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番外編
ヴォルガとリーリエ
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※序章と一章の間の出来事
※真面目です
──────────────────────
「はい、交換終わり。どう?まだ痛む?」
「……ああ。でも、大分マシになった」
「そう?良かった~!」
ヴォルガが酒場にやって来てから三日目。
シルビオのベッドに横になっているヴォルガを甲斐甲斐しく世話してくれているのは、教会を休んでやって来たリーリエであった。
自分の治癒魔法が役に立てなかったことを後悔していた彼女は、ヴォルガが目を覚ましたと知ってから定期的に様子を見に来てくれている。
シルビオのようにここに住み込んでいる訳ではないそうだが、実質居候のようなものだとリーリエ本人が笑って言っていた。
「ごめんね~、私がすぐ治せたら良かったんだけど、流石に『烙印』の呪いには勝てなくて……」
「別に、気にすることじゃない。治療してくれただけありがたいし」
「ん、そっかぁ」
会話が途切れる。
リーリエがじっとヴォルガを見つめていた。
ヴォルガは気まずそうに目を逸らす。
「……何だ?」
「ん~……いや、大したことじゃないんだけど」
リーリエは少し困ったような顔でおずおずと告げる。
「ヴォルガは、私のこと、あんまり好ましく思ってないような気がして……」
「……」
ヴォルガはぽかんと彼女を見つめ、そして小さく溜め息をついた。
「悪い……お前には本当に感謝してる。嫌ってる訳じゃない。ただ……」
そこで目を伏せ、ヴォルガは言葉を止めた。
その後を引き継いだのは、優しく微笑んだリーリエだった。
「私がアステル教徒だから……かな?」
「……」
ヴォルガは何も言わなかった。
それを肯定と取ってか、リーリエは汚れた包帯を盥に置いて近くのスツールに腰を下ろす。
自身の白く細い手を見つめ、彼女は俯いた。
「そうだよね。私が同じ立場だったら、絶望して自害してるかも。教会に行けない、魔法の力も上手く使えないって……すごく、つらいよね」
何故か、彼女の方が泣きそうな顔をしていた。
ヴォルガはくるりと彼女に背を向け、ぽつりと呟く。
「……神様に、見捨てられるって……こういう感覚なんだなって、思った」
「……」
リーリエがぐっと声を詰まらせたのが気配で分かった。
これは、同宗派の人間だからこそ話せたことだ。
教会に勤め、神を誰よりも身近に感じている神職者だからこそ、理解出来る感覚だろう。
だから、この話をするのはリーリエが初めてだった。
「俺は、教会保護区出身で、孤児だった。教会が家で、神様が母親だった。俺はもう、家に帰ることも出来ない。母親からの愛情を感じることも出来ない。それが、何よりも苦しい。…だから、お前はすごく眩しくて……羨ましいんだ」
ぎゅっと、無意識に手に力が篭もる。
骨張り荒れた手が掴めるのは、清潔に洗われた真っ白いシーツだけだ。
失ったものは、二度と帰っては来ない。
「俺は……アステル様に祈りを捧げるには、不出来な人間だったんだろうな」
それは、自分の心を深く抉る自傷行為だった。
頭の中でぐるぐると渦巻いていたその言葉を口にしたことで、ナイフを突き立てられたかのような痛みが胸に走る。
けれど、それ以外に何だと言うのだ。
何一つ間違ったことなんてしてない筈なのに、あの清廉な女神は自分を見放した。
真摯に祈りを届けていたのに、彼女は自分に何も返さなかった。
苦しい。
苦しくて堪らない、けれど事実。
自分は、母なる神に愛されていなかった。
部屋を乾いた沈黙が支配する。
もうリーリエの方を向くことすら苦しくて、静かに目を閉じて痛みに耐える。
永遠のようなその時間は、しかしすぐに遮られた。
「──違う!!!!」
爆発するような声だった。
驚いて振り返ると、リーリエは立ち上がって拳を握りしめていた。
眦はきつく吊り上がっているが、彼女が睨むのはヴォルガではなく、ヴォルガを支配している諦観だった。
初めて見る険しい顔で、リーリエは涙を零しながら叫ぶ。
「私達の主神は、そんな狭量な方じゃない!!敬虔な信徒の献身を、無為にするような方じゃない……!!」
リーリエはぐっと身を乗り出し、ヴォルガの手を包み込むように握った。
