6 / 15
序章
雛菊の少女(4)
しおりを挟む
「私、死んだら……ジオとレア、喜ぶ?」
「…………え、?」
ぽつりと呟いた一言に、ロータスは呆然と顔を上げた。
その言葉は、紛れもなく目の前の少女の、デイジーの声だった。
けれど、あまりに唐突で、乾いた、感情の無い台詞で。
頭に入って来なかった。
何を言っているのか分からなかった。
「……デイ、ジー……?」
様子がおかしいのは明らかだった。
何とか体を動かして、手を伸ばそうとして。
…でも。
心の、奥底で。
その言葉を否定出来ない自分がいて。
その躊躇いを、真実を見通す彼女の目は見抜いていた。
何の前触れもなく立ち上がったデイジーは、華奢な見た目に似合わないスピードでロータスの前を駆け抜けていった。
「……っ!!!」
はっとする。
慌てて飛び出し視線を動かすと、一心不乱に階段を上る銀髪の少女を捉えることが出来た。
「デイジー!!待って!!」
ロータスも駆け出そうとするが、
「来ないで!!!」
…その必死の叫び声に動きを止められた。
小さな手が、柵を掴んでいた。
追いかけようとすれば、そのまま飛び降りてしまうだろう。
脆い人間の身体では、この高さからでも助からないだろう。
ロータスは、ようやく悟った。
デイジーの心は、とっくにぼろぼろだったのだ。
見知らぬ土地で未知に振り回され、束の間の平穏を与えられ、叩き落とされる。
絶望したのは彼女も同じだ。
『自殺』という手段が頭から離れなくなるくらいに、追い詰めてしまった。
紅い瞳が、じっとこちらを見つめている。
やがて、その瞳から光るものが落ちた。
「ありがとう、ロータス」
優しい泣き笑いを最後に、彼女は振り返らず行ってしまった。
その途端、全身に焦燥が走る。
止めなきゃ。
止めなくては。
このまま走って止める?
いや、そうすれば彼女は身を投げてしまう。
どうしようもない。
だが、きっと彼女は一番上まで駆け上って飛び降りるつもりだろう。
早く、早くしないと…
「…………?」
ふと、頭に過ぎることがあった。
「一番、上……」
ジオは今、どこにいる?
彼の行動パターンから考えれば、確か。
『落ち着きたい時は、ここにいるんだ』
そう、微笑みながら言っていた筈だ。
「……!!」
ロータスは身体を反転させ、転ばんばかりの速度で駆け出した。
彼女の前にジオに追いつくには。
階下に、その答えはある。
︎✿
「ジオと繋いでくれ!!」
衝撃に呑まれた三人を現実に引き戻したのは、ロータスのその声だった。
彼のぎらぎらと光る蒼い目を見て、リリーはぐっと唇を噛み締めて頷いた。
リリーはロータスに駆け寄り、眼鏡を外す。
「上だよね?」
「多分、そう」
端的に言葉を交わし、二人は目を閉じた。
次の瞬間、蒼と薄翠の光が二人の身体から吹き出した。
それはなじむように交わり、海の中にいるような幻想的な色で部屋を包み込む。
リリーがロータスの額に触れると、彼は緊張の滲む声を張り上げた。
「ジオ、聞こえるか?!デイジーが上に向かってる!!飛び降りるつもりだ!!頼む、止めて─」
ふと、言葉が止まり、ロータスは膝から崩れ落ちた。
光が消え、アイリスが駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫?!」
「……っ、あ、あぁ……やっぱり、長続きはしないな……」
アイリスに支えられ、汗だくになりながら顔を上げたロータスは、リリーに顔を向けた。
「……大丈夫かな、ジオ……」
「大丈夫だよ」
リリーは眼鏡を掛け直し、ロータスの肩を叩いて天井を見上げる。
「ボク達にできるのは、信じることだけだ」
✿
「…………」
赤い瞳が、そっと伏せられた。
ふわりと長い髪が舞い上がり、薄い着流しに包まれた少年の足が屋上の床を捉える。
心の奥底から響くような声がした。
聞こえてきたのは、歳下の親友の叫び声で。
ジオの心は大きく揺れていた。
彼は─ロータスは、馬鹿みたいにお人好しだ。
自分もそう言われるが、彼ほどでは決してない。
困っている人を見過ごせない。
必ず手を差し伸べる。
そしてそんな性格だから、人を見る目だけは育っている。
あの声は、『デイジーを助けて』と言っていた。
「…………っ」
心が軋む音がした。
だって、仕方ないじゃないか。
あいつらは、全てを奪った。
父も。
母も。
妹も。
故郷も。
仲間全てを。
復讐の何が悪い。
根絶やしにして何が悪い。
それだけのことをした。
相応の報いを受けるだけだろう。
なのに。
なのに……
『ジオも、リリーも、アルメリアも、いい人』
純粋で、曇りひとつない瞳が頭から離れない。
『ありがとう。それでいい』
可憐な花の名に綻んだ微笑みが忘れられない。
無垢な少女を徒に追い詰めて殺そうとしている自分こそが間違っているのではないかと、理性が叫んでいた。
「違う……違うだろ……っ」
これは、弔いのため。
無念の内に命を落とした同胞のためだ。
