82 / 782
尊の傷 編
憎んでもいいんです
しおりを挟む
「母と妹を轢いた犯人が、いかに温厚で優しい人だったかを滾々と聞かされたよ。犯人の息子は定職に就かずフラフラしているらしく、そいつが作った借金の連帯保証人にされたんだと。貯金を崩してもまだ足りず、どう死んだら保険金が下りるかを考えていた時、あの女に声を掛けられたそうだ」
私は何とも言えず、彼の手を握り返す。
「継母に疎まれているのは分かっていたが、まさか母と妹があの女に殺されたとは思わなかった。当時はもう家を出て一人暮らししたあとだったが、八年も黒幕と同じ家で暮らしていたと思うと、感情が荒れ狂って収集がつかなくなった。……考えが纏まらず、ショックをまともに受け止めたら壊れちまいそうで、酒をしこたま飲んだ。墓前に供えるつもりの花は衝動のまま叩きつけ、手放す事すら忘れていた。……そのまま、近くの駅まで歩いて潰れたんだと思う」
「……あそこ、近くに霊園ありますもんね」
私は小さな声で言い、尊さんを抱き締めた。
彼の性格はいいとは言いがたいけど、常識人で基本的に善人だ。
母親と妹を轢いた相手を完全な悪としたいのに、本当はどんな人か聞かされて、大いに困惑し、悩んだだろう。
犯人の家族に為人を教えられ、本当は実行犯の人は悪くないと理解したと思う。
でも当時の彼は、誰かを憎まないと生きていけなかった。
事件があった当時、逮捕された犯人に対し、『死刑になれ』と思っていたかもしれない。
人殺しだと思って当たり前のように憎んでいたのに、その人殺しはごく普通の、同情すべき事情を持った、ただの老人だった。
さらに彼を打ちのめしたのは、自分もろとも、母子に死んでほしいと願っていた黒幕は継母だったという事実だ。
篠宮家に住んでいる間、彼女に冷遇されて憎まれて、針のむしろだったのは尊さんが一番理解している。
『死んでほしいと思われるほど憎まれている』という自覚だってあっただろう。
けれど、まさか継母が本当の殺意を持っていて、ほんの少しのタイミングのズレで母と妹だけが亡くなってしまったとは思わなかっただろう。
どれだけ『一緒に死にたかった』と願ったか分からない。
気がおかしくなりそうなほど苦しんで、復讐のために生きた。
――でも誰かを愛して気を紛らわせる事すら許されなかった。
私は尊さんの壮絶な人生を思い、ギュッと目を閉じる。
「……あの人、どこから狂っていったんだろうな」
尊さんは悲しみと怒りにまみれながらも、しみじみと呟く。
「許すつもりはない。今後もずっと嫌い、憎み続けていくつもりだ。……でも人殺しをするまで堕ちた女を見て、『どうしようもねぇな』と呆れて、哀れに思う自分もいる」
「……そうですね。誰だって、怒りや悲しみ、嫉妬の感情を抱きます。でも普通の人は、人としてやってはいけない事はわきまえていると思います」
尊さんは疲れ切った表情で私を見て、額に唇を押しつけてくる。
「……どんなに我を忘れそうな怒りに囚われても、俺は最後の一線だけは守りきる。あの女が外道に堕ちても、俺は同じ地獄に堕ちてやらねぇ。あくまで法の裁きで決着をつけて、…………あとは、母と妹の分も幸せになりたい。……こんな俺でも、幸せになっていいんだと理解したい」
「幸せになりたい」と言った彼の声は、とても弱々しく消えてしまいそうだった。
「本当は憎みたい。永遠にあの女を憎み続けて、苦しむ姿を見て高笑いしたい」
尊さんは苦しげに言ったあと、小さく首を横に振った。
「……考えに整理がつかなくて、沢山本を読んだり、ネットを見たよ。……最終的には、『幸せになって見返す事』が一番だと書いてあった。いつまでも憎んでいれば、あいつと同じになっちまう。〝同じ〟は嫌だ。俺はあの女とは違う」
「尊さんは人としての尊厳を守っていますよ。だって私刑をせずにきちんと警察に任せたじゃないですか」
そう言ったけれど、彼は私の両手を握って自分の額につけ、震える声で呟く。
「母が望んでいたように〝いい人〟でありたい。間違えた人を許し、自分の環境に感謝し、幸せを循環させていける人になりたい。……そう思ってるが、胸の奥で真っ黒な火が燃えさかって、消えてくれないんだ」
彼の気持ちは痛いほど分かる。
「いいんですよ。憎んでもいいんです。あなたはそれだけの事をされたんですから。大切なお母さんと小さな妹さんを殺されて、『仕方ない』って許せる人なんていません。自分を欺せば、あとから絶対苦しみます。それならネガティブな気持ちに素直になってもいいんですよ」
言ったあと、私は彼の手を握り返す。
「私は尊さんの憎しみに付き合います。あなたの感情を完全には理解できないし、生い立ちも違う。でも、寄り添いますし、とことん付き合います。生半可な覚悟で結婚したいって思った訳じゃないですから」
私は洟を啜り、目を潤ませて彼に微笑みかける。
「……でも、これだけはしっかり胸に留めておいてください。私たち幸せになるんでしょう? 結婚して子供を作って、未来に繋げていくんでしょう? その時は親の苦しみを子供に見せちゃいけません。それこそ〝同じ〟になってしまいます」
「…………そう、……だな」
尊さんはゆっくり息を吐き、頷く。
私は何とも言えず、彼の手を握り返す。
「継母に疎まれているのは分かっていたが、まさか母と妹があの女に殺されたとは思わなかった。当時はもう家を出て一人暮らししたあとだったが、八年も黒幕と同じ家で暮らしていたと思うと、感情が荒れ狂って収集がつかなくなった。……考えが纏まらず、ショックをまともに受け止めたら壊れちまいそうで、酒をしこたま飲んだ。墓前に供えるつもりの花は衝動のまま叩きつけ、手放す事すら忘れていた。……そのまま、近くの駅まで歩いて潰れたんだと思う」
「……あそこ、近くに霊園ありますもんね」
私は小さな声で言い、尊さんを抱き締めた。
彼の性格はいいとは言いがたいけど、常識人で基本的に善人だ。
母親と妹を轢いた相手を完全な悪としたいのに、本当はどんな人か聞かされて、大いに困惑し、悩んだだろう。
犯人の家族に為人を教えられ、本当は実行犯の人は悪くないと理解したと思う。
でも当時の彼は、誰かを憎まないと生きていけなかった。
事件があった当時、逮捕された犯人に対し、『死刑になれ』と思っていたかもしれない。
人殺しだと思って当たり前のように憎んでいたのに、その人殺しはごく普通の、同情すべき事情を持った、ただの老人だった。
さらに彼を打ちのめしたのは、自分もろとも、母子に死んでほしいと願っていた黒幕は継母だったという事実だ。
篠宮家に住んでいる間、彼女に冷遇されて憎まれて、針のむしろだったのは尊さんが一番理解している。
『死んでほしいと思われるほど憎まれている』という自覚だってあっただろう。
けれど、まさか継母が本当の殺意を持っていて、ほんの少しのタイミングのズレで母と妹だけが亡くなってしまったとは思わなかっただろう。
どれだけ『一緒に死にたかった』と願ったか分からない。
気がおかしくなりそうなほど苦しんで、復讐のために生きた。
――でも誰かを愛して気を紛らわせる事すら許されなかった。
私は尊さんの壮絶な人生を思い、ギュッと目を閉じる。
「……あの人、どこから狂っていったんだろうな」
尊さんは悲しみと怒りにまみれながらも、しみじみと呟く。
「許すつもりはない。今後もずっと嫌い、憎み続けていくつもりだ。……でも人殺しをするまで堕ちた女を見て、『どうしようもねぇな』と呆れて、哀れに思う自分もいる」
「……そうですね。誰だって、怒りや悲しみ、嫉妬の感情を抱きます。でも普通の人は、人としてやってはいけない事はわきまえていると思います」
尊さんは疲れ切った表情で私を見て、額に唇を押しつけてくる。
「……どんなに我を忘れそうな怒りに囚われても、俺は最後の一線だけは守りきる。あの女が外道に堕ちても、俺は同じ地獄に堕ちてやらねぇ。あくまで法の裁きで決着をつけて、…………あとは、母と妹の分も幸せになりたい。……こんな俺でも、幸せになっていいんだと理解したい」
「幸せになりたい」と言った彼の声は、とても弱々しく消えてしまいそうだった。
「本当は憎みたい。永遠にあの女を憎み続けて、苦しむ姿を見て高笑いしたい」
尊さんは苦しげに言ったあと、小さく首を横に振った。
「……考えに整理がつかなくて、沢山本を読んだり、ネットを見たよ。……最終的には、『幸せになって見返す事』が一番だと書いてあった。いつまでも憎んでいれば、あいつと同じになっちまう。〝同じ〟は嫌だ。俺はあの女とは違う」
「尊さんは人としての尊厳を守っていますよ。だって私刑をせずにきちんと警察に任せたじゃないですか」