「お願い、そんなこと言わないで。アステル様は、あなたを見捨てたりなんかしない。今はどん底でも、きっと光をくれる。だから、私達は彼女を信じるの」
リーリエが目を閉じ、金色の光をヴォルガに送る。
『烙印』の呪力を上手く躱して治癒魔法をかけるコツをすぐに掴んだ彼女は、気休め程度ではあるが、こうして何度も治癒の光をくれた。
暖かくて、穏やかで、優しい光を。
「この光は、ヴォルガを弾いたりなんかしてないよ。届いてるでしょ?だから、大丈夫。まだ、その時が来ていないだけ。いつか、アステル様はあなたを助けてくれるよ」
金光に包まれた少女は、母のように暖かかった。
自分の代わりに涙を流すリーリエをようやくまともに見ることの出来たヴォルガは、先程までの鬱屈した感情を忘れ、素直に微笑んだ。
「……ありがとう」
リーリエも微笑み返す。
光は徐々に収まって、彼女は聖女から町娘へと戻る。
「ごめん、ちょっと大人気なかったね。ヴォルガにもヴォルガの事情があるのに、偉そうなこと言っちゃった」
「……いや、いい。大人気なかったのはこっちだし、少し気が楽になった」
「そっか!なら良かったぁ」
にっこり笑って座り直すリーリエ。
一つ下の筈なのだが、どうも彼女には女性としての貫禄が備わっていて歳下に見えない。
シルビオも姉代わりだと言っていたし、その感覚はヴォルガにもよく理解出来た。
その思考が多少伝わったのか、ふとリーリエはむっと目を細める。
「……ヴォルガ、シルビオに何か余計なこと吹き込まれてない?」
「余計なこと……いや、リーリエは自分より大人びてるから頼りになるって」
「大人……あ、そう」
ふっと感情の失せた顔になるリーリエ。
…彼女は彼女で、あの自由奔放な二十歳児に散々振り回されてきたのだろう。
苦労性な少女には同情を禁じ得ない。
「……何と言うか、大変だな」
「うん、そうだね!大変だったね!」
乾いた笑顔を浮かべるリーリエ。
その瞳に何だか薄ら暗いものを感じる。
「ヴォルガの調子が良くなったら、多分私の気持ちが分かると思うよ……シルビオ、体が大きいだけの子供だから」
「母親か……?」
「ちーがーうーっ!!私の方が歳下なの!!」
思わず零れた台詞に地団駄を踏むリーリエ。
感情がころころ変わるところにはシルビオに通じる部分を感じるが、しっかりしているのは事実である。
感心した顔のヴォルガにかなり不満そうな顔をした彼女は、包帯の入った盥を抱え、勢い良く立ち上がった。
「もうっ、ヴォルガまで揶揄うとかひどい!!洗濯してきちゃうから、ちゃんと寝ててよね!!」
「お、おう……」
彼女のツボがよく分からない。
ちょっと距離が縮まり、そして離れた二人であった。
︎✿
「……はぁ」
少女の足が止まる。
階下から、騒がしい声が聞こえている。
「ね、ねぇ、もういい?もういいよね??」
「まだだ。さっき説明しただろ」
「で、でも、すごい音してて怖いよ……?」
「お前この八年間何見てきたんだ?」
どうやら、キッチンでシルビオとユーガが調理をしているらしい。
もうすぐお昼時だし、ヴォルガが食べられるものを作っているのだろう。
珍しいのは、厨房にシルビオがいることだ。
彼は料理を作る方がとことん苦手で、もうキッチンには立ちたくない、とまで言っていたのに。
「……やっぱり」
心に影が落ちる。
もう、とっくに吹っ切れたと思っていたのに。
ヴォルガは、シルビオの特別になってしまった。
それが、リーリエには分かってしまった。
「私は、ダメだったのにな……」
一年前。
彼から優しく告げられた言葉が、頭の中で反芻される。
『ダメだよ、リーちゃん。もっと自分のこと大事にして。俺は、リーちゃんだけは抱けない』
『大好きなお姉ちゃんなんだ。だから、ダメなんだ』
「……ばーか」
聞こえる筈のない小さな声で、一言だけ本音を零す。
リーリエには、分かっていた。
その日は、そう遠くはないことが。
あの青年が、シルビオの心を奪ってしまうであろうことが。
でも、妬むことも出来ない。
彼は完璧で、純粋で、あまりに弱かった。
リーリエには、彼を嫌うことが出来ない。
「あー、もう……本当に、大変なんだからね……」
大きく溜め息をつく。
羨ましいのはこっちの方だ。
あの誰よりも優しい青年に好かれる人物は、誰よりも幸運なんだって、知っているから。
「あんな顔しなくても……大丈夫なんだから」
再び涙が込み上げそうになって、リーリエは慌てて首を振った。
