いとし、あやしや、あやかしの

あきら

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5 不穏

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 俺の携帯電話から、虚しくコール音が響く。何度も珠希に電話をかけてみるけれど繋がらない。
 日は完全に落ちて、駅近くにある公園の中はもう暗かった。
 何の根拠もない勘が、この場所をうるさく警告する。軽く頭を振って、近くの備え付けのベンチに腰かけた。

「っ、出て、くれよ」

 取り越し苦労ならそれでいい。くだらない杞憂ならそれでいい。
 だから電話に出てくれと、焦る気持ちばかりが大きくなる。
 どうしようもないまま、時間だけが過ぎていって。そのうち、頭上に気配を感じて顔を上げた。

「肇」
「ここで、いいんだな?」

 眼鏡を押し上げる仕草に、少しだけ安堵の息を吐く。肇の息は軽く上がっていて、それだけ急いできてくれたことはわかった。

「たぶん、そうだ。俺の第六感なんてもんが、信用できればの話だけど」
「信用してるけどな俺は」

 え、と間抜けな声を返す。

「あの時、テスト勉強なんて碌にしたがらなかったお前が。しかも、図書室なんてそれまで数えるほどしか行ったことのなかったお前が、なんであの日あの時間、俺と図書室でテスト勉強なんてしようと思ったんだ?」

 懐かしい思い出を語る肇は、薄く笑っていた。

「俺じゃなくてもよかったはずだし、図書室でなくてもよかったはずだ。なのに真が選んだのは俺で、場所は図書室だった」
「そ、んなの、ただの偶然、で」
「偶然、なぁ?だったら、お前のその偶然のせいで俺はうっかり大和なんかを好きだと思ったわけで?責任取りやがれ」
「むちゃくちゃだなオイ」

 ぐしゃ、と伸びてきた手が乱暴に俺の頭を撫でる。

「ったく、俺らなんであんな鈍いの好きなんだろうな」
「本当だな。まあ、考えたって理由なんかわかりゃしねぇよ。それよりほらさっさとやれ」

 なにを、と聞いた。眼鏡の奥から、呆れた目が俺を見ている。

「お前なら見つけられるはずだ。幸い人目もねぇし」
「……え」
「見られるのが心配なら、俺がどうにかしてやる。早く見つけろ」

 そんなことを言われても、いったいどうやってやればいいのかまったくわからない。
 首を傾げ、だけど他に効果的な手段を思いつくわけもなく。
 とにかく意識してみよう、と目を閉じた。息を吸って吐いて、自分の角が疼くのがわかる。
 何やら温かな感覚が広がって、自分の体が変化していくのを感じた。

「第六感がなんなのかはわかんねェけど、どうにかできそうな……そんな気は、してくるな」
「期待してるぞ」
「ああ」

 目を閉じたまま、伸びた角の先に意識を向ける。
 そこから波紋状に広がっていく感覚は、今まで感じたことがあるようなないような。不思議なそれに、逆らうことなく身を任せた。

『――だ』

 声が聞こえた気がして、耳をというよりは全身の神経を研ぎ澄ます。
 不思議なことにその声は俺の鼓膜ではなく、角の中を震わせた。

『なんで、お、まえらが、っ』

 怯えと戸惑いの混ざった声。ともすれば泣き出しそうに聞こえるそれに、背中がざわりとする。
 あいにく、俺に聞こえるのはその声だけだ。俺の好きな、あいつの。

『っ、し、知らない、違う、そんな、っ』

 姿が見えなくてもわかる。びくりと震えて、だけどきっと大和を守ろうとして強がっている表情が勝手に脳裏に浮かんだ。
 早く、と思えば思うほど声が薄くなっていく。落ち着けと言うように、肇の手が俺の肩に触れた。
 その瞬間、大和の声が頭の中に響く。

『だいたい、なんでお前らがそんなことっ』

 驚いて肇の顔を見た。当の肇も驚いた表情で俺を見ているから、どうやら声は俺だけじゃなく彼にも届いているらしい。

『そ、れは』
『別に、お前らに関係、ないだろ!亜種について調べてたから、なんだっていうんだよ!』
『俺たちは本家と関わらない!それでもう、何も関係ないはずだろ!』

 亜種、という聞き慣れない言葉に片眉が上がる。
 それが何なのか気にならないといえば嘘だった。だけど、今はそれより二人の居場所だ。
 声を拾おうと意識すれば、気配が強くなる。はたしてこれを第六感なんて言葉で片付けていいものなのだろうかと、一瞬考えたそんなことを脇に押しやった。

