘆息する。
 推定犯人にはまんまと逃げられてしまった。あの三人の疑いも完全には晴れていない。
 しかし、得られた手掛かりは少なくない。特に相手の手口を見られたのは大きな収穫だ。
 それらの情報を吟味する意味でも、少し、体や頭を休めたい。わたしたちは互いに大きな怪我がないことを確かめ合った後に、宿に帰還した。
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