悪魔のお悩み相談所

春風アオイ

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序章

雛菊の少女(3)

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辿り着いたのは、出発した治癒院のすぐ隣だった。
聖樹には遥かに劣るが、それでも立派な大木に備え付けられた三階建てのツリーハウス。

今までだったら、デイジーが驚いて、リリーがにこやかに説明してくれていただろう。
でも、二人とも、もう何も考えられなかった。

ただ手を引かれ、扉をくぐり、階段を上がる。
一番下の踊り場に設置された扉に手を掛けたリリーは、一瞬躊躇ってからゆっくりと開けた。



︎✿



リビングらしき広い部屋に、四人はいた。

落ち着かない様子で視線を彷徨わせるロータス。
ソファーに座り、異様な雰囲気に怯えて縮こまっているアイリス。
そんな彼女を宥めつつ、不安げに顔を上げるレア。

…そして、一番奥のソファーに腰を下ろし、無感情に虚空を見据えるジオ。

明るく穏やかな雰囲気だった筈の部屋は、しんと静まり返り、異様な様相を呈していた。

「……戻ったよ」

投げやり気味な口調でリリーが告げた。
留守番をしていた三人は頷いたり顔を向けたりしてくれるが、ジオはどこか別の場所を見つめたままだ。
リリーの後ろで青白い顔のまま立ち尽くすデイジーを視界に入れると、彼はようやく口を開いた。

「先程は気が急いた。これは、俺だけの問題じゃない。故に、改めて是非を問う」

何が何だか分からない、と言いたげにレアとロータスがジオを見る。
アイリスも困惑を通り越して混乱していた。

三人は何も知らされていないらしい。
それでも、リリーが張り詰めた表情を変えることはなかった。

ジオの瞳は、赤いまま。
冷たい声が場を支配する。

「こいつは人間族だった。殺すか、生かすか、どちらを望む?」
「「「……!?」」」

三人が、はっと目を見開いてデイジーを見た。

…向けられる感情は同じ。
戸惑い、恐怖、そして嫌悪。

「……人間族?」

初めに震える声を吐き出したのはレアだった。
優しかった赤の瞳が、絶望に染まっていく。

「な、何で……何で、ここに、いるの……?」

レアは青い顔で呻きながら腕をぎゅっと抱き締める。
ジオが立ち上がり、彼女の傍で優しく頭を撫でた。
レアは、これ以上デイジーを見ることも、話しかけることもなかった。

アイリスとロータスも、決して穏やかではない表情をしていた。

「人間族、って……」
「本当、なのか?だって……」
「リリーが特定した。間違いない。今までの言動とも辻褄が合うからな」

ジオは淀みのない口調で淡々と言い放つ。
リリーがぎゅっと唇を噛み締め、俯く。
暗に真実だと告げていた。

「……それは……」
「で、でも……」

アイリスとロータスは顔を見合わせながら逡巡しているようだった。
けれど、それ以上動こうとはしていなかった。

デイジーは、ただ立ち尽くしていた。

突然浴びせられた負の感情が、デイジーの心に傷を負わせているのは、ここにいる全員が分かっているだろう。
それなのに、デイジーを積極的に庇おうとする者はいなかった。
だから、聞かずにはいられなかった。

「……人間、だったら……何なの……どうして……殺そうとするの……?」

声は誰よりも震えていた。
瞳に溢れた雫は今にも零れようとしていた。
様子を窺っていたアイリスとロータスは、デイジーに同情したような表情になった。

…だが、次の瞬間。


「……どうして、だと?」


地獄の底から響く怨嗟のような声がした。
ジオが立ち上がり、つかつかとデイジーに歩み寄ってきた。

全員の顔が凍りついた。
近くにいたレアが慌ててジオの服を引くが、ジオはそれを振り払い、レアはソファーに倒れ込んだ。
リリーも止めようとしたが、震える手は伸ばされただけで彼を掴むことができなかった。
アイリスとロータスは彼に気圧されて動くことも許されなかった。

