悪魔のお悩み相談所

春風アオイ

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序章

雛菊の少女(2)

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「さーってと、行きますかー!」

数十分後。
抜けるような青空の下で元気に叫ぶリリーに、ジオは苦笑いしてデイジーの手を引いた。
アイリスが持ってきてくれた悪魔族用の服を身に着けたデイジーは、興味深げに辺りをきょろきょろと見渡している。
気ままに動く白黒の翼を見て、不思議そうに呟いた。

「みんな、羽生えてる……」
「それが俺達の特徴だからな」

答えるのはジオだ。
室内では仕舞っていた黒い翼が風に揺られてはためいていた。


天使族や悪魔族は、必要に応じて翼を畳むことが出来る。
基本的に室内では邪魔になるので仕舞い込むことが多いが、感情が昂ったり気が緩んだりすると出てしまったりと、コントロールが難しい代物である。
ちなみに特に飛べたりする訳でもない。
先祖の形見─もとい、種族判別の道具であった。

外にいる時には基本翼は出しっぱなしだが、室内ということでジオ達は翼を畳んでいたため、裏口から外に出てその様を目撃した時は目を丸くしていた。
だが、それ以上表情を変えるでもなくすぐに適応した。

「確かに、天使と、悪魔……」

そんなことを言われて納得されてしまった。
やはり謎の多い少女である。


そんなこんなで、三人は外出のため既に治癒院を離れていた。
前述の通り裏口からこっそり外に出たため、デイジーの存在に気付かれることはなかった。
緑豊かな木々で覆われた明るい街並みを、デイジーに見せるためにゆっくりと歩く。
道中、リリーが細かく解説を加えていく。

「まずはあれだよねー、聖樹!知ってる?」

デイジーはふるふると首を振った。

「あんな大きい木、初めて見た」
「聖樹も見えないような所にいたんだ……」

呆れ顔になりつつ、リリーは説明を続けた。

「あれは、この国の中心だよ。国民の八割近くが信仰してる、ミリシア様って神様がいる聖なる樹─別名セフィロト。ミリシア様は自然を操る神様だから、この国だと信仰者が多いんだよね。だから、聖樹は神聖な場所だってされてて、一部の人しか入れないようになってるんだ」

感心したように頷いてからぽけーっと聖樹を見上げるデイジーに、リリーは微笑ましげな目を向ける。

「治癒院にいる天使族とか、ボク達悪魔族はほとんどがミリシア教徒だよ。花とか、植物の名前の人は間違いないね」

何でも屋の面々も例に漏れず、全員がミリシア教徒であり花の名前だ。
デイジーも言わずもがなである。

納得したのか、デイジーはこくりと頷いた。
そして新たな疑問を呈する。

「……神様、住んでるの?」
「うん。聖樹って、ただの樹じゃないんだよ。神殿とか、広間とか、あと地下には牢屋とか……結構色々な施設があるんだってさ」

ボクは入ったことないけどねー、と笑いながらリリーは言う。
興味津々な様子で話に聞き入るデイジーは、更に質問をぶつけてきた。

「神様って、いるの?」
「ん?いるよ。この国の九つの種族の一つだからね」

リリーはその質問に不思議そうな顔をしつつ答える。

「ボク達とは比べ物にならないくらいすごい能力持ってるから、崇めてる人が多いんだよね。ミリシア様は特にすごいから」
「……能力」

ぽつりと呟くデイジー。
その言葉に、押し黙って気配を消していたジオがはっとした。

「そうだ。こいつに能力のこと聞いてなかったな」
「あー、言われてみれば!魔族系ならすぐ分かるじゃん!」

ぱっと顔を輝かせるリリー。
だが、すぐにしょぼんと肩を落とした。

「でも、名前も分からないのに、能力のことなんて覚えてないよね……」

ちらりと視線がデイジーに向いた。
デイジーはこてんと首を傾げている。

「能力……って、何?」
「それすら知らないと来ましたか」

頭を押さえ、リリーは小さく息をついた。

「能力は、その人個人とか、家系とか、種族とかが持ってる特殊な力のことだよ。…そうだなぁ」

しばらく迷ってから、リリーは例を挙げる。

「アイリスは『山びこ』って能力を持ってて……大声で叫ぶと、人を気絶させたり物を壊したり出来るんだ。これって、他の人が真似したり出来ないでしょ?そういうのを能力って呼んでるんだ」

デイジーは驚いたような顔をした。

「みんな、不思議な力、持ってるの?」

頷いたのはジオだ。

「そうだよ。能力の種類にも色々あるが、多いのは戦闘系の能力だ。分かりやすいのは『魔術』とかか?」
「まじゅつ…………」

きょとんと呟くデイジー。
リリーが目敏く反応する。

「知ってる?!」
「……分かんない」

だが、すぐにデイジーは首を振ってしまう。
肩を落とすリリーだった。
ジオは続ける。

「聖樹近辺は平和な方だが、そういった戦闘系の能力を使った紛争や暴力事件が多発する地域もある。勝手な行動は取るなよ」
「……うん」

抑揚のない返事だが、少し怯えたような色が覗いている。
きゅっとジオの服の袖が引かれた。
それにリリーが笑顔を見せる。

「あははっ、そんなに怯えなくても大丈夫だよ!ジオがいるから」
「……ジオ?」

名前を復唱し、デイジーは静かに佇む少年を見上げる。
彼は苦笑いしてデイジーの頭をそっと撫でた。

「まぁ、そうだな。俺がいる限りは襲われることはない。安心しろ」

少年と青年の狭間を行く声は、落ち着いて確かな自信を持っていた。
紅い瞳を瞬かせ、デイジーは小さく頷いた。

「……うん」

一通りの会話が終わり、リリーが続けた。

「でも、そうだなぁ……『鑑定』はしといた方がいいかもねー。寄ってく?」

その軽い一言に、何故かジオの頬が少し引き攣った。

「そう、だよな……はぁ」

零れるのは、落ち着いている彼らしくない深い溜め息。
デイジーの表情に不安が過ぎる。

「……ジオ、嫌?」
「ん、あぁ、えっと……」

慌てて誤魔化そうとするジオ。
だが、デイジーの純粋な視線に負けてすぐに白状してしまった。

「『鑑定』ってのも能力の一つで、俺の知り合いが持ってるんだが、その……性格に難があってだな」
「言い寄られてるんだよねー」
「違う」

ばっさり斬り捨てるジオ。
だが、複雑そうなその顔色でデイジーは全てを察した。

「ジオ、女の人に好かれる?」
「その言い方だと語弊があるな……」

ジオが何とも言えない顔になった。
リリーは爆笑している。

「まぁ、間違ってないけど……くふふっ」
「よし、殴る」
「えっ何で?!」

再び始まる漫才。
完全に目が据わっているジオだが、否定はしなかった。

何せ、街を歩けばそこら中から声が掛かる、色々な意味での人気者である。
自分の容姿に関しては割と客観的に評価しているのもあり、ジオは美少年という事実を素直に受け入れていた。
リリーへ八つ当たりするかしないかは別として。

