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空白を埋めるために2
「だから、コーネリアはもう何も心配しなくていい。ご両親や国を亡くした事は取り返しがつかない。それでも君の事は俺がこの先ずっと守るし、約束通り結婚して暮らしていこう?」
衝撃的な現実を教えられ、仇すら失って空虚になった心に、じんわりとレックスの言葉が染み入ってゆく。まるで甘い毒のようだ。
髪を撫でる手も、心地良い体温も、じわじわと寄る辺ない彼女を侵食してゆく。
「……少し、疲れました。休んでもいいですか?」
「勿論だとも。ここは君の寝室で、続き部屋が何部屋かある。その奥に俺の執務室や寝室が続いている。だから、何かあったら声を出せばすぐに駆けつける」
コーネリアの体は横たえられ、上に羽毛布団が被せられる。左手を引かれたかと思うと、ベッドサイドに導かれた。
「ここに水差しとゴブレットがあるから、注意して。あとベルもあるから、鳴らせばシンシアが来る」
導かれたまま手で確認してゆくと、確かに言われた物が置かれてある。
「目は多分徐々に慣れてくるだろう。室内のカーテンはすべて閉じたままにするから、自分で加減を見ながら少しずつ慣らしていくといい」
「はい」
色々と世の中は変わってしまったが、レックスの落ち着いた声や思慮深く優しい性格は変わっていない。
今は様々な情報がドッと押し寄せて、感情が追いついていない。
それでももう何にも焦る事はないのだから、ゆっくりと自分の感情と折り合いをつけていかなくては。
姫らしく自分に言い聞かせていると、レックスの声が笑う。
「それはそうと、よくあの地下牢で侵入者に向かって飛びかかり、殺そうという気概があったな? 驚いたよ」
「あ、あれは……」
王女らしからぬ立ち振る舞いを思い出し、コーネリアは赤面する。
「……あ、あなたに嫁ぐまでは、誰にも何も許してはならないと思っていたのです。もともと体を動かすのが好きでしたし、あそこでも思いつく限り自分でできる運動はしていました」
そこで初めてレックスは「ははは!」と声を上げて笑い、何度もコーネリアの頭を撫でてくる。
「うん、実に君らしい。本当によく生き抜いたな。君は俺の自慢の婚約者だ。これからもきっと、良い妃となってくれると信じている」
「……恥ずかしいです。婚約者をくびり殺そうとしただなんて……。なんてはしたない」
顔も体も熱く、コーネリアはもそもそと布団の中に顔を隠してゆく。
だが頤を掴まれ顔を仰のけられると、チュッと唇に何かが触れた。
「……え?」
「ずっと我慢していたのだから、キスぐらいいいだろう? じゃあ、また」
最後にポンポンと頭を撫でて、レックスの気配が去って行った。
「……キス、されてしまったわ」
自分の唇を指で触れ、コーネリアは呟く。
緊張していた体と意識を解放し、息を深く吸って吐き出した。
もう、何も怯える事はない。すべてにおいて安心していいのだ。
だが知らない間に、沢山のものを失ってしまった。
心は麻痺していて、両親と国を失った事を悲しいとか悔しいとか、きちんと感じる事ができていない。漫然とした心に、レックスが話した〝現実〟が染み入っただけだ。
(少し、寝ましょう。疲れたわ)
もう一度息を吸って新鮮な空気を肺に含んでから、ゆっくり長く吐き出してコーネリアは考える事を放棄した。
**
幸いあのあと起きた頃には視力は回復しており、薄暗い天蓋の中で食事を取る。ベルを鳴らせばシンシアが来てくれて、身の回りの細々とした事をすべてしてくれた。
夜になり、天蓋の向こうで人の気配がしたかと思うと、レックスの声がする。
「コーネリア」
「……はい」
返事をするとレックスはホッと息をつき、もう一歩天蓋に近付く。
「中に入っても大丈夫か? 昼間はレディの寝所だというのに、問答無用で入ってすまなかった」
「婚約者なのですから、お気になさらないで。どうぞ……」
彼を招き入れる寸前、コーネリアはサッと髪の毛を整え、ネグリジェの胸元もはだけていないか確認した。
「失礼する」
天蓋が開き、レックスのシルエットがぬっと天蓋に入り込む。彼の背後には夜間の明かりがチラリと見えたが、直接燃える火が見えた訳ではないので問題ない。
「あ……」
今度はきちんとレックスの姿が見え、コーネリアは美しく精悍に成長した彼に見とれ、言葉を失う。
サラリとした黒髪に、空の蒼を溶かし込んだかのような瞳。肌の色は戦争のあいだ日に焼けたからか、たくましい印象を強めている。高い鼻梁の下にある潔癖そうな唇は、記憶にある通りの形だ。
だが二十七歳になった彼は、その肩幅を広くし、胸板も厚く歴戦の戦士のようだ。最後に会った時は二十一歳だったので、そのあいだレックスが大人の男性として成熟していったのが分かる。
いつの間にか、コーネリアは両手を差し出していた。
「さわ……らせて、ください……。もう一度……、あなたを、……側で……」
「ん、座るぞ」
レックスがベッドに腰掛け、微かにマットレスがたわんだ。
「成長……されたのですね……。信じられないぐらい、素敵になって……」
コーネリアは自身の手で目の前のレックスを確認してゆく。何度も撫でてクシャクシャにしては怒られた、黒髪にまず触れる。指の間でその感触を確かめていると、レックスが気持ち良さそうに目を細めた。
滑らかな頬はきちんと髭の手入れもされてある。だが目の下に疲労を隠せないクマがあり、心配になる。
「疲れたお顔をしています。ちゃんと食事をし、夜は眠れていますか?」
自分の方こそつい前日まで六年間囚われの身だったというのに、コーネリアはつい世話を焼くかのように彼に質問する。
次に目がちゃんと見えるようになり、レックスの姿をちゃんと見られたら、感動のあまり思いあまって抱きついてしまうかと思っていた。
だが感動はじわじわと押し寄せ、コーネリアは目からポロポロと涙を零しつつ微笑む。
コーネリアの世話焼きな台詞を、レックスもおかしく思ったようだ。
「大丈夫だ。今まで倒れた事はないし、ちゃんとやれている。コーネリアはしっかり者の妻になれそうだな?」
レックスの両手で頬を包まれ、くにゅくにゅと柔らかな頬を遊ばれてしまう。
「んぅ……。何だか私が知らないあいだに、レイ様はとても大人になられましたね」
コーネリアも彼の頬を包み、愛しげに撫でる。
「君も随分大人っぽくなったよ。でもまずはちゃんと食事を取り、徐々に目を慣らしながら適度な運動もしていこう」
今度は逆にレックスに体調を気遣われ、コーネリアは思わず笑い出す。それがレックスにも伝染し、二人は幸せを噛みしめつつしばらくクスクス笑う。
「レイ様……」
コーネリアはレックスの体に抱きつき、その体の逞しさに縋った。
彼は何も言わず、黙ってコーネリアを受け入れてくれる。
「お会い……したかったです。いつか絶対あの穴蔵から出て、あなたと再び見えると……心に誓っていたのです」
押し殺していた思いがジワジワと溢れ、コーネリアは静かに嗚咽する。
「何度も……っ、くじけそうになりました。どこを見ても暗くて、毎日シンシアが食事を持ってきてくれる時と、彼女と会話をしながら週に一度身を清める時が救いでした。独り言を口にしても、誰も答えてくれない……っ。闇の中から、自分の心の鏡である化け物がヌッと出てくるような気がする時もありました……っ」
コーネリアの言葉を、レックスは黙って聞く。
そうする事しか、自分にはできないと思っているからだ。
コーネリアの事を誰よりも心配していたという自負があっても、彼女を一度失ってから六年間、側にいてやれなかったのは事実だ。
彼女からなら、どんな誹りだって聞く覚悟はある。いや、そうされて当然だとすら思っている。
「でも……っ」
