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どうしよう、と楓がつぶやく。
とはいえ、どうしようもないし、僕だってわざわざ、馬に蹴られに行く趣味はない。
「とりあえず、座ろ?」
「……ん」
嫌がるかとも思ったけれど、案外すんなりと頷いた楓は、さっきまで座っていた椅子にもう一度腰を下した。
「止めた方がいいなら、僕が止めてくるけど」
「……智にぃが止めたいなら、俺は止めないけど?」
微妙に責任を被せあうようなことを言う。
「楓はもう許したんだ?」
「許すも何も……ちょっと、寂しかっただけだし。あいつが、樹が、圭人のこと好きで?圭人も樹のことあんだけ好きなら、俺の口挟む余地なんかねぇもん」
そうやって言いながらも、若干唇を尖らせた。
やっぱり一抹の寂しさはあるんだろう。それはもちろん、僕だってそうで。
だけど同時に、圭人が楓を好きにならなくてよかった、なんて最低なことを考えている。
本当は、こんな僕の気持ちもどこかに捨てなきゃいけないのに。楓に、好きな人ができたときのために、いつだって捨てられなきゃいけないのに。
「あーあ、せっかく樹とこれ流そうって言ってたのに」
「ん、なに?」
スマホの画面を見ながらぶつぶつと文句を言うから、それを覗き込む。
そこに表示されていたのは、僕も知っている歌だった。
「楓がよければ流してよ。歌ってくれてもいいよ?僕も一緒に歌おうかな」
「……誰も聞くやついないじゃん」
「いいでしょ、別に。誰が聞いても、聞いてなくても」
昔からそうだったじゃない、と笑えばそれもそうかと頬を掻く。
二人を音楽の世界に引きずり込んだのは確かに僕で。
思えばそれが原因で、樹と圭人が知り合ったのだと考えると、この現状の責任は僕にあるような気もした。
そんな僕の心境なんて知る由もない楓が、よいしょと立ち上がる。そして風上に移動すると、スマホから曲を流して大きく息を吸い込んだ。
その歌声は澄んで、わずかな風に乗って。満天の星空へと吸い込まれていく。
嘘つきで、弱虫の愛の歌。まるで自分のことを歌われているような気がして、わずかに視線が下がった。
一緒に、なんていっておきながら結局は楓の歌声に魅了されて、一曲聞いてしまう。拍手を送ると、少しだけ不満げな目が僕を見た。
「……本当に、いいのかよ」
「なにが?」
聞き返すと、今度はじとっとした目になる。
そんなに止めて欲しいのかな、と腰を浮かした瞬間、楓はぼそりと呟いた。
「だって、智にぃ……樹のこと、好きじゃん」
宙に浮いた腰が途中で止まる。
「だから、その……圭人に樹のこと、取られてもいいのかって思って」
「は?」
「っ、え」
思わず低い声が出て、びくりと楓が身を竦ませた。
待って、とごめん、を繰り返し、再度椅子に体を沈めて。片手を額に当て、言われたことを反芻する。
「ちょっと待って、どういうこと?」
「え?どういうこと、って」
「僕が、樹を、取られたくないって思ってるって思ってるってこと?」
思考回路も口も、うまく回ってくれない。馬鹿みたいに思ってる、と繰り返してしまう。
戸惑う楓の気配が、そちらを見なくても伝わってきた。
今言われたことを考えると、それは、つまり。
「僕が樹のことを好きだって?」
少なくとも楓はそう思っているということだ。
指の隙間から隣を伺えば、遠慮がちに頷く顔が見えた。
否定しようとして、だけど。それは、僕がずっと隠してきたことが、ちゃんと実を結んだからだとも思う。
「と、智にぃ?もしかして、違った?俺、なんか、勘違い、して」
けれど。けれど、それを。楓の口から言われることが、こんなにも辛いだなんて知らなかった。
自分が好きだと思っている子に、違う人が好きだと思われていることが、こんなにも。