拳を叩き込まれ、頭を押さえて蹲ったまま動かなくなったリリーに疲れた溜め息を吐き出し、ジオはデイジーの腕を引いた。

「よし、さっさと行くぞ。お前の正体に繋がるかもしれないからな」
「えっちょっと待ってボクは?!置いてけぼり?!」
「動けるだろ」
「くっ……冷血漢め!か弱い女の子に配慮する優しさはないの?!」
「お前に配慮したところで調子に乗るだけだろ」
「そんなばっさり斬り捨てます?!」

街中で騒ぐ二人。
周りを歩いている人々は、慣れた様子で微笑ましい目を向けてくる。
何だか恥ずかしくなって、二人を必死で催促するデイジーであった。



‪✿



しばらく経って。
三人は聖樹広場を抜け、その外れにある綺麗な造りの建物へやって来た。
再びリリーの説明が入る。

「ここが、国の中枢の聖樹管理局。生まれた子供の能力鑑定とか、死亡報告とかはここに来ないといけないんだ。だから、ここら辺は色々な種族がいるよ」

ふと周囲を見渡すデイジー。

確かに、有翼の人の割合は随分減った。
代わりにデイジーとほぼ変わらない姿形をした人々や、他にも別の種族らしき人もちらほらいる。

デイジーはその物珍しさに目を輝かせた。

「いっぱい、いる」
「そうだねぇ」

にこにことデイジーを見るリリー。

「種族の説明はまた改めてするから。ほら、行くよジオ」
「…………あぁ」

ずっと足取りの重そうだったジオは、物凄く嫌々な表情でリリーに引っ張られていく。
それにデイジーも続き、三人はその建物の中へ入って行った。

中は中央に窓口が置かれ、左右に廊下が伸びる造りになっている。
受付の向こう側を数人の悪魔族が忙しそうに走り回っていた。
そして、受付役らしき男性が入って来たジオを見て顔を輝かせた。

「あぁっ!お久しぶりです、ジオさん!」

ジオは少し表情に明るさを取り戻す。

「ヤナギか……あまり立ち寄れてなくて悪いな」
「いえ、先生にちゃんと聞いてますよ!いつもありがとうございます」

彼─ヤナギは、真面目そうに見えた体裁も忘れて嬉しそうにジオと言葉を交わす。
一方、デイジーは明らかに歳上の青年からこうも慕われる少年に不思議そうな目を向けた。

「ジオ、何者?」
「まぁ、そのうちね」

リリーは笑顔で誤魔化してしまう。
何か事情があると察したのか、デイジーがそれ以上踏み込むことはなかった。

そうこうしている内に会話は終わり、三人はヤナギに右側の廊下の奥へ案内された。
無表情が更に無表情になっているジオを恐る恐る眺めるデイジーも、そろそろと後に続く。
やたら重厚な両開きの扉が見え、手前にいる護衛らしき二人の男が扉を開けてくれた。

そこは小さな部屋で、大量の本とクッションが置かれた私室のような場所だった。
カーテンで光は締め切られ、いくつかのカンテラの明かりだけがぼんやりと室内を照らしている。

そしてその中央で、一人の少女が本を抱えて座っていた。
透き通った白髪に銀色の瞳を持った美少女だ。
白系統で統一された巫女服が少女の儚げな美しさを際立たせている。
その淑やかな佇まいも落ち着いた室内の雰囲気にそぐうもので。

ただ、ジオの表情は硬い。
見た所完璧な彼女の何がそんなに嫌なのか、とデイジーが問いかけようとした瞬間。
少女が顔を上げ、ぱぁっと顔を輝かせた。

「あっ、ジオ君じゃないですかぁ!!」

本を投げ捨て、ふわりと舞い上がった少女。
クッションに埋もれていた、半透明な素足が露になる。
ぎょっとするデイジーを完全に置いてけぼりにして、あろうことか彼女はジオに思いっきり抱き着いた。

「どうしたんですかどうしたんですか!!わざわざからかわれに来たんですかぁ!?可愛いぃ~」

そして口から飛び出たのは全く可愛げのない煽り文句。
ジオは顔を引き攣らせて少女を引き剥がしにかかった。

「分かってて言ってるよな……おい、離せ」
「嫌ですよぉ。もうしばらく会ってなかったですしぃ……リア寂しかったですぅ!」
「嘘つくな、まだ一週間も経ってないだろ」
「リアの中では百年くらい経ってますよぉ~だから絶対離しません」
「適当なこと言うな話が進まないんだよ離せ」
「ぐすっ……酷いですぅジオ君……リアのことなんか忘れて別の女といちゃついてたんでしょう……知ってますからねぇ!」
「出鱈目を言うなと言ってるだろうが」
「嘘じゃないでしょ~?こんな可愛い女の子連れて来てぇ~」
「依頼人だよ」
「本当に酷い人……私のこと、散々弄んでおいて……って痛い痛いですごめんなさいごめんなさい調子乗りすぎましたぁ!!」

