the trip voice

あきら

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3 同窓生

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 当然だけれども、部屋のつくりは俺のところと大差ない。
 これどうぞ、と渡されたスウェットに袖を通し、おそらくまだ設置したばかりだろう座布団に腰を下した。
 備え付けの洗濯乾燥機が回っている音がする。少しして、低いテーブルにはコーヒーが二つとクッキーの入った皿が置かれた。

「悪かったな。あんま見たいもんでも聞きたいもんでもなかっただろ」
「ああ、痴話喧嘩?こっちこそ盗み聞きみたいな真似してごめんなさい」
「……あんた、偏見ねえの?相手男だぞ」

 その辺り、別に隠そうともしていなかったが嫌な目で見られることは珍しくもない。
 俺の言葉に、自分で出したクッキーをひとつ齧りながら彼は言った。

「あんまりそういうのはないかも。まぁ、お隣さんもあの人もいかにもっていう感じじゃなかったから余計に」

 いかにも、というのがどういったものなのか興味が一瞬湧いたが聞かないでおく。
 そういえば彼の名前も知らない。それを思い出し、むしろそっちを聞こうと思って口を開いた瞬間、携帯電話が鳴った。

「あ、ごめんなさい」

 邪魔させてもらってるのはこちらの方だ。軽く片手をあげ、どうぞと示してからコーヒーを口に運ぶ。
 さすがに目の前で話すのもと思ってか、鳴る携帯電話を手にしたまま彼はキッチンの方へと向かった。

「……うん、そう……だいじょぶ、無事に……やだなぁ、平気だって……」

 とはいえ、それほど広い室内でもない。途切れ途切れに聞こえる会話で、電話の相手の想像はつく。おそらく家族だろう。
 ほんの数分の間、手持無沙汰になってしまった俺は軽く室内を見回した。

 当然まだ片付いていない段ボールが隅の方に積まれていたり、逆に棚には本が綺麗に収まっていたり。ああ自分もそういう感じだったなと思えば、この時期の入寮が珍しく思えてくる。
 リビングの隅には棚に入りきらなかったのか、それとも紛れていたのか。アルバムや雑誌が無造作に積まれていた。
 山、というほどでもないそれはいくつかあって、ひとつはキッチンとリビングの間に置かれている。危なそうだなと思って目をやると、一番上にあるものが気になった。
 けれどさすがに勝手に手に取るのもまずいだろうと視線を上げる。

「ごめんなさい、親からで」

 あ、と思う暇もなく。
 通話を終えた彼がこちらへこようとし、豪快にそれを蹴り飛ばした。

「あ、ああ!」
「やると思った。こんなとこ置いとくなよ」

 慌てた様子に笑いが漏れる。いい口実だと、さきほど気になったそれを手に取った。

「……なあ、これあんたの卒業アルバム?」
「え?あ、うん、そうです。持ってくるつもりなかったんだけど」

 やっぱり、見覚えのある文字列が並んでいる。

「俺も同じ中学だわ」
「え、うそ、ほんとに?!」
「マジマジ。何年卒?後輩?」

 これで年上だったら気まずいことこの上ないなと思いながら、刻印された卒業年度に目をやった。それもまた、見覚えのある数字で。

「……は?同級生じゃん」
「う、うそ」
「いやほんと――見てもいいか?」

 そう言うと、若干ためらいながらも頷く。恥ずかしい気持ちもありながら、互いに誰だったか知りたいという思いが勝っていた。
 アルバムを出し、ページをめくる。卒業生ひとりひとりの顔が収まっているそこで、ちょこんと正面に座った彼に問いかけた。

「で、あんたどこ?」
「……これ」
「ん?」

 ゆっくり指示した写真を見る。
 無造作というか、あまり気を使ってはいなかったのだろう、寝癖がわかる大雑把な髪型に度の強そうな眼鏡。写真があまり好きじゃないのか、僅かに眉間に皺がよっているそれは。

「――みなと?」
「っ、え、それ」
「嘘だろ?お前が、あの――浅倉、湊?」

 彼が何かを口にするよりも速く、俺の指先がページをめくる。
 隣のクラスの写真たちの中に自分の姿を見つけ、俺はそれを指さした。

「とおる?」
「――ああ。紛れもなく、矢吹透」
「わ、え、うぇ、うそ、マジで?」
「こっちの台詞だっつの。見た目変わり過ぎじゃね?わかるわけねえわ」
「っな、それ、そのまま返すっつーの!」

 顔を赤くして、だけどまるでその瞬間に戻ったかのように言う。
 馬鹿馬鹿しいけれど、そのほんの数秒の会話で俺たちの間の数年が、一気に埋まったような気がした。



 お邪魔します、と笑いを含んだ声が言う。
 どうぞどうぞとこちらも茶化して招き入れれば、手にしていたビニールの袋ががさりと音を立てた。

「なに買ってきた?」
「酒とつまみばっか。飯いる?」
「いやバイト先で食ったからこんぐらいでちょうどいいわサンキュ」
「んじゃ冷蔵庫入れとくな。で、最初はやっぱり」
『ビール!』