そう、思い込もうとしていた。
「………………」
きつく握られていた掌が、そっと解ける。
自分に怯える少女の顔が、絶望した幼い自分と重なったからだ。
そんな崇高な理由じゃなかった。
エゴだった。
八つ当たりだった。
歩み寄り、話し合う機会すら与えずに殺してしまうなら。
人間族と、何の変わりもない。
「……何を、やってるんだ、俺は」
瞳から赤が引いていく。
理性の色が、全てを取り戻す。
苦痛に歪む顔を伏せ、澄んだ空に背を向ける。
もう迷いは一切無かった。
どこかで、悪意に満ちた舌打ちが聞こえた。
✿
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
息を切らし、ふらつきながら、デイジーは螺旋階段を駆け上がり続けていた。
天から射し込む救いの光を目掛けて突き進む様は、鱗粉を撒きながらふわふわと飛び回る蝶のようだ。
そんな自虐じみた思考を現実逃避気味に広げつつ、少女の足はついに最後の段を踏み抜いた。
息を整えつつ、柵に手を掛け、遥か下の地面を見下ろした。
巨大な木の洞をぐるりと取り巻く螺旋階段、薄暗い世界を幻想的に灯す色とりどりのランタン。
そして、下の階でこちらを見上げている、黒い翼を生やした四人の少年少女。
ここは異世界なのだと改めて思い知らされる美しい光景であり、デイジーの心を更に締め付ける情景でもあった。
下から何か聞こえてくる。
四人が叫んでいる声だろう。
はっきりとは聞き取れないが、こちらの身を案じていることは分かる。
レアを直視できず、デイジーは顔を背けてしまった。
ここから身を投げれば。
彼らはきっと、この苦しみを忘れられる。
自分を助けてくれたあの五人は大好きだ。
だから、だからこそ。
これ以上、自分のことで苦しんで欲しくない。
柵を掴む手に力がこもる。
躊躇いは全て捨て去った。
恐怖の類の感情もとっくに吹き飛んだ。
「……さよなら」
ひらりと柵を飛び越えて、デイジーは遥か下界へと身を投じた。
……いや、投じようとした。
「……間に合った」
落ち着きのあるテノールが、やけに鮮明に届いてきた。
右腕を掴む手は、優しくて力強かった。
背後から抱きしめられるように柵から引き剥がされる。
長い赤髪がふわりと舞うのが見えた。
恐る恐る、デイジーは後ろを振り返る。
気まずそうな色を浮かべた黒い瞳と目が合った。
「……ジオ」
震え声が零れる。
少年は─ジオは、おずおずと手を離してくれた。
デイジーは驚いて動けない。
辛うじて、言葉を紡げた。
「どこ、から……来たの?」
ジオは無言で背後を指差す。
よく見れば、屋上のデッキに続く扉がある。
てっきり外に飛び出したものと思っていたが、まさか目指していた場所にいたとは。
「「……」」
納得は出来たが、言葉が続かない。
別れ方が最悪だったのもあり、お互い遠慮がちな雰囲気が流れている。
しばらくの沈黙の後、ようやく口火を切ったのはジオの方だった。
彼は目を伏せ、謝罪の言葉を口にした。
「……すまなかった。あれは、デイジーが悪い訳じゃない。冷静さを欠くと短絡的な行動に走るのは、俺の悪癖だ」
「………………」
何も言えなくなる。
謝られるなんて、思っていなかった。
そもそも止められるとも思っていなかったのに。
彼は、自分を排除したいと言っていたではないか。
ただでさえぐちゃぐちゃな思考が、更に乱される。
ただ一つ。
デイジーの瞳に強く映ったのは、罪悪感に満ちた少年の顔だけだった。
「突然あんなことを言われたら、混乱するのは当たり前だ。思い詰めてしまったんだろう。俺はもう、お前を責めようなんて思っていな……」
必死に語りかけていたジオの言葉が止まる。
その瞳は、あらんばかりに見開かれていた。
「……デイジー?」
銀髪の少女は、再び柵に手を掛けていた。
「お、おい、何して……」
戸惑いを隠せず狼狽えるジオに、デイジーは静かな口調で呟いた。
「……私がいたら、嫌でしょ?」
感情の消え失せた紅瞳が真っ直ぐ見つめてくる。
ジオははっとし、言葉を詰まらせた。
彼の瞳に敵意は無いが、未だ負の感情は拭えない。
分かっている。
彼の過去は、僅かな引き金で崩壊してしまう程に重い。
自分に心を許してくれたとしても、少なからず不安にはなる筈だ。
そしてそれは、ジオだけではない。
レアに向けられた恐怖の感情を、デイジーは忘れられない。
もう、遅いのだ。
真実を知ってなお厚顔無恥ではいられない。
これ以上、嫌われたくない。
今度は、すぐに身体が動いた。
デイジーは、今度こそ空中に身を踊らせた。
︎✿
死が近付いていく。
数人の悲鳴が、朦朧とした頭に響いてくる。
それにも一切の感情が動かない。
思考を完全に放棄したまま。
デイジーは静かに落ちていく。
走馬灯が駆け巡った。
五人が向けてくれた優しい笑顔が、ぼんやりと滲んでは消えていく。
僅かに、寂寥感が込み上げてきた。
