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すれ違い1
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それからしばらく、穂積は三週ほど姿を見せなかった。
夜花も忙しく働いたり勉強をしている間、穂積を思ってやるべき事がおろそかになってしまいそうな自分を叱咤する。桜姫試験を受けると打ち明けた同僚にも、励ましてもらって頑張っていた。
店にいて時間のある時は五位の花女に混じって店先で呼び込みをし、花街の雑踏の中で穂積の姿を見つけようとする。
似たような背格好、髪の色の男を見ては一瞬胸を高鳴らせ、その直後に失望する。
穂積に会えないだけで毎日がこんなに辛くては、仮に宮廷に上がれたとして穂積とすれ違いの生活になって、どれだけ辛くなるのだろう?
そんなまだ訪れてもいない未来を想像しては溜息をつき、残った力をただ接客と勉強に費やすのだった。
**
「こんばんは。芍薬さん」
その穂積がフラリと姿を現したのは、二人が最後にデートをしてから一か月以上経った頃だった。
「あら、穂積さん。あの子今日調子を崩してお休みなんですよ」
頭台にいつものように座っていた芍薬が困ったというように上品に笑い、その言葉に穂積は心配そうに眉を顰める。
「大丈夫なんですか? 風邪?」
「えぇ、桜姫試験ももうすぐに迫っていますでしょう? 根を詰めすぎてしまって、疲労が祟っているみたいです。花女なのにお恥ずかしいわ」
「そうですか……。近いうち、お見舞いに行きます」
「えぇ、あの子も喜びます」
そういう会話をしてから、穂積は現状を思い出して息をついて笑ってみせた。
「はぁ……。参ったな。やっと時間が取れて会いに来たんですが……」
力なく言う穂積の顔は、色濃く疲労が見えていた。
「肩こりが酷そうですね。体も少し歪んでいます」
かつては熟練の花女だった芍薬は、穂積を見ただけで主だった患部が分かるらしく、そう言ってから穂積に合いそうな花女を考えているようだった。
そこに――。
「あら、聞き覚えのある声だと思った」
店のバックヤードの暖簾(のれん)から顔を覗かせたのは、棘千代だった。まだ仕事前なのか普段着の着物を着て、化粧や髪型は仕事用だ。
「どうも、棘千代さん」
「穂積さん、でしたっけ? 夜花が今日休みなら、私が癒して差し上げましょうか?」
ちゃんと店で客に対する喋り方になっている棘千代は、着物だけはいつも店で見かける豪奢な物ではないものの、花序一位のオーラが滲み出ている。
「いえ、俺なんかが花序一位の棘千代さんの相手になったらいけません。あなたには相応しい客がいる」
折角『吉野』まで足を運んだが、夜花がいないのなら遠慮をしようと思った穂積が軽く会釈をすると、棘千代がそのまま出てきてスラリと穂積の前に立つ。
「別に一位に合わせたお代はいいです。夜花と同じ料金で癒して差し上げます。あなた、相当疲れてらっしゃるでしょう。夜花に会いに来たのも分かりますが、私たちの仕事は疲れたお客様を癒す事です。ここで無理をしては、お仕事に障りますよ?」
それは尤もな言い分だった。
先ほど芍薬に言われた通り、穂積は仕事が詰まってかなり体にきている。
花街には老若男女問わず癒しを求めて来ているのに、決まった相手がいないから帰るというのも、些か店に対して失礼な気もしてきた。
「では……いつも夜花さんにお願いしている通り、一時間の手技でお願いしてもいいですか?」
夜花を裏切ってしまうような気持ちもあったが、この体の痛みを抱えながら明日も机に向かうのは避けたい。
「いいですよ。私のお客様がご来店される時間は、まだ先なんです。ふふ、普通に手技だけだなんて昔に戻ったみたいだわ。準備して来ますから、お部屋で待ってらして」
そう言って棘千代はまたバックヤードに引っ込み、のれんの向こうから「誰か制服貸して」という声が聞こえて来た。
「芍薬さん……この事は……」
「えぇ、分かっています。夜花には秘密にしておきますね」
