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森火戦争編
雷花の巫女(3)
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結論から言うと。
全員、全快した。
︎✿
「いやぁ、ものすごい音が聞こえてきた時は何事かと思ったけど、やっぱ君たちはすごいね~」
笑いながらそんなことを言うのは、治療を担当してくれた天使族の青年─マローである。
デイジーが最初に運び込まれた時に見守ってくれていたあの青年だ。
顔面蒼白で治癒院に飛び込んだデイジーを見てすぐに動いてくれた職員達は、事務所まで赴いて彼らを治療してくれたのだが…
デイジーと治癒院の人々が戻った時点で、全員けろっとしていた。
アイリスは涙目だったが普通に起き上がっていたし、リリーとロータスは逆にいなくなったデイジーを心配していたし、レアに至ってはデイジー同様治癒院に赴こうとしていた。
そして、ジオは普通に起きていた。
あれだけの大怪我だったのに、治される前にもう完治していた。
破けた服や血の痕はそのままだったので、怪我をしていたのは見間違いではなかったようだが。
結論、デイジーが一番気疲れしていた。
「あはは、びっくりしたよねぇ」
治癒のルーナによりすっかり元気になったリリーは、からからと笑って説明してくれる。
「悪魔族は体丈夫なんだよ。戦闘に有利なステルラ持ちも多くて、ボク達みたいな非戦闘員でも、これくらいじゃ大事にはならないんだ」
中でもリリーは咄嗟にソファーを盾代わりにしていたようで、怪我も擦り傷程度の軽傷だった。
直後に起き上がれなかったのは、余波の電流で痺れていたかららしい。
「だから、デイジーがいなかったことの方が驚いたよ。まさか消し飛んだんじゃないかってぞっとしちゃった」
デイジーも冷静でなかったのは確かだ。
もう少し確かめてから行動すれば良かった。
僅かに肩を落とすデイジーを見て、リリーは苦笑いを向ける。
「そんな顔しないの~。すぐに天使族を頼りに行ったデイジーの行動は最適解だよ。素早く動いてくれて、ボク達も感謝してる。落ち込む必要ないからね?」
えらいえらい、と頭を撫でられる。
子供扱いされている気はするが、悪い気はしない。
リリーに撫で回されつつ、ジオの方に視線を遣る。
彼は、既に新しい服に着替えて治癒院職員に事情を説明していた。
デイジーの視線に気付くと、すぐにこちらに向かって来てくれる。
「悪い、混乱させたな。怪我はなかったんだよな?」
「……うん。ジオのおかげ」
彼が身を呈してくれていなかったら、デイジーはどうなっていたか分からない。
リリーの言葉通り、消し炭になっていた可能性もある。
また、助けられてしまった。
複雑な気持ちを抱えつつ、素直に感謝は伝えておく。
「助けてくれて、ありがとう」
「……ん」
ジオは驚いたような顔をし、そして薄く微笑む。
「俺の役割だ。気にしなくていい」
「めっちゃ気障……」
「何か言ったかリリー?」
「何でもないで~す!!!!」
そんなジオに嫌味を言い威圧されるリリー。
このやり取りはいつものことなのだろう。
だんだん慣れてきたデイジーは、彼らから視線を外し、部屋の奥へ目を遣る。
…本当はジオのことや悪魔族のことについてもっと聞きたいのだが、今は後回しにすべきだろう。
部屋の奥─この事故で散らかった応接スペースの奥にある事務室─にいるのは、この惨状を引き起こした件の少女である。
彼女はあれから茫然自失で、ロータスとアイリスが傍について慰めているが、座り込んだまま動かない。
能力の行使には体力や気力も消費するので、あの規模の爆発を起こしたとなると相当に負担は溜まっている筈だが、ロータスに促されても横になろうとはしない。
ただ、その瞳からぽろぽろと涙が零れていた。
親身になってくれた人を傷つける痛みは、デイジーだってよく知っている。
ショックを受けてしまったのは仕方の無いことだろう。
ただ今は、彼女を立ち直らせる前にやるべきことがある。
まだ、謎は何も解けていないのだから。
︎✿
