一九二三年八月三十一日

Y.K

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一九二三年八月三十一日(1)

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いつまでも、ずっと続くかと思われた八月も、今日で終わりだ。
今年の夏は、随分暑かった。
何でも、徳島県の撫養という処では、気温が四十二度にまでなったらしい。
そう新聞で読んだ。
何やら、ぴんと来なかったのだが、ぐらぐらに沸かしたお風呂のお湯がその位らしい。
ぞっとした。
夜の時間も大変暑くて、朝起きると、汗で肌着がべたべたする有様だった。
あんまり気持ちが悪いので、そんな折には、朝から行水することも、この夏はしばしばだった。
それから比べると、今日などは随分過ごし易くなった。
夏も、もう終わりなのだと思った。

新たな季節の訪れは、こんな処にも見られた。
花壇の花に水やりをしていた時の事だ。
朝顔の植え込みに目をやると、ぽつぽつ種が出来始めていた。
ちょっと前までは、幾輪もの花びらが咲き乱れ、大変賑やかな風だったのだが、今日見ると、大分落ちてしまっている様だった。
自然は能弁だ。
つくづくそう思った。
また来年種を蒔く為に、私は地面に落ちたそれらを拾い集め、宛ら黒色の宝石か何かでも扱う様に、大事にポケットに仕舞い込んだ。
その刹那、ふとこんな想念が頭を掠めた。
以前にもこれと、同じ時、同じ場所で、同じ物を見て、同じ様に感じたような気がする。
そんな不思議な感覚が、私の心を捕らえた。
こんなことが、最近よくある。
齢をとったのだ、と思う。

私は今、十九歳。
来月で二十歳になる。
小さな子供の頃は、自分が大人になる日の事など、まるで想像出来ていなかった様に思う。
知識としては理解していたし、人並みに大人になる事への憧れもあったけれど、何処か漠然としていた。
絵空事だった、と思う。
我ながら無邪気なものだったと、今となっては微笑ましく思える。
成長するにつれて身体の様子が変化を迎えると、その感じは、より一層強くなった。
乳房が膨らみ、お臀が大きくなってきた頃、自分の身体がすっかり変わってしまった事に、遅まきながら気付かされた。
重たい感じがして、思った様に動かすことが出来ない。
袋に一杯に水を詰めて、口をきつく縛った、そんな感じ。
だぶだぶしていて気分が悪い。
針で突けば途端に中身が溢れ出してしまいそうな気がした。
そんな時、私は、自分が一個の巨大な脂肪の塊ででもあるかの様な気持ちになった。
自分の身体が、だんだん女らしくなっているのを、嫌でも気付かせられる。
それが誇らしくもあり、同時に堪らなかった。
毎月のメンスの日は、いつも憂鬱な気分がする。
心の中の靄々が、目に見える形で表れているような気がするから。
その癖、街中で赤ちゃんを抱えた女のひと達を見ると、可愛らしくて仕様が無い気持ちになった。
羨ましい、とすら思った。
矛盾だ。
しかし、いずれも嘘偽りない気持ちであって、だから尚更に始末が悪かった。
相反する二つの事柄の間で揺れ動く。
改めて、人間とは、生きるとは面倒臭いものだと思った。

そんな事を取り留めもなく考えていると、ふと頭の後ろ辺りで、もう一人の私が何やら囁いた様な気がした。
先程から、何やら鹿爪らしい顔をして、あれこれ言っているけれど、そんなものは全て戯言だ。
妄言だ。
お前さんは、まだ世の中の事を、まるで分かっちゃいない。
あれこれ自分に都合の良い理窟を捏ね繰り回して、何やら賢しらぶっているけれど、そんなのはすべて贋物だ。
まやかしだ。
こんな物は、真理でも哲学でも何でも無い。
只の女の愚痴だ。
そうかもしれなかった。
きっと私は、本当の意味での苦労を、まだ何も知らなかった。
のんべんだらりと一日一日を過ごしてしまっているから、こんな由無し事を考えてしまうのだろう。
例えば、草花はどうだろう。
種の状態から、芽を出し、蔓を伸ばし、花を咲かせ、やがてまた種を遺す。
単純だけれども迷いが無い。
潔くて美しいと思う。
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただひとつにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」。
最近読んだ本に書いてあった言葉だ。
一粒の麦は地に落ちる事で、やがて多くの実を結ぶ事が出来る。
一見、不幸だったり無駄だと思われた事が、やがて、まだ知らない誰かの幸せになる。
それはとても素晴らしい事の様に思えた。
相変わらずの受け売りだけれど、この考えだけは、確からしく思われた。
今日も一日頑張ろうと思った。
一粒の麦もし死なずば――。
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