穏やかな昼下がり、少女はまた一つ大人になった。
※真面目です
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「はい、交換終わり。どう?まだ痛む?」
「……ああ。でも、大分マシになった」
「そう?良かった~!」
ヴォルガが酒場にやって来てから三日目。
シルビオのベッドに横になっているヴォルガを甲斐甲斐しく世話してくれているのは、教会を休んでやって来たリーリエであった。
自分の治癒魔法が役に立てなかったことを後悔していた彼女は、ヴォルガが目を覚ましたと知ってから定期的に様子を見に来てくれている。
シルビオのようにここに住み込んでいる訳ではないそうだが、実質居候のようなものだとリーリエ本人が笑って言っていた。
「ごめんね~、私がすぐ治せたら良かったんだけど、流石に『烙印』の呪いには勝てなくて……」
「別に、気にすることじゃない。治療してくれただけありがたいし」
「ん、そっかぁ」
会話が途切れる。
リーリエがじっとヴォルガを見つめていた。
ヴォルガは気まずそうに目を逸らす。
「……何だ?」
「ん~……いや、大したことじゃないんだけど」
リーリエは少し困ったような顔でおずおずと告げる。
「ヴォルガは、私のこと、あんまり好ましく思ってないような気がして……」
「……」
ヴォルガはぽかんと彼女を見つめ、そして小さく溜め息をついた。
「悪い……お前には本当に感謝してる。嫌ってる訳じゃない。ただ……」
そこで目を伏せ、ヴォルガは言葉を止めた。
その後を引き継いだのは、優しく微笑んだリーリエだった。
「私がアステル教徒だから……かな?」
「……」
ヴォルガは何も言わなかった。
それを肯定と取ってか、リーリエは汚れた包帯を盥に置いて近くのスツールに腰を下ろす。
自身の白く細い手を見つめ、彼女は俯いた。
「そうだよね。私が同じ立場だったら、絶望して自害してるかも。教会に行けない、魔法の力も上手く使えないって……すごく、つらいよね」
何故か、彼女の方が泣きそうな顔をしていた。
ヴォルガはくるりと彼女に背を向け、ぽつりと呟く。
「……神様に、見捨てられるって……こういう感覚なんだなって、思った」
「……」
リーリエがぐっと声を詰まらせたのが気配で分かった。
これは、同宗派の人間だからこそ話せたことだ。
教会に勤め、神を誰よりも身近に感じている神職者だからこそ、理解出来る感覚だろう。
だから、この話をするのはリーリエが初めてだった。
「俺は、教会保護区出身で、孤児だった。教会が家で、神様が母親だった。俺はもう、家に帰ることも出来ない。母親からの愛情を感じることも出来ない。それが、何よりも苦しい。…だから、お前はすごく眩しくて……羨ましいんだ」
ぎゅっと、無意識に手に力が篭もる。
骨張り荒れた手が掴めるのは、清潔に洗われた真っ白いシーツだけだ。
失ったものは、二度と帰っては来ない。
「俺は……アステル様に祈りを捧げるには、不出来な人間だったんだろうな」
それは、自分の心を深く抉る自傷行為だった。
頭の中でぐるぐると渦巻いていたその言葉を口にしたことで、ナイフを突き立てられたかのような痛みが胸に走る。
けれど、それ以外に何だと言うのだ。
何一つ間違ったことなんてしてない筈なのに、あの清廉な女神は自分を見放した。
真摯に祈りを届けていたのに、彼女は自分に何も返さなかった。
苦しい。
苦しくて堪らない、けれど事実。
自分は、母なる神に愛されていなかった。
部屋を乾いた沈黙が支配する。
もうリーリエの方を向くことすら苦しくて、静かに目を閉じて痛みに耐える。
永遠のようなその時間は、しかしすぐに遮られた。
「──違う!!!!」
爆発するような声だった。
驚いて振り返ると、リーリエは立ち上がって拳を握りしめていた。
眦はきつく吊り上がっているが、彼女が睨むのはヴォルガではなく、ヴォルガを支配している諦観だった。
初めて見る険しい顔で、リーリエは涙を零しながら叫ぶ。
「私達の主神は、そんな狭量な方じゃない!!敬虔な信徒の献身を、無為にするような方じゃない……!!」
リーリエはぐっと身を乗り出し、ヴォルガの手を包み込むように握った。
「お願い、そんなこと言わないで。アステル様は、あなたを見捨てたりなんかしない。今はどん底でも、きっと光をくれる。だから、私達は彼女を信じるの」
リーリエが目を閉じ、金色の光をヴォルガに送る。