自業自得だ。すべては自分で撒いた種だ。そうは思っても、捨てられないままの恋心に決着をつけることもできない。
「――弱虫は、僕だね」
小さく、低くつぶやいた言葉。
おろおろする楓をフォローしてあげることもできないまま、椅子に体重をかけ空を見上げる。
目にうるさいほどに入ってくる無数の煌めき。
一際明るい星や、見落としてしまいそうなほどの小さな星。数えきれないほどのそれが、まるで。
「智にぃ、その、ごめん、俺」
聞えた声に、静かに首を横に振った。楓は何も悪くない。
ゆっくり体を椅子から離し、横を見る。気の強い君の、今にも泣き出してしまいそうな表情。
そんな顔をしてほしくて、嘘をつき続けてきたわけじゃない。
「楓」
「は、はいっ」
上擦った返事に、少しだけ笑いが零れた。
「大丈夫だよ。僕は――」
どうにか誤魔化そうとした僕の脳裏に、さっきの圭人の姿がよぎる。
なにひとつ迷うことなく、樹が好きだと告げたあの顔が。
自信とかそういうものじゃなく、ただ。自分の心に、気持ちに、素直に。樹の答えよりも、何よりも、自分自身の気持ちを伝えたくて口にしただろう言葉が。
彼の真っ直ぐさを目の当たりにしてしまった僕には、それが深く突き刺さった。
唇が震えて、取り繕おうとした言葉は出てきてはくれない。俯いてしまった僕に、心配そうに近寄ってくる足が見える。
はらりと揺れる、白に赤の浴衣。それは暗い中でやけに浮き上がって見えて、そのまま消えてしまいそうで。
気づいたときには両腕を伸ばし、細い腰に抱き着いていた。
「え、と、智、に?」
戸惑う声が僕の頭のすぐ上でする。顔なんかあげられるわけもない。
いつも僕のことを、こんな弱い僕のことをかっこいいって言ってくれる楓に、情けない顔を見せたくない。
だけど僕のそんな願いは簡単に阻止されてしまう。両頬に手が添えられたかと思うと、これでもかという強さで上向かされた。
「い、痛い、首痛いって楓」
「智にぃ、ほんとのこと言って」
大粒の涙が、僕の顔に落ちる。
「おれは、っ、いつきのことも、だいじ、だけど。おんなじ、くらい、ともにぃ、のことも」
ぽろぽろと。涙を落としながら言うその後ろには、眩しいくらいに星が瞬いていた。
世界には、この星の数ほどの人がいて。それ以上の出会いがあって。そんな中で、僕が楓という一人の人間と出会えて、こんなにも近くにいられる。
それはもう、奇跡みたいなものなんじゃないかって、そんなことを思ってしまった。
「と、もにぃ?」
気が強くて泣き虫で、誰より兄思いで優しい、その頬に手を伸ばして触れる。
「――ごめんね。泣かせるつもりじゃなかった」
「っ、ちが、これは、っ、かってに」
「うん。ごめんね――僕が好きなのは、樹じゃないんだ」
え、という形に開いた口。衝動的に、自分のそれを軽く重ねた。
「……え……?」
「あのね。僕がずっと好きなのは、楓、です」
驚きに見開かれた両目に、涙の膜が張っている。
今にも零れそうだと見つめていると、それはまた僕の頬を濡らした。
「ごめんね、好きで」
「な、んで、なんで、そん、な」
「でも、僕は変わらないから。いつか楓に好きな人ができても、笑えるようにしておくから――」
だから、側にいさせて、と。
紡ごうとした僕の声は、いつまでも出てきてくれやしない。
やけに正直な自分が悔しくて、緩みそうになる涙腺を叱咤した。
ゆるゆると、体と腕を離していく。
「……僕は、少し頭冷やしていくから。もう一部屋、空いてるとこ使って」
楓の両手に自分の手を添え、そっと僕の頬からも離した。
かといって、正面から顔を見れる気もしなくて。椅子を器用に動かし、楓に背を向ける。
「とも、にぃ」
「うん。ごめんね。今、僕冷静でいられない。二人の兄っていう場所にいたかったけど、今はちょっと無理だから」
「智にぃ」
声はすぐ近くでした。
ふわ、と。僕の背中側から、細い腕が回される。
