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衝撃、という他ない。
まるで鈍器で頭を殴られたような、そんな衝撃。
とにかくどこから音が聞こえているのか知りたくて、何も知らない構内を走り回った。
そうして、あの場所にたどり着いて。扉を開ける手が震えていたのを、つい昨日のことのように思い出せる。
驚いた顔。はっきり言って垢抜けない、眼鏡の奥の目が俺を見て。
ごめんうるさかった、とその音が紡いだ。
どこか遠慮がちな、怯えたようなその物言いが、許せなかった。どうして、と。
うるさいなんてことあるわけがないのに。俺はお前の音を聞きたくて、お前のことを知りたくて、馬鹿みたいに息を切らせて走ってきたのに、と。
「自分勝手だよなあ」
自嘲気味な言葉が零れる。
だけど、あいつが。
自分の価値なんかないって顔をするあいつが、許せなかった。
手の中で、別荘のマスターキーがかちゃりと音を立てる。
想像通り、籠城を決め込んだ扉の前で、俺は一人苦笑した。
「樹」
声をかけてみる。返事はなくて、まああったところで何も変わりはしない。苦笑したままマスターキーを差し込み扉を開けると、ばたばたという慌てた音がした。
「入るぞ」
「入ってから言うな!馬鹿!」
黙ってればどこにいるかわからないのに、その声は部屋備え付けの浴室からだとわかってしまう。
まったく、と笑って後ろ手に扉を閉め、こっそり鍵をかけた。逃がしてやるつもりもない。
すたすたと声のしたほうへ向かう。曇りガラスの向こうで、白に緑の浴衣を着た背中が丸くなっているのが見えた。
「樹」
「っ、お、まえ、なぁっ!」
こちらに背を向けたままの声。
「なに、何言って、んだよ!変な誤解されるだろ?!」
「変な誤解ってなんだよ」
「お、おま、おまえ、が、っ、あ、あああい、し、てるとか、いうからっ」
「誤解でもなんでもねーけど?」
震える肩に手を置けば、びくりと細い体が跳ねる。
「信じてくれないなら何回でも言う。好きだ」
「だ、だか、らっ」
「お前が誰を好きでもいい。俺は、樹が、好きだ」
一句一句、区切るように。
ちゃんと聞いて理解しろという気持ちをこめて、低く告げた。
肩に置いた手に力をこめ、ゆっくりと振り向かせる。
思ったより抵抗もなく樹が俺の方を向いて、俺の顔を見て。息を飲んで、一歩だけ後ずさった。
「危ないって」
「だ、って、圭人、そんな、顔」
浴槽に足が当たるから、軽く腕を回して支えてやる。
「どんな顔だよ」
苦笑したつもりだった。だけど、たぶんうまく笑えてはいなくて。
「泣きそうな、顔」
おそるおそる伸びてきた手が、俺の頬に触れた。
楓と同じぐらいの頻度で、樹の口から出る『智にぃ』という名前。
それが二人の幼馴染であり、いい兄貴分であることはすぐに知れた。
樹が彼のことを話すときは楽しそうで。あのときだって、自分と楓が音楽を好きになったのは智にぃのおかげなんだ、なんて言おうとするから。
自分でもみっともないと思いながらも、食い気味にその言葉を遮った。
だけどその続きが何か言えるわけもなく。心に浮かんだ言葉が、つるりと口から落ちる。
「樹はかわいいよ」
驚いた顔が俺を見て、まるで一瞬時間が止まったような気がした。
俺は、その一瞬で、自分の中にあった衝動がなんだったのか、やっと理解する。
そうだ、俺は。樹の音楽を最初に聞いたときに、樹のことを好きになっていたんだ、と。
馬鹿馬鹿しいほどに当たり前の感情な気がして、むしろそれが自分の真ん中に納まったことで何もかもが腑に落ちた。
楓の話ならいくらでも聞けるのに、智にぃの話は聞きたくなかったり。樹の必要以上に自分を卑下する癖に苛ついたり。
髪も服も、俺が全部変えてやるのになんて、傲慢なことを考えていた。
あの日の信号待ちを思い出させるような樹の表情に勝手に煽られる。
支えていた手を腰に回して引き寄せて、顎に指先を添えた。こっち、と小さく囁いて。そのまま、強引に唇を重ねる。