デイジーが三人の方へ近寄ると、治療を終えたレアもやって来た。
彼女はサニーの様子に痛ましげな顔をしつつも、デイジーへ話しかけてくる。
「街での騒ぎと、あの暴走は、理由がある。デイジーも、そう思ってる?」
デイジーはこくりと頷く。
紅い瞳が見つめるのは、レアが布に包んで手に持っている、あの虹色の花だった。
「これ……何か、知ってる?」
「いえ、私は知らない。でも、ジオかリリーなら分かるんじゃないかしら」
レアがちらりとデイジーの背後に視線を向ける。
ジオとリリーもこちらにやって来ていた。
「その花について聞きたいんだよね?」
リリーは説明するまでもなくデイジーの意思を理解している。
頷いて肯定すると、話し始めたのはジオだった。
「それは、セフィリアだ。この国で最も貴重な花で、その存在は一般には知らされていない」
「……セフィリア?」
何だか聞き覚えのある響きだ。
どうやらリリーは詳しく知らないようだが、その名前を聞くとはっと顔を上げる。
「セフィリア……セフィロトの花。もしかして、聖樹の花?」
「流石だな」
一を聞けば百を理解してしまうリリーに、ジオも思わず苦笑を零した。
「リリーが言ったように、セフィリアは『セフィロトの花』という意味だ。セフィロトは、国名にもなっているように、この国の中心である聖樹の別名。即ちこれは、聖樹が咲かせる花ということになる」
デイジーは、思わず窓の外へ目を向けていた。
麓の聖都からではその全貌を見ることはできないほど巨大な樹。
そして、そこには国民の大多数が信奉するミリシア神が棲んでいる。
「聖樹はミリシアの権能と結びついていて、葉を落とすこともなければ枯れることもない永久不変の樹と言われている。そして、普通なら花も咲かないんだ」
「じゃあ、これは?」
不思議そうに首を傾げるレアに優しい目を向けて、ジオは話を進める。
「実は、例外的に花が咲くことがあるそうなんだ。俺も咲いているところまでは見たことなくて、それこそ何十年に一回の話らしいんだが……ごく稀に、ミリシアの神としての力が必要以上に高まってしまうことがあるらしい。その時に、余分な神力が聖樹に流れて、花の形で咲く。それがセフィリアなんだと」
それを聞いてレアは一気に体を硬くした。
「じ、じゃあ、これって、ミリシア様の力の欠片ってこと……?!」
セフィリアを持つ手があからさまに震えている。
そこまで神聖な所以を持つものだとは思いもしていなかったのだろう。
リリーも何だか目を輝かせている。
「うわぁ、神話みたいな話!!まだまだ知らないこともいっぱいあるなぁ~」
知識欲の強いリリーは浮かれ気味だが、しかし気になるところはしっかりと指摘してくる。
「……でも、一般に知られてない。こういう話なら、それこそ神話とか、おとぎ話で伝わってても不思議じゃないと思うけど」
「そうだな。それだけ、この花は特別なんだ」
ジオは僅かに苦い顔をし、セフィリアを見つめる。
「さっきも言ったが、これはミリシアの力の一片。ただ綺麗な花というだけじゃなく、莫大な神力が篭っている。なら、ミリシアの能力を分け与えられた者がそれを手にしたら、どうなると思う?」
「……あ」
そこで、リリーの顔色が変わった。
「神族でさえ扱いきれなかったエネルギーを受け取ったら……間違いなく制御は追いつかない」
「「……!!」」
そこで、レアとデイジーも腑に落ちる。
そう、これは、つまり…
「……ミリシア様の能力を借り受けている神花が手にしたら、その能力の制御を失う」
「神花を、暴走させられる……」
その言葉を聞いて、ジオは重々しく頷いた。
「それどころか、俺達みたいな信徒の能力も向上させる効果がある。殺傷性のある能力……魔術なんかを持ってるやつがこれを手にしたら、今回みたいな大惨事になる。だから、情報が秘匿されてるんだ」
「そういうことか……」
リリーが難しい顔で腕を組む。
眼鏡の奥の新緑の瞳は鋭い。
「サニーちゃんが暴走した理由と仕組みは分かった。でも、分からないことはまだたくさんある。まず、どうやってサニーちゃんがこれを手に入れたか。何でわざわざ手元に置いてたのか。そもそも、セフィリアってどこに置いてあるわけ?」