若干怒りの滲んだ疲れた瞳で少女を睨みながら首を締め上げるジオ。
デイジーはこの一連の会話で十分に納得した。

…これは嫌になる。
何て勿体ない美少女なのだろう。 
リリーを遥かに超える面倒臭さである。

かく言うリリーも苦笑いしてそれを眺めていた。

しばらくしてようやくジオのお怒りが冷め、少女はげほごほと咳き込みながら、でもどこか嬉しそうに話しかけてきた。

「あははっ、すみません~。ジオ君可愛いからついからかいたくなっちゃってぇ」
「つい、じゃない……」

精神力を使い果たした顔で呟くジオ。
少女はくすくすと笑い、デイジーに自己紹介をした。

「あ、私はアルメリアって言いますぅ。幽霊族でぇ、ジオ君の未来のお嫁さんです♡」
「三秒以内に発言を取り消せば許してやる」
「嘘ですごめんなさいすみませんでした」

殺気に溢れた笑顔を向けられ冷や汗をかきながら即座に訂正する少女─アルメリア。

だが、ジオが本気で怒っていないのは分かる。
何だかんだ仲は良いのだろう。

デイジーは若干呆れ気味ながらも、興味深そうにぽつりも呟いた。

「幽霊……」
「あれっ、幽霊族に会うの初めてですかぁ?」

先程までの奇行を忘れ、アルメリアは特有の間延びした口調でデイジーに尋ねてくる。
デイジーが頷くと、彼女は満足気に頷いた。

「なるほどなるほどぉ。まぁ、滅多に見ないですもんねぇ。リア達幽霊族は、『浮遊』っていう共通能力ルーナを持ってるんですよぉ。空にぷかぷか浮けちゃう種族なんですよねぇ」

ふわふわとジオから離れ、宙に浮いたまま呑気な説明をするアルメリア。
デイジーはぽかんと彼女を見つめた。

「……るーな?」
「あー、話すの忘れてたよ」

デイジーの疑問に、即座にリリーが補足を加えてくれる。

「能力には『個人能力ステルラ』と『共通能力ルーナ』って二種類あってね。ルーナって言うのは、種族とか血筋とかで受け継がれている、その団体共通の能力のこと。天使族の『治癒』とか、幽霊族の『浮遊』とか、妖魔族の『妖術』なんかもそうかな」
「アイリスの能力の説明しただろ。あれも『妖術』のカテゴリーに入るからルーナだ」

更に口を挟むジオ。
その説明に納得しつつも、デイジーはこてんと首を傾げた。

「……アイリス、悪魔族じゃないの?」

ジオとリリーは顔を見合わせた。

「よく見てるな」
「やっぱり頭良いよね、デイジー」
「……?」

突然褒められて混乱している少女に、リリーが付け加えた。

「アイリスはハーフなんだよね。お父さんが悪魔族で、お母さんが妖魔族。ハーフの悪魔族とか天使族は羽根が片方だけになって、能力は悪魔族じゃない方の能力を受け継ぐことが多いんだ。妖魔族と悪魔族って仲良しだから、結構アイリスみたいな子はいるよ」
「ハーフ……」

また新しい知識を教わって、ゆっくり噛み締めるデイジー。
そこに、暇になったのかアルメリアが割って入ってきた。

「ハーフとかクォーターは、戦争の火種になることが多いんですよぉ。だから、安全な王都で暮らしてる人が大半なんですけどぉ」
「まぁ、継承問題はそう簡単には片付かないからな……この国の治安が良くならない原因の一端だ」

複雑な顔をする二人に、デイジーはこくりと頷いた。

「教えてくれて、ありがとう」

素直な少女のお礼に、アルメリアの目が輝き始める。

「えーっ、可愛いですねぇ、この子!どこから連れて来たんですかぁ?!」

ぎゅっとデイジーに抱き着いてぐりぐりと頬を擦りつけるアルメリア。
ジオとリリーはその言葉でやっと本題を思い出した。

「あーそうそう、それを知りたいんだよね」
「……?」

アルメリアはリリーの言葉にぽかんとする。
ジオが手短に事情を説明した。

「こいつ……とりあえずデイジーと名付けたんだが、身元不明で記憶も無いらしい。手掛かりが何もないから、せめて能力だけでも判明させたいと思ってな」
「……あぁ、なるほどぉ」

ようやく状況を理解したらしいアルメリアは、不満に満ちた顔でジオに背後から体重を乗せる。

「結局仕事ですかぁ~、遊んでくれるのかと思ってたのにぃ」
「誰が好き好んでお前にからかわれに行くんだよ」
「でもそんなこと言ってたまに来てくれますよねぇ~、ジオ君!やっさし~」
「余計なこと言うな!!」

さらりと告白したアルメリアに真っ赤になって噛み付くジオ。
リリーがニヤニヤしながらジオを見た。

「ジオ、何だかんだ皆のこと大好きだもんねぇ~」
「リリー……」
「あ、赤くなってるぅ、か~わい~♪」
「ジオ、優しい」
「ここに俺の味方はいないのか……」

息ぴったりなリリーとアルメリア、そして暖かい視線を送るデイジーに見つめられ、羞恥で死にそうになるジオであった。


「で、能力鑑定ですよねぇ。了解ですぅ」

その後。
ジオが落ち着きを取り戻した頃、仕事モードに入ったアルメリアが、部屋の隅に置かれていた椅子を中央へと運んできた。
そこにデイジーを座らせ、微笑む。

「すぐ終わらせますねぇ」

すっと瞳を瞼の下へ伏せ、デイジーの額に触れた。
淡い桃色の光が触れた箇所から溢れ、眩く部屋を照らしていく。
ジオとリリーは、その神秘的な光景を静かに見つめている。

数秒後、アルメリアは静かに瞳を開き光を収めた。

「分かりましたよ」
「どうだった?」

薄ら緊張の帯びた瞳を向けるジオに。
アルメリアは、少し逡巡してから呟いた。

「珍しい能力ですねぇ」
 
銀の瞳が三人を見据える。


「ステルラです。能力名は、『真眼』」


「……しん、がん?」

当の本人が首を傾げている。
アルメリアはくすりと笑い、説明してくれた。

「言うなればぁ、嘘発見器ですねぇ。物事の本質を的確に捉える能力ですぅ」
「あぁ、お前寄りだな」

ちらりとリリーに目を向けるジオ。
リリーは驚いたような顔でデイジーを見た。

「おー、珍しいねぇ。本質を見抜くってことは、人の善悪とか、そういう曖昧なことも分かるのかな?」

答えたのはアルメリアではなくデイジーだった。

「いい人、悪い人、分かるよ?ジオも、リリーも、アルメリアも、いい人」

紅い瞳がじっと三人を見つめる。
何となく照れて、三人が三人とも若干目を逸らした。
ジオは小さく咳払いして話をまとめる。

「確かに、希少な能力ではあるな。滅多に聞いたことがない。だが、能力で種族を判断することは不可能だな。ステルラなら、どの種族にも当てはまる」
「ルーナじゃなかったねー」