レックスの胸元から顔を上げ、コーネリアは涙でクシャクシャになった表情で微笑む。それは、曇天の雲間から急に陽光が降り注いだかのような、希望に満ちた笑顔だ。
衝撃的な現実を教えられ、仇すら失って空虚になった心に、じんわりとレックスの言葉が染み入ってゆく。まるで甘い毒のようだ。
髪を撫でる手も、心地良い体温も、じわじわと寄る辺ない彼女を侵食してゆく。
「……少し、疲れました。休んでもいいですか?」
「勿論だとも。ここは君の寝室で、続き部屋が何部屋かある。その奥に俺の執務室や寝室が続いている。だから、何かあったら声を出せばすぐに駆けつける」
コーネリアの体は横たえられ、上に羽毛布団が被せられる。左手を引かれたかと思うと、ベッドサイドに導かれた。
「ここに水差しとゴブレットがあるから、注意して。あとベルもあるから、鳴らせばシンシアが来る」
導かれたまま手で確認してゆくと、確かに言われた物が置かれてある。
「目は多分徐々に慣れてくるだろう。室内のカーテンはすべて閉じたままにするから、自分で加減を見ながら少しずつ慣らしていくといい」
「はい」
色々と世の中は変わってしまったが、レックスの落ち着いた声や思慮深く優しい性格は変わっていない。
今は様々な情報がドッと押し寄せて、感情が追いついていない。
それでももう何にも焦る事はないのだから、ゆっくりと自分の感情と折り合いをつけていかなくては。
姫らしく自分に言い聞かせていると、レックスの声が笑う。
「それはそうと、よくあの地下牢で侵入者に向かって飛びかかり、殺そうという気概があったな? 驚いたよ」
「あ、あれは……」
王女らしからぬ立ち振る舞いを思い出し、コーネリアは赤面する。
「……あ、あなたに嫁ぐまでは、誰にも何も許してはならないと思っていたのです。もともと体を動かすのが好きでしたし、あそこでも思いつく限り自分でできる運動はしていました」
そこで初めてレックスは「ははは!」と声を上げて笑い、何度もコーネリアの頭を撫でてくる。
「うん、実に君らしい。本当によく生き抜いたな。君は俺の自慢の婚約者だ。これからもきっと、良い妃となってくれると信じている」
「……恥ずかしいです。婚約者をくびり殺そうとしただなんて……。なんてはしたない」
顔も体も熱く、コーネリアはもそもそと布団の中に顔を隠してゆく。
だが頤を掴まれ顔を仰のけられると、チュッと唇に何かが触れた。
「……え?」
「ずっと我慢していたのだから、キスぐらいいいだろう? じゃあ、また」
最後にポンポンと頭を撫でて、レックスの気配が去って行った。
「……キス、されてしまったわ」
自分の唇を指で触れ、コーネリアは呟く。
緊張していた体と意識を解放し、息を深く吸って吐き出した。
もう、何も怯える事はない。すべてにおいて安心していいのだ。
だが知らない間に、沢山のものを失ってしまった。
心は麻痺していて、両親と国を失った事を悲しいとか悔しいとか、きちんと感じる事ができていない。漫然とした心に、レックスが話した〝現実〟が染み入っただけだ。
(少し、寝ましょう。疲れたわ)
もう一度息を吸って新鮮な空気を肺に含んでから、ゆっくり長く吐き出してコーネリアは考える事を放棄した。
**
幸いあのあと起きた頃には視力は回復しており、薄暗い天蓋の中で食事を取る。ベルを鳴らせばシンシアが来てくれて、身の回りの細々とした事をすべてしてくれた。
夜になり、天蓋の向こうで人の気配がしたかと思うと、レックスの声がする。
「コーネリア」
「……はい」
返事をするとレックスはホッと息をつき、もう一歩天蓋に近付く。
「中に入っても大丈夫か? 昼間はレディの寝所だというのに、問答無用で入ってすまなかった」
「婚約者なのですから、お気になさらないで。どうぞ……」
彼を招き入れる寸前、コーネリアはサッと髪の毛を整え、ネグリジェの胸元もはだけていないか確認した。
「失礼する」