「あー、そうだな……」
ジオは指折り数えながら説明してくれる。
「俺が知ってるのは三つだ。まず、聖樹の中の神殿に一つ。これが持ち出されることはまず有り得ない。厳重な管理下にある筈だし、そんなことになれば俺のところに通達が来てるはずだ。で、聖樹下の教会学校の地下室に一つ。これも先生が管理してるから、何かあれば連絡が来てるはず。となると、あともう一つ……」
そこで、ジオが目を細めた。
纏う雰囲気が剣呑になっていく。
「……隣だ。隣の治癒院。そこが、三つ目の保管場所」
「「「!!!」」」
思わず顔を見合わせる四人。
リリーが素っ頓狂な声を上げた。
「隣ぃ?!そんな近くにあったの?!」
「……ああ、そうだった筈だ。現状、そこから持ち出された可能性が一番高いと思う」
「で、でも、何で治癒院に?」
「万が一の為……だろうな。天使族の治癒の精度にも個人差はある。治癒のルーナの効果を激上させて、本来は不可能な治療を可能にする……その為の措置だと思う」
リリーとレアの疑問に鋭い考察を返したジオだが、その表情は険しいままだ。
「とは言え、冷静になれば、かなりリスクの高い場所にあったことになる。セフィリアの所在と、保管方法についてはすぐ聞きに行こう」
「……そうだね。でも、その前に一個だけ」
今にも動き出しそうだったジオを、リリーが制止する。
いつもの飄々とした色はなく、真剣で理知に富んだ瞳がデイジーを見つめた。
「セフィリアを真っ先に見つけたのは、デイジーだったよね。神花どころか、この世界について一番無知な筈のデイジーが、この花の違和感に真っ先に気付いた。それは、何で?」
…爆発の直前の話だ。
そもそもの切っ掛けは、デイジーがセフィリアの存在を指摘したことである。
そういえば、あれから説明する間もなかった。
デイジーは小さく頷き、呟いた。
「……『悪意』が視えたから」
三人がはっと目を見開いた。
リリーは更に詰め寄ってくる。
「それ、具体的にどういう感じ?」
「ん……いつもと同じ。サニーを見てたら、もやもやって、嫌な感じがして……よく見たら、あの花にその感情が集まってて……」
「……それ、は」
ジオが言葉を詰まらせる。
瞳が赤く瞬き、昨日のトラウマが過ぎったデイジーはちょっとびくっとした。
「やっぱり、『仲介人』がいるってことだな。サニーを意図的に暴走させるって『悪意』を持って、あの花をサニーに身に着けさせた何者かが」
声に明らかな怒りが孕んでいる。
リリーとレアも若干気圧されているほどだ。
ジオは赤い瞳のまま、二人を見据える。
「リリー、お前はアイリスとロータスと残ってサニーに事情を聞け。落ち着いてからでいい」
「分かった」
「レアは俺と来い。治癒院に確認に行く。確か、マローが来てたよな?」
「え、ええ、そうね。まだいた筈よ」
「ならちょうどいい。…デイジー、お前も一緒に来い」
真面目な表情で頷くリリー、慌てて返答を返すレア。
てきぱきと指示を下すジオは、最後にデイジーへ視線を向けた。
「……私も?」
「お前の眼は頼りになる。同じような悪意を感じたら、教えて欲しい」
ジオは不本意そうではあるが、デイジーの肩に手を置いて告げる。
「こんな面倒な事案に初めから巻き込む気はなかったんだが……四の五の言っていられない。仲間として、協力してくれ。この案件が、デイジーの初仕事だ」
「……!」
…そうだった。
ここは何でも屋で、この国の人達を助けるのが仕事。
デイジーはたまたま巻き込まれた部外者ではなく、この不穏な事件を解決する当事者にならなくてはいけない。
未だ赤く染まったジオの瞳を見つめ返し、デイジーは力強く頷いた。
「……分かった。がんばる」
「よし」
ジオは微かに頬を綻ばせ、リリーがやったように頭を撫でてくる。
…でも、なんか、ちょっと癪だ。
微笑ましそうな顔をしているからだろうか。
デイジーはいつもの無表情に僅かな不満を込め、ふいっとそっぽを向いた。
「……子供扱いしないで」
「お、おう……悪い」
気まずそうに手を引っ込めたジオの瞳は、元の穏やかな黒に戻っていた。
︎✿
「あー、セフィリアか……」
その後。