肩を落とすリリー。
デイジーも心做しかしゅんとしている。

「役に立てなくて、ごめんなさい」

それに、ジオは優しく微笑んだ。

「気にするな。お前のせいじゃないしな」
「……うん」

少し表情が明るくなる。
場が和んだところで、アルメリアが声を上げた。

「その能力だとぉ、ルーナを持ってない可能性もありますよねぇ。能力で分からないとなるとぉ……少し難しいですねぇ。これからどうするんですかぁ?」

ジオは腕を組んで瞳を細める。

「まぁ、後はデイジー次第だろうな。とりあえず街を散策してみて、記憶を取り戻す切っ掛けになるものを捜すよ」
「……そうですか」

ぽつりと呟くアルメリア。
その殊勝な台詞に、思わずデイジーはアルメリアへ視線を向ける。

ぼんやりと立ち竦む少女は、明らかに寂しそうな顔をしていた。

先程あんなに噛み付いていたジオも、苦笑いを浮かべてアルメリアに呼びかける。

「また来るよ。そんな顔するな」
「……はい」

アルメリアは儚く微笑む。
ジオがそっと髪を撫でてやると、俯いて頬を赤く染めた。

先程の態度が別人のような様相に、デイジーはぽかんとしている。
そうこうしている内に元に戻ってしまったが。

「デイジーちゃんもまた来て下さいね~!暇な時は暇なんでぇ」
「う、うん」
「あっでもぉ、ジオ君盗ったら飛んできますからぁ!ジオ君も手出さないように!」
「お前は俺を何だと思ってるんだよ!」
「にゃっ?!」

殴られて涙目で座り込むアルメリア。

それでも、どこか。
少女は嬉しそうだった。

「行ってらっしゃい!」



‪✿



管理局を出てすぐ。
人で溢れる大通りを番傘を片手に歩きながら、ジオはぽつりぽつりと話し始めた。

「能力なんて代物、他人に詳細を明かせない奴だってたくさんいる。特に争いの多い妖魔族や魔族なんかはな。でも……アルメリアは、それを全部知ってる。戦争の火種になりかねないんだ」

だから彼女は、あの小さな檻に閉じ込められているのだとジオは言う。

「外出も滅多に許可されないし、能力鑑定対象以外の他人と会うこともほとんど許されない。ああいう性格も、無理矢理明るくならないとやっていけないんだろう。そう思うと、どうも憎めなくてな」

ふっと瞳に影を落とすジオ。
独白がぼんやりと虚空に響く。


「あいつも、自由に飛び回れる世界にしたいよ」


それは、一人の少年が背負うにはあまりに重すぎる願い。
その言葉に含まれた感情は多すぎて、デイジーは言葉を失って立ち止まる。

すると、リリーがジオの頭を軽くぽんぽんと叩いた。

「ジオ、気負いすぎ。今はデイジーのことに集中した方がいいよ。リアちゃんだって、自分のことで悩まれるのは嫌なんじゃない?」
「……ん」

弟に向けるような目で見られ、気まずそうに俯くジオ。
だがすぐに小さく息をつき、気付けば元の表情に戻っていた。

「そうだな。よし、次はどこに行く?」
「本屋!!本屋行きたい!!」
「それはお前の願望だろ」

元通りのやり取りが始まる。
それを聞いて、デイジーも胸に暖かいものが広がるのを感じた。

クールに見える少年は、意外にも情に厚い。
常に誰かの為を思い、一人で考え込んでいる。
それをリリーが緩和させている。
適度に場を解し、適度な距離感で彼を元気づける。

なんて素敵な関係なのだろう。
孤独なデイジーにとっては、ただただ羨ましいものであった。

しばらくして会話はまとまり、リリーが元気に万歳した。

「わーい!ジオ愛してる~」
「何言ってんだお前」
「ひっどい!!」

冷静に返答するジオにリリーは涙目で突っかかる。
どうやら行き先は本屋に決まったらしい。
やけにテンションの高いリリーに疲れた顔をするジオ。

それでも、少しほっとした顔をしていることにデイジーは気付いていた。

くいっと袖を引くと、彼はきょとんとデイジーを見る。

「どうした?」

長い赤髪がふわりと風に舞う。
優しい瞳に見つめられ、デイジーはふるふると首を振った。

「次。どこ行くの?」
「あぁ、次はな……」

彼は律儀に説明してくれる。
それにリリーがとことこと寄ってきて口を挟んでくる。
賑やかな雑踏の中でも際立って聞こえる二人の声に耳を傾け、少女は心の奥がじんわりと暖かくなっているのを感じていた。

どうか、彼らが平穏に過ごせますように。

遥か高く聳える聖樹に、そんなことを願っていた。


だが。
この小さな願いは、他ならぬ自分自身によって打ち砕かれることになる。



‪✿



「じゃっじゃじゃーん!!」

瞳を輝かせ、ばっと手を広げるリリー。
デイジーは何とも言えない表情を向けることしか出来なかった。

聖樹広場から離れ、現在二人は何でも屋のある大通りとは反対側の通りにいた。
雰囲気は随分と変わり、商店街のようにあちらこちらへ書店が立ち並び、青や紫の寒色系の灯りが各所に灯されている。

