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すれ違い4
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「流石に人がいないね」
緑地にあるベンチに座ると、辺りはふわりと温かい夜の帳が下りていた。虫がリィリィと鳴き、蛍が幻想的な光を放ちながら飛び、夜桜が舞う。
そんな様々な四季が乱れた景色こそが、皇帝の力が正常に桜花帝国を守っている証拠でもある。皇帝の力が安定していれば国は豊かで美しい姿を見せ、皇帝の力が不安定になれば雪が降る場合もある。
沈黙を守ったままの夜花は視線を落として座り、穂積は屋台で買った食べ物を二人の間に広げてゆく。
「さぁ、食べよう。まずは栄養を取らないと」
「はい……」
穂積が差し出してきた竹筒を手に取った夜花は、鼻先に匂う粥の香りに溜息をついていた。
こんなにも気持ちが暗鬱としているのに、体は正直でいい匂いを嗅いで腹が鳴ろうとしている。それが鳴ってしまう前に、夜花は「いただきます」と呟いて穂積から受け取った木の匙で粥を食べ始めた。
夜花が食べ始めるのを確認してから穂積も食べ始め、しばらく二人は無言で食事を続ける。
「たまには外でこういうのもいいね。試験が終わったら、君の弁当も楽しみにしているよ」
「……はい」
「夜花はどういう料理をするんだい?」
「…………」
穂積が質問をしても夜花は返事をせず、口を動かしながら何やら考えているようだった。
その様子を感じて穂積も夜花に気付かれないようにそっと息をつき、自分も黙ったまま食事の続きをした。
食事を終えて少し温くなったお茶を竹筒から飲んでいると、緩い夜風に乗って花街の喧騒が遠くから聞こえてくる。花女が客を呼び込む声、屋台の掛け声、通りで三味線や太鼓などの楽器を鳴らす音。
緑地の木々のシルエットの向こう、花街の明かりが幻想的に浮かび上がっていた。
「……姉さんと、どう過ごされたんですか?」
ポツリ、と呟いたのは夜花だった。
自分から話を切り出しても、真っ直ぐに穂積の目を見る事はできない。ただ隣に座って同じ方向を見て、その先の暗い景色の中に自分が本当に口にすべき言葉を探しているようだった。
「……本当に、いつもの夜花と同じように手技だけを施してもらっただけだよ。他の……性的な事とかは誓ってない」
「……信じていいんですか?」
「信じて欲しい」
穂積はただそう言うだけしかできない。
人を疑って勝手に悪者にするのはとても簡単な事だが、誰かを信じ抜いてその言葉も行動も、全て肯定するというのは意外に難しいものだ。
穂積も宮廷に働いていて優しい上司や同僚はいるが、仕事をする上で信じていても、その人を一人の人間として全て肯定できるかどうかと言われれば、相手によると答えてしまうだろう。
「……信じたいんです」
夜花の声が揺れて、声に涙が混じった。
「穂積さんは私だけを想って下さっていて、今日お店に来たのも私に会いに来て下さったんだって思いたくて。桜姫試験の事も、私との将来の事を考えて下さっているんだって思っているし、だから私も毎日必死になって勉強していて……っ」
そこに、今までにないほど追い詰められて勉強をし、目前に試験を控えたプレッシャーに潰されそうになっている夜花がいた。
田舎から母のように花女になりたいと思って牡丹に出てきて、自分のペースで学んでいたのとは違う。一定の基準に満たなければ落とされる。民間の試験とは違い、宮廷の試験は三年に一度の機会しかないのだ。
尊敬している棘千代に、内通目的で穂積と会っているのかと言われ、その穂積は自分の知らない所で棘千代に癒されていて。
何もかもが不安要素しかなく、夜花はあともう少し何かがあればぺしゃんこに潰れてしまいそうだった。
「なのに……っ、穂積さん私の知らない所で何をしてるのか分からないんですもの。どこで寝泊まりしているのかも知らないし、ご家族の事も知らないし、フラッと会ってはまた暫く連絡が取れなくて……っ。私が宮廷に上がれたら穂積さんともう少し距離が縮まるかもって思ったら希望にも思えるけど、でも……っ」
「……ごめん」
夜花に不安を与えているのは全て自分なのだと穂積は痛感し、ただそう謝るしかできない。
「それだけ、ですか? 穂積さんの事を色々教えて下さるとか……、ないんですか?」
「それは……」
夜花が穂積の方を向き、真正面から潤んだ目が真摯に見つめてくる。夜花の赤い目の底に揺れる炎が見えるかのようだった。
その炎が、穂積の事を全て知りたいと望んでいる。今まで聞きたいと思って遠慮していた、穂積のプライベートな生活を。
だが――、