「――こっちだ」

 二人の、というより珠希のその気配をはっきりと感じ取り、俺は立ち上がってそちらへと向かった。

『だ、誰がっ、お前らなんかに!』
『ふざけんな!』

 強い声音でありながらも、はっきりと聞き取れる恐怖の感情に足が速くなる。気づけば俺も肇も走り出していた。
 足を進めれば、感じていた気配はもっと強くなる。

『いや、やだ、離せ……っ』

 震える拒否の言葉。あからさまな恐怖をそれに感じて、勝手に長くなった爪が手のひらに食い込んだ。
 お前が。お前があの声で俺を呼んでくれたのなら、きっともっと早く助けに行けるのに。
 そんなもどかしい思いを体中に抱えながら走る。

 まただ。また、俺は無力だ。
 中学の頃、あいつらが虐められているのに気づけなかったこと。珠希と大和が二人して地元を出ることを話してくれなかったとき。
 いくら言葉で好きだと伝えてみたって、あいつにはきっと何も伝わっていない。それを如実に思い知らされて、自分の情けなさに歯噛みした。
 どうしてと、そんな言葉ばかりが胸中を忙しなくめぐる。俺は、あいつのためならなんでもできるのに。望んでくれるのなら、何と引き換えにしても惜しくはないのに。

 そんな勝手な思いを馬鹿みたいに繰り返してから、不意に足を止めた。どうしたよと不審げな肇の声がする。

「ま、こと」

 その声は、突然聞こえた。
 今までのように、角へ響くそれではなく。か細くて消えてしまいそうだったけれど、俺を呼んだその声は、確かに俺の耳に届く。

「っ、珠希!」

 隣にいる肇のこともすっかり忘れ、俺は声を張り上げた。

「呼んでくれ!どこだ!」

 どうか、届いてくれと。お前が俺のことをもう一度呼んでくれたのなら、俺は。
 角が軽く痛む。拾えないものを拾おうとしてできなくて、苦しい何かが渦巻いているような感覚に眉をひそめた。
 横で肇が大和を呼ぶ。本当に意地っ張りで気が強くて、変に気を使って。そんな二人がお互い好きなんだから、俺たちが苦労するのは俺たちの勝手だ。

「珠希!」

 もう一度呼ぶ。少しの間のあと、それに対する答えが俺の角を震わせた。

『……だめだ。これ以上、あいつに迷惑なんて……』

 ぶわ、と頭に血が上る。
 ふざけるなと叫ばなかったのは上出来だった。俺が探せば探すほど、あいつは押し黙ってしまうだろう。
 必死に気配を探る。限界まで集中し、俺の目の中の血管が切れて血の涙が落ちた。
 それと引き換えに、見たくもないものが見える。あいつの、珠希の、その細い体の上に馬乗りになった背中が。

「許さねえ」

 低い声は勝手に落ちた。
 その場所はすぐ近くで。気づかなかったのは、叢の中であることと、完全に暗くなった視界のせいだ。
 声をかけるよりも先に駆け寄り、振り向いたその男の頭を蹴り飛ばした。

「っ、あ、な、んで」
「――話はあとだ。逃げんなよ」

 それは、今俺が蹴り飛ばした男に対してでもあったし、珠希に対してでもあった。案の定、びくりと身を竦ませる。

「肇」
「ああ悪い。うっかり半分焦がしたわ」
「え、ええ、な、え」

 吐き捨てるように言った肇の後ろで、焦りながら服を直す大和が見えた。
 二人のためにもそっちはあまり見ない方がいいよなと思い直し、這いずりながら逃げようとしていた男の背中を踏みつける。
 カエルが潰れたような声が聞こえた。

「言ったよな?次はないって。何年か経ってもう忘れたか?」
「ひ、う、ひぃ……っ」
「で、心臓えぐり出されるのと、全身の骨を砕かれるの、どっちがいい?選ばせてやるよ」
「あ、あ……あ、ご、ごめ」
「二度目はないって言ったよな」