天蓋が開き、レックスのシルエットがぬっと天蓋に入り込む。彼の背後には夜間の明かりがチラリと見えたが、直接燃える火が見えた訳ではないので問題ない。
「あ……」
今度はきちんとレックスの姿が見え、コーネリアは美しく精悍に成長した彼に見とれ、言葉を失う。
サラリとした黒髪に、空の蒼を溶かし込んだかのような瞳。肌の色は戦争のあいだ日に焼けたからか、たくましい印象を強めている。高い鼻梁の下にある潔癖そうな唇は、記憶にある通りの形だ。
だが二十七歳になった彼は、その肩幅を広くし、胸板も厚く歴戦の戦士のようだ。最後に会った時は二十一歳だったので、そのあいだレックスが大人の男性として成熟していったのが分かる。
いつの間にか、コーネリアは両手を差し出していた。
「さわ……らせて、ください……。もう一度……、あなたを、……側で……」
「ん、座るぞ」
レックスがベッドに腰掛け、微かにマットレスがたわんだ。
「成長……されたのですね……。信じられないぐらい、素敵になって……」
コーネリアは自身の手で目の前のレックスを確認してゆく。何度も撫でてクシャクシャにしては怒られた、黒髪にまず触れる。指の間でその感触を確かめていると、レックスが気持ち良さそうに目を細めた。
滑らかな頬はきちんと髭の手入れもされてある。だが目の下に疲労を隠せないクマがあり、心配になる。
「疲れたお顔をしています。ちゃんと食事をし、夜は眠れていますか?」
自分の方こそつい前日まで六年間囚われの身だったというのに、コーネリアはつい世話を焼くかのように彼に質問する。
次に目がちゃんと見えるようになり、レックスの姿をちゃんと見られたら、感動のあまり思いあまって抱きついてしまうかと思っていた。
だが感動はじわじわと押し寄せ、コーネリアは目からポロポロと涙を零しつつ微笑む。
コーネリアの世話焼きな台詞を、レックスもおかしく思ったようだ。
「大丈夫だ。今まで倒れた事はないし、ちゃんとやれている。コーネリアはしっかり者の妻になれそうだな?」
レックスの両手で頬を包まれ、くにゅくにゅと柔らかな頬を遊ばれてしまう。
「んぅ……。何だか私が知らないあいだに、レイ様はとても大人になられましたね」
コーネリアも彼の頬を包み、愛しげに撫でる。
「君も随分大人っぽくなったよ。でもまずはちゃんと食事を取り、徐々に目を慣らしながら適度な運動もしていこう」
今度は逆にレックスに体調を気遣われ、コーネリアは思わず笑い出す。それがレックスにも伝染し、二人は幸せを噛みしめつつしばらくクスクス笑う。
「レイ様……」
コーネリアはレックスの体に抱きつき、その体の逞しさに縋った。
彼は何も言わず、黙ってコーネリアを受け入れてくれる。
「お会い……したかったです。いつか絶対あの穴蔵から出て、あなたと再び見えると……心に誓っていたのです」
押し殺していた思いがジワジワと溢れ、コーネリアは静かに嗚咽する。
「何度も……っ、くじけそうになりました。どこを見ても暗くて、毎日シンシアが食事を持ってきてくれる時と、彼女と会話をしながら週に一度身を清める時が救いでした。独り言を口にしても、誰も答えてくれない……っ。闇の中から、自分の心の鏡である化け物がヌッと出てくるような気がする時もありました……っ」
コーネリアの言葉を、レックスは黙って聞く。
そうする事しか、自分にはできないと思っているからだ。
コーネリアの事を誰よりも心配していたという自負があっても、彼女を一度失ってから六年間、側にいてやれなかったのは事実だ。
彼女からなら、どんな誹りだって聞く覚悟はある。いや、そうされて当然だとすら思っている。
「でも……っ」
レックスの胸元から顔を上げ、コーネリアは涙でクシャクシャになった表情で微笑む。それは、曇天の雲間から急に陽光が降り注いだかのような、希望に満ちた笑顔だ。
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