ジオは、恐怖に顔を歪ませるデイジーの胸倉を掴み、凄まじい膂力で少女を壁に叩きつける。

「……う、ぁ、ぁ……っ……」

ジオは辛うじて息を吐き出すデイジーを真正面から睨みつけ、一方的な怒号をぶつけた。

「ふざけるなよ!!それは俺の台詞なんだよ!!!どうしてのこのこと戻って来れた!!!どうして神に赦された!!!どうしてあんなに同胞を殺した!!!どうして……っ、どうして、お前は、何も知らないんだよ!!!!」

部屋の空気が爆ぜるような、凄まじい声だった。
少年はぎりぎりと歯を食いしばり、限界まで見開かれた瞳から血を流していた。
命を刈り取られそうなほど、激しく恐ろしい怒りがデイジーを貫き続ける。

「……ぅ、……っ……」

首を絞められて息もできなくなった少女は、涙を零しながら弱々しい手でジオの腕を掴み、必死に彼を見上げていた。
熱で血走った赤い瞳と、光を失った紅い瞳が交わる。

…しかし。
一瞬、その瞳が黒に戻ったように見えた。

ジオは突然がくりと力を緩め、デイジーは床に落とされる。

「っ、は……っ、けほっ、けほっ……」

激しく咳き込みながら涙を流すデイジーを見て、ジオが一歩後ずさった。
逆光で影に混じった瞳の色はよく見えなかった。

「……悪い、冷静じゃない……少し出てくる」
「あ、ジオ……」

ロータスが声を掛けようとしたが、ジオはそのままリビングを抜け、外へ出てしまった。
パタン、と乾いた音と共に扉が閉まった。

「……」

気まずい沈黙が流れる。
普段は冷静な少年の激昂を、皆が皆受け入れられないままだった。

そんな状況の中、真っ先に動いたのはロータスだった。
彼は決意に満ちた表情で、デイジーに駆け寄ってそっと手を差し伸べる。

「大丈夫か?立てる?」

その声は、治癒院で聞いた時と何も変わらない優しいものだった。
デイジーが辛うじてこくりと頷くと、彼は申し訳なさそうな顔でデイジーを立たせてくれた。

「ごめんな、デイジー。驚いたよな」

彼はデイジーの小さな背中をさすりながらリリーへ視線を向ける。

「リリー、何があったんだ?察しはつくけど……説明してもらえないか?」

ずっと殊勝に黙り込んでいたリリーは、ロータスの声にのろのろと顔を上げ、疲れた顔で頷いた。

「……うん、そうだね。一回、座ろうか」

リリーはちらりとレアの様子を窺う。
彼女もジオの剣幕に動揺していたようで、ソファーに座ったまま縮こまって俯いていた。

「レア、部屋戻る?」

リリーが尋ねると、レアは目を伏せたまま、小さく首を横に振った。
ずっと怯えていたアイリスが、その弱々しい姿を見てばっと立ち上がる。

「私、お茶入れてくる……っ」
「ありがと。アイリスも、作業しながら聞いてて」
「分かったっ」

アイリスがぱたぱたとキッチンの方へ向かい、残った三人がソファーに腰を下ろしたところで、リリーが話を切り出した。

「ボク達、図書館に行ったんだ。デイジーはレイシアをよく知ってるし、馴染みのある本があるかもしれないと思って。そしたら、デイジーが分かるって言った本が……人間族のレイシアで書かれた本だった」

リリーは自分の掌をじっと見つめている。

「ボクも好きな本だったんだ。勘違いのしようもなかった。話してた言葉も、人間族のレイシアだってそこで気付いた。確かに、疑う余地はなかったよ。でも、ボクが切り出す前に、ジオが気付いちゃった。殺す気で斬りかかってきて……それからずっとあんな感じ」
「……そっか」