リリーにサニーと二人を任せ、ジオ、レア、デイジーの三人は事務所内で所在無さげにしていたマローに話を聞いていた。
天使族にしては珍しい赤い髪の青年は、対照的に白く澄んだ瞳を細めて難しい顔をした。
「存在は知ってるよ。僕もアルカナだしね」
「……ん」
そこで、デイジーがくいっとジオの服の袖を引く。
「ジオ……アルカナって?」
「ああ、そこら辺の説明全くしてなかったな」
ジオは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
元々は買い出しの道中で色々説明してくれるつもりだったのだろう。
まさかあんな現場に出くわすとは誰が思うだろうか。
デイジーがぶんぶんと首を横に振ると、察してくれたのか薄く微笑み返して説明してくれた。
「アルカナは、大雑把に言えば聖樹管理局に所属する職員のことだ。デイジーも一回行っただろ?戸籍の管理とか、治安の取締とか、歴史書の編纂とか……そういう役所仕事をしてる人達だと思ってくれればいい」
「……マローも、管理局の人?」
「お、名前覚えてくれたんだ~。ありがとね、デイジーちゃん」
のんびりとした明るい声で嬉しそうに話しかけてくるマローは、嫌がる素振りもなく疑問に答えてくれる。
「僕はちょっと違うんだ。僕の直属の上司って、天使族の神官なんだよね。治癒院に配属されてるんだけど、本当は神官を補佐する副官ってやつでね~。まぁ、デイジーちゃんとかレアちゃんみたいな感じだよ」
「……私とかレアみたい……?」
しかし、何だかいまいち要領を得ない答えが返ってきた。
…何だろう、何か重要なことを教えて貰っていない気がする。
しらっとした目でジオを見つめると、彼はごく自然に目を逸らした。
どうやら何か後ろめたいことがあるようである。
そういえば。
「……セフィラって何?」
何度か、この単語は聞いたことがあった。
この国では重要な役職か何か、というのは何となく分かるのだが。
しかし、ジオは若干顔を強ばらせ、口篭る。
…どうやら隠し事の正体はこれらしい。
マローが驚いたような顔をした。
「え、セフィラの話知らないの?もうジオが説明してあげてるもんだと思ってたよ」
「いや、だって、いきなり色々言っても混乱するだろ……」
何だかしどろもどろなジオ。
こういう彼を見たのは、本屋でオリビアから父親の本を渡されていた時以来だ。
一体何がそんなに気まずいのだろうか。
レアも呆れ気味である。
「どうせすぐバレるのにね……」
「……その話は後でいいだろ。とりあえず今は、セフィリアのことだ」
結局、強引な話題転換で有耶無耶にされてしまったが。
実際、急いでいるのは確かだ。
マローは何か言いたげだが、ジオの視線に負けたらしく苦笑いして話を戻した。
「はいはい、そうだね。えっと、僕は治癒院が本籍じゃないから、セフィリアの管理権までは持ってないんだ。具体的にどこに仕舞われてるのかも知らなくて……多分、管轄はローズさんだと思う」
「あの人か……」
ジオが僅かに顔を顰める。
レアはそんなジオを不思議そうに見つめている。
「まだローズさん苦手なの?」
「……仕事に私情は挟まないよ」
…それは遠回しに苦手と言っているのではないだろうか。
デイジーは思った。
それにしても、彼が他人に渋い顔をするなんて珍しい。
デイジーですら受け入れてくれた人なのに。
マローも、腑に落ちない顔をしている。
「ローズさん、本当に良い人なんだけどね。あ、デイジーちゃんは会ったことないっけ?」
「……うん」
「綺麗な人だよ~。誰に対しても優しいし、いつも穏やかだし。天使族の鑑みたいな人だね」
「ふぅん……?」
ますます不思議だ。
そんな人格者なら、敬いこそすれ苦手に思うような気はしないのだが。
デイジーの視線を受けて、ジオは気まずそうに頬をかく。
「まぁ、それは俺も理解してる。これは俺の個人的な感情だから、あまり気にしないでくれ」
「ん……わかった」
あまり触れて欲しくなさそうだったので、深くは突っ込まないことにした。
ジオも表情を戻し、話を切り替える。
「取り敢えず、治癒院に向かおう。ウィストへの連絡はお前に頼む」
「はいはい、承りました。気をつけてね~」