別の種族としてこの世界に生まれて、普通に彼らと出会えていれば良かったのに。
そうしたら、誰も苦しまずに済んだのに。
叶わぬ願いだ。
どうしようもない妄想だ。
浮かび上がった後悔を無理矢理押し込め、引き伸ばされた時間の中でただ、少女は願う。
どうか、彼らに安寧を。
この世界で、安らかに生きていけますように。
そして、紅の瞳は閉じられた。
─刹那。
ひゅん、と、何かが頬を掠める。
驚いて思わず目が開いてしまった。
しっかりと視界に映る。
自分に向かって飛び込んでくる、赤い髪の少年の姿が。
「……?!」
何を、しているのだろう。
どうして彼まで飛び降りているのだろう。
強すぎる責任感故か。
どうして。
ジオを殺したくて飛び降りた訳ではないのに。
押し寄せる絶望に苛まれるデイジー。
…だが。
どうも違うらしい。
ジオの表情に浮かぶのは、純粋な決意だった。
デイジーの瞳が、全てを悟る。
曰く。
『助ける』と。
はっと目を見開いたと同時に、下から突然に風が吹き抜けた。
威力も去ることながら何故か包み込むように暖かいそれは、見事にデイジーの落下を減速させる。
ジオが近付いてくる。
伸びた手が、デイジーの手をしっかりと掴む。
ぐっとデイジーを引き寄せ、彼は背の翼をはためかせた。
バサッと勢いの良い音と共に、ふわりと身体が浮く感覚。
気付けばデイジーは、ジオの腕に捕らえられたまま空中にふわふわ浮いていた。
「……、……」
何が起きたのか分からず、ただ自分を抱き締めるジオを見上げることしかできない。
それでも、ジオは泣き出しそうな顔で微笑んでいた。
「殺さない。もう二度と。何があっても、俺達が守る。だから……もう一回、話をしよう」
細い腕は力強く、デイジーを離すものかとしがみついている。
「本当に……ごめんな、デイジー」
ぽたりと、頬に一粒の雫が落ちた。
それに、どう答えたのだろうか。
疲れが一気に押し寄せて、視界がどんどん狭まっていく。
でも、デイジーも彼の手を離すことはなかった。
地面にふわりと着地し、騒がしい歓声が聞こえる頃には、デイジーの意識はすっかり闇に落ちていた。
✿
デイジーが目を覚ますと、外はすっかり暗くなっていた。
小さく身動ぎすると、ベッドの横で椅子に腰掛けていたロータスが、はっと顔を上げた。
「デイジー!!目覚めたんだな?!」
慌てて立ち上がり、手を差し伸べてくれる。
近くにはリリーが持ってきた『紅血夜叉』が置いてあり、どうやらずっと見守ってくれていたらしい。
手を取り、何事もなく起き上がったデイジーを見て、彼は涙を覗かせながらも心の底から笑ってくれた。
「良かった……本当に、良かった」
思わずつられて泣きそうになって、誤魔化すようにぎゅっと手を握り返した。
ロータスは皆を呼んでくると言って一度席を立った。
戻ってくると、その後ろからぞろぞろと仲間達が入室してくる。
「……デイジー!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、ずっと怯えた顔をしていたレアだった。
彼女はデイジーの腰掛けるベッドに近付くと、じっとデイジーを見つめた。
赤と紅が交わる。
何となく気まずくて遠慮がちに俯くデイジーに、レアはゆっくりと身を寄せる。
そして、ぎゅっと抱き着いてきた。
「……?!」
硬直するデイジー。
だが、しばらくして異変に気付いた。
「……ご、めん…………ごめん、なさい……っ」
レアがぼろぼろに泣いていたのだ。
ひしひしと、彼女の声から強い後悔と罪悪感が伝わる。
デイジーがはっとすると、レアは途切れ途切れながらに言葉を紡ぎ始めた。
「わ、私、自分のことしか、考えてなくて……怖かったの、デイジーも、なのに……私のせいで、デイジーが……ごめん、なさい……」
彼女から、すっかり恐怖は消えていた。
ロータスに視線を向けると、彼はふいっと目を逸らす。
「……まさか、こんなに落ち込むと思わなくて」
恐らく、彼は善意で言ったのだろう。
『レアは、ありがとうって、言ってくれた』
デイジーが走り去る直前に残した、この一言を。
レアに対して、デイジーは何の悪感情も抱いていないと伝えたくて。
だが、それを聞いたレアはロータスの想像とは全く異なる想像をしてしまった。
レアの態度が、デイジーを自殺へ追い込んでしまったのだ、と。
「レアが泣いたの、俺は初めて見たよ。デイジーのこと、恨んではいないだろうね」
感情の乏しい少女が初めて涙を見せた。
それほど、自分に入れ込んでくれていた。
その事実が嬉しくて、嬉しくて。
今度こそ、デイジーの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
小さな身体を抱き締め返す。
何も言えなかった。
それでも、きっと伝わっただろう。
二人が泣き止むと、アイリスがとことこと寄ってきた。
「仲直り、できたんだね……よかった」
優しいこの少女は、戸惑っていただけで、デイジーに負の感情を向けたことは一度もなかった。
