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20.彼の先生たち
しおりを挟む「……」
鼓動が早いまま、椅子の隣に立って訪れる人を待つ。
思わずごくりと喉を鳴らして、緊張をほぐすために深呼吸を数回繰り返した。
今日はやたらと緊張が続く日だ。
「アニュでございます。お嬢様、トラン先生がいらっしゃいましたよ」
戸を叩く音と共に聞こえたアニュの声に「ど、どうぞ」と声が震えているのを自覚しながら返事する。
現在十二時五十分、トラン先生とファール先生が診察に訪れる時間だ。
普段なら緊張なんて全然しないけれど、今日は…というより今回はいつもより少し状況が違うために心臓の音が周りにも聞こえるのではないかと思えるほど早かった。
アニュが開けた扉を潜り、トラン先生に続いてカバンを抱えたファール先生が入ってくるのを見つめ、頭を下げて挨拶。
「お久しぶりです、トラン先生。ファール先生」
「どうもね」
シワのたくさん入った顔を微笑みに変えて、トラン先生がゆっくりとテーブルに近づいてくる。ファール先生もその後ろで、相変わらず無愛想な表情を浮かべつつも頭を下げた。
それからいつものように診察を開始。
「体調はどうかね? はい、口開けて」
口内を見てから耳の下に触れ、指の動きを確認。聴診器で服の上から胸元に当てたところで、ぴたりと動きを止めた。
「ん? いつもより鼓動が早いね、何か運動でもしたのかい?」
「あ、いえ。そういう訳ではないのですがトラン先生へ一つお聞きしたいことができまして。そのことで少し緊張しております」
「……ふむ、何かね?」
聴診器をテーブルの横に置く。それを手にして、ささっと濡らしたタオルで拭いたファール先生はカバンに入れた。
言い方こそ簡潔だが、トラン先生は優しい笑顔を浮かべている。
「じ、実は…読んでいる推理話に出て来たものなのですが、読む前に私の見解が合っているかお医者様のトラン先生に聞いてみたくなったのです」
「ローズは昔から読書家だが、推理も読むようになったのだね。よし、見解を聞こうじゃないか」
目尻の皺を深くさせて、おじいちゃん先生は微笑む。昔から私が本を読むことを知っている先生には、この聞き方が一番聞きやすいのではないかと予想したけれど合っていた。
先生の言葉に頷き、思い出しながら尋ねる。
「……今にも止まりそうな呼吸に、血を含む嘔吐。たくさんの汗。身動きが取れなくなった体。私は犯人が毒を使った可能性を考えたのですが、先生はそんな毒をご存知ですか?」
緊張で手が震えているので、膝の上に置いている手のひらを硬く握りしめて先生を真っ直ぐ目を逸らさずに見つめる。顎下に手をやり、目を閉じて聞いていたトラン先生は知識の中に当てはまるものを探しているのだろうか。
それとも毒ではない全く違うものを言われるのだろうか?
どきどきと早い心臓で返事を待つ。
「毒かどうかはまだ情報として足りないが、可能性はあるようだね。被害者にそんな描写があったのかい?」
「は、はい」
「匂いなどは?」
問われ、「匂い?」と呟きつつ、思い出したくなくても頭に刻まれた何度も見る光景を頭に思い描く。
「いえ、無かったように思います……」
覚えている限りでは、何か特有な匂いがしたと思った記憶がなく、私は緩慢に頭を左右に振った。
「ふむ。断定はできないが、仮に毒だとするならば何かに混ぜたのかもしれないね。それなら匂いに被害者が気づかず口にしたことは容易にあり得る。物によっては致死量がとても少ないために少量で死に至ってもおかしくないからね」
いつもよりはっきりとトラン先生は答えてくれた。
薬と毒は多少違っていても通じるところは多々ある。さすが専門家、と言ったところだろうか。
「あ、ありがとうございます」
「いやなに、大したことはしておらんよ」
本の中の話として切り出したため、トラン先生は穏やかな笑顔でそう言い、続けた。
「読書も良いが、運動もするようにね。使わない筋肉は衰える一方だ」
「は、はい…!」
それは何回かのタイムループでとても骨身に沁みた。宿まで走るだけで、私は呼吸もまともに出来なくなるほどになっていたからだ。
少しずつ体を鍛えないと。そんな決意を胸に先生の言葉に強く頷く。
「体の調子は悪くないようだから、いつもと同じタミンを処方しておこうかね」
トラン先生の言葉を聞き、テーブルに置いたカバンの中からファール先生が薬を取り出していく。テーブルに置かれた薬を手にして指示したものか確認したのちに、トラン先生はこちらを見た。
「続きを読んで、ローズの見解が正解だったか、また今度聞かせておくれ」
笑顔でそう言うと、ゆっくりと先生は椅子から立ち上がる。もうだいぶ高齢な先生に今後何度診察してもらえるだろうか。そう考えると、私もまた立ち上がって深々と頭を下げた。
「いつも本当にありがとうございます。そして私の問いに答えていただき感謝します」