「だめだって。早く」
「っの、少しは俺の話も聞いてよ!」
回された腕が本来の筋力を発揮して、僕の体を締め付けた。はっきり言って痛いし苦しい。
「ちょ、ま、か、かえ、で、いたい、って」
「智にぃが勝手に一人で完結してるからだろ?!」
「ごめ、くるし、くるしっ」
ばしばしとその腕を軽く叩き、なんとか力を緩めてもらう。
「こっち向いて」
「……はい」
腕を解いて言う楓の言葉に大人しく従った。
気分は死刑宣告を待つ囚人だ。ちら、とその顔を見上げれば、ほんのり頬が赤く染まっているように見える。
「確認させてよ。智にぃが好きなのは樹じゃないの?」
「だから、違うんだって……」
勢いで言ってしまったことを、冷静に確認されるのも恥ずかしい。
たぶん僕の顔も赤いんだろうな、と思いながら、夜で助かったとも思った。
「むしろなんで、楓は僕が樹を好きだと思ったの」
「だって、俺より樹の方を構ってたじゃん」
「それはそうだよ。だってそのほうが楓が喜ぶでしょ」
一瞬の間があって、ほんのりどころじゃなく、暗い中でもはっきりわかるぐらいにその顔が赤く染まる。
僕は僕で、改めて事情聴取されているような気になっていた。
この際洗いざらい吐くべきだろうか、なんてことを考えながら、平静を装おうとしている楓を見上げる。
「僕は楓の喜ぶ顔が見たいんだ」
「と、ともに」
「だけど、それと同じくらい、誰にも取られたくない」
「なんだ、よ、それ……さっきは」
「こっちが僕の本音。でも、そんなこと言ったら楓は困るでしょ?」
小さく笑う。ちゃんと、笑えてるだろうか。
「楓は楓の好きな人と幸せになって欲しい。だけど、側にいたい。僕のことをちゃんと見て欲しい、それも本音」
じっと顔を見つめた。いっそのこと、今すぐギロチンとかで首を落としてくれればいいのにと思いながら。
でもその瞬間はいつまで経っても訪れない。顔を真っ赤にした楓が、何か言ってくれるけれど聞き取れなくて。
緩く握りしめられた手に触れる。びくりと跳ねて僕を見て、きゅ、と唇を結んだ。
「俺、だって、やだ」
「……楓」
「樹が圭人のこと、好きかもって、思ったときも、悔しかったけど。智にぃが俺から離れちゃったら、もっと、嫌だ」
「それは」
きっとそれは、今。樹の気持ちが圭人のほうに向いてしまったからなんだろう。
寂しさを、恋愛感情と勘違いさせちゃいけない。そう思って、首を横に振るけれど。
「智にぃ、言ったじゃん。樹が誰を好きでも、俺と離れることはないって」
「……うん」
「でも智にぃは、違う。いくら一緒にいたって家族じゃない、し、それに」
ゆっくりと、一度は引っ込んだ涙がまた溜まっていく。
「もし、もし。樹みたい、に、智にぃ、にすきな、ひと、できたら」
「……できたら?」
「おれ、ひとりに、なっちゃ」
「ならないよ。樹はいるし、僕だって」
「それじゃ、いや、だ。おねがい、ほかの、だれかなんてみない、で。おれだけ、みて」
「っ」
ぐすぐすと、落ちる涙を手のひらで拭いながら必死に言葉を探す楓に、心臓を鷲掴みにされたような気になった。
「わが、ままだって、おもう、けど。おれの、智にぃ、で、いてよぉ」
「――それ、意味わかって言ってる?」
苦しい。
楓の言葉が、ただの子供のような独占欲だとしても嬉しくて、だけど同時にそれじゃ嫌だと苦しくなる。
「っ、ばか!」
「ちょ」
罵倒の直後、僕の唇に柔らかい何かが触れて離れた。
「ぜんぜん、っ、いやじゃ、ないし。樹のことだって、なんで智にぃじゃ、ないんだろ、って、おもって」
「楓」
「おれだった、ら……おれだったら、智にぃが、いい。さっきのも……嫌じゃ、なかった……」
もご、と。すぐ近くにある唇が、わずかに震えて。
「それ、に、も、っと……してほし、って……」
ちぎれそうな理性を必死に繋ぎとめて、暴走しそうな欲を隅の方に追いやる。