心の底から嬉しそうな顔で、デイジーも安堵した。
更にアイリスは、デイジーとレアに温かい飲み物が入った木製のカップを手渡してくれる。
一口飲むと、じんわりと心身が解ける甘さが広がる。
蜂蜜のようなものが入ったホットミルクだ。
レアがぽつりと呟く。
「……ちゃんと、甘さ控えめなのね」
「うぅ……だって、ロータスがだめって言ったんだもん……」
「逆に気分悪くなりそうだからなぁ……」
掛け合いはすっかり元の雰囲気に戻っていた。
場が和み始めたところで、後ろで見守っていたジオとリリーも歩み寄ってきた。
「おはよ~。気分はどう?」
図書館を出て以降ずっと張り詰めていたリリーの表情はすっかり柔らかくなっていた。
こくりと頷くと、リリーは少し意地悪な笑みを浮かべてジオを肘で小突く。
「ごめんねぇ、ジオが迷惑かけて。ちょっと暴走すると止めるの大変なんだよね~」
「わ、悪かったって言ってるだろ……!」
気まずそうに目を逸らすジオ。
目は合わなくても、ひしひしと罪悪感が伝わってくる。
殺されかけたとはいえ、彼が本当にいい人なのは十分伝わった。
憎んでいる種族の少女を、迷いながらも救ってくれたのだから。
今ではすっかり刺々しい感情も消えている。
それは嬉しくもあるが、それ以上に居た堪れなかった。
小さく息をつく。
意を決して、デイジーは唇を開いた。
「……ジオ」
「ん、何だ?」
優しい瞳が向けられるが、若干視線が逸れている。
真っ直ぐ目が見れないらしい。
大胆な言動に反して繊細なところもあるようだ。
緊張が少しだけ解れた。
「私、どうしたらいい?」
おかげで、ずっと心に留まっていた疑問がすんなりと声になった。
五人はふと顔を見合わせる。
数秒の間の後、ジオが静かに頷いた。
不安げに俯くデイジーの下へ静かに近寄ってくる。
彼は今度はしっかりと目を覗き込み、穏やかな声で言葉を紡いだ。
「もし、良かったら……俺達の仲間になってくれないか?」
「…………!」
デイジーの紅の瞳が見開かれた。
驚く彼女は、呆然とジオを見つめる。
「……いい、の?」
彼は薄く微笑んで続けた。
「記憶が戻らない以上、お前を罪人として扱うわけにはいかないし……何より、デイジーは無害だと満場一致で結論がついた。何でも屋の仕事でもデイジーの能力は役に立つし、種族さえ伏せておけば、生活は俺達が保証するよ。元の世界に戻すにも、情報と手段が足りないからな」
…まさか、本当に受け入れてもらえるなんて。
デイジーは戸惑い、レアをちらりと見た。
デイジーと同じく赤い瞳を泣き腫らして更に赤くしている彼女は、はにかむように微笑む。
「一緒にいたいって、思ったから……デイジーが仲間になってくれるなら、嬉しい」
言ったが早いが、照れたのか恥ずかしそうに近くにいたロータスの後ろに隠れてしまう。
ロータスは苦笑いしつつも、どこか嬉しそうにレアを撫で、こちらを優しく見つめた。
「まぁ、俺は元々賛成だったしね。デイジーはいい子だし、一緒に働いてくれるなら嬉しいな」
相変わらず、真っ直ぐで誠実な言葉をくれる人だ。
本心の一言だとデイジーの瞳が見抜くから、つい照れてそっぽを向いてしまう。
ロータスが少し傷ついた顔をした。
ふと、アイリスと視線が合う。
「……あ、え、えっと……」
彼女は突然挙動不審になり、おろおろしながらロータスの背後に隠れてしまった。
二人にしがみつかれたロータスは何とも言えない顔をしている。
しかし、話が進まないと察してかアイリスを追い出してくれた。
「ほら、言いたいことあるなら堂々と言いなさい」
「……うぅ」
ロータスの台詞は尤もである。
アイリスも分かっているのか、反論はせずに素直に従う。
おどおどとしたまま、彼女は小さな声で呟いた。
「そ、その……私は、皆、幸せになって欲しくて……それは、デイジーもだから……えっと、その……一緒にいれたら、すごく、嬉しいな、って……」
口下手な少女は、それだけ言うとすぐにロータスの後ろへ戻ってしまう。
自分の意見を伝えるのは苦手なようだ。
リリーがくすっと笑ったのが聞こえた。
「アイリスはアイリスだねぇ。まぁ、そういうことだよ」
リリーはデイジーに近寄り、優しい笑顔を浮かべる。
「デイジーが何者であれ、ボク達はちゃんとデイジーのことを受け入れる。だから、気に病まなくていい。返事、聞かせてくれる?」
あれだけふざけていた人物とは思えない、真摯な声色だった。
心の奥がじわりと暖かく滲む感覚。
デイジーの唇が小さく綻び、花の蕾が解けるような微笑が浮かんだ。
「「「「「……!」」」」」
五人がぽかんとデイジーを見ている。
どこか間の抜けた表情が何だか可笑しくて。
くすくす笑いながら、紅の瞳は、それでも五人の仲間達をしっかりと見据えていた。
「私で、いいなら……よろしくお願いします」
少したどたどしい台詞は、仲間達の歓声と共に、暖かい風に運ばれて消えて行った。