ロータスが小さく相槌を打つ。
そして、リリーに尋ねた。

「デイジーは……何も、知らないのか?」
「自分の名前も知らないんだよ。覚えてる訳ないし……そうじゃなかったら、ボクもジオを止めてないよ」
「まぁ、そうだよな」

複雑そうなリリーの返答に、難しい顔をするロータス。
しかし、デイジーを見つめる瞳は暖かかった。

「……うん、なら、まずは事情を話そう。俺は、とやかく言える立場じゃないけど……デイジーは、悪人じゃないと思う」

蒼の瞳が、紅と交わる。

「何も知らないなら、一方的に傷つけるのは良くないと思うんだ。ジオも、それが分かってるから頭冷やしに行ったんだろうし」
「……そうだね」

ロータスの言葉で、リリーがようやく表情を和らげた。

「デイジーには、全部話そう。その上で、皆でもう一回考えよう。それでどうかな?」

リリーが見ているのはレアだった。
彼女は顔を上げなかったが、小さくこくりと頷いた。

リリーとロータスは小さく微笑み、再びデイジーへ視線を戻す。

「色々と混乱させてごめんな。説明しなきゃいけないことがたくさんあるんだけど……聞いてくれるか?」
「……うん」

未だ涙の滲んだ顔で、デイジーは素直に頷いた。

「教えて、ほしい……何が、あったのか」

切実な願いだった。

記憶を失った自分が、一体何を忘れているのか。
ジオに、一体何があったのか。

それを知らなければ、死んでも死にきれない。

その答えを聞くと、リリーは大きく頷いてごそごそと荷物を漁り、一冊の本を取り出してロータスに手渡した。

「じゃあ、はい。後は任せた」
「…………えっ、リリーは?!」

ずっと穏やかだったロータスの声が裏返る。
リリーは苦笑を浮かべ、隣に座るレアをぽんぽんと撫でた。

「ボクはレアのこと見てるから。冷静になれないのは、ジオだけじゃないでしょ」
「そっか……そうだな」

ロータスは納得した顔で本を抱え、デイジーの手を取って立ち上がる。

「じゃあ、上行くか。歩ける?」
「……うん」

デイジーはそのままロータスに連れられてリビングから離れることとなった。

…ちらりと、レアに視線が向く。
レアはぎゅっと拳を握り締めたまま、やはり顔を上げることはなかった。

デイジーも少し寂しそうに俯いて、ロータスの後を追った。



‪✿



ロータスとデイジーは更に螺旋階段を上り、中段の踊り場に辿り着いた。
下と同様に取り付けられた扉を開けると、下の階より少し狭い、生活感のある部屋が広がっていた。
木の枝で格子状に区切られた窓からは、眩い陽の光と美しい街並みがはっきりと飛び込んでくる。

きょろきょろと視線を彷徨わせるデイジーに、ロータスは優しい声で説明してくれた。

「ここはいつも皆で過ごしてる部屋だよ。下は依頼人に対応する場所だから、夜になるとこっちに移動するんだ」

五人はこの事務所に住み込みで働いており、共同生活を営んでいるそうだ。
友人同士にしては年齢や性別がバラバラなのも、ジオが訳有りのメンバー達を拾って住まわせてくれているかららしい。

デイジーはそれを聞いて、思わず前を歩く少年に尋ねていた。

「ロータスも?」

一瞬、肩がびくりと跳ねたのが見えた。
左目にかかる前髪を神経質に弄りながら言う。

「まぁ、ね。ジオのおかげで、俺は今ここにいるから。あいつ、あれでもすっごい良い奴なんだよ。ぶっきらぼうだから、よく勘違いされるんだけどさ」

話の流れを変えられた。
あまり触れて欲しくないのだろうと悟り、デイジーは頷きを返す。

「うん……ジオ、いい人」

寂しげな口調なのは、先程の激昂を直接浴びせられたからだろう。
ロータスは顔を歪め、俯いた。

「……ごめん。デイジーが、悪い訳じゃないんだけどね……」

重い空気が、ずっしりと降りかかる。
彼はそれから押し黙り、静かに歩を進めた。

しばらくして。
談話室を抜け、二人はメンバーの個室が並ぶ廊下に辿り着いた。

「ここだよ」

ロータスは、廊下の手前にある右側の部屋の扉に手を掛けて静かに引く。
音もせず開いたその部屋を覗き込んで、デイジーは目を見開かせた。

こぢんまりとした部屋だ。
家具はベッドとテーブル、本棚くらいしかない。
だが、あちこちに散らばる大量の機械部品があまりにも目立っていた。
どこか自然体な雰囲気が広がるこの国には似合わないそれらを、ロータスは慌てて拾い集める。

