王と騎士の輪舞曲(ロンド)

春風アオイ

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一章 紫碧のひととせ

萌芽

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「はぁ~~~~……」

長々と溜め息を吐き出すシルビオ。
カウンターに突っ伏すその姿を見て、奥でグラスの整理をしているユーガが呆れ混じりの視線を送った。

酒場『マヨイガ』が一週間ぶりに店を開けたとなって、昼間から客は多い。
昼食を取りに来た夜働きの労働者や近所の住民、昼間から飲んだくれている溢れ者に、ユーガとシルビオの生存確認にやって来た常連客。
それらを粗方捌ききり、一息つける頃には既に開店から三時間ほどが経とうとしていた。

そして、シルビオはずっとこの調子だ。
ヴォルガに会話を聞かれていたのが相当堪えたようで、一応誤解を解いた後もあからさまにテンションが低い。
ヴォルガが裏方に回ったことで調理方面では余裕ができたが、シルビオが使い物にならなかったため結局仕事量はあまり変わらなかったユーガであった。

「おい、シルビオ。だらしないからやめろ」
「だってぇ~~~」

ユーガの苦言に、伏したまま顔だけを上げるシルビオ。

「絶対ヴォルガに変な風に思われたもん……」
「事実だし自業自得だろ」
「そうだけどさぁ……」

子供のように頬を膨らませ、目の前に置かれた空のグラスをころころと手の中で弄ぶ。
あれからずっと酒場に居座っているハルトは、苦笑いしながらシルビオの頭を撫でていた。

「あははっ、ごめんね~。まさかシルビオがそこまで奥手になってる相手だとは思ってなくてさ」
「お、奥手とかじゃなくてっ、俺はヴォルガにそういうことしたかったわけじゃ……」

ばっと顔を上げ、ハルトを弱々しく睨むシルビオ。
ハルトは少し驚いたような顔をして、そして笑った。

「そっかそっか。シルビオも、ちょっとずつ変わってるんだね」
「……師匠って、勝手に俺のこと理解して、俺に何も説明してくれないよね」
「仮にも師匠だからねぇ」

まだ拗ねているシルビオはハルトの発言に突っかかるが、彼は飄々とした笑顔でそれを躱した。

「シルビオは、他人の感情については人一倍敏感だけど、自分の感情を把握するのは上手くない。自分のことが理解できるようになれば、シルビオの魔法はもっとすごいものになれると思うよ」

ハルトの得意分野は、シルビオと同じ精神に作用する闇魔法。
彼も国の片隅で燻るには惜しい人材であり、だからこそユーガも一目置いている訳だが。
そんな彼の言葉は、優しいが芯まで響く強いものだ。
そして何よりも正しい。
だから、シルビオは身体を起こし、彼の言葉をゆっくりと反芻する。

「自分の、感情……自分のことを、理解する?」
「そう。自分が誰に対してどんな感情を抱いているのか。それが分かれば、もうちょっと楽に生きられると思うなぁ」

そう言うとハルトは微笑み、発泡酒の入ったグラスを傾けた。
黙って聞いていたユーガは、表情こそ変わらないものの、どこか優しい目をしている。
そして、ハルトの視線に促され、同じくシルビオに助言を渡した。

「……そうだな。お前に足りてないのは、自分を見つめることだと思う。せっかくになったんだから、この機会にやってみろ」
「う、うぅ……分かったよ」

聞かれてたのか、と恥ずかしそうに俯くシルビオ。
だが、その言葉でようやく意識が切り替わったようだ。

「……よしっ、とりあえず、片付けだね!今はお客さんもいないし、皿洗い手伝うよ」
「あれ~、俺は~?」
「師匠はユーガがいればいいでしょー」
「あははっ、ご名答」

先程までのやる気のなさはどこへやら、小走りにテーブルの方へと向かっていく。
その様子を見て、まだまだ手がかかるなぁと、ユーガは独りごちるのだった。


水の流れる音と、皿の触れ合う音が小気味よい。
この時期になると手はひどくかじかむが、シルビオはこの時間がそこそこ好きだった。
隣には、この数時間忙しなく働いていたヴォルガもいる。
ユーガから色々と注文をつけられていた割に、卒なくこなす姿が印象的だった。
彼の言動に一喜一憂しているシルビオとは大違いである。
そして何より、彼は生活用の魔法も上手かった。
今も、水場の水を魔法で操り、手を触れずに食材を洗っている。
まるで食材が意思を持っているかのように動くのだ。
器用なものである。
…じっと見ていると、視線が向けられた。
慌てて顔を上げるが、ヴォルガは胡乱げな表情である。

「……何だよ」
「え、いや、魔法、上手だなって……」

別にやましいことがある訳ではないのに、しどろもどろになってしまった。
ヴォルガは目を細めるが、シルビオの控えめな態度で察したのか、少し気まずそうな様子になる。

「……別に、もう何とも思ってない。そういう考え方の違いは、宗派が違えば珍しくもないし。俺は堅すぎるって言われたこともあるし……そもそも、文句を言える立場じゃない」
「…………」

シルビオはくしゃりと顔を歪める。
彼に気を遣わせてしまったのが嫌だった。
彼にそんなことを言わせたくなかった。
何だか自分にむしゃくしゃしてしまう。
今日は、そんなことばっかりだ。

「もし、少しでも嫌なら……やめてもいいんだよ。酒場で働いてもらえてるだけで、対価としては十分だし」

こんな消極的なことを言うのも自分らしくない。
ハルトの言う通り、ヴォルガがやって来たことで何か自分に変化があるのは自覚していた。
その変化が具体的には何なのか、それは分からないけれど。

ヴォルガは、返答に迷う素振りを見せる。
しかしそれは一瞬で、次にはばっさりと吐き捨てる。

「やめない。お前が俺に言ったんだろ、そのつもりはなかったって。なのに、お前は自分のことが信じられないんだな」

若干刺々しい口調だった。
でも、それはどうやらシルビオを責めている訳ではなくて。
シルビオにその言葉を言わせた自分を責めている、そんな響きだった。

「……っ」

感情が激しく渦巻く。
まだ、シルビオにはよく分からない。
この感情は、一体何なのだろう。
どうしてこんなに自分を掻き乱すのだろう。
…でも、悪くない。
彼のおかげで新しい自分を見つけられた、そんな気がして。

「ごめん……ありがとう。嬉しいよ」

まだ、この青く透明な青年とは知り合ったばかりだ。
彼と過ごす中で、自分のことを見つめてみよう。
そうすれば、ハルトが言った言葉の意味も分かるかもしれない。
真っ直ぐヴォルガを見つめると、彼はふいっと視線を逸らしてしまう。
けれど、嫌そうではなかった。

「……いいから、手伝えよ。さっきまでサボってたんだろ」
「な、何で知ってるの?!」
「キッチンまで来て、お前の師匠とやらが告げ口してきた」
「ハルトさん……」


しばらく、キッチンには二人の青年の話し声と涼やかな水の音が楽しげに響くのだった。
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