笑顔でひらひらと手を振るマローに見送られ、三人は今度こそ何でも屋を後にするのだった。
全員、全快した。
︎✿
「いやぁ、ものすごい音が聞こえてきた時は何事かと思ったけど、やっぱ君たちはすごいね~」
笑いながらそんなことを言うのは、治療を担当してくれた天使族の青年─マローである。
デイジーが最初に運び込まれた時に見守ってくれていたあの青年だ。
顔面蒼白で治癒院に飛び込んだデイジーを見てすぐに動いてくれた職員達は、事務所まで赴いて彼らを治療してくれたのだが…
デイジーと治癒院の人々が戻った時点で、全員けろっとしていた。
アイリスは涙目だったが普通に起き上がっていたし、リリーとロータスは逆にいなくなったデイジーを心配していたし、レアに至ってはデイジー同様治癒院に赴こうとしていた。
そして、ジオは普通に起きていた。
あれだけの大怪我だったのに、治される前にもう完治していた。
破けた服や血の痕はそのままだったので、怪我をしていたのは見間違いではなかったようだが。
結論、デイジーが一番気疲れしていた。
「あはは、びっくりしたよねぇ」
治癒のルーナによりすっかり元気になったリリーは、からからと笑って説明してくれる。
「悪魔族は体丈夫なんだよ。戦闘に有利なステルラ持ちも多くて、ボク達みたいな非戦闘員でも、これくらいじゃ大事にはならないんだ」
中でもリリーは咄嗟にソファーを盾代わりにしていたようで、怪我も擦り傷程度の軽傷だった。
直後に起き上がれなかったのは、余波の電流で痺れていたかららしい。
「だから、デイジーがいなかったことの方が驚いたよ。まさか消し飛んだんじゃないかってぞっとしちゃった」
デイジーも冷静でなかったのは確かだ。
もう少し確かめてから行動すれば良かった。
僅かに肩を落とすデイジーを見て、リリーは苦笑いを向ける。
「そんな顔しないの~。すぐに天使族を頼りに行ったデイジーの行動は最適解だよ。素早く動いてくれて、ボク達も感謝してる。落ち込む必要ないからね?」
えらいえらい、と頭を撫でられる。
子供扱いされている気はするが、悪い気はしない。
リリーに撫で回されつつ、ジオの方に視線を遣る。
彼は、既に新しい服に着替えて治癒院職員に事情を説明していた。
デイジーの視線に気付くと、すぐにこちらに向かって来てくれる。
「悪い、混乱させたな。怪我はなかったんだよな?」
「……うん。ジオのおかげ」
彼が身を呈してくれていなかったら、デイジーはどうなっていたか分からない。
リリーの言葉通り、消し炭になっていた可能性もある。
また、助けられてしまった。
複雑な気持ちを抱えつつ、素直に感謝は伝えておく。
「助けてくれて、ありがとう」
「……ん」
ジオは驚いたような顔をし、そして薄く微笑む。
「俺の役割だ。気にしなくていい」
「めっちゃ気障……」
「何か言ったかリリー?」
「何でもないで~す!!!!」
そんなジオに嫌味を言い威圧されるリリー。
このやり取りはいつものことなのだろう。
だんだん慣れてきたデイジーは、彼らから視線を外し、部屋の奥へ目を遣る。
…本当はジオのことや悪魔族のことについてもっと聞きたいのだが、今は後回しにすべきだろう。
部屋の奥─この事故で散らかった応接スペースの奥にある事務室─にいるのは、この惨状を引き起こした件の少女である。
彼女はあれから茫然自失で、ロータスとアイリスが傍について慰めているが、座り込んだまま動かない。
能力の行使には体力や気力も消費するので、あの規模の爆発を起こしたとなると相当に負担は溜まっている筈だが、ロータスに促されても横になろうとはしない。
ただ、その瞳からぽろぽろと涙が零れていた。
親身になってくれた人を傷つける痛みは、デイジーだってよく知っている。
ショックを受けてしまったのは仕方の無いことだろう。
ただ今は、彼女を立ち直らせる前にやるべきことがある。
まだ、謎は何も解けていないのだから。
︎✿
デイジーが三人の方へ近寄ると、治療を終えたレアもやって来た。
彼女はサニーの様子に痛ましげな顔をしつつも、デイジーへ話しかけてくる。
「街での騒ぎと、あの暴走は、理由がある。デイジーも、そう思ってる?」
