the trip voice

あきら

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20 しあわせ

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 ふわ、といい匂いがした気がして目を覚ます。
 ゆっくり瞼を開けて、最初に目に入ってきたのは俺の机で。配信用のマイクとパソコンが設置されたそこをぼんやりと眺めていると、静かに寝室の扉が開けられた。

「お、起きた?」
「……ん」

 声がうまく出なかったので、こくりと頷く。ちょっと待ってろと言い残してリビングへ引き返した透が持ってきたのは水だ。
 手を借りて体を起こし、それを一口飲む。
 そんな俺の甘えた仕草に笑うその耳にあるイヤホンに気付いて、軽く首を傾げた。

「なに、聞いてんの?」
「ん?ああ、お前の歌」
「え」
「教えてくれたじゃん、歌を投稿してるアカウント」

 そういえばそうだ。なんだか急に恥ずかしくなって、やめろよ、と小さな声で抗議してみる。

「なんで?」
「なんで、って」
「俺この歌好き」
「……また再生数低いの好きだなお前」
「いーじゃん別に」

 言ってることは俺が正しいはずなのに、拗ねたように唇を尖らせるから思わず笑ってしまった。

「ま、俺はお前が歌ってるなら全部好きですけどね?」
「……ありがと」
「全然伸びないとか言ってたけど、んなことねえじゃん」
「嘘だぁ」
「俺から見たら十分すげえよ」

 お世辞なんか言うやつじゃない。そんなことは嫌というほど理解していて。
 だからこそ、そんなことを言ってもらえるのが、ただただ嬉しい。好きな歌を好きだと言ってもらえることが、嬉しい。

「……あーあ。結局お前の言うとおりになっちゃった」
「何がだよ」
「好きにさせてみせるって言ってたじゃん」
「……言ったなあ、そんなことも」
「まんまと好きになっちゃったっての。どーしてくれんの?」
「責任取りますよ」

 相変わらず俺は裸のまま、布団にくるまった状態で。自分の視界に入る足やら胸元やらに、赤い痕までついていて。
 片や、痒いらしく手を伸ばす透の背中にはきっと、俺のつけた爪痕があるはずで。その肩にも、たぶん歯型があるはずで。
 普通、恋人同士の朝なんてもっともっと甘ったるくてもいいだろうと思うのに、茶化した会話が心地よく思える。

「あ、そうだ。今何時」
「もうすぐ昼。勝手に飯だけ炊いたけど冷蔵庫に何もねえのな」
「……そんな日もあるの」
「そんな日珍しいじゃん」

 伸びてきた指が、つん、と俺の頬をつついた。尖らせた唇には、透のそれが一瞬だけ触れていく。
 何となく悔しくなって、もごもごと言葉に詰まった俺に優しく笑いかけるその頬を軽くつねってやった。

「……だって、昼は、どっか食いに行くかなって。そんでそのまま遊んで、買い物もそんときでいいかって思ったんだもん」
「そっか、悪い。お前のことだからなんかあるかと思って何の確認もせずに飯炊いちまったわ」
「いいよ。飯炊いちゃったならちょこっと買い物行ってなんか作ろう」

 別に悪気があってやったことじゃないし、と笑う。
 それから、よいしょ、という声つきでベッドから抜け出し立ち上がった。

「シャワー浴びたい」
「はいはい、連れてきます。ほら手、貸せ」
「はぁい」

 俺たちの間の空気は、友達のそれとよく似ているけれど、昨日までとは確実に違う。
 俺はそれが少しばかりこそばゆくもあるけれど、そう思う相手が透で良かったな、なんて現金なことを考えた。




 けっこう涼しくなってきたなぁ、なんて思いながらマンションを出て道を歩く。
 目的地はいつものスーパーで、だけど俺の横には透がエコバッグ片手に並んで歩いていた。
 ちら、と横顔を盗み見る。それはすぐに気づかれて、柔らかな笑みが向けられた。

「どした?」
「ん?なんでもない。何食いたい?」
「なんでもなくねえじゃん」

 笑って言ってそれから、どうしようかなあなんて顎に手を当てて考える素振り。
 そういう仕草のひとつひとつが様になっているように見えて、なんだかくすぐったく思えてくる。

「夜どーすんの?」
「うーん、明日は普通に朝からだしなぁ。飲み行ってもいいけど」
「だったらつまみっぽいもの今買い込んでさ、昼飯食ってゲームとかしてそのまま家飲みしね?」
「いいなそれ、賛成」

 今日のこの後を話し合いながら、通い慣れた道を二人で歩いた。
 別に二人で買い物に行くことも、今までだってあったのに。お互いの関係に名前がついた今、なんだかいつもの景色も変わって見える。

「……俺も単純だな」
「湊?」
「ああうん、なんでもない。独り言。ほら行こうぜ」

 地獄耳というかなんというか。俺の小さな声すら逃すまいとしてくる透に苦笑して、スーパーの中に入った。冷房のひやりとした空気が頬に触れる。
 さて何を買おうか、何を作ろうか。考えながら、二人でぐるりと回る。

「――あれ?」

 不意に透が足を止めた。視線を追いかけると、見覚えのある後ろ姿がある。
 その人の名前を透が呼んで、振り返った彼は驚いた顔をした。

「え、透?!」
「おう!久しぶりじゃん――颯太」

 颯太は透を見て、それから俺を見て、ほんの少しだけ表情を変える。けれどそれはすぐに消え失せて、久しぶり、と俺に向かってもそう言った。
 だから、俺も、うんと頷く。

「なにしてんの?」
「買い物に決まってるでしょ。颯太も?」
「それもそっか。うん、俺も」

 言いながら、颯太の目が透の持ったエコバッグに向く。不自然にならない程度に動かした目は、何かを感じ取ってくれたように見えた。
 もう一度、小さく頷いて。

「俺の引っ越したとこが透んちの近くでさぁ。飯、一緒に食うんだ」

 俺の言葉に、颯太はまた驚いた顔をする。だけどそれを透に気付かれないよう自然に戻して、そっか、と笑った。

「ま、俺が作るんだけどね――毎回」
「そういうわりには楽しそうじゃん」
「まぁね」

 蚊帳の外は不満だと言いたげな透の指先が、軽く俺の服を引く。

「湊、俺あれ食いたい」
「わかったわかった。ったく、子供かよ」

 ぐしゃ、と雑に頭を撫でてやって。それじゃ、と颯太に笑顔を向けた。
 颯太は颯太で、どこか安心したような表情で、またね、と手を振ってくれる。

「あ、そうだ。ねえ湊」
「なに?」
「その……今、楽しい?大丈夫?」

 その問いの答えがわからないほど、鈍感じゃない。
 だから、数歩先に行く透に気付かれないよう二歩だけ下がって。俺は小さな声で、こう答えた。

「しあわせだよ」



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