くい、と肩の辺りの服を引かれて促されるまま椅子から腰を上げた。
「ん」
「……いいの?」
「はやく」
不満げに尖らせた唇。広げた両手の中に自分の体を入れて、それに触れる。
僕の背中に回った両手が、服の上から軽く引っ掻くから。またどこか行きそうな平常心をなんとか引き戻した、ような気はする。
「口、開けて」
「ん……っ、あ」
素直に開いたそこへ舌を差し入れて歯列をなぞり、ぴくりと跳ねた体を掻き抱いて、夢中で口腔を探った。
「ふ、う……っ、あ、んっ」
合わせた唇の端からこぼれる悩ましい声が、ぽろぽろと地面に落ちる。
「く、るし……っ」
「っは、ごめん」
抗議するように服を引かれ、我に返った。
濡れた口を親指で拭って、同じく濡れたままの目尻にも唇で触れる。
「まだ、疑ってる?」
さっきまでぐずぐずに泣いていたくせに、と。からかう言葉に苦笑が漏れた。正直に、少しね、と告げると同じように笑う。
「じゃあ、さあ。智にぃが教えてよ」「僕?」
「そう。だって、髪も服もメイクも、俺に教えてくれたのは智にぃだから。だから――」
啄むように、唇が頬に触れた。
「俺のこの気持ちがなんなのか、智にぃが教えて」
とはいえ、どうしようもないし、僕だってわざわざ、馬に蹴られに行く趣味はない。
「とりあえず、座ろ?」
「……ん」
嫌がるかとも思ったけれど、案外すんなりと頷いた楓は、さっきまで座っていた椅子にもう一度腰を下した。
「止めた方がいいなら、僕が止めてくるけど」
「……智にぃが止めたいなら、俺は止めないけど?」
微妙に責任を被せあうようなことを言う。
「楓はもう許したんだ?」
「許すも何も……ちょっと、寂しかっただけだし。あいつが、樹が、圭人のこと好きで?圭人も樹のことあんだけ好きなら、俺の口挟む余地なんかねぇもん」
そうやって言いながらも、若干唇を尖らせた。
やっぱり一抹の寂しさはあるんだろう。それはもちろん、僕だってそうで。
だけど同時に、圭人が楓を好きにならなくてよかった、なんて最低なことを考えている。
本当は、こんな僕の気持ちもどこかに捨てなきゃいけないのに。楓に、好きな人ができたときのために、いつだって捨てられなきゃいけないのに。
「あーあ、せっかく樹とこれ流そうって言ってたのに」
「ん、なに?」
スマホの画面を見ながらぶつぶつと文句を言うから、それを覗き込む。
そこに表示されていたのは、僕も知っている歌だった。
「楓がよければ流してよ。歌ってくれてもいいよ?僕も一緒に歌おうかな」
「……誰も聞くやついないじゃん」
「いいでしょ、別に。誰が聞いても、聞いてなくても」
昔からそうだったじゃない、と笑えばそれもそうかと頬を掻く。
二人を音楽の世界に引きずり込んだのは確かに僕で。
思えばそれが原因で、樹と圭人が知り合ったのだと考えると、この現状の責任は僕にあるような気もした。
そんな僕の心境なんて知る由もない楓が、よいしょと立ち上がる。そして風上に移動すると、スマホから曲を流して大きく息を吸い込んだ。
その歌声は澄んで、わずかな風に乗って。満天の星空へと吸い込まれていく。
嘘つきで、弱虫の愛の歌。まるで自分のことを歌われているような気がして、わずかに視線が下がった。
一緒に、なんていっておきながら結局は楓の歌声に魅了されて、一曲聞いてしまう。拍手を送ると、少しだけ不満げな目が僕を見た。
「……本当に、いいのかよ」
「なにが?」
聞き返すと、今度はじとっとした目になる。
そんなに止めて欲しいのかな、と腰を浮かした瞬間、楓はぼそりと呟いた。
「だって、智にぃ……樹のこと、好きじゃん」
宙に浮いた腰が途中で止まる。
「だから、その……圭人に樹のこと、取られてもいいのかって思って」
「は?」
「っ、え」
思わず低い声が出て、びくりと楓が身を竦ませた。