 同じ言葉を繰り返し、手始めに片方の足を軽く曲げる。まるで乾いた小枝のように、それは折れた。

「あんまり叫ぶなよ。近所迷惑だろ?まあ、周り民家もねえし、どうせ誰もこねえだろうけど」

 響く悲鳴に淡々と告げれば、男は息を飲んだ。ありありと顔に浮かぶ恐怖に、俺は確かに愉悦を覚える。

「……真」

 けれど、そんな向こうへ行きかけた俺を引き戻すのは、いつだってその声だ。
 ゆっくり振り返る。乱れた服にまた理性を飛ばしそうになりながらも、息を吐いてその体を抱きしめた。

「ご、ごめ、おれ」
「いいから。このまま俺んちこい」
「え」
「お前に拒否権ないから」

 戸惑う珠希の言葉を右から左に聞き流し、一方的に告げる。それでも小さく頷いたのを確認してから、抱きしめていた腕を離して、まだ呻く男に向き直った。

「肇」
「わかってる。ちゃんと俺んちのほうで報告しとくわ」
「だってよ、よかったな。これっきり一生地元から出てくんなよ」

 俺が足を折った奴と、肇によって半分ほど焦がされた奴らがあからさまに落胆した顔になる。
 それを見て、もう一本腕でも追ってやろうかと思ったけれど一応やめておいた。珠希や大和がかかわったことで、俺や肇の家だけでなくこいつらの本家や親戚にぐだぐだ言われても面倒だ。

「あのさあ?いまいち伝わってねェみたいだからもう一度言っとくわ。俺は、こいつのためならお前らの命とかどーでもいいからな」
「ちょ、ちょっと、真」
「俺がどうなろうと、お前らがどこへいこうと、探し出して心臓潰すから。覚えとけよ」

 止める珠希の声も聞こえないふりをして、淡々と言い放つと、さすがに男たちはその顔を強張らせる。少しは、俺の本気度合をわかってくれたようだった。



 やはり問答無用で大和を連れて帰った肇と別れた後、震える珠希の手を掴んだまま電車に乗って、俺の家のある駅で降りる。
 周りの目なんか気にしてる余裕すらなく、引きずるように連れて家まで帰ると、いささか乱暴に中に入って鍵をかけた。

「……ま、まこ、と」
「こい」
「っ」

 俺の声音はいつもより低くて。
 びくびくと珠希が怯えるのも無理はないけれど、抑えられる気もしない。
 されるがままの体を浴室まで誘導して、服を脱がせた。なに、と言う声も震えている。

「……怪我、してないよな?」
「う、うん……」

 細くて白い体を両手で撫で回し、傷などないか一通り確認した。
 そこでやっと安心できて、深い息を吐いてから抱きしめる。

「馬鹿野郎。呼べって言っただろ」
「だ、だって……」
「とりあえず体、流してやるよ。葉っぱだの草だのくっついてるし」

 座れと浴室の椅子に半強制的に腰を下ろさせ、シャワーを出した。
 お湯が体に触れて安心したのか、肩から強ばりが取れていく。だけれども、まだ指先は冷たくて。

「……お前、服、濡れちゃう、だろ」
「いいよ気にすんな。どっか痛いとことかないか」
「だい、じょぶ……助けてくれて、その、ありがとう」

 それでも俺を心配させまいと笑った。
 愛しい思いと同時に、どうしてそんな作り笑顔を見せるのかと心臓が苦しくなる。

「……なあ」
「ん……?」
「好きだよ」

 幾度となく繰り返したはずの、その言葉。
 お前が好きだと、そう俺は伝えていたはずで。だけど俺の言葉に、珠希の顔が真っ赤に染まった。

「な、なな、な」
「……あれ?」
「なにいって、おま、え」

 わたわたとあからさまに動揺した姿に、軽く首を傾げる。俺にとってはごく当たり前のことで、いまさらという感覚が拭いきれない。

「何言ってって、今更だろ。好きだって言ってたじゃん」
「そ、そそ、それ、それは、俺の、俺の話、とか、じゃん」
「……は?」

 思わず眉間にシワがよった。びくりと身を竦めてから、言い訳をするように小さく口を動かす。

「お、お前が、すきなの、は、俺自身、じゃない、だろ?」
「……俺はさ」

 どうやら激しい誤解が生まれているらしい、と一人納得した。それなら、こいつが俺を呼ばないのも、呼んだら迷惑だと考えるのも腑に落ちる。
 まったくと笑って、落ちてきた前髪を搔きあげる。解らせてやる必要がありそうだと笑う俺の顔を見てか、珠希が若干引きつったような声を上げた。
 
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