[完結]勇者の旅の裏側で

八月森

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終章

13節 選んだのは①

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「師匠おおおおぉぉぉ――……!」

 ――落ちていく。

 アルムちゃんの声が、姿が、急速に遠ざかっていく。わたしはそれを笑顔で見送っていた。
 高速で落下していくわたしの身体。外には肌が風を切る感覚が、内には内臓が浮き上がるような浮遊感が襲っている。

 傷は深い。上手く身体を動かせない。これじゃ、受け身も上手く取れない。いや、この高さじゃ、多少受け身を取れたとしてもぺちゃんこになるのは変わらないだろうけど。

 地面と共に死が近づく。思考が加速し、普段より高速で働き出す。頭を過るのは、先刻の光景だ。わたしはちらりと、異形化したままの左手に視線をやった。

「……」

 この手――魔族化した左手を、アルムちゃんは掴んだ。それがどういう意味を持つのか、彼女は分かっているのだろうか。

 神剣に祝福された穢れなき勇者が、穢れを生まれ持つ半魔の手を取ったのだ。世の神官が知れば――というか、今頃アニエスちゃんあたりは――怒り狂ってもおかしくない事実だろう。

 実際、先代の勇者は、わたしが半魔だと知った瞬間、憎しみに歪んだ形相を露わにし、明確に殺意を向けてきた。その時の様子は、今も脳裏に焼き付いている。絵本の勇者に憧れていた幼いわたしの心に、消えない傷を刻み込んでいった……

 それが、当代の勇者は――アルムちゃんは。
 あれだけ悪事を重ねたわたしを、最後まで敵視しなかった。わたしが演技をしていたことも、半魔であることも、全て見破られていた気がする。
 そしてそのうえで、彼女はわたしの左手に手を伸ばしてみせた。穢れによって変異した、この左手を――

「ふふ」

 彼女こそが、わたしの探していた勇者なのかもしれない。強く、優しく、出会った人皆を助ける、絵本の勇者……
 と――

「あ」

 考え事をしている間に、もうかなり地面が近づいてきていた。背の高い樹々がわたしを出迎える。痛む体になんとか鞭を打ち、身を護るように身体を丸める。
 枝葉がクッションになり、わずかに落下速度を和らげる。とはいえ、焼け石に水だ。命を落とすには十分な速度を保ったまま、わたしの身体は地表に迫る。そこへ――

「《封の章、第二節。縛鎖の光条、セイクリッドチェーン!》」

 耳慣れた声が下方から響くと共に、四方から光で編まれた鎖が伸び、それらが絡まり合い、網のように広がって、落下するわたしの身体を受け止めてくれる。
 そして、その術を行使した小柄な人影が、網の上に寝そべるわたしに声を掛けてくる。

「大丈夫ですか、アレニエさん!?」

「リュイスちゃん……」

 そう。地面に叩きつけられる前にわたしを助けてくれたのは、先刻わたしがあの崖の上から突き落としたはずの神官の少女、リュイスちゃんだった。
 彼女は術を解き、わたしを地面に寝かせるなり、泣きそうな顔で患部を覗き込む。

「こんな……こんなに酷い怪我をして……! 無茶しないって、約束したじゃないですか!」

「あ、はは……それについては弁解しようもないんだけど……傷に響くから、できればもう少し声を抑えてくれると、おねーさんありがたいかなって……」

「あ……! す、すみません……! 今、治療しますから……!」

 怪我の様子を見て怒り心頭といった様子のリュイスちゃんだったけど、こちらの言葉には素直に謝罪し、その後は静かに治癒に専念してくれる。
 付近をざっと見回せば、少し離れた場所にわたしの愛剣〈弧閃〉が突き立っている。あれを確認したから、リュイスちゃんは救助する準備をしてくれていた。次にわたしが落ちる合図として、事前に剣を投げ落とすと、予め彼女に伝えておいたのだ。