「ごめん、今は詳しい事は話せないんだ。君が桜姫試験に受かったら色々話す。約束するよ」
「……そう、ですか」
穂積がやんわりと夜花の期待を跳ねのけ、夜花は明らかに気落ちして項垂れた。溜息をつかないようにと息を思い切り吸い込み、ゆっくりゆっくり細く長く吐き出してゆく。
「俺が夜花に色々口を出したりした所為で、君を迷わせているのは本当に申し訳ない。だが俺は本当に君を心から応援している。それは信じて」
「……はい」
そう返事をしたものの、夜花の心は暗く淀んだままだった。
桜姫試験を控えて押し潰されそうになっているのに、頼りにしたい穂積はどこか謎が残るままで、夜花はもう既に心が折れかけていた。
「私……もう帰ります。母さんも休みなさいって言ってくれましたし」
「そうだね。引き留めて悪かった。寮まで送るから、後はちゃんと休んで」
食べた物の残骸を紙袋にまとめて入れ、緑地にあるゴミ箱へ捨ててから二人はまた言葉数少なく並んで歩く。
緑地を抜けて花街の隅の方にある、花女たちの寮が密集している所まで歩いた時、夜花がポツリと呟いた。
「私なんだかもう、桜姫試験を受けていいのか分からなくなってきました」
「……夜花が受けたくないのなら、それでいいよ」
「…………」
ここまで言っても飽く迄優しい穂積に、夜花は自分が情けなくなっていた。
本当は「黙って俺の言う事をきけ」というぐらいの、穂積からの強い言葉が欲しい。そう言ってもらえたら、例え周りに愚かだと言われても妄信してついていけるのに。
穂積はただ優しくて、上品で、押し付けがましい所がない。そこを好きになったはずなのに、好きになればどんどん欲が深くなって自分に欠けているものを穂積に求めてしまう。
(……私、自分の悪い所を穂積さんにぶつけてばかりだ。自分が弱かったり、プレッシャーに負けそうになってる心を、優しい穂積さんに八つ当たりしてる)
そんな自覚に思い当たると、夜花はどんどん自己嫌悪に陥っていくしかできない。
「送って下さって、どうもありがとうございました」
寮の前で夜花は穂積に頭を下げ、そのまま話す事はなく気まずそうに寮の中へ入っていってしまった。
残された穂積は秘密を抱えたまましばらくそこに立ち尽くす。
寮の窓に夜花のシルエットが見える事を望んだが、男子禁制の寮のどの部屋に夜花が住んでいるのかも分からない。
「まだ言えないんだ……ごめん。今すべてを言ってしまえば、君は今のまま俺に接してくれなくなる。だから……」
そう呟いた穂積の心を癒すように、寮の前に生えている杏の木の花から甘い香りが漂ってきた。
緑地にあるベンチに座ると、辺りはふわりと温かい夜の帳が下りていた。虫がリィリィと鳴き、蛍が幻想的な光を放ちながら飛び、夜桜が舞う。
そんな様々な四季が乱れた景色こそが、皇帝の力が正常に桜花帝国を守っている証拠でもある。皇帝の力が安定していれば国は豊かで美しい姿を見せ、皇帝の力が不安定になれば雪が降る場合もある。
沈黙を守ったままの夜花は視線を落として座り、穂積は屋台で買った食べ物を二人の間に広げてゆく。
「さぁ、食べよう。まずは栄養を取らないと」
「はい……」
穂積が差し出してきた竹筒を手に取った夜花は、鼻先に匂う粥の香りに溜息をついていた。
こんなにも気持ちが暗鬱としているのに、体は正直でいい匂いを嗅いで腹が鳴ろうとしている。それが鳴ってしまう前に、夜花は「いただきます」と呟いて穂積から受け取った木の匙で粥を食べ始めた。
夜花が食べ始めるのを確認してから穂積も食べ始め、しばらく二人は無言で食事を続ける。
「たまには外でこういうのもいいね。試験が終わったら、君の弁当も楽しみにしているよ」
「……はい」
「夜花はどういう料理をするんだい?」
「…………」
穂積が質問をしても夜花は返事をせず、口を動かしながら何やら考えているようだった。
その様子を感じて穂積も夜花に気付かれないようにそっと息をつき、自分も黙ったまま食事の続きをした。
食事を終えて少し温くなったお茶を竹筒から飲んでいると、緩い夜風に乗って花街の喧騒が遠くから聞こえてくる。花女が客を呼び込む声、屋台の掛け声、通りで三味線や太鼓などの楽器を鳴らす音。
緑地の木々のシルエットの向こう、花街の明かりが幻想的に浮かび上がっていた。
「……姉さんと、どう過ごされたんですか?」
ポツリ、と呟いたのは夜花だった。
自分から話を切り出しても、真っ直ぐに穂積の目を見る事はできない。ただ隣に座って同じ方向を見て、その先の暗い景色の中に自分が本当に口にすべき言葉を探しているようだった。
「……本当に、いつもの夜花と同じように手技だけを施してもらっただけだよ。他の……性的な事とかは誓ってない」
「……信じていいんですか?」
「信じて欲しい」
