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華麗なる大円舞曲
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「ピアノの椅子の調節、慣れてますね」
「ああ。これでも昔少し弾いていたんだ。祖父母がアレだろ? だからピアノにヴァイオリンに……って子供の頃は習い事が多かった」
「今は弾いてないんですか?」
「そうだな。実家に戻ると立派なピアノがあるんだけど、今ではほぼ置物みたいになっている。たまに祖父母の道楽で演奏家を呼んで、弾いてもらう事はあるみたいだけど」
「凄いですね……」
秀真の家がどれだけの資産家か分からないが、一般家庭ではプロを呼んで自宅のピアノを弾いてもらうなどしないだろう。
秀真は白鍵に指を置き、ポーンと鳴らしてみる。
澄んだ音は、オーケストラのチューニングにも使われる音程だ。
「っ…………」
秀真が何の躊躇いもなくピアノの鍵盤を押したので、花音は思わずビクッとして彼の腕に縋り付いていた。
不安げな顔をする花音の行動に秀真は一瞬驚いたものの、「大丈夫だよ」と笑った。
「ここでは他の生徒さんもピアノを弾いている。何も関係ない俺が奏でても、梨理さんは何も反応しないよ。それに、花音が時を超えた時から、この練習室では色んな生徒さんがピアノを弾いていたはずだろ?」
そう言って秀真は黒鍵――シのフラットに指を置き、ショパンの『華麗なる大円舞曲』を弾き始めた。
練習室内に軽やかなワルツ音楽が流れ、黒鍵と白鍵の上で秀真の大きな手がまるで踊るように動いてゆく。
この曲特有の、同じ鍵盤の上で違う指を使って連打する奏法もしっかりと弾け、楽譜通りだと単調になりがちな曲の中に、上手く自分の味を出している。
――好きだな。
秀真の演奏を聴いたのはこれが初めてだが、直感でそう思った。
彼を男性として好きだと思う気持ちに、ピアノ奏者としての部分も加算され、もっと秀真が好きになる。
音色を聴いていると、まるで彼の人柄が表れているようだ。
音の一つ一つを丁寧に弾き、けれど曲そのものは軽やかできらきらしく、華がある。
けれど歌わせるところはしっとりと歌い、絶妙な溜めと引きとで花音を夢中にさせた。
約六分近くの演奏が終わったあと、花音は夢中になって秀真に拍手を送った。
「凄い! ずっと弾いていないって言っていたのに、暗譜してこれだけ完璧に弾けるなんて凄いです!」
掌が痛くなるほど拍手する花音を、秀真が照れくさそうに見る。
「ありがとう。でもこれは子供の頃に発表会用に死ぬほど練習したやつだから、体が覚えているだけなんだ」
「それでもブランクがあるのに弾けるのは凄いですよ」
「ありがとう」
一通りはしゃいでから、花音はハッと気付いた。
「……私、具合悪くなってない」
コンクールの事故から、クラシック、特にピアノ曲だけはずっと聴かないように心がけていた。
クラシックは色んな場所で使いやすいので、どうしても街中にいる時やテレビなどで耳にしてしまう事がある。
街中ではヘッドフォンをして歩いていて、家ではすぐにチャンネルを変えた。
以前は頻繁に行っていたクラシックの演奏会にも行っていないし、毎日音が溢れていた音大にも身を置いていない。
守られた環境で、クラシックを聴かない生活に慣れていたはずなのに、うっかり秀真の演奏を聴いてしまった。
「……大丈夫だった?」
彼も花音から話しを聴いていて分かってはいたのだろう。
けれど、好意を寄せている自分が演奏するのなら……と思って、一か八かで演奏してみたのもあるのかもしれない。
微笑んで尋ねてくるその顔からは、多少の申し訳なさと、「大丈夫だろう?」という確認が窺われた。
「……だい、……じょうぶだった。秀真さんの演奏が素晴らしくて、スッと頭に入ってきたの。過去にあった事故やコンクールに出られなかった苦しみを思い出すより、『私の好きな人はこんな素晴らしい音色を生み出せるんだ』っていう喜びの方が強かった」
「『好きな人』って言ってくれた」
彼が嬉しそうに笑い、花音は「あっ」と赤面する。
「荒療治をしてごめん。……でも、花音はせっかく音楽に愛されて生まれたんだから、勿体ないよ。もっと世界に心を開いて」
その言葉が、ストンと心に落ちた。
(そうか、私ずっと世界に対して心を閉ざしていたんだ)
ヘッドフォンを被り、音を遮断して、家族すらも顔を合わさないように、言葉を躱さないようにしていた。
思えばこのピアノを弾いて時戻りをして、祖母と和解し秀真と出会ってから様々な事が好転してきたように思える。
まるで、梨理の祝福だ。
花音を見て微笑んでから、秀真はトン、とピアノの譜面台に触れた。