トラン先生はゆっくり進めていた足を止め、振り向いて私を見ると笑顔で軽く手を振り、先生たちは静かに部屋をあとにする。かたん、と見送るためにアニュが部屋の扉を閉めたところで、ため息のように長い息を吐き出して私は再び椅子に腰掛けた。
遠ざかる足音を聞いていると、そこへ一人の女性の声が響く。
「聞いてくれてありがとう、ローズ」
そこに佇んでいるのは、遠目でしか見たことのなかったヒムカさまの先生の一人。
耳が隠れる程度の短い金髪と、優しげな茶の瞳。赤茶の丸襟がついた白いシャツ、黒いベルトにワインレッドのゆったりとしたパンツ。この寒くなってきた時期だというのに、袖も肘までしかない。すらりとしたスタイルの、どこか中性的な雰囲気を感じる彼女の名は、ミラと言った。
そんなミラさまの背後から顔を出したのは、青い短髪と切れ長の水色の瞳を持つ男性。細身だけれど、やはり女性と比べると体格は良い。濃紺のジャケットは前が大きく開き、その下に白いシャツが見えている。
パンツは黒一色だ。そして感情がないその表情は無愛想ですらない無。彼の名は、エルドと言った。
そしてその隣にはヒムカさまがいる。
「ミ、ミラさま。私…う、うまく聞けていましたか?」
「上出来!」
指で輪っかを作って、彼女がにっこり笑って肯定してくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。
彼らはトラン先生たちより先にこの部屋にやって来ていた。
ヒムカさまが簡単に話を伝え、一度宿に戻ろうとしていたがすぐさま屋敷に引き返してくれたからだ。できるだけ両親と顔を合わさないよう裏口からアニュに誘導されて、ここへやって来たあと、私は彼の先生でもあるミラさまから一つの提案をされた。
それはトラン先生に、毒の話をすること。何かしら思い当たることがあれば、それは持ちかけられた人に少しの動揺を生む、らしい。
医学に精通しているのであれば多少なり毒にも詳しいだろうから、何か知っているのではないかと考えたのだ。
「トラン先生と呼ばれる方は動揺もなく答えていたように見えたけれど、エルドはどう?」
「……同じく」
エルドさまが静かに答えたその言葉を聞いて、彼女は自身の頬に手を当てて息をひとつ吐く。
「寧ろファール先生と呼ばれた方が一瞬強張っていたわね」
「え…っ」
トラン先生たちから死角になるタンスの影やベッドと壁の隙間などに、彼らは身を潜めて私とトラン先生の会話を聞いていた。そのときに様子も見ていたのだろう。
ミラさまの言葉に私は戸惑う。
目を逸らさずにトラン先生を見ていたのは、彼らが身を潜めているところをつい見ないためであったけれど、視界の端にファール先生もいたのにそんな様子に気づきもしなかった。
「アレは何か隠してるわね」
「あの、じ、実は……」
ミラさまたちへ私は前回大工のイソルバから聞いた話を伝える。先生の自宅で備え付けの壁を作る際に、珍しい花を見かけたこと。それを思わず見たイソルバへ怒鳴ったことを。
そして、彼が何か大きなものを抱えて宿から自宅へ向けて歩いていたことも。
「ほぼ確定かしら」
私の話を聞いてミラさまは腕を組み、目を鋭くさせて呟いた。
「で、ですが、なぜ宿のご主人が……」
彼らを狙ったのだろうか?
それはまだ全く分かっていない。
「理由なんて今は置いていていいと…」
ヒムカさまが私の言葉を遮るようにそう言いかけたのだが、そこにミラさまが割り込んだ。
「理由なんて分かりきってるわ、私たちが魔族にとって邪魔だからよ。手に入れたいものを邪魔する相手に手段を選ばないのはアイツららしい」
アイツら。その言葉に激しく強い怒りが滲んでいたのが私にも分かった。ヒムカさまも同じように感じ取ったのか、ミラさまへ意見することはなく眉を寄せ口を硬く閉じている。
しん、と一瞬室内が静まり返ったが、ミラさまは「さて」と気持ちを切り替えるように続けた。
「私たちは自分たちの未来に起きるだろうことの犯人を探すことが目的ではない。あくまでも、特異生の保護及び護衛。でも……ついでに襲撃する魔族を張り倒してしまいましょうか」
にっこり微笑んでミラさまは私を見る。
何度もループするたびに、アニュやヒムカさまたちを傷つけて来た赤い化け物に、私一人では何も出来なかった。
けれど今度は一人ではない。
それがとても誇らしく思えたのはきっと、ループを繰り返しても諦めなかったからだと信じている。
少しずつでも出来ることをしてきたからなのだと。
「私も、は、張り倒してやります…!」
「ふふっ! その意気よ!」
胸の前で両手を握りしめてミラさまへ向けて言った言葉に、彼女は朗らかに笑った。
――…そう、このときは確かに、このまま全てがうまくいくと思えていたんだ。
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