デイジーはこくりと頷く。
紅い瞳が見つめるのは、レアが布に包んで手に持っている、あの虹色の花だった。
「これ……何か、知ってる?」
「いえ、私は知らない。でも、ジオかリリーなら分かるんじゃないかしら」
レアがちらりとデイジーの背後に視線を向ける。
ジオとリリーもこちらにやって来ていた。
「その花について聞きたいんだよね?」
リリーは説明するまでもなくデイジーの意思を理解している。
頷いて肯定すると、話し始めたのはジオだった。
「それは、セフィリアだ。この国で最も貴重な花で、その存在は一般には知らされていない」
「……セフィリア?」
何だか聞き覚えのある響きだ。
どうやらリリーは詳しく知らないようだが、その名前を聞くとはっと顔を上げる。
「セフィリア……セフィロトの花。もしかして、聖樹の花?」
「流石だな」
一を聞けば百を理解してしまうリリーに、ジオも思わず苦笑を零した。
「リリーが言ったように、セフィリアは『セフィロトの花』という意味だ。セフィロトは、国名にもなっているように、この国の中心である聖樹の別名。即ちこれは、聖樹が咲かせる花ということになる」
デイジーは、思わず窓の外へ目を向けていた。
麓の聖都からではその全貌を見ることはできないほど巨大な樹。
そして、そこには国民の大多数が信奉するミリシア神が棲んでいる。
「聖樹はミリシアの権能と結びついていて、葉を落とすこともなければ枯れることもない永久不変の樹と言われている。そして、普通なら花も咲かないんだ」
「じゃあ、これは?」
不思議そうに首を傾げるレアに優しい目を向けて、ジオは話を進める。
「実は、例外的に花が咲くことがあるそうなんだ。俺も咲いているところまでは見たことなくて、それこそ何十年に一回の話らしいんだが……ごく稀に、ミリシアの神としての力が必要以上に高まってしまうことがあるらしい。その時に、余分な神力が聖樹に流れて、花の形で咲く。それがセフィリアなんだと」
それを聞いてレアは一気に体を硬くした。
「じ、じゃあ、これって、ミリシア様の力の欠片ってこと……?!」
セフィリアを持つ手があからさまに震えている。
そこまで神聖な所以を持つものだとは思いもしていなかったのだろう。
リリーも何だか目を輝かせている。
「うわぁ、神話みたいな話!!まだまだ知らないこともいっぱいあるなぁ~」
知識欲の強いリリーは浮かれ気味だが、しかし気になるところはしっかりと指摘してくる。
「……でも、一般に知られてない。こういう話なら、それこそ神話とか、おとぎ話で伝わってても不思議じゃないと思うけど」
「そうだな。それだけ、この花は特別なんだ」
ジオは僅かに苦い顔をし、セフィリアを見つめる。
「さっきも言ったが、これはミリシアの力の一片。ただ綺麗な花というだけじゃなく、莫大な神力が篭っている。なら、ミリシアの能力を分け与えられた者がそれを手にしたら、どうなると思う?」
「……あ」
そこで、リリーの顔色が変わった。
「神族でさえ扱いきれなかったエネルギーを受け取ったら……間違いなく制御は追いつかない」
「「……!!」」
そこで、レアとデイジーも腑に落ちる。
そう、これは、つまり…
「……ミリシア様の能力を借り受けている神花が手にしたら、その能力の制御を失う」
「神花を、暴走させられる……」
その言葉を聞いて、ジオは重々しく頷いた。
「それどころか、俺達みたいな信徒の能力も向上させる効果がある。殺傷性のある能力……魔術なんかを持ってるやつがこれを手にしたら、今回みたいな大惨事になる。だから、情報が秘匿されてるんだ」
「そういうことか……」
リリーが難しい顔で腕を組む。
眼鏡の奥の新緑の瞳は鋭い。
「サニーちゃんが暴走した理由と仕組みは分かった。でも、分からないことはまだたくさんある。まず、どうやってサニーちゃんがこれを手に入れたか。何でわざわざ手元に置いてたのか。そもそも、セフィリアってどこに置いてあるわけ?」
「あー、そうだな……」
ジオは指折り数えながら説明してくれる。