『烙印』の呪力を上手く躱して治癒魔法をかけるコツをすぐに掴んだ彼女は、気休め程度ではあるが、こうして何度も治癒の光をくれた。
暖かくて、穏やかで、優しい光を。
「この光は、ヴォルガを弾いたりなんかしてないよ。届いてるでしょ?だから、大丈夫。まだ、その時が来ていないだけ。いつか、アステル様はあなたを助けてくれるよ」
金光に包まれた少女は、母のように暖かかった。
自分の代わりに涙を流すリーリエをようやくまともに見ることの出来たヴォルガは、先程までの鬱屈した感情を忘れ、素直に微笑んだ。
「……ありがとう」
リーリエも微笑み返す。
光は徐々に収まって、彼女は聖女から町娘へと戻る。
「ごめん、ちょっと大人気なかったね。ヴォルガにもヴォルガの事情があるのに、偉そうなこと言っちゃった」
「……いや、いい。大人気なかったのはこっちだし、少し気が楽になった」
「そっか!なら良かったぁ」
にっこり笑って座り直すリーリエ。
一つ下の筈なのだが、どうも彼女には女性としての貫禄が備わっていて歳下に見えない。
シルビオも姉代わりだと言っていたし、その感覚はヴォルガにもよく理解出来た。
その思考が多少伝わったのか、ふとリーリエはむっと目を細める。
「……ヴォルガ、シルビオに何か余計なこと吹き込まれてない?」
「余計なこと……いや、リーリエは自分より大人びてるから頼りになるって」
「大人……あ、そう」
ふっと感情の失せた顔になるリーリエ。
…彼女は彼女で、あの自由奔放な二十歳児に散々振り回されてきたのだろう。
苦労性な少女には同情を禁じ得ない。
「……何と言うか、大変だな」
「うん、そうだね!大変だったね!」
乾いた笑顔を浮かべるリーリエ。
その瞳に何だか薄ら暗いものを感じる。
「ヴォルガの調子が良くなったら、多分私の気持ちが分かると思うよ……シルビオ、体が大きいだけの子供だから」
「母親か……?」
「ちーがーうーっ!!私の方が歳下なの!!」
思わず零れた台詞に地団駄を踏むリーリエ。
感情がころころ変わるところにはシルビオに通じる部分を感じるが、しっかりしているのは事実である。
感心した顔のヴォルガにかなり不満そうな顔をした彼女は、包帯の入った盥を抱え、勢い良く立ち上がった。
「もうっ、ヴォルガまで揶揄うとかひどい!!洗濯してきちゃうから、ちゃんと寝ててよね!!」
「お、おう……」
彼女のツボがよく分からない。
ちょっと距離が縮まり、そして離れた二人であった。
︎✿
「……はぁ」
少女の足が止まる。
階下から、騒がしい声が聞こえている。
「ね、ねぇ、もういい?もういいよね??」
「まだだ。さっき説明しただろ」
「で、でも、すごい音してて怖いよ……?」
「お前この八年間何見てきたんだ?」
どうやら、キッチンでシルビオとユーガが調理をしているらしい。
もうすぐお昼時だし、ヴォルガが食べられるものを作っているのだろう。
珍しいのは、厨房にシルビオがいることだ。
彼は料理を作る方がとことん苦手で、もうキッチンには立ちたくない、とまで言っていたのに。
「……やっぱり」
心に影が落ちる。
もう、とっくに吹っ切れたと思っていたのに。
ヴォルガは、シルビオの特別になってしまった。
それが、リーリエには分かってしまった。
「私は、ダメだったのにな……」
一年前。
彼から優しく告げられた言葉が、頭の中で反芻される。
『ダメだよ、リーちゃん。もっと自分のこと大事にして。俺は、リーちゃんだけは抱けない』
『大好きなお姉ちゃんなんだ。だから、ダメなんだ』
「……ばーか」
聞こえる筈のない小さな声で、一言だけ本音を零す。
リーリエには、分かっていた。
その日は、そう遠くはないことが。
あの青年が、シルビオの心を奪ってしまうであろうことが。
でも、妬むことも出来ない。
彼は完璧で、純粋で、あまりに弱かった。
リーリエには、彼を嫌うことが出来ない。
「あー、もう……本当に、大変なんだからね……」
大きく溜め息をつく。
羨ましいのはこっちの方だ。
あの誰よりも優しい青年に好かれる人物は、誰よりも幸運なんだって、知っているから。
「あんな顔しなくても……大丈夫なんだから」
再び涙が込み上げそうになって、リーリエは慌てて首を振った。
穏やかな昼下がり、少女はまた一つ大人になった。
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