穂積はただそう言うだけしかできない。
人を疑って勝手に悪者にするのはとても簡単な事だが、誰かを信じ抜いてその言葉も行動も、全て肯定するというのは意外に難しいものだ。
穂積も宮廷に働いていて優しい上司や同僚はいるが、仕事をする上で信じていても、その人を一人の人間として全て肯定できるかどうかと言われれば、相手によると答えてしまうだろう。
「……信じたいんです」
夜花の声が揺れて、声に涙が混じった。
「穂積さんは私だけを想って下さっていて、今日お店に来たのも私に会いに来て下さったんだって思いたくて。桜姫試験の事も、私との将来の事を考えて下さっているんだって思っているし、だから私も毎日必死になって勉強していて……っ」
そこに、今までにないほど追い詰められて勉強をし、目前に試験を控えたプレッシャーに潰されそうになっている夜花がいた。
田舎から母のように花女になりたいと思って牡丹に出てきて、自分のペースで学んでいたのとは違う。一定の基準に満たなければ落とされる。民間の試験とは違い、宮廷の試験は三年に一度の機会しかないのだ。
尊敬している棘千代に、内通目的で穂積と会っているのかと言われ、その穂積は自分の知らない所で棘千代に癒されていて。
何もかもが不安要素しかなく、夜花はあともう少し何かがあればぺしゃんこに潰れてしまいそうだった。
「なのに……っ、穂積さん私の知らない所で何をしてるのか分からないんですもの。どこで寝泊まりしているのかも知らないし、ご家族の事も知らないし、フラッと会ってはまた暫く連絡が取れなくて……っ。私が宮廷に上がれたら穂積さんともう少し距離が縮まるかもって思ったら希望にも思えるけど、でも……っ」
「……ごめん」
夜花に不安を与えているのは全て自分なのだと穂積は痛感し、ただそう謝るしかできない。
「それだけ、ですか? 穂積さんの事を色々教えて下さるとか……、ないんですか?」
「それは……」
夜花が穂積の方を向き、真正面から潤んだ目が真摯に見つめてくる。夜花の赤い目の底に揺れる炎が見えるかのようだった。
その炎が、穂積の事を全て知りたいと望んでいる。今まで聞きたいと思って遠慮していた、穂積のプライベートな生活を。
だが――、
「ごめん、今は詳しい事は話せないんだ。君が桜姫試験に受かったら色々話す。約束するよ」
「……そう、ですか」
穂積がやんわりと夜花の期待を跳ねのけ、夜花は明らかに気落ちして項垂れた。溜息をつかないようにと息を思い切り吸い込み、ゆっくりゆっくり細く長く吐き出してゆく。
「俺が夜花に色々口を出したりした所為で、君を迷わせているのは本当に申し訳ない。だが俺は本当に君を心から応援している。それは信じて」
「……はい」
そう返事をしたものの、夜花の心は暗く淀んだままだった。
桜姫試験を控えて押し潰されそうになっているのに、頼りにしたい穂積はどこか謎が残るままで、夜花はもう既に心が折れかけていた。
「私……もう帰ります。母さんも休みなさいって言ってくれましたし」
「そうだね。引き留めて悪かった。寮まで送るから、後はちゃんと休んで」
食べた物の残骸を紙袋にまとめて入れ、緑地にあるゴミ箱へ捨ててから二人はまた言葉数少なく並んで歩く。
緑地を抜けて花街の隅の方にある、花女たちの寮が密集している所まで歩いた時、夜花がポツリと呟いた。
「私なんだかもう、桜姫試験を受けていいのか分からなくなってきました」
「……夜花が受けたくないのなら、それでいいよ」
「…………」
ここまで言っても飽く迄優しい穂積に、夜花は自分が情けなくなっていた。
本当は「黙って俺の言う事をきけ」というぐらいの、穂積からの強い言葉が欲しい。そう言ってもらえたら、例え周りに愚かだと言われても妄信してついていけるのに。
穂積はただ優しくて、上品で、押し付けがましい所がない。そこを好きになったはずなのに、好きになればどんどん欲が深くなって自分に欠けているものを穂積に求めてしまう。
(……私、自分の悪い所を穂積さんにぶつけてばかりだ。自分が弱かったり、プレッシャーに負けそうになってる心を、優しい穂積さんに八つ当たりしてる)
そんな自覚に思い当たると、夜花はどんどん自己嫌悪に陥っていくしかできない。
「送って下さって、どうもありがとうございました」
寮の前で夜花は穂積に頭を下げ、そのまま話す事はなく気まずそうに寮の中へ入っていってしまった。
残された穂積は秘密を抱えたまましばらくそこに立ち尽くす。
寮の窓に夜花のシルエットが見える事を望んだが、男子禁制の寮のどの部屋に夜花が住んでいるのかも分からない。
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