夜花が花序四位とは言え、立派に手技で客から料金をもらっているプロだ。自分の常連客が他の花女に癒されたとなると、個人的な事もあるがプライドが傷付くだろう。
「恩に着ます」
そして穂積は花序五位の花女に案内されて部屋へ行き、やや微妙な気持ちで着物を脱いで籠に入れてゆく。
(夜花に怒られるかな。……泣かれるだろうか。……だがこれは浮気ではないし)
最後にそう付け加えるのが、もしかすると自分への言い訳なのかもしれない。
薄暗い照明に滑らかに光る上半身を晒していた穂積は、しばらくそのまま何やら考えた後に、籠に落とした着物を再び手にした。
(やはり今日は帰ろう。これは不誠実だ)
そう決めると迷っていた気持ちは軽くなり、体の痛みも和らいだ気がする。
「あら、どうなさったの?」
と、部屋の出入り口から棘千代の声がし、いつもの夜花と同じ花序四位の制服を着た棘千代がそこに立っていた。
「今日は帰ります。やはり夜花を裏切れない」
「穂積さんはここへ夜花に会いにいらしてるの?」
棘千代の声に、襦袢を羽織ろうとしていた穂積の手が止まった。
「それは……そうです」
「けれど、あの子はまだ蕾挿頭花です。店では正式に体を開いていませんし、夜花の気持ちや外の恋人を求めるのは店側としては御法度です」
「…………」
正論を言われ、穂積は思わず黙った。
「あの子に気持ちを持って会うなら、店の外でおやりなさい。『吉野』の夜花は花序四位の蕾挿頭花。手技の癒しのみを行う子です。逆を言えば手技のみを求めるお客様は、誰だって夜花を指名できます」
突き付けられた事実に穂積は言い返せない。
彼女の仕事を尊敬し、尊重しているつもりでいた。だが夜花が自分が知らない他の客に触れ、癒していると思うとどす黒い感情が芽生えてしまうのだ。
それに気付かないようにして応援してきたのに――。
「更に言えば、蕾挿頭花を指名するあなたは花女なら誰でもいいでしょう。確かに馴染みの方が話しやすいかもしれません。ですが、蕾挿頭花に恋愛感情を持つのは禁止されています」
「…………」
棘千代の言葉は無味無臭の毒のように穂積の心に入り込み、静かに彼の心を侵す。
夜花も忙しく働いたり勉強をしている間、穂積を思ってやるべき事がおろそかになってしまいそうな自分を叱咤する。桜姫試験を受けると打ち明けた同僚にも、励ましてもらって頑張っていた。
店にいて時間のある時は五位の花女に混じって店先で呼び込みをし、花街の雑踏の中で穂積の姿を見つけようとする。
似たような背格好、髪の色の男を見ては一瞬胸を高鳴らせ、その直後に失望する。
穂積に会えないだけで毎日がこんなに辛くては、仮に宮廷に上がれたとして穂積とすれ違いの生活になって、どれだけ辛くなるのだろう?
そんなまだ訪れてもいない未来を想像しては溜息をつき、残った力をただ接客と勉強に費やすのだった。
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「こんばんは。芍薬さん」
その穂積がフラリと姿を現したのは、二人が最後にデートをしてから一か月以上経った頃だった。
「あら、穂積さん。あの子今日調子を崩してお休みなんですよ」
頭台にいつものように座っていた芍薬が困ったというように上品に笑い、その言葉に穂積は心配そうに眉を顰める。
「大丈夫なんですか? 風邪?」
「えぇ、桜姫試験ももうすぐに迫っていますでしょう? 根を詰めすぎてしまって、疲労が祟っているみたいです。花女なのにお恥ずかしいわ」
「そうですか……。近いうち、お見舞いに行きます」
「えぇ、あの子も喜びます」
そういう会話をしてから、穂積は現状を思い出して息をついて笑ってみせた。
「はぁ……。参ったな。やっと時間が取れて会いに来たんですが……」
力なく言う穂積の顔は、色濃く疲労が見えていた。
「肩こりが酷そうですね。体も少し歪んでいます」
かつては熟練の花女だった芍薬は、穂積を見ただけで主だった患部が分かるらしく、そう言ってから穂積に合いそうな花女を考えているようだった。
そこに――。
「あら、聞き覚えのある声だと思った」