「俺が知ってるのは三つだ。まず、聖樹の中の神殿に一つ。これが持ち出されることはまず有り得ない。厳重な管理下にある筈だし、そんなことになれば俺のところに通達が来てるはずだ。で、聖樹下の教会学校の地下室に一つ。これも先生が管理してるから、何かあれば連絡が来てるはず。となると、あともう一つ……」
そこで、ジオが目を細めた。
纏う雰囲気が剣呑になっていく。
「……隣だ。隣の治癒院。そこが、三つ目の保管場所」
「「「!!!」」」
思わず顔を見合わせる四人。
リリーが素っ頓狂な声を上げた。
「隣ぃ?!そんな近くにあったの?!」
「……ああ、そうだった筈だ。現状、そこから持ち出された可能性が一番高いと思う」
「で、でも、何で治癒院に?」
「万が一の為……だろうな。天使族の治癒の精度にも個人差はある。治癒のルーナの効果を激上させて、本来は不可能な治療を可能にする……その為の措置だと思う」
リリーとレアの疑問に鋭い考察を返したジオだが、その表情は険しいままだ。
「とは言え、冷静になれば、かなりリスクの高い場所にあったことになる。セフィリアの所在と、保管方法についてはすぐ聞きに行こう」
「……そうだね。でも、その前に一個だけ」
今にも動き出しそうだったジオを、リリーが制止する。
いつもの飄々とした色はなく、真剣で理知に富んだ瞳がデイジーを見つめた。
「セフィリアを真っ先に見つけたのは、デイジーだったよね。神花どころか、この世界について一番無知な筈のデイジーが、この花の違和感に真っ先に気付いた。それは、何で?」
…爆発の直前の話だ。
そもそもの切っ掛けは、デイジーがセフィリアの存在を指摘したことである。
そういえば、あれから説明する間もなかった。
デイジーは小さく頷き、呟いた。
「……『悪意』が視えたから」
三人がはっと目を見開いた。
リリーは更に詰め寄ってくる。
「それ、具体的にどういう感じ?」
「ん……いつもと同じ。サニーを見てたら、もやもやって、嫌な感じがして……よく見たら、あの花にその感情が集まってて……」
「……それ、は」
ジオが言葉を詰まらせる。
瞳が赤く瞬き、昨日のトラウマが過ぎったデイジーはちょっとびくっとした。
「やっぱり、『仲介人』がいるってことだな。サニーを意図的に暴走させるって『悪意』を持って、あの花をサニーに身に着けさせた何者かが」
声に明らかな怒りが孕んでいる。
リリーとレアも若干気圧されているほどだ。
ジオは赤い瞳のまま、二人を見据える。
「リリー、お前はアイリスとロータスと残ってサニーに事情を聞け。落ち着いてからでいい」
「分かった」
「レアは俺と来い。治癒院に確認に行く。確か、マローが来てたよな?」
「え、ええ、そうね。まだいた筈よ」
「ならちょうどいい。…デイジー、お前も一緒に来い」
真面目な表情で頷くリリー、慌てて返答を返すレア。
てきぱきと指示を下すジオは、最後にデイジーへ視線を向けた。
「……私も?」
「お前の眼は頼りになる。同じような悪意を感じたら、教えて欲しい」
ジオは不本意そうではあるが、デイジーの肩に手を置いて告げる。
「こんな面倒な事案に初めから巻き込む気はなかったんだが……四の五の言っていられない。仲間として、協力してくれ。この案件が、デイジーの初仕事だ」
「……!」
…そうだった。
ここは何でも屋で、この国の人達を助けるのが仕事。
デイジーはたまたま巻き込まれた部外者ではなく、この不穏な事件を解決する当事者にならなくてはいけない。
未だ赤く染まったジオの瞳を見つめ返し、デイジーは力強く頷いた。
「……分かった。がんばる」
「よし」
ジオは微かに頬を綻ばせ、リリーがやったように頭を撫でてくる。
…でも、なんか、ちょっと癪だ。
微笑ましそうな顔をしているからだろうか。
デイジーはいつもの無表情に僅かな不満を込め、ふいっとそっぽを向いた。
「……子供扱いしないで」
「お、おう……悪い」
気まずそうに手を引っ込めたジオの瞳は、元の穏やかな黒に戻っていた。
︎✿
「あー、セフィリアか……」
その後。
リリーにサニーと二人を任せ、ジオ、レア、デイジーの三人は事務所内で所在無さげにしていたマローに話を聞いていた。
天使族にしては珍しい赤い髪の青年は、対照的に白く澄んだ瞳を細めて難しい顔をした。
「存在は知ってるよ。僕もアルカナだしね」