至近距離で瞬く睫毛。いくら褒めても、楓のほうがなんて言うけれど。俺にしてみればお前が一番かわいい。
言葉だけじゃうまく伝えられない想いが、俺の舌に乗って、お前の腹の中まで落ちればいいのになんてことを考えながら口腔を探った。
「っ、は……」
「大丈夫か?」
くたりと力の抜けた体を寄りかからせて。これ幸いと、ベッドのほうへそのまま移動する。
ぽす、と軽い音を立てて、樹の体がベッドの上に乗った。頭を撫でてやれば、小さく微笑む。
「どうしたら信じてくれんの?」
「し、んじて……?」
「俺がお前を掛け値なしに好きだってこと、どうしたら伝わる?どうしたら俺のこと、見てくれんの?」
少しの間。ゆるゆると体を起こした樹が、ベッドの端に座る俺にほんの数センチ、近づいてきた。
眼鏡こそそのままだけれど。髪も服も眉も整えて、たぶん楓がやったんだろう薄く化粧を施された顔が、すぐ近くにある。
「……俺は馬鹿だから、どうしたらお前が喜んでくれんのかまだいまいちわかんね。教えて。どうしたらいい?」
「っ、ずる、い。そんなこと聞くの、ずるいだろ」
「だってわかんねーもん。怒られてばっかりで、笑ってて欲しいのに」
恥ずかしそうに伏せた目。ほんのり赤くなっている頬に触れたくて、でも今触ったらまた怒るだろうかと考える。
「だいたい、っ、圭人は、鈍感なんだよ」
「なんだよそれ」
「俺が、俺がどんな気持ちで、髪とか、服とか、そーいうの、変えたと思ってんだよ」
だんだんと小さくなっていく声を、自分の中で反芻した。
けれどその間にも、タガが外れたらしい樹は独り言のように言葉を零す。
「ずっとあのままで良かったのに。楓と智にぃがいて、そこに目立たないように俺がいて、好きなことができてればそれでよかったのに」
ため息をついて、一度は起き上がった体をまたベッドへと倒した。
「ほんっと、なんなのお前。突然現れて、人ん中ぐっちゃぐちゃに掻き回してさ。だから、俺だって、お前と一緒にいても自分が恥ずかしくならないようにって」
「俺と?」
「楓と智にぃみたいにとはいかなくても、少しは――お前といても大丈夫だって思いたくて」
言いながら、樹はかけていた眼鏡を外す。見えるのかよと心配していると、肘をついて上半身を起こした。
かしゃ、と音を立ててサイドテーブルにその眼鏡が置かれる。
「なのに、お前は気づかねぇし」
「は?え、な、なにが」
「眼鏡。いつもと違うの」
言われて、樹の指先に目をやった。
サイドテーブルに置かれたそれは、黒縁で。言われてみれば確かに、フレームがいつもと違うような気はする。
「え?眼鏡変えたってことか?」
「違うし!」
少しばかり理不尽なものを感じなくもなかったが、そこはもう惚れた弱みだ。
眉を下げ、教えて、と強請ってみれば、渋々といった様子ながら、再度その眼鏡を手に取った。
「……圭人は視力いいんだっけ」
「一応。両目1.0以上はあるけど」
「じゃあそのままこれ、かけてみて」
数秒ためらう。何しろ樹の視力の悪さは筋金入りで。
だけど俺に拒否権なんかあるわけもない。意を決し、渡された黒縁の眼鏡をかける。
「……あれ?」
目を開けて、レンズ越しに部屋の中を見渡した。何の変化もない。歪むはずの俺の視界は、クリアなままだ。
「――まだ、わかんねぇの?」
ずい、と。一気に距離を詰めてきた樹の顔がすぐ近くにあって、心臓が飛び出るかと思った。
これ、と言って樹の指が差すそれは、本人の黒目だ。
「黒目」
「そうだけどそうじゃなくて。良く見て、俺の黒目の周り」
「あ」
そこにうっすらあったのは、境界線だ。
黒目の一回り外側を覆う境界線。それはつまり。
「コンタクト、入れたのかよ」
「……そうだよ」
「なら、なんで眼鏡なんか」
浴室にいたときのような、唇を重ねたときのような距離の、樹の体を捕まえる。
たぶん逃げようとしたんだろう、一瞬俺のほうが速くて。しばらくもぞもぞと落ち着かなさそうな動きを続けたあと、諦めたのか、ベッドに座る俺の上に向かい合わせの状態で座り直した。
「……うう……なにこの体勢恥ずかしいんだけど……」
