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森と湖のバフェット領

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「美しい所ね」

「ありがとうございます。イグナット様も喜ばれるでしょう」

 バフェットの騎士が微笑む。

 道中、バフェットの騎士たちはミケーラの騎士たちに、クローディアがどれだけ素晴らしい令嬢なのか酒を交えてたっぷり聞かされた。

 自ら剣を手に取り戦う令嬢など聞いた事もないが、クローディアがミケーラの騎士を相手に模擬戦を披露してみせると、いたく感嘆したようだ。

 それからバフェットの騎士たちとも馴染めた気がし、この土地までやって来る事ができた。

「じゃあ、姫様。俺たちはここまでだな」

 ミケーラから来た騎士たちが、名残惜しそうにクローディアの頭を撫でてくる。

「……今までありがとう! 皆、大好きよ!」

 気を抜けば泣いてしまいそうになるクローディアは、騎士の一人一人に抱きついてお礼を言った。

 最後にミケーラの騎士は、クローディアの護衛となる同僚たちに「姫様を任せたぞ」と固い握手を交わす。
 トンボ帰りでは休まらないので、彼らは一度城下街の高級宿に一泊してからミケーラに帰るそうだ。

 彼らが城下街に向かってくのを見送ってから、クローディアは覚悟を決めてバフェット城に向かう。

「いらっしゃいませ。奥様」

 城の前にはズラリと騎士、使用人たちが並び、先頭には地味な色味のドレスを着た女性がいる。

「初めまして、クローディア様。私はこの城の女家令のソルと申します」

 挨拶をしてくれた彼女は、四十代半ばで、質素ななりをしているからかとてもまじめそうに見える。

「歓迎をありがとう」

「旦那様は病床のみであらせられますので、私どもが代表としてお迎えいたしました」

「事情は存じ上げています」

 ソルと会話をしたあと、クローディアは改めて城を見上げた。

 バフェット城はミケーラ城と似た作りで、とても天井が高い。
 足音まで大きく反響するようで、これではこっそり移動する事も不可能ではと思った。

 挨拶が済んだあと、荷物を運ぶのは他の者に任せ、ソルがクローディアの部屋に案内してくれた。

 部屋は湖や城下町をよく見渡せて、空気の入れ換えや掃除もきちんとしてあり、良い印象を抱いた。

 ラギや侍女たちも同じ階に配してくれ、安心する。

(結婚して夫婦になれば、閨も同じになるのが当たり前と思っていたけれど……。どうやらイグナット様の部屋がすぐ近くにない事を見ると、本当に夜はご一緒しなくていいのね)

 部屋を確認したあと、ソルが控えめに口を開く。

「初めにあまり愉快ではない話をする無礼をお許しください」

 ソルに言われ、クローディアは頷く。

「旦那様の余命はあと一、二年と言われています。そして旦那様は強い希望で、クローディア様を妻にと望みました。縁起の悪い話ですが、旦那様亡き後も、私たちはクローディア様の味方となり、この地を守ってゆくために尽力します」

 見た目通りまじめなソルの言葉を聞き、彼女なら信頼できそうだとクローディアは安心した。

「我が主ながら、旦那様はご高齢です。お若い身で旦那様に嫁ぐと決められたのは、並々ならぬ覚悟だったでしょう。この地にいらっしゃった事を、心よりお礼申し上げます」

 ソルに深くお辞儀をされ、クローディアは微笑んだ。

「そんなにかしこまらないで。私は周囲の大人たちに助言を聞き、覚悟を決めてこの地にやってきたわ。ソルが思うほど、私は自分を悲観していないの」

 そう言うと、ソルは泣き出しそうな顔で笑った。





 イグナットに初めて会ったのは、城に着いてから環境に体が慣れ、彼の体調がいいという昼間だった。

「ようこそ来てくれましたね、クローディア」

 陽が差し込む寝室で、ベッドの上に体を起こしたイグナットが微笑む。

 真っ白な髪や髭は姿絵のままだが、実際に彼の声を聞くととても温厚で良い人なのだと伝わってきた。

 彼に会うために刺繍が施された豪奢なドレスを着たクローディアは、その場で丁寧に淑女のお辞儀をした。

「あなたに、挨拶を」

 イグナットはクローディアに向けて手を差し出してくる。
 クローディアは彼に応え、貴婦人として優雅に手を差し出した。

「随分、美しく健やかに成長された」

 目を細めたイグナットは、昔からクローディアを知っているような事を言ったが、恐らく父と知り合いだからなのだろう。

 それでなければ、父のところにイグナットから縁談がくるはずがない。
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