静謐な書店街に似合わず元気いっぱいなリリーは、若干トーンの高くなった声で説明してくれた。

「ここはね、この国で一番たくさんの本が揃ってる通りなんだよ!子供向けの学校も近くにあるし、物語の宝庫なんだよねぇ……えへへ」
「おい、デイジーが引いてるぞ」

自分も若干引き気味にリリーを眺めるジオ。
リリーは既に聞いちゃいない。

「どこにしよっかなー、どーしよっかなー」

一人ぶつぶつと呟きながらふらふらと歩き始めてしまう。
重い溜め息をつくジオは、じっとりした目をリリーに向ける。

「いつもは何だかんだしっかりしてるんだけどな。ここに来ると暴走し始めるからダメだ。置いていこう」
「……大丈夫?」
「その内戻ってくるだろ」

信用しているというよりは、完全に諦めている声だった。
奇行に走るリリーに生暖かい目を向けてから、二人は先へと進んで行った。

まず立ち寄ったのは、小さな本屋だった。
店番をしている少女が、ジオを見た途端にヤナギのように顔を輝かせる。

「ジオくんだー!お久しぶりです~!」
「あぁ、オリビア。あれから大丈夫か?」
「はいっ、おかげさまで!」

天真爛漫に笑う彼女─オリビアは、カウンターの奥に引っ込み一冊の本を抱えて戻って来た。

「リリーちゃんにあげてください。ようやく修繕が終わったので」
「いいのか?」
「ええ、勿論!リリーちゃんは常連さんですし……今回はお礼も込めて、無料で」

厚いカバーで綴じられた大判の本だ。
ジオは微笑んで受け取った。

「ありがとう。また困りごとがあったら頼ってくれよ」
「はいっ、遠慮なく行きます!」

元気な声に、ジオは思わず苦笑した。

彼女の下から離れたところで、ぽかんとしているデイジーと目が合う。
デイジーはこてんと首を傾げた。

「ジオたち、何してる人?」

今更だが、そういえばデイジーには教えていなかった。

「ん、そうだな……」

本を大切そうに抱え、ジオは誇らしげな笑みを浮かべる。

「俺達は便利屋だよ。困っている人の手助けをしてる。それこそ、世界規模の問題解決からただのお悩み相談までな」

少し茶化したように言うが、目は本気だ。
他人のために心を砕く姿勢はこの仕事から来ていると言える。

小さく頷き、デイジーは彼の抱える本へ視線を下ろす。

「それ、何の本?」
「これか?」

ジオはそれを掲げた。
表紙のタイトルはコイネーでないため、判読が出来ない。
困惑顔のデイジーを見て察したらしく、ジオはそれに目を落とした。

…しばらくの沈黙の後、彼は何故か固まって動かなくなる。

「……ジオ?」

呼び掛けても返事はない。
何か曰く付きの本なのだろうか。

おろおろしていると、ひょこっと満足気なリリーが現れた。
どこで貰ってきたのか、リュックサックのような背負い袋を背負っている。
重みから察するに、五冊ほどの本が収納されているようだった。

「あれ、こんなとこにいたんだー……ん?どしたのデイジー」

きょとんとするリリーに、デイジーは黙ってジオを指差す。
リリーは目を瞬かせてそっと近寄り、彼の背後から本を覗き込んだ。
そして吹き出す。

「ふふっ……それ、オリビアさんがくれたやつ?」
「……何でこれなんだよ」
「いいじゃん別にー。結構興味あったんだよ」

ジオからそれを奪い取って、リリーはにっこり微笑んでデイジーを見た。

「これ悪魔族のレイシアで書かれてるから、後でコイネーに訳してあげるよ」
「余計なことするな!」

何故か嫌がるジオ。
そこまで反発されるとむしろ興味が湧いてくる。
デイジーはリリーに視線を向けた。

「ジオの本?」
「まぁ、似たようなものだよねぇ」

ニヤニヤするリリーに押され、ジオは絞り出されたような声を上げた。

「……身内のな」

納得するデイジー。
確かに、それは少し気恥ずかしいかもしれない。
ただし非常に興味はある。

「後で、読みたい」
「もっちろんだとも~♪」
「おいやめろよ……」

物凄く嫌そうに顔を顰める彼に、楽しそうに笑うリリーであった。



‪✿



紆余曲折を経て。

目を輝かせてあちこち歩き回るリリーに振り回されながらも辿り着いたのは、一際目立つ外観の大きな建物だった。
複数の巨木を跨ぐように建てられており、荘厳さを強く感じる。
圧倒されているデイジーにジオが説明してくれた。

「ここは国立の図書館だ。本の売買は出来ないが、好きな本を借りて読むことが出来る」
「……図書館」

ぽかんと見上げるデイジーは、小さく復唱して瞬きする。
そこにリリーの声が入って来た。

「ここで、デイジーの種族が分かるかなと思ってね」
「……?」

デイジーはきょとんとしている。
疑問を浮かべていることに気付いたのか、リリーは説明を付け加えた。

「小さい頃に読む物語って、結構種族別で特徴が違うんだよね。学舎で必須の教材もレイシアで書かれてたりするし、知ってる物語の傾向でも何となくどういう経歴か分かったりもするんだ」
「……でも、私、何も覚えてない……」

申し訳なさそうに呟くデイジー。
だがリリーは微笑んだままだ。

「大丈夫!記憶喪失って言っても、デイジーって生活に不可欠な記憶は結構残ってるじゃん。だから、物語を見ればどれに親しんでたかくらいは思い出せると思うんだよね。それにレイシアの本だったら読める筈だし」

自信満々に宣言する。

「この国の住民で、物語を知らずに生きてきたなんて人いないしさ」

それにジオも頷いた。

「そうだな。せめて『神話』くらいは知ってるだろ」
「……しんわ……」

ぽつりと呟くデイジー。
瞳がゆっくりと虚空をなぞり、そのまま地面へ落ちる。

分からない、というよりは。
自分に自信がない、という仕草に見えた。

リリーがぽんと肩に手を置いた。
優しい新緑の瞳がデイジーを見つめる。

「そんな顔しないでよ。大丈夫、ここでダメならまた探せばいいんだし。最悪、ボク達が預かればいいもんね?」
「あー、そうだな。お前の能力も優秀だし、むしろいてくれた方が助かる」

リリーに同調して微笑むジオ。

デイジーは、二人を呆然と見つめ、ぎゅっとスカートの裾を握り締めた。

「…………あり、がとう」

唇から零れる言葉。
頬を透明な雫が伝う。
二人がぎょっとした顔でデイジーを宥める。

「何か、余計なこと言ったか……?」
「ほんと大事なとこで鈍感だよね、ジオは」

ジオをしらっとした目で眺めつつ、よしよしとデイジーの頭を撫でるリリー。
ジオは居心地が悪そうに目を逸らした。
デイジーは止まらない涙を抑えられないまま、しばらく立ち竦んでいた。