「この通り、俺が気持ちを込めて弾いても、何ともなかった」
「気持ちを込めて……。何か梨理さんに伝えていたんですか?」
「ああ。これでも昔少し弾いていたんだ。祖父母がアレだろ? だからピアノにヴァイオリンに……って子供の頃は習い事が多かった」
「今は弾いてないんですか?」
「そうだな。実家に戻ると立派なピアノがあるんだけど、今ではほぼ置物みたいになっている。たまに祖父母の道楽で演奏家を呼んで、弾いてもらう事はあるみたいだけど」
「凄いですね……」
秀真の家がどれだけの資産家か分からないが、一般家庭ではプロを呼んで自宅のピアノを弾いてもらうなどしないだろう。
秀真は白鍵に指を置き、ポーンと鳴らしてみる。
澄んだ音は、オーケストラのチューニングにも使われる音程だ。
「っ…………」
秀真が何の躊躇いもなくピアノの鍵盤を押したので、花音は思わずビクッとして彼の腕に縋り付いていた。
不安げな顔をする花音の行動に秀真は一瞬驚いたものの、「大丈夫だよ」と笑った。
「ここでは他の生徒さんもピアノを弾いている。何も関係ない俺が奏でても、梨理さんは何も反応しないよ。それに、花音が時を超えた時から、この練習室では色んな生徒さんがピアノを弾いていたはずだろ?」
そう言って秀真は黒鍵――シのフラットに指を置き、ショパンの『華麗なる大円舞曲』を弾き始めた。
練習室内に軽やかなワルツ音楽が流れ、黒鍵と白鍵の上で秀真の大きな手がまるで踊るように動いてゆく。
この曲特有の、同じ鍵盤の上で違う指を使って連打する奏法もしっかりと弾け、楽譜通りだと単調になりがちな曲の中に、上手く自分の味を出している。
――好きだな。
秀真の演奏を聴いたのはこれが初めてだが、直感でそう思った。
彼を男性として好きだと思う気持ちに、ピアノ奏者としての部分も加算され、もっと秀真が好きになる。
音色を聴いていると、まるで彼の人柄が表れているようだ。
音の一つ一つを丁寧に弾き、けれど曲そのものは軽やかできらきらしく、華がある。
けれど歌わせるところはしっとりと歌い、絶妙な溜めと引きとで花音を夢中にさせた。
約六分近くの演奏が終わったあと、花音は夢中になって秀真に拍手を送った。
「凄い! ずっと弾いていないって言っていたのに、暗譜してこれだけ完璧に弾けるなんて凄いです!」
掌が痛くなるほど拍手する花音を、秀真が照れくさそうに見る。
「ありがとう。でもこれは子供の頃に発表会用に死ぬほど練習したやつだから、体が覚えているだけなんだ」
「それでもブランクがあるのに弾けるのは凄いですよ」
「ありがとう」
一通りはしゃいでから、花音はハッと気付いた。
「……私、具合悪くなってない」
コンクールの事故から、クラシック、特にピアノ曲だけはずっと聴かないように心がけていた。
クラシックは色んな場所で使いやすいので、どうしても街中にいる時やテレビなどで耳にしてしまう事がある。
街中ではヘッドフォンをして歩いていて、家ではすぐにチャンネルを変えた。
以前は頻繁に行っていたクラシックの演奏会にも行っていないし、毎日音が溢れていた音大にも身を置いていない。
守られた環境で、クラシックを聴かない生活に慣れていたはずなのに、うっかり秀真の演奏を聴いてしまった。
「……大丈夫だった?」
彼も花音から話しを聴いていて分かってはいたのだろう。
けれど、好意を寄せている自分が演奏するのなら……と思って、一か八かで演奏してみたのもあるのかもしれない。
微笑んで尋ねてくるその顔からは、多少の申し訳なさと、「大丈夫だろう?」という確認が窺われた。
「……だい、……じょうぶだった。秀真さんの演奏が素晴らしくて、スッと頭に入ってきたの。過去にあった事故やコンクールに出られなかった苦しみを思い出すより、『私の好きな人はこんな素晴らしい音色を生み出せるんだ』っていう喜びの方が強かった」
「『好きな人』って言ってくれた」
彼が嬉しそうに笑い、花音は「あっ」と赤面する。
「荒療治をしてごめん。……でも、花音はせっかく音楽に愛されて生まれたんだから、勿体ないよ。もっと世界に心を開いて」
その言葉が、ストンと心に落ちた。
(そうか、私ずっと世界に対して心を閉ざしていたんだ)
ヘッドフォンを被り、音を遮断して、家族すらも顔を合わさないように、言葉を躱さないようにしていた。
思えばこのピアノを弾いて時戻りをして、祖母と和解し秀真と出会ってから様々な事が好転してきたように思える。
まるで、梨理の祝福だ。
花音を見て微笑んでから、秀真はトン、とピアノの譜面台に触れた。
「この通り、俺が気持ちを込めて弾いても、何ともなかった」
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