待って、とごめん、を繰り返し、再度椅子に体を沈めて。片手を額に当て、言われたことを反芻する。
「ちょっと待って、どういうこと?」
「え?どういうこと、って」
「僕が、樹を、取られたくないって思ってるって思ってるってこと?」
思考回路も口も、うまく回ってくれない。馬鹿みたいに思ってる、と繰り返してしまう。
戸惑う楓の気配が、そちらを見なくても伝わってきた。
今言われたことを考えると、それは、つまり。
「僕が樹のことを好きだって?」
少なくとも楓はそう思っているということだ。
指の隙間から隣を伺えば、遠慮がちに頷く顔が見えた。
否定しようとして、だけど。それは、僕がずっと隠してきたことが、ちゃんと実を結んだからだとも思う。
「と、智にぃ?もしかして、違った?俺、なんか、勘違い、して」
けれど。けれど、それを。楓の口から言われることが、こんなにも辛いだなんて知らなかった。
自分が好きだと思っている子に、違う人が好きだと思われていることが、こんなにも。
自業自得だ。すべては自分で撒いた種だ。そうは思っても、捨てられないままの恋心に決着をつけることもできない。
「――弱虫は、僕だね」
小さく、低くつぶやいた言葉。
おろおろする楓をフォローしてあげることもできないまま、椅子に体重をかけ空を見上げる。
目にうるさいほどに入ってくる無数の煌めき。
一際明るい星や、見落としてしまいそうなほどの小さな星。数えきれないほどのそれが、まるで。
「智にぃ、その、ごめん、俺」
聞えた声に、静かに首を横に振った。楓は何も悪くない。
ゆっくり体を椅子から離し、横を見る。気の強い君の、今にも泣き出してしまいそうな表情。
そんな顔をしてほしくて、嘘をつき続けてきたわけじゃない。
「楓」
「は、はいっ」
上擦った返事に、少しだけ笑いが零れた。
「大丈夫だよ。僕は――」
どうにか誤魔化そうとした僕の脳裏に、さっきの圭人の姿がよぎる。
なにひとつ迷うことなく、樹が好きだと告げたあの顔が。
自信とかそういうものじゃなく、ただ。自分の心に、気持ちに、素直に。樹の答えよりも、何よりも、自分自身の気持ちを伝えたくて口にしただろう言葉が。
彼の真っ直ぐさを目の当たりにしてしまった僕には、それが深く突き刺さった。
唇が震えて、取り繕おうとした言葉は出てきてはくれない。俯いてしまった僕に、心配そうに近寄ってくる足が見える。
はらりと揺れる、白に赤の浴衣。それは暗い中でやけに浮き上がって見えて、そのまま消えてしまいそうで。
気づいたときには両腕を伸ばし、細い腰に抱き着いていた。
「え、と、智、に?」
戸惑う声が僕の頭のすぐ上でする。顔なんかあげられるわけもない。
いつも僕のことを、こんな弱い僕のことをかっこいいって言ってくれる楓に、情けない顔を見せたくない。
だけど僕のそんな願いは簡単に阻止されてしまう。両頬に手が添えられたかと思うと、これでもかという強さで上向かされた。
「い、痛い、首痛いって楓」
「智にぃ、ほんとのこと言って」
大粒の涙が、僕の顔に落ちる。
「おれは、っ、いつきのことも、だいじ、だけど。おんなじ、くらい、ともにぃ、のことも」
ぽろぽろと。涙を落としながら言うその後ろには、眩しいくらいに星が瞬いていた。
世界には、この星の数ほどの人がいて。それ以上の出会いがあって。そんな中で、僕が楓という一人の人間と出会えて、こんなにも近くにいられる。
それはもう、奇跡みたいなものなんじゃないかって、そんなことを思ってしまった。
「と、もにぃ?」
気が強くて泣き虫で、誰より兄思いで優しい、その頬に手を伸ばして触れる。
「――ごめんね。泣かせるつもりじゃなかった」
「っ、ちが、これは、っ、かってに」
「うん。ごめんね――僕が好きなのは、樹じゃないんだ」
え、という形に開いた口。衝動的に、自分のそれを軽く重ねた。