「あぁっ、忘れてた……ごめん、すぐ片付けるから!」

慣れた様子で本棚に置かれた瓶に部品を詰めていくロータスに、デイジーはぽつりと尋ねた。

「……これ、ロータスの?」

彼は手を止め、苦笑いを浮かべて頬を掻く。

「あー、まぁね……物作り好きなんだよ。たまに廃品とか譲ってもらって、色々作ってるんだ」

部品が片付いてみると、確かに机の上や本棚の空いたスペースにはそれらで組み立てられた小物が並べられていた。
随分精巧な造りをしている。

じっと眺めるデイジーに、ロータスは少し恥ずかしそうに笑った。

「そこら辺の、結構前に作ったやつだから、あんまり綺麗にできてないんだけど……」

そうは言うが、しっかり塗装まで施されており、素人目に見れば非常に丁寧で美しい作品だ。

「ロータス……すごい」

素直な賛辞に、ロータスは今度こそ照れてそっぽを向いた。

「俺の趣味のことなんかどうでもいいから!ほら、話聞きたいんでしょ?」

そして強引に話を戻す。
これ以上褒めると怒られそうな気配を感じ、デイジーは彼に素直に従った。

ロータスは本棚から一冊の本を取り出し、ベッドに腰掛ける。
勧められるがままにその隣に座ると、ロータスはその本を差し出してきた。

「これ、子供の頃に買った絵本なんだけど……この本の内容を簡略化してるから、読みやすいと思う。コイネーだしね」

ロータスが指したのは、リリーから受け取った分厚い本だ。
それは、デイジーにも見覚えがあった。
確か、オリビアという書店員の少女がジオに手渡していた、彼の家族に関するという本ではなかったか。

気になってロータスに渡された本を受け取ると、確かに厚みは明らかに薄い。
相当読み込んでいるのかぼろぼろになり薄汚れた表紙には、巨大な桜樹と一人の男性が描かれていた。
黒髪だが、着流しを身につけて感情に乏しい表情を浮かべているなど、何となくジオと似た雰囲気を感じる。

タイトルには『紅血夜叉』と記されていた。
絵本にしては少し物騒すぎる名前だ。

「この人は?」

指差して尋ねると、ロータスは俯きがちに呟いた。

「ジオのお父さんだよ。悪魔族で知らない人はいないくらい有名な人」

身内の話と言ってはいたが、どうやら父親の武勇伝だったらしい。
それでも、どうしてロータスがこんなに悲しそうな目をしているのかは分からなかった。

それ以上何も聞けず、試しにデイジーは絵本を開いてみた。
単純な文法のコイネーで綴られる物語は、稚拙に見えて巧妙に組み上げられている。
思わず惹き込まれ、丁寧にページを捲っていった。



︎✿



彼─ジオの父は、幼い頃から暗殺稼業を生業としていた。
命令されるがままに人を殺して、ただ無感情に、生ける屍のような状態のまま生きていた。

ある日、彼の父が族長抗争で殺された。
殺人を強いていた父に家族愛など無かったが、育てられた義理を重んじた彼は、父を殺した刺客とその一族を皆殺しにした。

その時、齢は十三。
無表情で淡々と死体を積み上げた少年は族内でも畏れられ、『紅血夜叉』と渾名されるようになった。

そして彼は、族長抗争を『全滅』という嘗てない手段で終わらせた立役者として認められ、『吸血鬼族』の族長にまで祀り上げられた。



︎✿



ここまで読み進め、デイジーはロータスに視線を送った。
あまりにも重い内容に思うところもままあるが、それよりも気になることがあった。

「『吸血鬼』って、何?悪魔族、じゃないの?」

目を瞬かせるロータス。

「あー、そうだな……」

ロータスは少し暗い表情のまま説明を加えた。

「俺達は『悪魔族』って一つの括りにされてるけど、完全に一つ岩な訳じゃないんだ。俺達みたいに聖都で他種族と共存している人達もいれば、都市外で部族毎に暮らしてる人達もいる。そのうちの一つが『吸血鬼族』だった」

ロータスによると。
彼らは悪魔族にしては珍しくルーナを持った一つの部族で、血液を吸うことで身体強化や自己再生が出来るのだという。

そして、彼らはこの世界において最強の戦闘能力を持った種族であった。

「傷つければ傷を負うほど強くなる。安易に近づけば血を吸われて再生される……これ以上に戦闘向きな能力はないよ。文字通り最強の戦闘部族で、種族抗争でも吸血鬼が一人いるだけで戦況が大きく変わったって言われてる」

性格も非常に好戦的で、彼らは仲間同士で決闘を行って優劣を決める実力至上主義社会を形成していた。
それもあって戦闘能力の高い彼らの脅威は凄まじく、吸血鬼族は悪魔族から独立して悪魔族と対等の一種族として扱われていたのだとか。
悪魔族も戦闘に優れた能力の持ち主は多いが、それを彼らは遥かに上回っていた。
一丸となれば世界を滅ぼせるとまで謳われたその能力を、同種族である悪魔族は非常に尊敬し、誇りとしていた。

して、いたのだが。

ロータスに続きを促され、デイジーはまた本に目を落とした。



︎✿



ある日、彼は一人の少女に出会った。
触れるだけで命を奪う、『死神』と呼ばれる少女に。

血のように赤い髪を流す死神は、それでも美しい少女であった。
彼女は心を閉ざす彼を元気づけようと、何度も何度も話しかけてきた。
結局彼は折れ、二人は友人になった。

実は、彼女は族長の座を狙って送り込まれた刺客であった。
彼が心を許す日を待ち、じっと殺す機会を窺っていたのだった。
だが彼女は、終ぞ彼を殺すことは出来なかった。

夜叉とまで呼ばれた彼が、本当は心優しい人格者だと気付いてしまったからだ。

誰も殺したくなかった。
これ以上、同族の血を見たくなかった。
だから、自分は頂点に立った。
同じ郷で暮らす同胞を、最強たる自分の力で守り抜くために。

そんな本音を耳にした彼女は、いつしか彼に惹かれていた。
彼女は、彼ではなくそれを命じた自分の家族を殺した。
しがらみを捨てた死神と少しだけ感情を取り戻した夜叉は、徐々に距離を縮め、友人から恋人になった。



︎✿



デイジーはまた顔を上げた。
赤髪の少女を指差し、ロータスを見上げる。

「これ、ジオのお母さん?」
「そうだよ。あの赤い髪、お母さんから受け継いだらしいね」

彼は微笑み、素直に教えてくれた。

「この馴れ初めも実話なんだってさ。ここの話だけは結構微笑ましいんだ」

ロータスの言う通り、ここからは些細な日々の記録が記されていた。
ゆったりと綴られる日常風景は仲睦まじいもので、激動の人生を送ってきた二人がようやく手に入れた幸せが噛み締めるように描かれていた。



︎✿



︎そして数年後、二人は結婚して更に仲を深めていった。
天才的な戦闘の才能を持つ二人のリーダーに惹かれる吸血鬼族は多く、抗争の絶えなかった部族はいつの間にか纏まり、本当の平穏が舞い降りた。



︎✿



挿絵には、少しだけ柔らかい表情をした黒髪の少年と、幸せそうに微笑む死神だった少女が描かれている。

︎「……いい話」

美しい結末に思わず言葉を漏らすデイジー。
だが、ロータスは瞳を曇らせ、首を横に振った。

「ここまではね。これからが、デイジーにも関わってくる話だよ」

静観していたロータスが、自らページを捲る。
それを覗き込んだデイジーは、思わず愕然として固まった。


描かれていたのは、燃え盛る里の家々だった。

青年へと成長していた彼が、武器を片手に仲間を庇っている姿が映し出されている。
美しい広場は血の赤で染まり、彼はほぼ瀕死のような状態で懸命に侵入者へ抗っているようだった。


ドクン、と心臓が鳴った。
何かを悟った身体は動いてくれない。
言葉を失っているデイジーに、ロータスは静かに真実を告げた。

「今から十年前、大規模な種族抗争が起こったんだ。吸血鬼族の集落が襲撃されて、ほとんどの吸血鬼が侵入者に捕らえられた。…そして、全員が殺された」

衝撃が身体を貫く感覚に襲われる。

全員、殺された?
どうしてそんなことに?

動揺するデイジーを置き去りにして、淡々とした少年の台詞は続く。

「これに激怒した悪魔族は、魔族や妖魔族と『魔族同盟』って同盟を組んで、天使族とも協力して侵入者に対抗したんだ。最終的には全種族が集結する大戦争にまで発展したんだけど……これが、『森火戦争』って呼ばれてる過去最悪の種族抗争。死者は数百人出て、その内大半が吸血鬼族だった。…全滅だよ。一人を除いてね」

突如突きつけられた現実が、鋭く胸を穿つ。
特に最後の一言は、デイジーをはっとさせた。

もう、彼女の目は全てを見通してしまった。

「生き残った一人、って…………」

言い淀むデイジーに、ロータスはこくりと頷いて言った。


「そうだよ。それがジオ……吸血鬼族の、唯一の生き残り」


デイジーの頭にフラッシュバックする映像があった。

図書館の中。
大量の花が供えられた献花台の前で子供達に囲まれる少年の姿。
呟かれた言葉は、確か。


『きっと、皆喜んでるよ。ありがとな』


その言葉は。
デイジーが思っていたより遥かに、あまりにも重すぎた。

気付けば、震え混じりの声が唇から零れていた。

「じゃあ、その侵入者、って……」

見たくはないが、知らなくてはならない現実。
ロータスは重い頭を動かし、頷いた。


「……うん。それが、『人間族』だよ」



︎✿



彼らは、最期の時まで戦い抜いた。
戦闘種族である矜恃を貫き通し、華々しく散った。
彼らの物語を絶やさぬように。
この惨禍を、決して忘れることのないように。

どうか、安らかに。
我らの英雄。



︎✿



締めくくられた物語をゆっくりと閉じて、デイジーは呆然としたまま俯いていた。
ロータスは気遣わしげにデイジーを見つめ、慎重に言葉を選びながら話を続ける。

「人間族は……それまでは、普通に俺達と共存してたんだ。吸血鬼族とも友好的な関係を築いてた。だから、最初は誰も信じられなかったと思う。今でも、あの事件のことはよく分かってないし。でも……」

彼の瞳は、ここにはいない少年を見ていた。

「……あれだけのことをしでかしたら、赦してはおけないよな」



‪✿



『……母様?父様?』

ぽつりと、孤独な声が虚しく響く。
そこに人影は無かった。
積み上がった瓦礫と、折れた広場の桜樹、そして戦闘の痕跡だけが残されていた。

『サクラ……』

幼い妹の名前をぼんやりと零して、少年は光の消えた瞳を落とす。

誰も、いない。
それでも分かる。
地面を染め上げる赤色が告げている。
自分の血が、反応している。

これは同胞のものだと。

身体から力が抜け、血液の海に崩れ落ちる。
すっかり冷え切ったそれは、じわりじわりと少年を狂気の世界に誘う。

『何で……』

何で。
どうして。
どうして彼らは。
自分は、何をしていたのだろう。
お願い。
どうか、どうか……


置いていかないで。



‪✿



「……っ!!」

はっと目を見開き、赤髪の少年は勢い良く飛び起きる。
ぐらりと身体が揺れ、慌てて近くの枝に掴まった。

デイジーに怒鳴り散らした後、気を鎮める為に屋上まで逃避し、木の上でぼんやりと現実逃避をしていたのだが、いつの間にか眠っていたらしい。
全く休まってはいないが。

「…………夢、か」

ふわりと翼を動かし、彼は疲労の濃い表情で呻いた。

夢とは言っても、ほぼ昔の記憶と変わらない。
トラウマを呼び起こされているようなものだ。

吐きそうになりながら、幹に寄りかかって膝を抱えた。

決して四人の前では見せない、弱り切った黒い瞳。
だがそれもすぐに、意志の赤で塗り替えられる。


─あの少女さえいなければ。
平穏が穢されることなど無かったのに。

早く。
一刻も早く。
彼女を、この世界から……


強く握り締められた拳。

だがそれは、ふとした瞬間に緩んでしまう。

「…………何だよ」

間違っていない。
自分は、決して間違っていない。

人間族なんて、現世の諸悪の根源だ。
あいつらさえいなければ、この世界がここまで殺伐としたものにはならなかった。
レアやリリーは、きっとここにいないで幸せに生きていた。

そして、それは自分だって。

見つけ次第容赦はしない。
もう二度と、彼らをこの世界に存在すらさせてはならない。
そう取り決めていたではないか。

それなのに…

「……どうして、お前は……」


…あんなに純粋で、美しいのだろう。 



‪✿



「……ロータス」

ふと、デイジーが呟いた。
しばらく続いていた沈黙が破られ、ロータスはびくりと震える。

「……っ、何?」

俯いたままの少女の顔は長い銀髪に隠れて見えない。
だが、もうその声に純粋な響きは無かった。
ただただ乾いた声音が、ロータスの耳にぼんやりと入ってくる。

「私……この世界に、いちゃ、いけないんだね」

ロータスがはっと目を見開かせた。
少し距離を詰め、暗い雰囲気を打ち壊そうとする。

「そ、そんなこと言わないで……っ、デイジーが悪い訳じゃない!この事件は確かに許されないものだけどっ、でも……」
「レアは」

だが、ロータスの必死の弁解は、その一言でぴたりと止まった。
悲しげな紅瞳がゆっくりとロータスに向けられる。

「レアは……ジオと同じでしょ?レアも……大切な人を、殺されたんでしょ?」

ロータスは動きを止める。
零れ落ちそうな瞳は徐々に伏せられ、結局彼は何も言い返せずに項垂れた。

「……リリーから聞いたの?」

尋ね返され、デイジーはふるふると首を振る。

「人間って言葉に、過剰反応したのは……ジオと、レアと、リリー……リリーは、私のこと庇ってくれた……から、恨んでるわけじゃない……でも、ジオとレアは、違った」

怒りと恐怖。
二人が向けるのは直接的な負の感情だ。
しかし、リリーは戸惑い驚きながらも、ジオのそれからデイジーを守ろうとした。

どうも、リリーと二人の人間族に対する感情は違う。
デイジーが感じたのはそんな違和感だった。

「ジオは、家族も、みんな殺されて……なら、レアも、って……思って」

淡々と述べる少女に、ロータスは諦めた顔で頷いた。

「うん……そうだよ」

蒼い瞳が、悲しげに震えていた。

「レアの両親は、人間族に殺されたんだって。レアはまだ五歳とかで、はっきりとは覚えてないらしいんだけど……それでも、両親が殺されたところも見ちゃったらしくてね」

それ以来、彼女が人間族に覚えるのは『恐怖』なのだそうだ。

「家も壊されて、親も喪って……途方に暮れてたところを、ジオが助けてくれたんだってさ」

それから十年、二人は兄妹同然に育ってきた。
感情表現があまり上手くないのも、レアがジオと共に育ってきた所以ゆえんだ。
似た者同士だった二人は、家族からの愛を奪われたまま成長してしまった。
感性も、感情も、どこか鈍いまま。
二人が心から笑顔を浮かべられる世界は、過去のものになってしまったから。

「可哀想な境遇ではあるよ。俺はちゃんと家族と一緒に育ってきたから、たまに申し訳なくもなる。……でも、デイジーには関係ない」

ふと、ロータスは声色を変えた。
ぐっと肩を掴み、真剣な目で見つめてくる。

「俺は、デイジーが裁かれなきゃいけないとは思えない。ジオの手前、言いづらいけど……デイジーだって、今は独りきりなんだ」

その言葉に、デイジーは再び薄暗い感情が湧き上がるのを感じた。

自分は、結局何も思い出せていない。
この世界の話を聞いても、それは自分の記憶にある話とは思えなかった。
今までにしたことは、助けてくれた恩人に最悪の思い出だけを返しただけだ。
この状況が続けば、ジオやレアはもっと苦しむだろう。

どうすれば、彼らのためになることが出来る?

デイジーの渦巻く内情に気付かないまま、ロータスは必死に呼び掛けてきた。

「人間族は、確かに追放されたよ。もう二度とこの世界に戻って来れないように、別の世界に飛ばされた……でもっ、全部の人間族が悪いってわけじゃないと思うんだ!デイジーはいい子だし、絶対あんな酷いことが出来る人でもない!だから……」

泣きそうな顔で叫ぶロータス。
いつかのリリーの表情と重なって、それが辛かった。

皆、とてもいい人だ。
便利屋なんて職業に就いているのも、人助けが好きだからだろう。

だから、誠実で気高い彼らを。
これ以上、辛い記憶に溺れさせたくはない。
何より……

「……レアは、ありがとうって、言ってくれた」
「え?」

ロータスはその突然の一言に固まった。
意味が分かっていないのだろう。

大したことではない。
純粋で心優しい少女を傷付けてしまった自分が、どうしようもなく憎かっただけだ。
この感謝に見合うものを、返せない自分が。

デイジーは静かに顔を上げた。
血色の薄い唇を開く。

「……ロータス」
「…………?」

最早何も言わず、不安げに見つめてくる少年に。
デイジーは。

「私…………」



‪✿



「これね、昨日焼いてたクッキー!お花の蜜が隠し味でね、優しい味なんだよっ」
「……ん、美味しい」
「ほ、ほんと?よかったぁ……」

リビングにて。
温かい紅茶を入れてくれたアイリスが、色々なお菓子を並べてレアに振る舞っていた。
明るい表情を崩さず接するアイリスの空気につられ、ずっと暗い表情だったレアも少し元気を取り戻していた。

クッキーを齧って小さく微笑む少女を優しい目で眺めていたリリーは、紅茶を一口啜って口を開いた。

「レアは、デイジーを怖いと思う?」
「……っ」

レアははっと目を見開き、笑顔を消す。
アイリスがあわあわしながらリリーを止めようとするが、リリーはそれを遮って続けた。

「ジオが、戻ってきて何て言うかはボクでも断言できないけど……ボクとロータスは、デイジーを殺すことには反対する。まぁ、ボクは全部善意でって訳じゃないけど……デイジーを殺すのが最善だとは思わない」

レアの手がぴくりと震える。
リリーはティーカップをソーサーに戻し、真っ直ぐレアを見据えていた。

「でも、ジオが一番重視するのはレアの意見だ。だから、レアが今どう思ってるか、教えて欲しい」
「……」

視線を彷徨わせ、俯くレア。
アイリスが不安げに見守っている。
リリーは少し表情を緩め、クッキーを一つ手に取った。

「大丈夫。どんな意見でもいい。絶対に蔑ろにはしないし、責任はボクが取るから」

レアがおずおずと顔を上げる。
薄い色の唇が震え、言葉を紡ぐ。

「……わ、私は─」


「リリー!!!!」


その時だった。
リビングのドアが勢いよく開き、顔面蒼白のロータスが飛び込んできたのは。

「ロータス、どうしたの!?」

驚いて視線を向ける三人に、ロータスは肩で息をしながら、外を指差す。


「デイジーが……っ、飛び降りる気だ……!!」
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