 なぜわたしたちがこんなことをしているのか。その理由を語るには、以前出会った雷の魔将、〈紫電〉のルニアと戦った直後までさかのぼる必要がある。


   ***


わたくしと共に……魔王様にお仕えする気はございませんか?」

 雷の魔将ルニアは、一度は斬られた右手を差し出し、妖しくわたしを誘う。

「わたしが……魔王に……?」

 言葉の意味をすぐには理解できず、言われたことをただ繰り返す。隣ではリュイスちゃんが「なっ!?」と驚きに声を上げていた。

「はい。引き受けていただけるのであれば、新たな魔将として取り立て、厚遇することをお約束しますよ」

「……」

 これは、どう考えても――少なくとも魔族側としては――破格の待遇だ。彼らに階級のようなものがあるかは分からないが、そうしたものを全て飛ばして、いきなり魔王の側近に取り立てようというのだから。けれど……

「……どうして、わたしを?」

 わたしはさっきまで彼女らと敵対していた存在だ。そして当たり前だが、わたしは魔族ではない。それどころか――

「現在、我々はイフ様に続き、つい先刻カーミエ様までが倒されてしまったばかりです。有り体に言えば、戦力が不足しています。でしたら、お二人を倒されたご本人様をお誘いすれば、戦力拡充の近道だと愚考いたしまして」

「その理屈は分からなくもないけど……自分で言うのもなんだし、さっきも言った気がするけど、わたし、半魔だよ? 他の魔族からは、半端な穢れしか持たない出来損ないだ、ってバカにされてきたんだけど」

「確かに、そういった魔族が多いのは否定しません。アスティマより授かりし力に絶対の自信を持つ我々は、力の弱い者をさげすむ傾向にありますから。ですが――」

 ルニアが、わたしと視線を合わせる。

「ですが貴女様は、魔族の上に立つ魔将を、一度ならず二度までも実力で撃退してみせました。それはつまり、他の多くの魔族よりも、貴女様のほうが優れた存在である証に他なりません。それに、こちらも先ほど申し上げましたが、私に、半魔であるアレニエ様を見下すつもりなど、毛頭ございませんから」

 彼女が言うように、合わせた視線にこちらを見下すような色は映っていなかった。少なくとも、すぐにそれと分かるようなものは。

「それで、どうでしょうか。お引き受けいただけますか?」

 思いがけない魔将からの提案。わたしはそれにわずかに考える……フリをしたが、心の内はもう決まっていた。

「ごめん。お断りします」

 その答えに、ルニアはあまり驚いた様子を見せなかった。

「理由を、お伺いしても?」

「理由は……つまるところ、わたしの大事な人たちが――とーさんとリュイスちゃんの二人が、人間の側にいるからだろうね」

 隣にいるリュイスちゃんが「へ?」と、不意を突かれたような声を上げる。

「わたしが人間社会で暮らしてるのは、あなたが言う通り受動的な理由だし、魔物側についても構わないといえば構わないよ。他の人間がどうなろうと心は痛まないしね。でも、とーさんとリュイスちゃんだけは別。二人に害が及ぶ可能性があるなら、わたしはそれを選ぶわけにはいかない。裏切りたくないんだ」

 その言葉をどう解釈したのか、リュイスちゃんが顔を真っ赤にしてもじもじしていた。かわいい。

「それに、最近はアル……勇者ちゃんのことも気に入ってるから、魔将になって彼女と戦うのは、できれば避けたいかな」

 それを聞いたリュイスちゃんは、今度は少し複雑そうな表情をしてみせる。もしかしたら妬いてるのかもしれない。これまたかわいい。

「もし、とーさんとリュイスちゃんじゃなくて、あなたやイフと先に出会っていたら、今とは違った道を選んだかもしれない。けど――」

「その場合は、こうして貴女様に興味を抱く状況には、なっていなかったかもしれませんね。どちらにしても交わらない道でしたか」

 とーさんに出会えなければ〈剣帝〉の剣は学べず、今ほどの腕は身に付けられなかっただろう。その場合、イフやルニアに実力を認められることもなかったはずだ。

 リュイスちゃんに出会えなければ、こうして勇者を、そして人間を明確に護る立場に立つことはなかったと思う。魔将とは出会わず、リュイスちゃんに救われることもなく、とーさん以外に心を許さずに一生を終えていたかもしれない。

 結局、今のわたしを形作っているのは、過去に経験した出会いによるものなのだ。

「悪いね。ご期待に沿えず」

「いえ、こちらとしても、あわよくばといった程度でしたので、そこまでお気になさらず」

 それはそれでちょっと複雑。

「ですが、お気が変わられたなら是非ご連絡くださいませ。アレニエ様であれば、いつでも歓迎いたします。その際には、リュイス様もご一緒にお仕えしませんか?」

「……あの、こう言ってはなんですが……アスタリア神官の私が、それを引き受けると思いますか?」

「失礼をお許しください。ほんの冗談です」

 魔将でも冗談とか言うんだ。

「さて、残念ながらお二人共に振られてしまいましたし、そろそろおいとまするといたしましょう。速やかに帰還し、本来の業務に戻らねばなりませんので。――それでは」

 パリっ――

 律義に丁寧なお辞儀をしてから、ルニアの姿がその場から消える。後に残ったのは小さな放電の音と、わずかな雷光だけ。
 おそらくないとは思いつつ、念のため不意打ちを警戒する。一秒、二秒と時間が経過していき、それが十を数えたところで……

「「……はぁ~……」」

 と、同じく警戒していたらしいリュイスちゃんと同時に大きくため息をつきながら、二人共に地面に座り込んだ。

「疲れた……」

「疲れましたね……」

 一度腰を下ろすと立ち上がる気力も湧かない。しばらくは休息が必要だ。

「一日に二人の魔将を続けて相手させられるのは反則だよ……こんなの勇者だってそうそう経験しないでしょ」

「過去には、魔将二人を同時に相手取った勇者パーティーも、いたそうですよ……」

「ほんとに? すごいね勇者」

 言いながらわたしは、今の勇者とその守護者たちの顔を思い浮かべた。彼女たちがもし同じ状況に放り込まれた場合、生き延びることはできるだろうか?

「(……まだ、できるイメージが湧かないなぁ……)」

 イフ。カーミエ。ルニア。わたしが出会ってきた魔将たち。
 仮にそのうちの一人とでも遭遇して、アルムちゃんたちが勝てる見通しが立てられない。それで果たしてその先の魔王に挑んで、勝てるだろうか。いや、勝ち負けは抜きにしても、生きて帰ってこられるだろうか……

「傷は、痛みますか?」

 物思いにふけっていたわたしに、リュイスちゃんが問いかける。

「細かい傷は〈クルィーク〉のおかげでもう治ってるんだけど、ルニアにもらった一発がね。まだ身体の芯に残ってる感じ」

「……あんなアレニエさんは、初めて見ました。一瞬、本当に、死んでしまったのかと思って……」

「大丈夫。生きてるよ」

 抱き寄せ、頭同士ををコツンとぶつけ、安心させようと試みる。

「リュイスちゃんこそ、しばらく一人で魔将の相手なんてさせちゃったけど、大丈夫だった?」

「はい。なんとか、無事です。もう、気力も体力も空っぽで、動けそうにありませんけどね」

「すごかったね、あの時のリュイスちゃん。わたしがかわせなかったルニアの攻撃を、全部読み切って反撃までしてたもんね」

「あはは……あの時は、アレニエさんの助けになりたくて必死でしたから……それになにより、この目が助けてくれたのが大きくて――」

 彼女がそう言って自身の顔に右手を当てた時――

 コォォォ――……

 その右目が見開かれ、青く、淡く、輝きを放った。
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