‪✿



数十分後。

「……お騒がせしました」
「ふふっ、変な言い回し知ってるね?」
「こら、静かにしろ」
「はいはーい」

ようやく落ち着いたデイジーと二人は、広大な図書館の中へと入っていた。

館内は主に三つのフロアに分かれており、『自然・宗教』『神話・伝記』『物語』と題されている。
ジオは単独で使えそうな本を探してくると言って『神話・伝記』のフロアへ消えたため、残された二人はペアで『物語』のコーナーにやって来ていた。

「いやー、やっぱりここはすごいよねぇ~。有名どころは全部揃ってるし」

今二人が歩いているのは精霊族の物語のエリアだ。
精密なデザインの棚も背表紙も美しく、何度も来ている筈のリリーも終始目を輝かせている。

「精霊の物語って、結構儚くて綺麗な話が多いんだよねぇ。滅多に見かける種族じゃないから、自由に創作できるってのもあるんだけどさ」
「……精霊」

デイジーも神妙な顔でリリーの視線の先を追っていた。
表紙の布に美しい刺繍が施されたものも多く、芸術品を眺めているような気分にもなる。
何度も来ている筈のリリーも感心しながら見物していた。

「精霊なぁ。デイジーに似合ってるっちゃ似合ってるけど、精霊族は『自然操作』っていうルーナ持ってるから違うかなー」

話によると、彼らはある一つの属性の自然を操れるらしい。
例えば、炎や水、風などだ。
聞こえは悪いが、これの劣化版とも言える存在が魔術や魔法らしく、魔族や妖精族は神族よりも精霊族を崇める傾向にあるのだとか。
それもあり、彼らにもミリシア教徒は多いが、名前は植物由来ではないそうだ。
他種族との信仰の差を明確に区別するためらしい。

「……面白い」
「だよねっ!種族別の信仰分布を調査してる研究者もいたりするんだよ。ボクもちょっと憧れてる」

専門的な話ながら、デイジーは興味深そうに耳を傾けていた。

宗教談義に花を咲かせていると、今度は開けた広場のような場所に出た。
雰囲気はがらりと変わり、床に敷かれた絨毯の上で多くの子供が本に熱中している。

リリーが声を潜めて囁いた。

「ここは悪魔族のコーナーだね。聖都じゃ一番人口も多いし、いつも子供で賑わってるよ。…それに」

ふとリリーが言葉を止めた。
デイジーは再びリリーの視線を追う。

広場の奥まった角のスペース、そこには色とりどりの花で飾られた献花台があった。

二人揃って近付く。
台座にはコイネーではない言葉が刻まれている。
リリーが、デイジーのためにか声に出して読み上げた。

「……『どうか安らかに。我らの英雄』」

リリーは淡く微笑んでからそっと瞳を閉じ、胸に手を添えて俯いた。
デイジーも何となく真似をしている。

きっと、察しているのだろう。
これが物語の世界の話ではないことを。

見れば、通りがかる人は皆リリーと同じことをしていた。
涙ぐんでいる人もいる。

しばらく経って目を開いたリリーは、ぽつりと言葉を零した。

「後で、詳しく話してあげる」

ここではない風景を見つめるリリーの瞳は、らしくない憂いに満ちていた。
心配そうに見つめるデイジーを見てはっとし、すぐに元の笑顔に戻ったが。

「よしっ、気を取り直して行こうか!羽のない悪魔族とか聞いたことないけど、デイジーは結構例外な感じするし……一応集めてみよっか。都市外に住んでる悪魔族もいるしね」

あとは何が候補に入るかな、なんて呟きながら、リリーは棚を漁り始める。
デイジーも、ぱたぱたと彼女の後を追従した。



︎✿



「……見たことない」
「そっかぁ……」

そんな会話が数回あり、リリーとデイジーはすっかり図書館の奥まったところまで来ていた。
ほとんどの種族の棚を見せてくれたリリーだが、デイジーが見覚えのあるものはひとつもなかった。

「ん~、なかなか難しいね。もうちょっと探してみるかぁ」

ちょうど近くに休憩用のベンチがあったため、リリーはデイジーを座らせ、すぐに戻るからと言って探索に出てしまった。

「……」

せっかくの厚意だが、ただ座っているのが勿体なかった。
デイジーは立ち上がり、きょろきょろと周囲を見渡す。

随分人の気配はなくなっていた。
それどころか、今まで見てきた場所と比べると薄暗く、一応掃除はされているものの整理は不十分に見えた。
簡素な棚に、これでもかと本が押し込まれている、雑多でまとまりのない書架が並んでいる。

「……?」

何だか気になって、デイジーはふらりとそのスペースへ近付いた。
無造作にはみ出ていた一冊を何とか引き出し、手に取ってみる。
カバーは何の変哲もないもので─というよりここのコーナーの本のカバーは統一性がない─題名もなかった。
ぺらりと、カバーを捲る。


…衝撃が走った。

読める。
コイネーではない。
なのに、すんなり頭に入ってくる。


歓喜が湧き上がった。
この本が、自分の種族の本なのだ。
ようやく手掛かりが掴めた。
急いでリリーの下へ駆け寄っていこうとする。

…と、ふとリリーの言葉が浮かんだ。

「……物語、思い出せる……」

少しでも、自分の記憶を引き出せるものはないのか。
そうすれば、もっと確かな証拠になる。
ぎちぎちの棚から引き出すのは諦め、床に積み上げられていた本をぱらぱらと捲り、自分の知る物語を探してみる。

リリーが見ていたコイネーの本より、文章量は随分多い。
それでも、どこか惹き込まれる緻密な物語だった。
語彙力は、恐らく今まで見たどの本よりも優れているだろう。

(リリー、好きそう)

そんなことを思ったりもした。

そうこうすること、およそ十冊目。
ついに、デイジーは心をくすぐられる本に出会った。

カバーはこれもシンプルで、タイトルに『人魚姫の冒険』と書かれているだけだ。
だが、タイトルの一文に強く惹かれる自分がいた。

「……知ってる」

聞いたことがあった。
中身をざっと読んでみる。

人魚の国の王女であるマリンが、人間の世界に住む王子カイルと結ばれるまでを描いた冒険譚。
マリンはずっと人間に憧れを抱いていて、ある日神の祝福を受けて一時的に人間の姿になれるようになって。
人魚は人間から迫害を受けており、道中様々な苦難が待ち受けるが、旅の道中で出逢う仲間達に助けられ、マリンとカイルは最終的に結婚し、幸せに暮らす。