「…………え、?」
ぽつりと呟いた一言に、ロータスは呆然と顔を上げた。
その言葉は、紛れもなく目の前の少女の、デイジーの声だった。
けれど、あまりに唐突で、乾いた、感情の無い台詞で。
頭に入って来なかった。
何を言っているのか分からなかった。
「……デイ、ジー……?」
様子がおかしいのは明らかだった。
何とか体を動かして、手を伸ばそうとして。
…でも。
心の、奥底で。
その言葉を否定出来ない自分がいて。
その躊躇いを、真実を見通す彼女の目は見抜いていた。
何の前触れもなく立ち上がったデイジーは、華奢な見た目に似合わないスピードでロータスの前を駆け抜けていった。
「……っ!!!」
はっとする。
慌てて飛び出し視線を動かすと、一心不乱に階段を上る銀髪の少女を捉えることが出来た。
「デイジー!!待って!!」
ロータスも駆け出そうとするが、
「来ないで!!!」
…その必死の叫び声に動きを止められた。
小さな手が、柵を掴んでいた。
追いかけようとすれば、そのまま飛び降りてしまうだろう。
脆い人間の身体では、この高さからでも助からないだろう。
ロータスは、ようやく悟った。
デイジーの心は、とっくにぼろぼろだったのだ。
見知らぬ土地で未知に振り回され、束の間の平穏を与えられ、叩き落とされる。
絶望したのは彼女も同じだ。
『自殺』という手段が頭から離れなくなるくらいに、追い詰めてしまった。
紅い瞳が、じっとこちらを見つめている。
やがて、その瞳から光るものが落ちた。
「ありがとう、ロータス」
優しい泣き笑いを最後に、彼女は振り返らず行ってしまった。
その途端、全身に焦燥が走る。
止めなきゃ。
止めなくては。
このまま走って止める?
いや、そうすれば彼女は身を投げてしまう。
どうしようもない。
だが、きっと彼女は一番上まで駆け上って飛び降りるつもりだろう。
早く、早くしないと…
「…………?」
ふと、頭に過ぎることがあった。
「一番、上……」
ジオは今、どこにいる?
彼の行動パターンから考えれば、確か。
『落ち着きたい時は、ここにいるんだ』
そう、微笑みながら言っていた筈だ。
「……!!」
ロータスは身体を反転させ、転ばんばかりの速度で駆け出した。
彼女の前にジオに追いつくには。
階下に、その答えはある。
︎✿
「ジオと繋いでくれ!!」
衝撃に呑まれた三人を現実に引き戻したのは、ロータスのその声だった。
彼のぎらぎらと光る蒼い目を見て、リリーはぐっと唇を噛み締めて頷いた。
リリーはロータスに駆け寄り、眼鏡を外す。
「上だよね?」
「多分、そう」
端的に言葉を交わし、二人は目を閉じた。
次の瞬間、蒼と薄翠の光が二人の身体から吹き出した。
それはなじむように交わり、海の中にいるような幻想的な色で部屋を包み込む。
リリーがロータスの額に触れると、彼は緊張の滲む声を張り上げた。
「ジオ、聞こえるか?!デイジーが上に向かってる!!飛び降りるつもりだ!!頼む、止めて─」
ふと、言葉が止まり、ロータスは膝から崩れ落ちた。
光が消え、アイリスが駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫?!」
「……っ、あ、あぁ……やっぱり、長続きはしないな……」
アイリスに支えられ、汗だくになりながら顔を上げたロータスは、リリーに顔を向けた。
「……大丈夫かな、ジオ……」
「大丈夫だよ」
リリーは眼鏡を掛け直し、ロータスの肩を叩いて天井を見上げる。
「ボク達にできるのは、信じることだけだ」
✿
「…………」
赤い瞳が、そっと伏せられた。
ふわりと長い髪が舞い上がり、薄い着流しに包まれた少年の足が屋上の床を捉える。
心の奥底から響くような声がした。
聞こえてきたのは、歳下の親友の叫び声で。
ジオの心は大きく揺れていた。
彼は─ロータスは、馬鹿みたいにお人好しだ。
自分もそう言われるが、彼ほどでは決してない。
困っている人を見過ごせない。
必ず手を差し伸べる。
そしてそんな性格だから、人を見る目だけは育っている。
あの声は、『デイジーを助けて』と言っていた。
「…………っ」
心が軋む音がした。
だって、仕方ないじゃないか。
あいつらは、全てを奪った。
父も。
母も。
妹も。
故郷も。
仲間全てを。
復讐の何が悪い。
根絶やしにして何が悪い。
それだけのことをした。
相応の報いを受けるだけだろう。
なのに。
なのに……
『ジオも、リリーも、アルメリアも、いい人』
純粋で、曇りひとつない瞳が頭から離れない。
『ありがとう。それでいい』
可憐な花の名に綻んだ微笑みが忘れられない。
無垢な少女を徒に追い詰めて殺そうとしている自分こそが間違っているのではないかと、理性が叫んでいた。
「違う……違うだろ……っ」
これは、弔いのため。
無念の内に命を落とした同胞のためだ。
そう、思い込もうとしていた。
「………………」
きつく握られていた掌が、そっと解ける。