「……え……?」
「あのね。僕がずっと好きなのは、楓、です」
驚きに見開かれた両目に、涙の膜が張っている。
今にも零れそうだと見つめていると、それはまた僕の頬を濡らした。
「ごめんね、好きで」
「な、んで、なんで、そん、な」
「でも、僕は変わらないから。いつか楓に好きな人ができても、笑えるようにしておくから――」
だから、側にいさせて、と。
紡ごうとした僕の声は、いつまでも出てきてくれやしない。
やけに正直な自分が悔しくて、緩みそうになる涙腺を叱咤した。
ゆるゆると、体と腕を離していく。
「……僕は、少し頭冷やしていくから。もう一部屋、空いてるとこ使って」
楓の両手に自分の手を添え、そっと僕の頬からも離した。
かといって、正面から顔を見れる気もしなくて。椅子を器用に動かし、楓に背を向ける。
「とも、にぃ」
「うん。ごめんね。今、僕冷静でいられない。二人の兄っていう場所にいたかったけど、今はちょっと無理だから」
「智にぃ」
声はすぐ近くでした。
ふわ、と。僕の背中側から、細い腕が回される。
「だめだって。早く」
「っの、少しは俺の話も聞いてよ!」
回された腕が本来の筋力を発揮して、僕の体を締め付けた。はっきり言って痛いし苦しい。
「ちょ、ま、か、かえ、で、いたい、って」
「智にぃが勝手に一人で完結してるからだろ?!」
「ごめ、くるし、くるしっ」
ばしばしとその腕を軽く叩き、なんとか力を緩めてもらう。
「こっち向いて」
「……はい」
腕を解いて言う楓の言葉に大人しく従った。
気分は死刑宣告を待つ囚人だ。ちら、とその顔を見上げれば、ほんのり頬が赤く染まっているように見える。
「確認させてよ。智にぃが好きなのは樹じゃないの?」
「だから、違うんだって……」
勢いで言ってしまったことを、冷静に確認されるのも恥ずかしい。
たぶん僕の顔も赤いんだろうな、と思いながら、夜で助かったとも思った。
「むしろなんで、楓は僕が樹を好きだと思ったの」
「だって、俺より樹の方を構ってたじゃん」
「それはそうだよ。だってそのほうが楓が喜ぶでしょ」
一瞬の間があって、ほんのりどころじゃなく、暗い中でもはっきりわかるぐらいにその顔が赤く染まる。
僕は僕で、改めて事情聴取されているような気になっていた。
この際洗いざらい吐くべきだろうか、なんてことを考えながら、平静を装おうとしている楓を見上げる。
「僕は楓の喜ぶ顔が見たいんだ」
「と、ともに」
「だけど、それと同じくらい、誰にも取られたくない」
「なんだ、よ、それ……さっきは」
「こっちが僕の本音。でも、そんなこと言ったら楓は困るでしょ?」
小さく笑う。ちゃんと、笑えてるだろうか。
「楓は楓の好きな人と幸せになって欲しい。だけど、側にいたい。僕のことをちゃんと見て欲しい、それも本音」
じっと顔を見つめた。いっそのこと、今すぐギロチンとかで首を落としてくれればいいのにと思いながら。
でもその瞬間はいつまで経っても訪れない。顔を真っ赤にした楓が、何か言ってくれるけれど聞き取れなくて。
緩く握りしめられた手に触れる。びくりと跳ねて僕を見て、きゅ、と唇を結んだ。
「俺、だって、やだ」
「……楓」
「樹が圭人のこと、好きかもって、思ったときも、悔しかったけど。智にぃが俺から離れちゃったら、もっと、嫌だ」
「それは」
きっとそれは、今。樹の気持ちが圭人のほうに向いてしまったからなんだろう。
寂しさを、恋愛感情と勘違いさせちゃいけない。そう思って、首を横に振るけれど。
「智にぃ、言ったじゃん。樹が誰を好きでも、俺と離れることはないって」
「……うん」
「でも智にぃは、違う。いくら一緒にいたって家族じゃない、し、それに」
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「もし、もし。樹みたい、に、智にぃ、にすきな、ひと、できたら」