「……懐かしい」

はっきりと思い出した。
この話は、絶対に読んだことがあった。
登場人物の名前も素直に思い出せる。
間違いない。
これだ。

デイジーはその本を抱え、リリーの下へと急いだ。

「リリー!」
「あれ、デイジー?何かあったの?」

リリーはそこから少し離れた魔族の棚を見ていた。
少し息を切らしたデイジーは、それでも必死で言葉を紡いでいく。

「本、見つけた……コイネー、違う、けど、私、読めて……話も、知ってて」
「ほんと?!」

片言な台詞だったが、リリーはすぐに真意を理解してぱっと顔を輝かせた。
デイジーの差し出す本を受け取り、笑顔を見せる。

「良かったぁ。手掛かり見つかったね!種族が分かれば、相当楽になるよ」

少しわくわくした顔で、リリーはそれをまじまじと見つめた。
表紙の文字を、しっかりと目にする。

次の瞬間。


「………………え?」


リリーの唇から、呆然とした声が漏れた。
見開かれた瞳には見たことのない色が映っている。
震えるリリーの手から本が滑り、ドサッと音を立てて床に落ちた。

様子が、明らかにおかしい。
慌てて呼びかける。

「……リリー?」

リリーはびくっと震えた。
ゆっくりと、瞳が交わる。

─ぞっとした。


向けられたのは、だった。


負の感情が、首筋に緊張を走らせる。
言葉が出てこない。

どうして。
どうして、突然そんな目で見られるのか。
分からない。
どうして……

「……デイジー」

ふと、震え声で名を呼ばれた。
困惑と不安に満ちた顔を上げると、リリーはぽつりと呟く。

「『デイジーが使ってたの、この言語?』」

それは、聞き慣れた自分の言葉。
否定してしまえば、リリーの見方は変わるだろうか。
でも、もうそんな嘘はつけない。
恐る恐る頷く。

リリーの瞳は、一瞬で絶望に彩られた。

「…………嘘、だ」

自分の結論を信じたくない。
そんな雰囲気の声だった。

何も言えず、何も出来ず、デイジーはただ立ち竦む。
相当長い沈黙が、二人の間に走った。

ふと、リリーは身体から力を抜く。
浮かべたのは笑顔だったが、明らかに無理があった。

「……ごめん。何でも、ないから……行こっか」

リリーは素早く落ちた本─『人魚姫の冒険』を掴み、近くの本棚に押し込んだ。
全てを無かったことにするかのような、そんな行動だった。
抱えていた本も全て棚に戻して、リリーは足早に歩いて行く。
ほぼ反射的に、重い足を動かしてリリーに着いて行った。


魔族の書架を抜け、細い通路と高い棚が立ち並ぶ妖魔族のエリアに辿り着く。
少し歩いたところで、リリーは立ち止まる。
くるりと振り返ったリリーは、泣きそうな顔をしていた。