「諦めろ。で、この眼鏡なに?どういうこと?」
「……お前、そういうのも似合うな。悔しい」
ふに、と弱く頬を引っ張られる。まったく、と笑いが漏れた。
「自分で、コンタクト作りに行った。楓に聞いて、眼科も行って」
「なんで一緒に連れてってくんねーの」
「圭人がなんでもかんでも俺に買おうとするからだろ」
問いかければ、頬を膨らませて答える。
「やだって言ってんじゃん、そういうの。そんなことされてもちっとも嬉しくない」
「……悪かったよ」
回した腕に力をこめて、細い体を抱きしめた。
呆れの色を乗せたため息が聞こえて、後頭部が緩く撫でられる。
「嬉し、かったんだよ」
顔はあげられなくて、平たい胸に額を押し付けたまま言葉の続きを待った。
「お前が、楓と俺を比べないでいてくれることが」
「そんなの、当たり前だろ」
「俺にとっては、当たり前じゃなかった。楓はあの通りの性格だからさ、俺はいつも『双子の暗い方』『冴えない方』って言われてた」
以前、町中であった樹の元同級生を思い出す。
ち、と舌打ちをすると今度は苦笑が降ってきた。
「ずっと……どうでもいいと思ってた。俺のことを知らない奴にどう思われても、楓と智にぃがいてくれれば、それでよかったから」
何か儀式でもするかのように、顔を上向かされて。樹の指が俺の顔に乗せられていた眼鏡を取り去っていく。
「でも、気づかされた。あの時――お前が俺に気付かせたんだ」
「何を」
「ずっと俯いて生きていくのか、って」
ほろ、と。静かに落ちた涙が、頬を伝った。
「前髪と眼鏡で顔を隠して、俯いたまま生きていくのか、って。そのとき思ったんだ。俺は、本当は――嫌だったんだなって」
自分の涙に気付いてすらいないみたいに、言葉を落とすから。
手を伸ばし、頬を濡らすそれを軽く拭ってやる。
「変わりたいって思った。だけど、やっぱり怖かった。だから、圭人が無理やり美容院に連れて行ってくれたのには感謝してる。そうじゃなかったら、自分で変わる勇気なんてなかったから」
「……樹」
「髪を切ったことで、少しだけ世界が明るくなった気がしたんだよ」
ふふ、と小さく微笑む表情に、俺のほうが泣きそうになった。誤魔化すように片手を樹の頭の後ろへと回し、軽く引き寄せて目尻を啄む。
音を立てた唇が離れると、もう、と拗ねたような声を出した。
「まだ話、途中」
「うん」
「……圭人。俺、さぁ。お前の隣にいても大丈夫?恥ずかしくない?」
「馬鹿なこと言ってんな。どんなお前だってかわいいし、どんなお前だって俺は好きだ」
ありがと、と笑う。こっちの答えなんかわかってるくせに、わざとそうやって聞くその態度がいじらしく思えた。
「髪とか、服とか。そういうのが変わってって、周りの俺を見る目も少しずつ変わってくのが解って。だけど同時に、また怖くなった」
「……どうして?」
「俺と楓は双子だから。でも性格は真反対。俺が楓みたいな見た目になったって、楓みたいな性格にはなれない」
樹が持ったままだった眼鏡をそっと受け取って、サイドテーブルに戻す。
「そしたら、やっぱり比べられるんじゃないか、って。お前にも」
「馬鹿」
「うん、ごめん。だから、コンタクトにしたはいいけど眼鏡は怖くて外せなかった。外せないまま、ここまできちゃった」
ほんと馬鹿だよね、と。そう言って微笑む唇を、また塞ぎたくなって我慢した。
「……なぁ」
「なに?」
「いつまでこーしてんの?」
戸惑う声は、変わらず俺の頭上からする。
回した腕に力をこめて、ぎゅうぎゅうに抱きしめると、抗議するように髪を引っ張られた。
「痛いってば。離してよ」
「やだ」
「もう。ずっとこのまんまじゃん」
そう言われたって、離したくないんだから仕方ない。
「ったく。着替えたいし、智にぃと楓も心配だろ」
樹の口から紡がれるその音に、心臓が苦しくなる。だからまた、両腕に力をこめた。
「――なぁ、ほんとどうした?」
「離したくない」
「だからって」
「お前が俺を好きになってくれるまで、離したくない」
え、と戸惑う声。
肩口に額をつけたまま、軽く動かす。自分で自分が情けない。
「……俺のこと好きになってよ。智にぃより、好きになって」
「なんでそこで智にぃが出てくんだよ」
「……だって」
お前、あの人のこと好きじゃん、とは言えずに。
駄々をこねる子供みたいに、お願いと繰り返した。
「お前さ、鈍感って言われたことない?あるだろ?」
「さっき樹に言われたのが初めてだっつーの」
「嘘だぁ」
からかうような言葉にも、それだけのことにも、俺の腹は苦しくなる。
笑ってほしい。離したくない。好きになってほしい。幸せになってほしい。
ぐちゃぐちゃの感情が混ざり合って泣きそうになって、ただただ目の前の体を抱きしめた。
このまま押し倒して既成事実のひとつでも作ってしまえれば、どんなに楽だろう。
「圭人」
「……なに」
「俺を変えてくれたのはお前だよ。智にぃや楓じゃない。実際、あの二人には散々いろいろ言われたけど、変わろうなんて思うことができなかった」
ぐしゃ、と。優しい手が、俺の頭を撫でる。
「それでも、いわなきゃ、わかんない……?」
甘く聞こえる樹の声に、弾かれたように頭を離しその顔を見る。
「ふ、風呂、でも。さっきも、それから、いま、の体勢、も。おれ、抵抗、してない、つもりなんです、けど」
ふい、と視線を逸らす仕草。赤く染まった頬と、甘えるような声に、少しの意地悪心が顔を出した。
まるで鈍器で頭を殴られたような、そんな衝撃。
とにかくどこから音が聞こえているのか知りたくて、何も知らない構内を走り回った。
そうして、あの場所にたどり着いて。扉を開ける手が震えていたのを、つい昨日のことのように思い出せる。
驚いた顔。はっきり言って垢抜けない、眼鏡の奥の目が俺を見て。
ごめんうるさかった、とその音が紡いだ。
どこか遠慮がちな、怯えたようなその物言いが、許せなかった。どうして、と。
うるさいなんてことあるわけがないのに。俺はお前の音を聞きたくて、お前のことを知りたくて、馬鹿みたいに息を切らせて走ってきたのに、と。
「自分勝手だよなあ」
自嘲気味な言葉が零れる。
だけど、あいつが。
自分の価値なんかないって顔をするあいつが、許せなかった。
手の中で、別荘のマスターキーがかちゃりと音を立てる。
想像通り、籠城を決め込んだ扉の前で、俺は一人苦笑した。
「樹」
声をかけてみる。返事はなくて、まああったところで何も変わりはしない。苦笑したままマスターキーを差し込み扉を開けると、ばたばたという慌てた音がした。
「入るぞ」
「入ってから言うな!馬鹿!」
黙ってればどこにいるかわからないのに、その声は部屋備え付けの浴室からだとわかってしまう。
まったく、と笑って後ろ手に扉を閉め、こっそり鍵をかけた。逃がしてやるつもりもない。
すたすたと声のしたほうへ向かう。曇りガラスの向こうで、白に緑の浴衣を着た背中が丸くなっているのが見えた。
「樹」
「っ、お、まえ、なぁっ!」
こちらに背を向けたままの声。
「なに、何言って、んだよ!変な誤解されるだろ?!」
「変な誤解ってなんだよ」
「お、おま、おまえ、が、っ、あ、あああい、し、てるとか、いうからっ」
「誤解でもなんでもねーけど?」
震える肩に手を置けば、びくりと細い体が跳ねる。
「信じてくれないなら何回でも言う。好きだ」
「だ、だか、らっ」
「お前が誰を好きでもいい。俺は、樹が、好きだ」
一句一句、区切るように。
ちゃんと聞いて理解しろという気持ちをこめて、低く告げた。
肩に置いた手に力をこめ、ゆっくりと振り向かせる。
思ったより抵抗もなく樹が俺の方を向いて、俺の顔を見て。息を飲んで、一歩だけ後ずさった。
「危ないって」
「だ、って、圭人、そんな、顔」
浴槽に足が当たるから、軽く腕を回して支えてやる。
「どんな顔だよ」
苦笑したつもりだった。だけど、たぶんうまく笑えてはいなくて。
「泣きそうな、顔」
おそるおそる伸びてきた手が、俺の頬に触れた。
楓と同じぐらいの頻度で、樹の口から出る『智にぃ』という名前。
それが二人の幼馴染であり、いい兄貴分であることはすぐに知れた。
樹が彼のことを話すときは楽しそうで。あのときだって、自分と楓が音楽を好きになったのは智にぃのおかげなんだ、なんて言おうとするから。
自分でもみっともないと思いながらも、食い気味にその言葉を遮った。
だけどその続きが何か言えるわけもなく。心に浮かんだ言葉が、つるりと口から落ちる。
「樹はかわいいよ」
驚いた顔が俺を見て、まるで一瞬時間が止まったような気がした。
俺は、その一瞬で、自分の中にあった衝動がなんだったのか、やっと理解する。
そうだ、俺は。樹の音楽を最初に聞いたときに、樹のことを好きになっていたんだ、と。
馬鹿馬鹿しいほどに当たり前の感情な気がして、むしろそれが自分の真ん中に納まったことで何もかもが腑に落ちた。
楓の話ならいくらでも聞けるのに、智にぃの話は聞きたくなかったり。樹の必要以上に自分を卑下する癖に苛ついたり。
髪も服も、俺が全部変えてやるのになんて、傲慢なことを考えていた。
あの日の信号待ちを思い出させるような樹の表情に勝手に煽られる。
支えていた手を腰に回して引き寄せて、顎に指先を添えた。こっち、と小さく囁いて。そのまま、強引に唇を重ねる。
至近距離で瞬く睫毛。いくら褒めても、楓のほうがなんて言うけれど。俺にしてみればお前が一番かわいい。
言葉だけじゃうまく伝えられない想いが、俺の舌に乗って、お前の腹の中まで落ちればいいのになんてことを考えながら口腔を探った。
「っ、は……」
「大丈夫か?」
くたりと力の抜けた体を寄りかからせて。これ幸いと、ベッドのほうへそのまま移動する。
ぽす、と軽い音を立てて、樹の体がベッドの上に乗った。頭を撫でてやれば、小さく微笑む。
「どうしたら信じてくれんの?」
「し、んじて……?」
「俺がお前を掛け値なしに好きだってこと、どうしたら伝わる?どうしたら俺のこと、見てくれんの?」
少しの間。ゆるゆると体を起こした樹が、ベッドの端に座る俺にほんの数センチ、近づいてきた。
眼鏡こそそのままだけれど。髪も服も眉も整えて、たぶん楓がやったんだろう薄く化粧を施された顔が、すぐ近くにある。
「……俺は馬鹿だから、どうしたらお前が喜んでくれんのかまだいまいちわかんね。教えて。どうしたらいい?」
「っ、ずる、い。そんなこと聞くの、ずるいだろ」
「だってわかんねーもん。怒られてばっかりで、笑ってて欲しいのに」
恥ずかしそうに伏せた目。ほんのり赤くなっている頬に触れたくて、でも今触ったらまた怒るだろうかと考える。
「だいたい、っ、圭人は、鈍感なんだよ」
「なんだよそれ」
「俺が、俺がどんな気持ちで、髪とか、服とか、そーいうの、変えたと思ってんだよ」
だんだんと小さくなっていく声を、自分の中で反芻した。
けれどその間にも、タガが外れたらしい樹は独り言のように言葉を零す。
「ずっとあのままで良かったのに。楓と智にぃがいて、そこに目立たないように俺がいて、好きなことができてればそれでよかったのに」
ため息をついて、一度は起き上がった体をまたベッドへと倒した。
「ほんっと、なんなのお前。突然現れて、人ん中ぐっちゃぐちゃに掻き回してさ。だから、俺だって、お前と一緒にいても自分が恥ずかしくならないようにって」
「俺と?」
「楓と智にぃみたいにとはいかなくても、少しは――お前といても大丈夫だって思いたくて」
言いながら、樹はかけていた眼鏡を外す。見えるのかよと心配していると、肘をついて上半身を起こした。
かしゃ、と音を立ててサイドテーブルにその眼鏡が置かれる。
「なのに、お前は気づかねぇし」
「は?え、な、なにが」
「眼鏡。いつもと違うの」
言われて、樹の指先に目をやった。
サイドテーブルに置かれたそれは、黒縁で。言われてみれば確かに、フレームがいつもと違うような気はする。
「え?眼鏡変えたってことか?」
「違うし!」
少しばかり理不尽なものを感じなくもなかったが、そこはもう惚れた弱みだ。
眉を下げ、教えて、と強請ってみれば、渋々といった様子ながら、再度その眼鏡を手に取った。
「……圭人は視力いいんだっけ」
「一応。両目1.0以上はあるけど」
「じゃあそのままこれ、かけてみて」
数秒ためらう。何しろ樹の視力の悪さは筋金入りで。
だけど俺に拒否権なんかあるわけもない。意を決し、渡された黒縁の眼鏡をかける。
「……あれ?」
目を開けて、レンズ越しに部屋の中を見渡した。何の変化もない。歪むはずの俺の視界は、クリアなままだ。
「――まだ、わかんねぇの?」
ずい、と。一気に距離を詰めてきた樹の顔がすぐ近くにあって、心臓が飛び出るかと思った。
これ、と言って樹の指が差すそれは、本人の黒目だ。
「黒目」
「そうだけどそうじゃなくて。良く見て、俺の黒目の周り」
「あ」
そこにうっすらあったのは、境界線だ。
黒目の一回り外側を覆う境界線。それはつまり。
「コンタクト、入れたのかよ」
「……そうだよ」
「なら、なんで眼鏡なんか」
浴室にいたときのような、唇を重ねたときのような距離の、樹の体を捕まえる。
たぶん逃げようとしたんだろう、一瞬俺のほうが速くて。しばらくもぞもぞと落ち着かなさそうな動きを続けたあと、諦めたのか、ベッドに座る俺の上に向かい合わせの状態で座り直した。
「……うう……なにこの体勢恥ずかしいんだけど……」
「諦めろ。で、この眼鏡なに?どういうこと?」
「……お前、そういうのも似合うな。悔しい」
ふに、と弱く頬を引っ張られる。まったく、と笑いが漏れた。
「自分で、コンタクト作りに行った。楓に聞いて、眼科も行って」
「なんで一緒に連れてってくんねーの」
「圭人がなんでもかんでも俺に買おうとするからだろ」
問いかければ、頬を膨らませて答える。
「やだって言ってんじゃん、そういうの。そんなことされてもちっとも嬉しくない」
「……悪かったよ」
回した腕に力をこめて、細い体を抱きしめた。
呆れの色を乗せたため息が聞こえて、後頭部が緩く撫でられる。
「嬉し、かったんだよ」
顔はあげられなくて、平たい胸に額を押し付けたまま言葉の続きを待った。
「お前が、楓と俺を比べないでいてくれることが」
「そんなの、当たり前だろ」
「俺にとっては、当たり前じゃなかった。楓はあの通りの性格だからさ、俺はいつも『双子の暗い方』『冴えない方』って言われてた」
以前、町中であった樹の元同級生を思い出す。
ち、と舌打ちをすると今度は苦笑が降ってきた。
「ずっと……どうでもいいと思ってた。俺のことを知らない奴にどう思われても、楓と智にぃがいてくれれば、それでよかったから」
何か儀式でもするかのように、顔を上向かされて。樹の指が俺の顔に乗せられていた眼鏡を取り去っていく。
「でも、気づかされた。あの時――お前が俺に気付かせたんだ」
「何を」
「ずっと俯いて生きていくのか、って」
ほろ、と。静かに落ちた涙が、頬を伝った。
「前髪と眼鏡で顔を隠して、俯いたまま生きていくのか、って。そのとき思ったんだ。俺は、本当は――嫌だったんだなって」
自分の涙に気付いてすらいないみたいに、言葉を落とすから。
手を伸ばし、頬を濡らすそれを軽く拭ってやる。
「変わりたいって思った。だけど、やっぱり怖かった。だから、圭人が無理やり美容院に連れて行ってくれたのには感謝してる。そうじゃなかったら、自分で変わる勇気なんてなかったから」
「……樹」
「髪を切ったことで、少しだけ世界が明るくなった気がしたんだよ」
ふふ、と小さく微笑む表情に、俺のほうが泣きそうになった。誤魔化すように片手を樹の頭の後ろへと回し、軽く引き寄せて目尻を啄む。
音を立てた唇が離れると、もう、と拗ねたような声を出した。
「まだ話、途中」
「うん」
「……圭人。俺、さぁ。お前の隣にいても大丈夫?恥ずかしくない?」
「馬鹿なこと言ってんな。どんなお前だってかわいいし、どんなお前だって俺は好きだ」
ありがと、と笑う。こっちの答えなんかわかってるくせに、わざとそうやって聞くその態度がいじらしく思えた。
「髪とか、服とか。そういうのが変わってって、周りの俺を見る目も少しずつ変わってくのが解って。だけど同時に、また怖くなった」
「……どうして?」
「俺と楓は双子だから。でも性格は真反対。俺が楓みたいな見た目になったって、楓みたいな性格にはなれない」
樹が持ったままだった眼鏡をそっと受け取って、サイドテーブルに戻す。
「そしたら、やっぱり比べられるんじゃないか、って。お前にも」
「馬鹿」
「うん、ごめん。だから、コンタクトにしたはいいけど眼鏡は怖くて外せなかった。外せないまま、ここまできちゃった」
ほんと馬鹿だよね、と。そう言って微笑む唇を、また塞ぎたくなって我慢した。
「……なぁ」
「なに?」
「いつまでこーしてんの?」
戸惑う声は、変わらず俺の頭上からする。
回した腕に力をこめて、ぎゅうぎゅうに抱きしめると、抗議するように髪を引っ張られた。
「痛いってば。離してよ」
「やだ」
「もう。ずっとこのまんまじゃん」
そう言われたって、離したくないんだから仕方ない。
「ったく。着替えたいし、智にぃと楓も心配だろ」
樹の口から紡がれるその音に、心臓が苦しくなる。だからまた、両腕に力をこめた。
「――なぁ、ほんとどうした?」
「離したくない」
「だからって」
「お前が俺を好きになってくれるまで、離したくない」
え、と戸惑う声。
肩口に額をつけたまま、軽く動かす。自分で自分が情けない。
「……俺のこと好きになってよ。智にぃより、好きになって」
「なんでそこで智にぃが出てくんだよ」
「……だって」
お前、あの人のこと好きじゃん、とは言えずに。
駄々をこねる子供みたいに、お願いと繰り返した。
「お前さ、鈍感って言われたことない?あるだろ?」
「さっき樹に言われたのが初めてだっつーの」
「嘘だぁ」
からかうような言葉にも、それだけのことにも、俺の腹は苦しくなる。
笑ってほしい。離したくない。好きになってほしい。幸せになってほしい。
ぐちゃぐちゃの感情が混ざり合って泣きそうになって、ただただ目の前の体を抱きしめた。
このまま押し倒して既成事実のひとつでも作ってしまえれば、どんなに楽だろう。
「圭人」
「……なに」
「俺を変えてくれたのはお前だよ。智にぃや楓じゃない。実際、あの二人には散々いろいろ言われたけど、変わろうなんて思うことができなかった」
ぐしゃ、と。優しい手が、俺の頭を撫でる。
「それでも、いわなきゃ、わかんない……?」
甘く聞こえる樹の声に、弾かれたように頭を離しその顔を見る。
「ふ、風呂、でも。さっきも、それから、いま、の体勢、も。おれ、抵抗、してない、つもりなんです、けど」
ふい、と視線を逸らす仕草。赤く染まった頬と、甘えるような声に、少しの意地悪心が顔を出した。
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その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
過去のやらかしと野営飯
琉斗六
BL
◎あらすじ
かつて「指導官ランスロット」は、冒険者見習いだった少年に言った。
「一級になったら、また一緒に冒険しような」
──その約束を、九年後に本当に果たしに来るやつがいるとは思わなかった。
美形・高スペック・最強格の一級冒険者ユーリイは、かつて教えを受けたランスに執着し、今や完全に「推しのために人生を捧げるモード」突入済み。
それなのに、肝心のランスは四十目前のとほほおっさん。
昔より体力も腰もガタガタで、今は新人指導や野営飯を作る生活に満足していたのに──。
「討伐依頼? サポート指名? 俺、三級なんだが??」
寝床、飯、パンツ、ついでに心まで脱がされる、
執着わんこ攻め × おっさん受けの野営BLファンタジー!
◎その他
この物語は、複数のサイトに投稿されています。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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