「……ん」
そこで、デイジーがくいっとジオの服の袖を引く。
「ジオ……アルカナって?」
「ああ、そこら辺の説明全くしてなかったな」
ジオは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
元々は買い出しの道中で色々説明してくれるつもりだったのだろう。
まさかあんな現場に出くわすとは誰が思うだろうか。
デイジーがぶんぶんと首を横に振ると、察してくれたのか薄く微笑み返して説明してくれた。
「アルカナは、大雑把に言えば聖樹管理局に所属する職員のことだ。デイジーも一回行っただろ?戸籍の管理とか、治安の取締とか、歴史書の編纂とか……そういう役所仕事をしてる人達だと思ってくれればいい」
「……マローも、管理局の人?」
「お、名前覚えてくれたんだ~。ありがとね、デイジーちゃん」
のんびりとした明るい声で嬉しそうに話しかけてくるマローは、嫌がる素振りもなく疑問に答えてくれる。
「僕はちょっと違うんだ。僕の直属の上司って、天使族の神官なんだよね。治癒院に配属されてるんだけど、本当は神官を補佐する副官ってやつでね~。まぁ、デイジーちゃんとかレアちゃんみたいな感じだよ」
「……私とかレアみたい……?」
しかし、何だかいまいち要領を得ない答えが返ってきた。
…何だろう、何か重要なことを教えて貰っていない気がする。
しらっとした目でジオを見つめると、彼はごく自然に目を逸らした。
どうやら何か後ろめたいことがあるようである。
そういえば。
「……セフィラって何?」
何度か、この単語は聞いたことがあった。
この国では重要な役職か何か、というのは何となく分かるのだが。
しかし、ジオは若干顔を強ばらせ、口篭る。
…どうやら隠し事の正体はこれらしい。
マローが驚いたような顔をした。
「え、セフィラの話知らないの?もうジオが説明してあげてるもんだと思ってたよ」
「いや、だって、いきなり色々言っても混乱するだろ……」
何だかしどろもどろなジオ。
こういう彼を見たのは、本屋でオリビアから父親の本を渡されていた時以来だ。
一体何がそんなに気まずいのだろうか。
レアも呆れ気味である。
「どうせすぐバレるのにね……」
「……その話は後でいいだろ。とりあえず今は、セフィリアのことだ」
結局、強引な話題転換で有耶無耶にされてしまったが。
実際、急いでいるのは確かだ。
マローは何か言いたげだが、ジオの視線に負けたらしく苦笑いして話を戻した。
「はいはい、そうだね。えっと、僕は治癒院が本籍じゃないから、セフィリアの管理権までは持ってないんだ。具体的にどこに仕舞われてるのかも知らなくて……多分、管轄はローズさんだと思う」
「あの人か……」
ジオが僅かに顔を顰める。
レアはそんなジオを不思議そうに見つめている。
「まだローズさん苦手なの?」
「……仕事に私情は挟まないよ」
…それは遠回しに苦手と言っているのではないだろうか。
デイジーは思った。
それにしても、彼が他人に渋い顔をするなんて珍しい。
デイジーですら受け入れてくれた人なのに。
マローも、腑に落ちない顔をしている。
「ローズさん、本当に良い人なんだけどね。あ、デイジーちゃんは会ったことないっけ?」
「……うん」
「綺麗な人だよ~。誰に対しても優しいし、いつも穏やかだし。天使族の鑑みたいな人だね」
「ふぅん……?」
ますます不思議だ。
そんな人格者なら、敬いこそすれ苦手に思うような気はしないのだが。
デイジーの視線を受けて、ジオは気まずそうに頬をかく。
「まぁ、それは俺も理解してる。これは俺の個人的な感情だから、あまり気にしないでくれ」
「ん……わかった」
あまり触れて欲しくなさそうだったので、深くは突っ込まないことにした。
ジオも表情を戻し、話を切り替える。
「取り敢えず、治癒院に向かおう。ウィストへの連絡はお前に頼む」
「はいはい、承りました。気をつけてね~」
笑顔でひらひらと手を振るマローに見送られ、三人は今度こそ何でも屋を後にするのだった。
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