店のバックヤードの暖簾(のれん)から顔を覗かせたのは、棘千代だった。まだ仕事前なのか普段着の着物を着て、化粧や髪型は仕事用だ。
「どうも、棘千代さん」
「穂積さん、でしたっけ? 夜花が今日休みなら、私が癒して差し上げましょうか?」
ちゃんと店で客に対する喋り方になっている棘千代は、着物だけはいつも店で見かける豪奢な物ではないものの、花序一位のオーラが滲み出ている。
「いえ、俺なんかが花序一位の棘千代さんの相手になったらいけません。あなたには相応しい客がいる」
折角『吉野』まで足を運んだが、夜花がいないのなら遠慮をしようと思った穂積が軽く会釈をすると、棘千代がそのまま出てきてスラリと穂積の前に立つ。
「別に一位に合わせたお代はいいです。夜花と同じ料金で癒して差し上げます。あなた、相当疲れてらっしゃるでしょう。夜花に会いに来たのも分かりますが、私たちの仕事は疲れたお客様を癒す事です。ここで無理をしては、お仕事に障りますよ?」
それは尤もな言い分だった。
先ほど芍薬に言われた通り、穂積は仕事が詰まってかなり体にきている。
花街には老若男女問わず癒しを求めて来ているのに、決まった相手がいないから帰るというのも、些か店に対して失礼な気もしてきた。
「では……いつも夜花さんにお願いしている通り、一時間の手技でお願いしてもいいですか?」
夜花を裏切ってしまうような気持ちもあったが、この体の痛みを抱えながら明日も机に向かうのは避けたい。
「いいですよ。私のお客様がご来店される時間は、まだ先なんです。ふふ、普通に手技だけだなんて昔に戻ったみたいだわ。準備して来ますから、お部屋で待ってらして」
そう言って棘千代はまたバックヤードに引っ込み、のれんの向こうから「誰か制服貸して」という声が聞こえて来た。
「芍薬さん……この事は……」
「えぇ、分かっています。夜花には秘密にしておきますね」
夜花が花序四位とは言え、立派に手技で客から料金をもらっているプロだ。自分の常連客が他の花女に癒されたとなると、個人的な事もあるがプライドが傷付くだろう。
「恩に着ます」
そして穂積は花序五位の花女に案内されて部屋へ行き、やや微妙な気持ちで着物を脱いで籠に入れてゆく。
(夜花に怒られるかな。……泣かれるだろうか。……だがこれは浮気ではないし)
最後にそう付け加えるのが、もしかすると自分への言い訳なのかもしれない。
薄暗い照明に滑らかに光る上半身を晒していた穂積は、しばらくそのまま何やら考えた後に、籠に落とした着物を再び手にした。
(やはり今日は帰ろう。これは不誠実だ)
そう決めると迷っていた気持ちは軽くなり、体の痛みも和らいだ気がする。
「あら、どうなさったの?」
と、部屋の出入り口から棘千代の声がし、いつもの夜花と同じ花序四位の制服を着た棘千代がそこに立っていた。
「今日は帰ります。やはり夜花を裏切れない」
「穂積さんはここへ夜花に会いにいらしてるの?」
棘千代の声に、襦袢を羽織ろうとしていた穂積の手が止まった。
「それは……そうです」
「けれど、あの子はまだ蕾挿頭花です。店では正式に体を開いていませんし、夜花の気持ちや外の恋人を求めるのは店側としては御法度です」
「…………」
正論を言われ、穂積は思わず黙った。
「あの子に気持ちを持って会うなら、店の外でおやりなさい。『吉野』の夜花は花序四位の蕾挿頭花。手技の癒しのみを行う子です。逆を言えば手技のみを求めるお客様は、誰だって夜花を指名できます」
突き付けられた事実に穂積は言い返せない。
彼女の仕事を尊敬し、尊重しているつもりでいた。だが夜花が自分が知らない他の客に触れ、癒していると思うとどす黒い感情が芽生えてしまうのだ。
それに気付かないようにして応援してきたのに――。
「更に言えば、蕾挿頭花を指名するあなたは花女なら誰でもいいでしょう。確かに馴染みの方が話しやすいかもしれません。ですが、蕾挿頭花に恋愛感情を持つのは禁止されています」
「…………」
棘千代の言葉は無味無臭の毒のように穂積の心に入り込み、静かに彼の心を侵す。
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