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「おれ、ひとりに、なっちゃ」
「ならないよ。樹はいるし、僕だって」
「それじゃ、いや、だ。おねがい、ほかの、だれかなんてみない、で。おれだけ、みて」
「っ」
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「わが、ままだって、おもう、けど。おれの、智にぃ、で、いてよぉ」
「――それ、意味わかって言ってる?」
苦しい。
楓の言葉が、ただの子供のような独占欲だとしても嬉しくて、だけど同時にそれじゃ嫌だと苦しくなる。
「っ、ばか!」
「ちょ」
罵倒の直後、僕の唇に柔らかい何かが触れて離れた。
「ぜんぜん、っ、いやじゃ、ないし。樹のことだって、なんで智にぃじゃ、ないんだろ、って、おもって」
「楓」
「おれだった、ら……おれだったら、智にぃが、いい。さっきのも……嫌じゃ、なかった……」
もご、と。すぐ近くにある唇が、わずかに震えて。
「それ、に、も、っと……してほし、って……」
ちぎれそうな理性を必死に繋ぎとめて、暴走しそうな欲を隅の方に追いやる。
くい、と肩の辺りの服を引かれて促されるまま椅子から腰を上げた。
「ん」
「……いいの?」
「はやく」
不満げに尖らせた唇。広げた両手の中に自分の体を入れて、それに触れる。
僕の背中に回った両手が、服の上から軽く引っ掻くから。またどこか行きそうな平常心をなんとか引き戻した、ような気はする。
「口、開けて」
「ん……っ、あ」
素直に開いたそこへ舌を差し入れて歯列をなぞり、ぴくりと跳ねた体を掻き抱いて、夢中で口腔を探った。
「ふ、う……っ、あ、んっ」
合わせた唇の端からこぼれる悩ましい声が、ぽろぽろと地面に落ちる。
「く、るし……っ」
「っは、ごめん」
抗議するように服を引かれ、我に返った。
濡れた口を親指で拭って、同じく濡れたままの目尻にも唇で触れる。
「まだ、疑ってる?」
さっきまでぐずぐずに泣いていたくせに、と。からかう言葉に苦笑が漏れた。正直に、少しね、と告げると同じように笑う。
「じゃあ、さあ。智にぃが教えてよ」「僕?」
「そう。だって、髪も服もメイクも、俺に教えてくれたのは智にぃだから。だから――」
啄むように、唇が頬に触れた。
「俺のこの気持ちがなんなのか、智にぃが教えて」
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親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
過去のやらかしと野営飯
琉斗六
BL
◎あらすじ
かつて「指導官ランスロット」は、冒険者見習いだった少年に言った。
「一級になったら、また一緒に冒険しような」
──その約束を、九年後に本当に果たしに来るやつがいるとは思わなかった。
美形・高スペック・最強格の一級冒険者ユーリイは、かつて教えを受けたランスに執着し、今や完全に「推しのために人生を捧げるモード」突入済み。
それなのに、肝心のランスは四十目前のとほほおっさん。
昔より体力も腰もガタガタで、今は新人指導や野営飯を作る生活に満足していたのに──。
「討伐依頼? サポート指名? 俺、三級なんだが??」
寝床、飯、パンツ、ついでに心まで脱がされる、
執着わんこ攻め × おっさん受けの野営BLファンタジー!
◎その他
この物語は、複数のサイトに投稿されています。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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