自分に怯える少女の顔が、絶望した幼い自分と重なったからだ。
そんな崇高な理由じゃなかった。
エゴだった。
八つ当たりだった。
歩み寄り、話し合う機会すら与えずに殺してしまうなら。
人間族と、何の変わりもない。
「……何を、やってるんだ、俺は」
瞳から赤が引いていく。
理性の色が、全てを取り戻す。
苦痛に歪む顔を伏せ、澄んだ空に背を向ける。
もう迷いは一切無かった。
どこかで、悪意に満ちた舌打ちが聞こえた。
✿
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
息を切らし、ふらつきながら、デイジーは螺旋階段を駆け上がり続けていた。
天から射し込む救いの光を目掛けて突き進む様は、鱗粉を撒きながらふわふわと飛び回る蝶のようだ。
そんな自虐じみた思考を現実逃避気味に広げつつ、少女の足はついに最後の段を踏み抜いた。
息を整えつつ、柵に手を掛け、遥か下の地面を見下ろした。
巨大な木の洞をぐるりと取り巻く螺旋階段、薄暗い世界を幻想的に灯す色とりどりのランタン。
そして、下の階でこちらを見上げている、黒い翼を生やした四人の少年少女。
ここは異世界なのだと改めて思い知らされる美しい光景であり、デイジーの心を更に締め付ける情景でもあった。
下から何か聞こえてくる。
四人が叫んでいる声だろう。
はっきりとは聞き取れないが、こちらの身を案じていることは分かる。
レアを直視できず、デイジーは顔を背けてしまった。
ここから身を投げれば。
彼らはきっと、この苦しみを忘れられる。
自分を助けてくれたあの五人は大好きだ。
だから、だからこそ。
これ以上、自分のことで苦しんで欲しくない。
柵を掴む手に力がこもる。
躊躇いは全て捨て去った。
恐怖の類の感情もとっくに吹き飛んだ。
「……さよなら」
ひらりと柵を飛び越えて、デイジーは遥か下界へと身を投じた。
……いや、投じようとした。
「……間に合った」
落ち着きのあるテノールが、やけに鮮明に届いてきた。
右腕を掴む手は、優しくて力強かった。
背後から抱きしめられるように柵から引き剥がされる。
長い赤髪がふわりと舞うのが見えた。
恐る恐る、デイジーは後ろを振り返る。
気まずそうな色を浮かべた黒い瞳と目が合った。
「……ジオ」
震え声が零れる。
少年は─ジオは、おずおずと手を離してくれた。
デイジーは驚いて動けない。
辛うじて、言葉を紡げた。
「どこ、から……来たの?」
ジオは無言で背後を指差す。
よく見れば、屋上のデッキに続く扉がある。
てっきり外に飛び出したものと思っていたが、まさか目指していた場所にいたとは。
「「……」」
納得は出来たが、言葉が続かない。
別れ方が最悪だったのもあり、お互い遠慮がちな雰囲気が流れている。
しばらくの沈黙の後、ようやく口火を切ったのはジオの方だった。
彼は目を伏せ、謝罪の言葉を口にした。
「……すまなかった。あれは、デイジーが悪い訳じゃない。冷静さを欠くと短絡的な行動に走るのは、俺の悪癖だ」
「………………」
何も言えなくなる。
謝られるなんて、思っていなかった。
そもそも止められるとも思っていなかったのに。
彼は、自分を排除したいと言っていたではないか。
ただでさえぐちゃぐちゃな思考が、更に乱される。
ただ一つ。
デイジーの瞳に強く映ったのは、罪悪感に満ちた少年の顔だけだった。
「突然あんなことを言われたら、混乱するのは当たり前だ。思い詰めてしまったんだろう。俺はもう、お前を責めようなんて思っていな……」
必死に語りかけていたジオの言葉が止まる。
その瞳は、あらんばかりに見開かれていた。
「……デイジー?」
銀髪の少女は、再び柵に手を掛けていた。
「お、おい、何して……」
戸惑いを隠せず狼狽えるジオに、デイジーは静かな口調で呟いた。
「……私がいたら、嫌でしょ?」
感情の消え失せた紅瞳が真っ直ぐ見つめてくる。
ジオははっとし、言葉を詰まらせた。
彼の瞳に敵意は無いが、未だ負の感情は拭えない。
分かっている。
彼の過去は、僅かな引き金で崩壊してしまう程に重い。
自分に心を許してくれたとしても、少なからず不安にはなる筈だ。
そしてそれは、ジオだけではない。
レアに向けられた恐怖の感情を、デイジーは忘れられない。
もう、遅いのだ。
真実を知ってなお厚顔無恥ではいられない。
これ以上、嫌われたくない。
今度は、すぐに身体が動いた。
デイジーは、今度こそ空中に身を踊らせた。
︎✿
死が近付いていく。
数人の悲鳴が、朦朧とした頭に響いてくる。
それにも一切の感情が動かない。
思考を完全に放棄したまま。
デイジーは静かに落ちていく。
走馬灯が駆け巡った。
五人が向けてくれた優しい笑顔が、ぼんやりと滲んでは消えていく。
僅かに、寂寥感が込み上げてきた。
別の種族としてこの世界に生まれて、普通に彼らと出会えていれば良かったのに。
そうしたら、誰も苦しまずに済んだのに。
叶わぬ願いだ。
どうしようもない妄想だ。
浮かび上がった後悔を無理矢理押し込め、引き伸ばされた時間の中でただ、少女は願う。
どうか、彼らに安寧を。
この世界で、安らかに生きていけますように。
そして、紅の瞳は閉じられた。
─刹那。
ひゅん、と、何かが頬を掠める。
驚いて思わず目が開いてしまった。
しっかりと視界に映る。
自分に向かって飛び込んでくる、赤い髪の少年の姿が。
「……?!」
何を、しているのだろう。
どうして彼まで飛び降りているのだろう。
強すぎる責任感故か。
どうして。
ジオを殺したくて飛び降りた訳ではないのに。
押し寄せる絶望に苛まれるデイジー。
…だが。
どうも違うらしい。
ジオの表情に浮かぶのは、純粋な決意だった。
デイジーの瞳が、全てを悟る。
曰く。
『助ける』と。
はっと目を見開いたと同時に、下から突然に風が吹き抜けた。
威力も去ることながら何故か包み込むように暖かいそれは、見事にデイジーの落下を減速させる。
ジオが近付いてくる。
伸びた手が、デイジーの手をしっかりと掴む。
ぐっとデイジーを引き寄せ、彼は背の翼をはためかせた。
バサッと勢いの良い音と共に、ふわりと身体が浮く感覚。
気付けばデイジーは、ジオの腕に捕らえられたまま空中にふわふわ浮いていた。
「……、……」
何が起きたのか分からず、ただ自分を抱き締めるジオを見上げることしかできない。
それでも、ジオは泣き出しそうな顔で微笑んでいた。
「殺さない。もう二度と。何があっても、俺達が守る。だから……もう一回、話をしよう」
細い腕は力強く、デイジーを離すものかとしがみついている。
「本当に……ごめんな、デイジー」
ぽたりと、頬に一粒の雫が落ちた。
それに、どう答えたのだろうか。
疲れが一気に押し寄せて、視界がどんどん狭まっていく。
でも、デイジーも彼の手を離すことはなかった。
地面にふわりと着地し、騒がしい歓声が聞こえる頃には、デイジーの意識はすっかり闇に落ちていた。
✿
デイジーが目を覚ますと、外はすっかり暗くなっていた。
小さく身動ぎすると、ベッドの横で椅子に腰掛けていたロータスが、はっと顔を上げた。
「デイジー!!目覚めたんだな?!」
慌てて立ち上がり、手を差し伸べてくれる。
近くにはリリーが持ってきた『紅血夜叉』が置いてあり、どうやらずっと見守ってくれていたらしい。
手を取り、何事もなく起き上がったデイジーを見て、彼は涙を覗かせながらも心の底から笑ってくれた。
「良かった……本当に、良かった」
思わずつられて泣きそうになって、誤魔化すようにぎゅっと手を握り返した。
ロータスは皆を呼んでくると言って一度席を立った。
戻ってくると、その後ろからぞろぞろと仲間達が入室してくる。
「……デイジー!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、ずっと怯えた顔をしていたレアだった。
彼女はデイジーの腰掛けるベッドに近付くと、じっとデイジーを見つめた。
赤と紅が交わる。
何となく気まずくて遠慮がちに俯くデイジーに、レアはゆっくりと身を寄せる。
そして、ぎゅっと抱き着いてきた。
「……?!」
硬直するデイジー。
だが、しばらくして異変に気付いた。
「……ご、めん…………ごめん、なさい……っ」
レアがぼろぼろに泣いていたのだ。
ひしひしと、彼女の声から強い後悔と罪悪感が伝わる。
デイジーがはっとすると、レアは途切れ途切れながらに言葉を紡ぎ始めた。
「わ、私、自分のことしか、考えてなくて……怖かったの、デイジーも、なのに……私のせいで、デイジーが……ごめん、なさい……」
彼女から、すっかり恐怖は消えていた。
ロータスに視線を向けると、彼はふいっと目を逸らす。
「……まさか、こんなに落ち込むと思わなくて」
恐らく、彼は善意で言ったのだろう。
『レアは、ありがとうって、言ってくれた』
デイジーが走り去る直前に残した、この一言を。
レアに対して、デイジーは何の悪感情も抱いていないと伝えたくて。
だが、それを聞いたレアはロータスの想像とは全く異なる想像をしてしまった。
レアの態度が、デイジーを自殺へ追い込んでしまったのだ、と。
「レアが泣いたの、俺は初めて見たよ。デイジーのこと、恨んではいないだろうね」
感情の乏しい少女が初めて涙を見せた。
それほど、自分に入れ込んでくれていた。
その事実が嬉しくて、嬉しくて。
今度こそ、デイジーの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
小さな身体を抱き締め返す。
何も言えなかった。
それでも、きっと伝わっただろう。
二人が泣き止むと、アイリスがとことこと寄ってきた。
「仲直り、できたんだね……よかった」
優しいこの少女は、戸惑っていただけで、デイジーに負の感情を向けたことは一度もなかった。
心の底から嬉しそうな顔で、デイジーも安堵した。