 俺と湊の声が重なって、一瞬の間。それから、二人で同時に吹き出す。
 だよなぁなんて楽しそうに言って、ひと缶ずつテーブルにビールを置いた。
 引っ越してきた隣人が、小中のときの友人だとわかって早数日。明日は大学の講義もないしバイトもない、お互いそんな日を見繕って、再会を祝して呑むことになった。

 とはいえ、同じ中学だった和哉や俊樹はいない。俺と、湊だけだ。
 何しろ、少しばかり興味があった。見た目もさることながら、中学卒業後、こいつがどんな生活をしていてなぜこんな時期に入寮したのか。
 その辺のことを、ゆっくり互いに話したいと思ったのは秘密だ。

「しっかしお前、変わったよな」

 そう言ったのは俺ではなく湊で。そうか?なんて恍けてみれば、じとっとした目でにらんでくる。

「とりあえずツーブロックじゃなかったし前髪上げてもなかった」
「お前が言うなよ」

 思い立って変えた髪型は去年からのものだったが、わざわざ言うことでもない。
 それより湊の方の変わりようが大きくて、呆れの苦笑を乗せながらその顔を観察した。

「相変わらず視力悪いの?」
「うん、コンタクトしてる」
「髪型もいいな。似合ってる」
「そりゃどーも」

 率直に褒め言葉を口にすれば、少し恥ずかしそうに目を逸らす。さらさらとした髪が揺れて、白いうなじが覗いた。
 気づかれないよう軽く頭を振って、音を立てた喉のことを追いやる。

「つまみテキトーに開けるぞ」
「うん、ありがと。コップいる?缶のまま?」
「あるなら欲しい」
「オッケー俺も」

 他愛ない会話に戻して、買ってきたものをテーブルに広げた。
 その間に湊が新しそうなグラスを二つ準備してくれるから、それに琥珀色のビールを注ぐ。
 乾杯、という声が重なって、半分ほどを一気に飲み干した。

「つか、そもそもお前うちの大学だったっけ?」
「あー、違う違う、編入してきた、専門学校から」
「道理で今まで会いもしなかったわけだ。てか、それだと一年になんの?」
「違ぇよ。なんか、俺の行ってた専門学校とここの大学、母体は一緒らしくてさ。単位と成績が足りてたから、三年に編入」
「そーいうシステムあんだ?知らなかったわ」
「普通は知らないんじゃね?俺の場合、さぁ……」

 自身の話をしていた湊の声が小さくなって口ごもる。
 軽く首を傾げつつ、口の中にあったビールを飲み込んで、俺は俯いてしまった彼の髪を撫でた。

「別に話したくねえならいいって。なんか事情あんだろ?」
「……うん。ありがと」

 こく、と頷いて、それから少しだけ微笑む。
 酔いのせいか速く動く心臓を無視して、空になったグラスに次のビールを注ぎ込んだ。

「でも透がいたのはびっくりした。和哉と俊樹もだけど」
「俺はあれだ、ほとんど俊樹に勉強の面倒見てもらって入れたようなもんだからなァ」
「ああ、そういや二人とも高校一緒だったっけ」
「そっちは颯太と一緒だろ?あいつと連絡取ったりしてんの?」
「――う、ん。まあ、たまに」

 俺たちとは高校が別れた友人の名前を出せば、まただ、と思う。先程口ごもった時と同じ空気を感じて、不思議に思いながらも話を逸らした。

「あ、そういやお前のとこの部屋、エアコン大丈夫そうか?」
「え?まだつけてないけどなんで?」
「前に住んでた奴がけっこうなヘビースモーカーでさ。俺んちまで匂いしてたから、エアコンの中とかキツそうだよなと思って。一応クリーニング業者は入れてるはずだけど、なんか不満あったら言えよ」

 唐突といえば唐突な俺の話に、湊がきょとんとした顔で見つめてくる。
 それから小さく吹き出し、いいのかよと笑った。

「いいんだよ。職権乱用します」
「さすが寮長」
「ほら飲め。寮長様が注いでやりますよ」
「っと、こぼれるって!いただきますけど!」

 溢れそうになったビールを慌てて飲む。言い難い話をするよりも、馬鹿みたいな会話で笑ってくれた方が、よっぽどいい。

「おら返杯だ飲み干せ」
「おっと、俺はけっこういけるぜ?」
「なんの自信だよ」
「お前は?」
「俺あんま強くない、強くないって言ってんだろ?!なに継ぎ足してんだよ全然減らねぇじゃん!」

 楽しそうにけらけらと笑いながら、酒に弱いと文句を垂れつつも継ぎ足したグラスの中身はきちんと空になる。
 互いにくだらないことで笑い合っていれば、空いたビールの缶はどんどん増えていった。
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