「デイジー」
「な、何?」

怯えた目を向ける。

すると。
何故か、突然リリーに抱き締められた。

「…………え、ぁ」

戸惑い、狼狽えるデイジー。
そんな彼女の反応を置き去りに、リリーはきつくデイジーを抱き締めて、囁いた。

「ボクは、君のこと、すごく気に入ってる。だから……ボクが何を言っても黙ってて。お願い」

あまりに必死すぎる懇願。
ドクドクと心臓が跳ねる音が伝わる。

どうして、こんなに緊張しているんだろう。
それがデイジーにも伝わり、頬が強ばった。

「……うん」

小さく頷くと、リリーは息を吐き出し、デイジーを離した。

「……ありがと」

どこかほっとした、それでいて緊張の抜けきれていない声だった。



‪✿



リリーはそれから何も喋らず、黙々と歩き続けた。
デイジーも無言でそれに続いた。
しばらくすると、悪魔族のエリアに戻って来た。
リリーの表情が一瞬強ばる。

そこには、献花台の前で子供達に囲まれるジオの姿があった。

「ねぇ、ぼくもお花あげたよー!」
「わたしも!」
「うれしいかなぁ?」
「よろこんでくれる?」
「えっ、ほんもの?ほんもの?!」
「すごーい!!」

あちこちから集まる、悪魔族や天使族の少年少女達。
皆が瞳に浮かべるのは、羨望と尊敬だ。
それを一身に集めるジオは、嬉しそうに微笑んで静かに言った。

「きっと、皆喜んでるよ。ありがとな」

その笑顔はあまりに美しくて、集まっていた少女達とその母親はカチンと固まる。
一方血気盛んな男子達は、興奮した様子でジオに詰め寄っていた。

平穏なその光景は、思わず笑みを誘うものだ。
それなのに。

リリーは、くしゃっと表情を歪めていた。
罪悪感を押し殺しているようにも見える。
噛み合わないその感情が怖くて、デイジーはぎゅっと自分の服の袖を握りしめた。

しばらくして、ようやく解放されたらしいジオがこちらに気付いてやって来る。
リリーの表情はいつの間にか元に戻っていた。

「相変わらず大人気だねぇ」
「お陰様で本は探せず終いだよ……何故か俺が静かにしろって怒られたし」
「あははっ」

疲れた顔のジオに朗らかに笑うリリー。

だが、その笑みは随分と乾いて聞こえる。
ジオは一瞬眉を顰めたように見えたが、すぐに元の口調で続けた。

「それで?どうだったんだ、そっちは」

純粋な疑問。
正直に答えるならば、収穫はあった。
あった、筈だ。

口を開きかけたデイジー。
だが、リリーの声に遮断された。

「んー、ダメだね。何にも分かんなかった」

デイジーは呆然とリリーを見た。

あっけらかんと嘘をつかれた。
へらへらと笑いながら。

確かにリリーは、何かに気付いていた。
間違いなくデイジーの種族を判別した筈なのだ。
種族が分かることは、進展ではなかったのか。
どうして、そんなこと…

…だが。
ふと、後ろ手に回されたリリーの手が視界に入った。
何かを堪えるように、必死で握られた手が。
固く握られ、小刻みに震える手が。

はっと、リリーの台詞を思い出した。

『ボクが何を言っても黙ってて』

あれ程素直な感情をぶつけてくれたリリーを信用できないでどうする。
ぐっと言葉を飲み込み、デイジーは表情を消した。

「……そう、か。残念だな」

ジオは瞳を伏せ、そう呟く。
リリーの手からほっと力が抜けたのが見えた。

「じゃあ、どうする?もういい時間だし、一回外で何か食べる?」
「あぁ、それもいいな。取り敢えず出ようか」
「うん」

笑顔でジオに続くリリー。
デイジーは混沌とした心内から目を背け、一先ず二人を追った。

デイジーもリリーも、ジオがすっと瞳を細めたことには気が付かなかった。



‪✿



図書館を出ると、人がかなり増えていた。
あちこちで食べ物を売り歩く者の姿もちらほら見られる。
すっかり元のテンションのリリーが説明してくれた。

「ここって聖樹広場に直結してるから、お昼時になると売り子が流れてくるんだよ。昼休みの学生とか、休憩中の読書家とかが買いに出てくるから混み合うんだ」

話しながら、人が苦手なのか人の少ない日陰の方に歩いて行くリリー。
途中で立ち止まり、ジオを見上げる。

「さてとっ、どうしよっか?白紙に戻っちゃったねぇ……まぁ、能力が分かっただけ良しとする?」

ベンチに腰掛け、疑問を投げ掛けるリリー。

が。
ジオはそれには答えず、リリーを真っ直ぐ見据えたまま告げた。

「リリー。お前、何隠してるんだ?」
「…………へ?」

リリーはぽかんとジオを見上げる。
何が何だか分からないという顔だ。

「どしたの急に。別に、何も隠してないよ?」

不思議そうな笑顔のまま首を傾げるリリー。
だが、ジオは全く顔色を変えずに続けた。

「お前、突然本の話題出さなくなったよな。さっきまであんなにはしゃいでたのにさ」
「…………っ」

リリーは息を詰まらせ、瞳を揺らす。
誤魔化すようにまた笑顔を浮かべたが、それは見るからに引き攣っていた。

「だ、だって……何も分かんなかったし、これ以上いてもしょうがないじゃん」

少し棘のある声色。
それでもジオの追及は止まない。

「単刀直入に言う。何かを隠そうとしてる時、お前は絶対に手が震える」
「……!!」

リリーははっとして自分の手を見下ろす。
いつの間にか血が滲む程握り締められていたそれは、確かにがたがたと震えていた。

「…………ち、違……」

真っ青になって続く言葉を失うリリー。
だが、それは肯定と同意だった。

ジオは静かに近寄り、その震えた瞳を、真っ直ぐに覗き込む。

「俺は、そこまで馬鹿じゃない。お前がそんなに必死に隠し通そうとすることがどんなことなのかくらい、推測はつく」

そっと、ジオはリリーの首筋に触れた。
リリーは泣きそうな顔で彼を見上げる。

「ち、違う、違うんだよ……だから、お願い……」

ジオは一切表情を変えない。
ただ、無感情に呟くだけだ。

「万が一の可能性として考えていた。絶対に、あって欲しくないとも思っていた」

リリーは目を逸らせないまま、怯え混じりの瞳を目の前の少年に向けている。

周りの音が消えていく感覚。
動くことすら出来ずにそれを見守るデイジーの頬に冷や汗が伝う。

無限にも感じる沈黙の後。
少年は、唇を開いた。


「こいつの種族は『人間族』だな?」


世界が、一瞬凍りついた音がした。
リリーは何も言えずに俯いてしまう。
ぽたぽたと、数滴の雫が地面に染みを作った。

ジオは、そのまま視線をデイジーに向けた。
ぞくりと、小さな少女の身体が震える。


彼の瞳は、血のようなどす黒い赤に染まっていた。


「お前は、人間族なんだな?」

その声に、今までの優しさは一欠片も残っていなかった。
デイジーは震えながら、彼の瞳から目を逸らせないまま、か細い声を吐き出す。

「……そう、だけど……み、皆、人間じゃ、ないの……?」
「……!!」

リリーが勢いよく顔を上げたのが見えた。

次の瞬間、デイジーは横から何かにぶつかられ、地面へ倒れ込んだ。
その僅か上を、鋭い何かが横切った。

「……ジオ、お願い……お願いだから、やめて……」

気付けば、ぼろぼろと泣きながら、デイジーを地面に押し倒した何か─橙色の少女が懇願していた。
庇うようにデイジーの前で両腕を広げ、赤い少年を見上げていた。

デイジーも恐る恐る顔を上げた。
そして、頭が真っ白になった。

赤い悪魔の右手には、同じ色をした一本の長刀があった。
鞘から引き抜かれたそれは、陽光に照らされて、ぎらぎらと血の色に輝いていた。

それは、デイジーの頭上を掠めたものだった。
それは、リリーが動いていなければデイジーの首を刎ねていた。


疑いようもなかった。
ジオは、デイジーを殺そうとしていた。


「……っ、はぁっ、はぁっ……」

呆然としたまま動けないデイジーの代わりに、リリーの呼吸がおかしくなっていた。
震え、泣きながら、全身で息をしていた。

「……」

キン、と冷たい音が聞こえ、刀はジオの腰に再び佩かれる。
それなのに、全身を刺すような殺気は緩まなかった。

血の色の瞳が、リリーを見下ろした。

「事務所に連れて来い。それで手打ちにする」

氷のような声だった。
ジオはそのまま背を向け、足音も立てずに歩き去って行った。

「……っ、……」

目の前が真っ暗になり、ふらりと体が倒れる。
同じようにリリーもぐったりと座り込み、息を整えていた。

会話はなかった。
リリーは落ち着くとすぐに立ち上がり、デイジーを立ち上がらせ、一言だけ呟いた。

「……ごめんね」

憔悴した表情のまま、リリーはデイジーの手を引いて歩き始めた。

着いて行くしかなかった。
心は追いつかず、体だけが言われるがままに動いていた。

昼過ぎの生暖かい空気は、いつの間にかすっかり冷え切っていた。
聖樹は、冷たい風にその葉と枝を揺らしながら、二人の少女を見つめていた。
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