更にアイリスは、デイジーとレアに温かい飲み物が入った木製のカップを手渡してくれる。
一口飲むと、じんわりと心身が解ける甘さが広がる。
蜂蜜のようなものが入ったホットミルクだ。
レアがぽつりと呟く。
「……ちゃんと、甘さ控えめなのね」
「うぅ……だって、ロータスがだめって言ったんだもん……」
「逆に気分悪くなりそうだからなぁ……」
掛け合いはすっかり元の雰囲気に戻っていた。
場が和み始めたところで、後ろで見守っていたジオとリリーも歩み寄ってきた。
「おはよ~。気分はどう?」
図書館を出て以降ずっと張り詰めていたリリーの表情はすっかり柔らかくなっていた。
こくりと頷くと、リリーは少し意地悪な笑みを浮かべてジオを肘で小突く。
「ごめんねぇ、ジオが迷惑かけて。ちょっと暴走すると止めるの大変なんだよね~」
「わ、悪かったって言ってるだろ……!」
気まずそうに目を逸らすジオ。
目は合わなくても、ひしひしと罪悪感が伝わってくる。
殺されかけたとはいえ、彼が本当にいい人なのは十分伝わった。
憎んでいる種族の少女を、迷いながらも救ってくれたのだから。
今ではすっかり刺々しい感情も消えている。
それは嬉しくもあるが、それ以上に居た堪れなかった。
小さく息をつく。
意を決して、デイジーは唇を開いた。
「……ジオ」
「ん、何だ?」
優しい瞳が向けられるが、若干視線が逸れている。
真っ直ぐ目が見れないらしい。
大胆な言動に反して繊細なところもあるようだ。
緊張が少しだけ解れた。
「私、どうしたらいい?」
おかげで、ずっと心に留まっていた疑問がすんなりと声になった。
五人はふと顔を見合わせる。
数秒の間の後、ジオが静かに頷いた。
不安げに俯くデイジーの下へ静かに近寄ってくる。
彼は今度はしっかりと目を覗き込み、穏やかな声で言葉を紡いだ。
「もし、良かったら……俺達の仲間になってくれないか?」
「…………!」
デイジーの紅の瞳が見開かれた。
驚く彼女は、呆然とジオを見つめる。
「……いい、の?」
彼は薄く微笑んで続けた。
「記憶が戻らない以上、お前を罪人として扱うわけにはいかないし……何より、デイジーは無害だと満場一致で結論がついた。何でも屋の仕事でもデイジーの能力は役に立つし、種族さえ伏せておけば、生活は俺達が保証するよ。元の世界に戻すにも、情報と手段が足りないからな」
…まさか、本当に受け入れてもらえるなんて。
デイジーは戸惑い、レアをちらりと見た。
デイジーと同じく赤い瞳を泣き腫らして更に赤くしている彼女は、はにかむように微笑む。
「一緒にいたいって、思ったから……デイジーが仲間になってくれるなら、嬉しい」
言ったが早いが、照れたのか恥ずかしそうに近くにいたロータスの後ろに隠れてしまう。
ロータスは苦笑いしつつも、どこか嬉しそうにレアを撫で、こちらを優しく見つめた。
「まぁ、俺は元々賛成だったしね。デイジーはいい子だし、一緒に働いてくれるなら嬉しいな」
相変わらず、真っ直ぐで誠実な言葉をくれる人だ。
本心の一言だとデイジーの瞳が見抜くから、つい照れてそっぽを向いてしまう。
ロータスが少し傷ついた顔をした。
ふと、アイリスと視線が合う。
「……あ、え、えっと……」
彼女は突然挙動不審になり、おろおろしながらロータスの背後に隠れてしまった。
二人にしがみつかれたロータスは何とも言えない顔をしている。
しかし、話が進まないと察してかアイリスを追い出してくれた。
「ほら、言いたいことあるなら堂々と言いなさい」
「……うぅ」
ロータスの台詞は尤もである。
アイリスも分かっているのか、反論はせずに素直に従う。
おどおどとしたまま、彼女は小さな声で呟いた。
「そ、その……私は、皆、幸せになって欲しくて……それは、デイジーもだから……えっと、その……一緒にいれたら、すごく、嬉しいな、って……」
口下手な少女は、それだけ言うとすぐにロータスの後ろへ戻ってしまう。
自分の意見を伝えるのは苦手なようだ。
リリーがくすっと笑ったのが聞こえた。
「アイリスはアイリスだねぇ。まぁ、そういうことだよ」
リリーはデイジーに近寄り、優しい笑顔を浮かべる。
「デイジーが何者であれ、ボク達はちゃんとデイジーのことを受け入れる。だから、気に病まなくていい。返事、聞かせてくれる?」
あれだけふざけていた人物とは思えない、真摯な声色だった。
心の奥がじわりと暖かく滲む感覚。
デイジーの唇が小さく綻び、花の蕾が解けるような微笑が浮かんだ。
「「「「「……!」」」」」
五人がぽかんとデイジーを見ている。
どこか間の抜けた表情が何だか可笑しくて。
くすくす笑いながら、紅の瞳は、それでも五人の仲間達をしっかりと見据えていた。
「私で、いいなら……よろしくお願いします」
少したどたどしい台詞は、仲間達の歓声と共に、暖かい風に運ばれて消えて行った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる