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思いがけない提案1
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深い深い意識の海から、夜花の細い腕が空気を求めるように水面に出る。真っ白な眠気の糸を引きながら、現実という空気に触れ目蓋がひくりと動いた。
「夜花」
低い声が自分の名前を呼び、額のカーブを確認して優しい指がなぞる。
「んふ……ふ、くすぐったい……」
半分寝ぼけている夜花が小さく笑いながら薄く目を開くと、目の前には逞しい胸板を晒した穂積が横になって優しく笑っていた。
「えっ? ほ、穂積さん?」
その顔を見て一気に現実に引き戻された夜花は、客相手に何を寝ているのかと咄嗟に起き上がろうとした。だが自分の肩の上から布団がパサリと落ちて自分が裸だと気付くと、慌てて布団を手繰り寄せて顔の上に被せてしまった。
「はは、可愛いね夜花」
黒い目を細めた穂積が布団の中で手を伸ばし、ほとんど布団の中に隠れてしまっている夜花の髪を撫でる。
「あの……、穂積さん私……」
「とても綺麗だったよ」
芙蓉のような艶やかな笑みを見て夜花は居た堪れなくなる。更に布団の奥へと隠れてしまいそうになったが、その肩を掴んで引き上げてしまう。
「こら、夜花。隠れない」
「だ、だって……恥ずかしい、です」
「それが可愛いんじゃないか」
「うう……」
事後になれば顔から火が出そうに恥ずかしいのに、穂積は意地悪にもそれを見せろと言う。だが、その意地悪すらも夜花には心地良かった。
「水、飲むかい?」
「あ、いえ。私がします……ぁっ」
頭が冷静になると、ここが『吉野』の自分が担当している部屋である事を思いだした。
自分は花女で穂積は客である事が、穂積に水を汲ませてはいけないと夜花の体を動かす。
だが、起き上がろうとした夜花の腰はまるで流動性の鉛でも入ったかのように重たく、彼女はいつものように機敏に動く事ができなかった。
「初めてだったから、体がだるいんじゃないかな。いいよ、水ぐらい」
そう言って穂積はベッドから下りて冷蔵庫に向かい、花女がいつも客に出している花水と呼ばれるいい香りのする水を出す。
コポポ……と室内に水がグラスに注がれる音がし、その間にも夜花は懸命になって起き上がろうとしていた。
「他に何かない? 腹が痛いとか」
「いいえ。……その、穂積さんとても優しくして下さったので、私気持ちいいばかりで」
「それは良かった。はい」
優しく微笑んだ穂積が夜花にグラスを渡し、自分もベッドサイドに一度グラスを置いてから、また夜花の隣に戻って喉を潤し始めた。
花水の香りがスッと夜花の鼻孔に入り込み、心を落ち着かせてくれる。冷えたグラスに唇をつけてそっと一口飲み込むと、冷たい花水がスルリと喉の奥に入ってゆく。
「美味しい……。初めて飲みました」
「え? 花女の女の子は皆飲んでるんじゃないのかい?」
喉仏を上下させた穂積が少し驚いて問うと、夜花は恥ずかしそうに小さく首を振ってみせる。
「お部屋にある物を口にできるのは、花序が高い姉さんたちがお客様に奢ってもらう時だけなんです。私は手技だけですから、お客様も私に手技以上のサービスは求めません」
その序列やサービス内容による花女への見返りに穂積は納得し、それから優しい目で夜花に笑い掛けた。
「そうか。じゃあこれから俺が来店した時は、夜花に沢山美味しい物を注文してあげるから」
「えっ? いいえ、その……。おねだりをした訳ではなくて……」
そんな風に聞こえてしまっただろうか? と夜花が困りながら首を振るが、穂積は「遠慮しないで」とポンポンと優しく夜花の頭を撫でる。
「ふふ、おねだりというのはいい響きだね」
そう茶化す穂積はすっかりいつもの優しい客の顔をしており、先ほどまでの妖艶さや意地悪な所は、なりを潜めたようだった。
少し二人の間に沈黙が落ち、夜花がコクリ、コクリと花水を飲む音がする。
「……俺は、芍薬さんに叱られてしまうのかな」
「え?」
「夜花は手技だけのサービスの蕾挿頭花の子なのに、俺は店のルールを破ってしまった」
「そ、それは……。穂積さんが強引に手を出した訳じゃないですし、私自身がその……穂積さんが好きで、そういう事をしてもいい……と、思ったので……」
行為が終わった後にこうやって告白をするのは順番が変だと思ったが、気持ちの確認はちゃんとしておかなければならない。夜花だって穂積の花卉を見られたとはいえ、もしかしたら穂積が一時の気の迷いで自分に心が揺れたのかもしれない、と不安なのだ。
「夜花は――、ずっと花女の仕事をしていたいの?」
「え?」
気持ちの確認をしていたかと思っていたら、穂積が急に仕事の話に話題を変えて夜花はまたきょとんとした顔で訊き返す。
「夜花は桜姫を目指していなくて、ただ人を癒せる花女になれればいいって言っていたけど……。本当は桜姫に憧れているんじゃないか?」
「それは……」
花女という職業の本質をズバリと指摘され、夜花は言葉に詰まった。
本音を言えば夜花だって桜姫に憧れていない訳がない。
桜姫という素晴らしい存在に憧れているからこそ、花女になろうと思って田舎から出て来た。元々人見知りの傾向があったものの、沢山勉強をして花女という職業の奥深さを知り、『吉野』に入ってから客を癒すという喜びを得た。
疲れ切った顔をした客ととりとめのない話をしたり、愚痴を聞いたり、たまには夜花自身の話を求められて、話をしながら手を動かして人々の体を癒してゆくのが好きだ。自分の手が人の体を癒し、香りを扱って、話術でもって人の心を癒し、それを誇りに思っている。
「夜花」
低い声が自分の名前を呼び、額のカーブを確認して優しい指がなぞる。
「んふ……ふ、くすぐったい……」
半分寝ぼけている夜花が小さく笑いながら薄く目を開くと、目の前には逞しい胸板を晒した穂積が横になって優しく笑っていた。
「えっ? ほ、穂積さん?」
その顔を見て一気に現実に引き戻された夜花は、客相手に何を寝ているのかと咄嗟に起き上がろうとした。だが自分の肩の上から布団がパサリと落ちて自分が裸だと気付くと、慌てて布団を手繰り寄せて顔の上に被せてしまった。
「はは、可愛いね夜花」
黒い目を細めた穂積が布団の中で手を伸ばし、ほとんど布団の中に隠れてしまっている夜花の髪を撫でる。
「あの……、穂積さん私……」
「とても綺麗だったよ」
芙蓉のような艶やかな笑みを見て夜花は居た堪れなくなる。更に布団の奥へと隠れてしまいそうになったが、その肩を掴んで引き上げてしまう。
「こら、夜花。隠れない」
「だ、だって……恥ずかしい、です」
「それが可愛いんじゃないか」
「うう……」
事後になれば顔から火が出そうに恥ずかしいのに、穂積は意地悪にもそれを見せろと言う。だが、その意地悪すらも夜花には心地良かった。
「水、飲むかい?」
「あ、いえ。私がします……ぁっ」
頭が冷静になると、ここが『吉野』の自分が担当している部屋である事を思いだした。
自分は花女で穂積は客である事が、穂積に水を汲ませてはいけないと夜花の体を動かす。
だが、起き上がろうとした夜花の腰はまるで流動性の鉛でも入ったかのように重たく、彼女はいつものように機敏に動く事ができなかった。
「初めてだったから、体がだるいんじゃないかな。いいよ、水ぐらい」
そう言って穂積はベッドから下りて冷蔵庫に向かい、花女がいつも客に出している花水と呼ばれるいい香りのする水を出す。
コポポ……と室内に水がグラスに注がれる音がし、その間にも夜花は懸命になって起き上がろうとしていた。
「他に何かない? 腹が痛いとか」
「いいえ。……その、穂積さんとても優しくして下さったので、私気持ちいいばかりで」
「それは良かった。はい」
優しく微笑んだ穂積が夜花にグラスを渡し、自分もベッドサイドに一度グラスを置いてから、また夜花の隣に戻って喉を潤し始めた。
花水の香りがスッと夜花の鼻孔に入り込み、心を落ち着かせてくれる。冷えたグラスに唇をつけてそっと一口飲み込むと、冷たい花水がスルリと喉の奥に入ってゆく。
「美味しい……。初めて飲みました」
「え? 花女の女の子は皆飲んでるんじゃないのかい?」
喉仏を上下させた穂積が少し驚いて問うと、夜花は恥ずかしそうに小さく首を振ってみせる。
「お部屋にある物を口にできるのは、花序が高い姉さんたちがお客様に奢ってもらう時だけなんです。私は手技だけですから、お客様も私に手技以上のサービスは求めません」
その序列やサービス内容による花女への見返りに穂積は納得し、それから優しい目で夜花に笑い掛けた。
「そうか。じゃあこれから俺が来店した時は、夜花に沢山美味しい物を注文してあげるから」
「えっ? いいえ、その……。おねだりをした訳ではなくて……」
そんな風に聞こえてしまっただろうか? と夜花が困りながら首を振るが、穂積は「遠慮しないで」とポンポンと優しく夜花の頭を撫でる。
「ふふ、おねだりというのはいい響きだね」
そう茶化す穂積はすっかりいつもの優しい客の顔をしており、先ほどまでの妖艶さや意地悪な所は、なりを潜めたようだった。
少し二人の間に沈黙が落ち、夜花がコクリ、コクリと花水を飲む音がする。
「……俺は、芍薬さんに叱られてしまうのかな」
「え?」
「夜花は手技だけのサービスの蕾挿頭花の子なのに、俺は店のルールを破ってしまった」
「そ、それは……。穂積さんが強引に手を出した訳じゃないですし、私自身がその……穂積さんが好きで、そういう事をしてもいい……と、思ったので……」
行為が終わった後にこうやって告白をするのは順番が変だと思ったが、気持ちの確認はちゃんとしておかなければならない。夜花だって穂積の花卉を見られたとはいえ、もしかしたら穂積が一時の気の迷いで自分に心が揺れたのかもしれない、と不安なのだ。
「夜花は――、ずっと花女の仕事をしていたいの?」
「え?」
気持ちの確認をしていたかと思っていたら、穂積が急に仕事の話に話題を変えて夜花はまたきょとんとした顔で訊き返す。
「夜花は桜姫を目指していなくて、ただ人を癒せる花女になれればいいって言っていたけど……。本当は桜姫に憧れているんじゃないか?」
「それは……」
花女という職業の本質をズバリと指摘され、夜花は言葉に詰まった。
本音を言えば夜花だって桜姫に憧れていない訳がない。
桜姫という素晴らしい存在に憧れているからこそ、花女になろうと思って田舎から出て来た。元々人見知りの傾向があったものの、沢山勉強をして花女という職業の奥深さを知り、『吉野』に入ってから客を癒すという喜びを得た。
疲れ切った顔をした客ととりとめのない話をしたり、愚痴を聞いたり、たまには夜花自身の話を求められて、話をしながら手を動かして人々の体を癒してゆくのが好きだ。自分の手が人の体を癒し、香りを扱って、話術でもって人の心を癒し、それを誇りに思っている。
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