あのパンの香りが届かないように

八月森

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エピローグ もう二度と

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 あの後。

 わたしとミレイはアルテアの指示で、ミルトに乗って一時街に帰還(馬の足があったので伝令にちょうどよかったのだ)。防衛線を張っていた騎士団に現状を伝え、応援を要請。彼らを引き連れて戦場に戻った。

 アルテアには少し渋い顔をされた。騎士団長に報告した後は、わたしたちにはそのまま避難してほしかったらしい。でもこっちだってここまで関わったのだから事の顛末てんまつを知りたかったのだ。

 戻ってきても、魔物たちは虚空を見上げ、棒立ちのままだった。それでも、いつ正気に返り暴れ出すか分からなかったこと、何よりその数が多いことから、応援の騎士団の手も借りて早急に討伐することになった。

 同士討ちをさせられていた守備隊もそれに参加した。ミレイの話では、リーゼという女性――彼女が悪魔崇拝者の司祭だったらしい――の加護によって操られていたとのことだが、今はそれから解放され正気を取り戻していた。魔物たちとの症状の違いについてはよく分からない。

 そのリーゼという女性は、虚ろな表情のまま地面に膝をつき、動く様子もなかったが、かといって野放しにもしておけないため、両手を縛り、目隠し(瞳に加護が宿っていたらしい)をした状態で連行されていった。どうもミレイが彼女の加護をなんとかしたようなのだけど、それもわたしが持ってきた荷物のおかげだとかでえらい感謝された。まぁ、感謝されるのも褒められるのも好きなので、やぶさかじゃない。やぶさかじゃない、けども……

(なんか、ミレイに面と向かって気持ちを伝えられるのは照れるのよね)

 この気持ちはなんだろう。彼女のことを放っておけない衝動とも無関係じゃなさそうなのだけど……ハッキリとは分からない。

 そうそう。街の中の問題もあったわね。

 街の外の魔物が目下最大の脅威だったため、騎士団の大半はそっちに投入された。そのため、街中に侵入した魔物に対しては主に冒険者が排除に駆り出されたそうだ。

 暴動を起こし、鐘楼を破壊した悪魔崇拝者たちは、いまだ行方をくらませている。騎士団のうち、暴動の鎮圧に向かっていた部隊が主となって捜索しているようだが、事件の後処理もあってあまり成果は上がっていないらしい。

 あとは、もはやおとぎ話の産物と思われていた悪魔が実在したことは、多くの人を驚かせた。どうやら、強く神々を信仰している人々――この世界でその割合は非常に多い――には悪魔の声は届きづらく、加護を授けることもほとんどなかったため、徐々に歴史の陰に埋もれていったというのが実情らしい。引き続き彼らの声を退けられるよう、神殿は今以上に人々に呼びかけていくことになるだろう……

「……と、こんなところか。あの騒動での後始末は」

 うちの店の作業場(応接室などという贅沢なものはないのだ)に置かれた席に腰を下ろしたアルテアは、ここまでの経緯を簡単に語った。この場にはわたしの他、ミレイも同席しており、神妙な顔で話を聞いていたが……やがて彼女は、ぽつりと呟いた。

「リーゼさんは……あの後どうなったんですか?」

 その問いに、アルテアは一瞬虚を突かれた様子を見せてから、わずかに躊躇いがちに口を開く。

「……意識は取り戻した。受け答えもしっかりしていたよ。こちらの問いにも存外素直に答えてくれる。ただ……」

「……ただ?」

「ただ、悪魔を信仰する姿勢は、変わらないままだった。直接悪魔の声を聞いて歪められたからか、元からそうした素養があったのかは分からないが……彼女が改心することは、少なくとも今は期待できそうにない」

「そう、ですか……。……あの、彼女の目は、今も塞いだままなんですか?」

「いや、今は目隠しを外されている。魔力を阻害する枷があってね。彼女の加護は瞳に魔力を流していたから、それを遮る首枷をつけられて投獄された。生活を送るうえでの支障はあまりないと思うよ」

 それを聞いたミレイは、少しホっとした表情を見せた。その反応を目にしたアルテアは、わずかに不思議そうに尋ねる。

「……リーゼのことが、気になるのかい? どうして? 君と彼女はあの戦場で出会っただけで、会話らしい会話もしてないだろうに」

 そう聞かれると、ミレイは少しだけ躊躇いながら口を開いた。

「……ああするしかなかったとはいえ、リーゼさんをあんな目に遭わせたのは私ですから。それに……私は、あの人の気持ちが少しだけ、分かるから」

「ミレイ……?」

 何を言って……

「もちろん、悪魔を崇拝することや、今回の事件に関して擁護するつもりはありません。彼女らがマリナさんやアルテアさんにしたことも許すなんて到底できない。でも……戦場の近くでの暮らしに慣れることができない。その恐怖をずっと抱えなきゃいけない。それに耐えられないというのは……多分、私も同じですから。もし、私が彼女と同じように、悪魔の声を聞いてしまったらと思うと……」

 そこまで聞いてから、私は隣に座るミレイに腕を回し、抱きしめた。

「マリナさん……?」

「……大丈夫よ、ミレイ。そんなことにはならない。もしそうなっても、わたしが張り倒して目を覚まさせてあげるんだから」

 その様子を、アルテアもわずかに微笑んで見つめていた。

「そうだね。君はリーゼとは違う。私が言っても説得力はないかもしれないが……君なら――君たちなら、彼女のようにはならないさ」

「マリナさん……アルテアさん……はい」

 ミレイはもじもじしながらもコクリと頷く。それを確認してから彼女から離れ、わたしは口を開いた。

「それに、この街だって大丈夫よ。もう復興も始まっているんでしょ?」

 アルテアは笑みを浮かべ、コクリと頷く。

「ああ。鐘楼しょうろうを始め、魔物の被害に遭った家屋も修復が計画されている。こんな土地に住んでいるんだ、こういった事態は初めてじゃない。また何度でも蘇るさ。この街の住人は逞しいんだ」

 そうやってわたしたちを――特にミレイを励ますようにしてから、アルテアは席を立つ。

「さて、そろそろおいとまするよ。それこそ復興のためにやることが山積みだからね。と言っても、私にできることはあまり多くはない。むしろこの先活躍するのは君のほうじゃないかな、マリナ」

「……ええ、そうね。ここから先は、わたしの領分よ」

 あの時のお返しをするように、わたしは笑みを浮かべてみせる。それに彼女は満足そうに頷いた。

「ああ、その通りだ。頼りにしてるよ」

 そう言って、アルテアは店を去っていった。作業場にはわたしとミレイだけが残される。
 わたしは立ち上がり、思いっきり伸びをしてから、同じように席を立った彼女に声をかけた。

「さて、と。それじゃ、早速パンを焼いていかないとね。いつもの仕事だけじゃない。復興のために働くみんなにも美味しいパンを届けなきゃ。誰だって、どんな状況だってお腹は空くんだもの。しばらく忙しくなるわよ。ミレイにも手伝ってもらうからね。……ミレイ?」

 返事がないのを訝しみ、ミレイのほうを見ると――

「……私、マリナさんと出会えてよかったです」

「へ? ど、どうしたの、急に?」

 唐突なまっすぐな言葉にまた照れてしまう。

「あ、もしかして、ミレイがループしてもわたしが憶えてるから? それともこないだ戦場で助けになれたこと? でも、それはどっちもたまたまで――」

「それはもちろん、どちらもものすごく感謝しています。私にとって、マリナさんはかけがえのない恩人ですから。でも、それだけじゃなくて……」

 ミレイはわずかに俯き、スカートの裾を掴む。手に力がこもる。

「前に、言いましたよね。私、元の世界では一人ぼっちだったって。邪魔者扱いしかされなくて、誰かの役に立ったこともなかった。それはこの世界でも同じで、自分には何もできない……できることなんてないんだと思ってました。死ぬと過去に戻ると分かってもそれは変わらなくて……実際私は、誰かに助けを求めることしかできなかった」

 彼女はそこで顔を上げる。

「でも、違うんですね。誰だって、どんな状況だってお腹は空く。パンを作るってことは、誰かの命を救う尊い行為で……私もそれに、関わることができる。今はまだ、お手伝い程度しかできませんけど……それでも、こんな風に思えるようになったのは全部、あの時、マリナさんが手を差し伸べてくれたおかげで――」

 潤んだ瞳に頬を赤く染めたわたしの顔が映る。本当に、この子と接してると照れさせられてばかりだ。

「……わたしは、本当に大したことはしてないわ。ただ放っておけなかったってだけ。それに、ミレイにできることがないなんて嘘よ。この街は、あなたが護ったのよ」

「いえ、私は――」

 あくまで自分の功績だとは認めない彼女の手を取り、包み込むように握る。

「ミレイがなんと言おうと、それが事実よ。知っている人は少ないけど、知っているみんながあなたに感謝してる。それに、仮にできることがなかったとしても関係ないわ。あなたのことが好きだから手を差し伸べるし、一緒にいたいのよ」

「す、好……!?」

 ミレイの顔が途端に真っ赤に染まる。言ったわたしも顔に熱を感じていた。ああ、そうだ。言葉に出して納得した。わたしは、ミレイが好きなのだ。

 それが友人としてのものか、家族としてのものなのかはまだ分からない。あるいは別の言葉になるのかもしれない。確かなことは、かわいい彼女の人柄が好ましいこと。相変わらず危なっかしくて放っておけないこと。そして……ずっと、傍にいてほしいこと。わたしは頬に熱を感じたまま、それを隠すように背を向ける。

「さて、そろそろパンを作らなくちゃね」

「ま、待ってくださいマリナさん……! 好きって……!」

「ほらほら、パンを作って誰かのお腹を救いたいんでしょ? ちゃんと作れるように、わたしみたいな看板娘になれるように、これからもビシバシ鍛えていくんだからね」

「マリナさぁん……!」

「さぁ、忙しくなるわよー。手が足りないんだし、母さんとリタも呼んでこないと――」

「――」

「――」

 やがて作業場は騒がしくなり、かまどには火が灯る。ふわりと、パンの香りが広がる。

 ミレイが死ぬと立ち昇るパンの香りの正体は、いまだ掴めていない。単にわたしがパン屋の娘だから、嗅ぎ慣れた香りに置き換わっているだけかもしれない。

 この街は依然危険に晒され続ける。安全は保障されない土地だ。もしかしたらまた、ミレイの加護に頼るような日が来てしまうかもしれない。それに対してわたしができることは非常に少ないだろう。それでも――

(わたしのできる全力で、この子を護っていく。――もう二度と、あのパンの香りが届かないように――)

 胸に静かに決意を抱くわたしをよそに、彼女はパン生地をこねるのに悪戦苦闘している。その様子に、わたしは小さく微笑む。窓の外で、どこかで聞いた気がする猫の鳴き声が聞こえた。

 終わり
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