そう言ったけれど、彼は私の両手を握って自分の額につけ、震える声で呟く。
「母が望んでいたように〝いい人〟でありたい。間違えた人を許し、自分の環境に感謝し、幸せを循環させていける人になりたい。……そう思ってるが、胸の奥で真っ黒な火が燃えさかって、消えてくれないんだ」
彼の気持ちは痛いほど分かる。
「いいんですよ。憎んでもいいんです。あなたはそれだけの事をされたんですから。大切なお母さんと小さな妹さんを殺されて、『仕方ない』って許せる人なんていません。自分を欺せば、あとから絶対苦しみます。それならネガティブな気持ちに素直になってもいいんですよ」
言ったあと、私は彼の手を握り返す。
「私は尊さんの憎しみに付き合います。あなたの感情を完全には理解できないし、生い立ちも違う。でも、寄り添いますし、とことん付き合います。生半可な覚悟で結婚したいって思った訳じゃないですから」
私は洟を啜り、目を潤ませて彼に微笑みかける。
「……でも、これだけはしっかり胸に留めておいてください。私たち幸せになるんでしょう? 結婚して子供を作って、未来に繋げていくんでしょう? その時は親の苦しみを子供に見せちゃいけません。それこそ〝同じ〟になってしまいます」
「…………そう、……だな」
尊さんはゆっくり息を吐き、頷く。
155
あなたにおすすめの小説
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。
雨野六月(旧アカウント)
恋愛
「俺には愛する人がいるんだ。両親がどうしてもというので仕方なく君と結婚したが、君を愛することはできないし、床を交わす気にもなれない。どうか了承してほしい」
結婚式の晩、新妻クロエが夫ロバートから要求されたのは、お飾りの妻になることだった。
「君さえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまる」と諭されて、クロエはそれを受け入れる。そして――
【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない
堀 和三盆
恋愛
一年にわたる長期出張から戻ると、愛する妻のシェルタが帰らぬ人になっていた。流行病に罹ったらしく、感染を避けるためにと火葬をされて骨になった妻は墓の下。
信じられなかった。
母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。
そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。
日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。
「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました
ほーみ
恋愛
その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。
「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」
そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。
「……は?」
まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。
【完結】私は側妃ですか? だったら婚約破棄します
hikari
恋愛
レガローグ王国の王太子、アンドリューに突如として「側妃にする」と言われたキャサリン。一緒にいたのはアトキンス男爵令嬢のイザベラだった。
キャサリンは婚約破棄を告げ、護衛のエドワードと侍女のエスターと共に実家へと帰る。そして、魔法使いに弟子入りする。
その後、モナール帝国がレガローグに侵攻する話が上がる。実はエドワードはモナール帝国のスパイだった。後に、エドワードはモナール帝国の第一皇子ヴァレンティンを紹介する。
※ざまあの回には★がついています。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる