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第22話 同朋

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 その日の講義を受け終わった僕は小吉と合流して時間を潰して事務所に行こうとしていたため「さくら」で待っていた。ところが、待てども暮せども小吉が現れない。約束の時間から1時間が経過したがいまだに来ない。小吉には自分に課しているルールがあり、それを破ることはないと豪語していた。そのルールの一つに行くと決めた事由は時間厳守というルールがあった。まず、小吉の中で行くかどうかの判断が下される。行く気がなかったら約束はしない。つまり約束したということは小吉は約束の時間に間に合うように来るはずだ。それが来ないということはただ事ではない何かしらの事情があるということだ。それも事前に僕に連絡を取ることができないようなレベルの事情、ということになる。グラスに入っているアイスコーヒーを口に含み、とりあえず落ち着いて冷静に考えることにする。小吉はあんな奴だが馬鹿ではない。自分から危険なことに首を突っ込んで行ったりしないはずだ。つまり何かしらの外的要因、第三者的要因によって小吉が僕に連絡を取れないほど鬼気迫る状況に陥らされている、ということか。もしそうであるならばこうして悠長にグラスについている水滴を指でなぞっている場合ではないのだが、何から手をつけていいのかわからない。仮に行動の筋道の見通しが立ったところで僕一人で何かできるとは限らない。むしろ状況は悪化するかもしれない。しかしもし本当に小吉が危険な状況にあるのだとすれば・・・。こんな時ですら僕は何もできないでいる。思考を巡らせるだけで実際には何もしていない。こんな時、漫画や映画の主人公なら、考えるよりも先に行動して、ある程度のリスクは負うだろうが最終的にはカリスマ性やスター性で全てを丸く収めることができるのだろう。もちろん僕はそんな主人公ではない、ないのだが、ただ、ひたすらに中途半端な自分が嫌になる。「はあ」とため息を吐きながら窓の外に目をやると黒いワンピース姿でクリーム色のトートバッグを肩にかけた瀬奈と目があった。

「それで、小吉とはいまだに連絡が取れないってわけ?」
「うん、そういうことになるね。こんなことは滅多にない。」
 アイスティが入ったグラスをストローでカラカラと回しながら瀬奈は頬杖をついて僕の考えを聞いていた。こうしてみるとやはり目鼻立ちは整っているし肌も綺麗だ。控えめだがメイクもしているし、髪の毛にも艶がある。美少女と言っても差し支えないだろう。
「それで、どうしようか考えていたんだけど」僕が力なくそう呟く。
「うーん、でも、まだ小吉がどうなってるかなんてわからないんでしょ?取り越し苦労になるかもしれないし」瀬奈は至って冷静で、僕を安心させるためか、落ち着いたトーンで話す。
「いや、小吉はあんな奴だけど・・・って言ってもわからないか。そっけない奴なんだけどちゃんと自分を持った頑なな奴なんだよ。そんなあいつがこんな曖昧なことをするとはどうしても思えない。良くも悪くもはっきりしてるんだ、あいつは」僕は瀬奈の目をはっきりと見つめながらそう言った。
「へえ、いいな、そういうの」少し広角を上げて、視線を下にずらしながら瀬奈はそうこぼした。
「いい?小吉が?」何言ってんだこの人。
「小吉が、というよりは二人の関係が、かな。私は本しか読んでこなかったし友達、と呼べるような人はいるに入るけど、わざわざ会いに行ったり、電話したり、いわゆる仲の良い友達って呼べるような人ではないと思う。結局知り合い程度なんだ。一人の時間は好きだし、それでもいいと思ってるんだけど、二人を見た時から、いちいち言葉にしなくてもわかり合ってるような熟年夫婦みたいな安定感があって、なんかいいコンビって感じがしてて、羨ましいなって思っちゃったんだ。私もやっぱりそういう関係が欲しいのかもしれないわね。」
 合間合間で頭を掻いたり髪の毛を弄ったりしている所在なさげな手の動きが気になったが、おそらく身の上話をするのが恥ずかしかったのだろう。なるほど、確かにそういう点からも交友関係の少なさが窺える。
「僕も、小吉は他の人とは違うと思って接してる部分はある。愛想ないし理屈くさいし面倒な奴だけど、あいつは自分にも他人にも嘘をつかないからさ。自分というものがはっきりあってそれを貫いているところが、僕は羨ましくて、尊敬できて、何より信用できるんだよね。結局人間、言葉だけじゃ信じられないんだけど、小吉は言葉も言動も一貫していて、しかもそれをあいつ自身は特別なことだと思っていなくて、当たり前のことだと思って生きてるんだ。僕から見た小吉は、そういう奴。」こんなふうに小吉のことを誰かに話したことはなかったかもしれない。小吉はあんな奴だから敵は少なくないし共感もされない、だから無闇に人に話すのは憚られていた。でも、瀬奈になら話してもいいと、無意識にそう思ったのかもしれない。
「そっか」
「でも、これはあくまでも僕がそう思っているってだけだから、瀬奈にしか見えない小吉の姿もあると思うんだ。だからその時は、それを僕にも教えて欲しいかな」さすがにこれは僕も恥ずかしかった。
「うん、その時は真っ先に大治にいうね、ま、私友達いないから他にいう人いないんだけど」自虐的に、悪戯っぽく笑う瀬奈は小さな女の子のように可愛く見えた。

 お互いのグラスに入っていた飲み物がなくなったタイミングで僕は決めた。何がどうなるかなんてわからないけど、ただ一つ確かなことは、何もしなければ何も始まらないということだ。
「小吉を探しに行こう」
「うん、そうね。でも、手がかりは?」
「あまり気は進まなかったんだけど、もう四の五の言ってられない。」
「と、いいますと?」瀬奈が首を傾げてこちらを見ている。

 僕は荷物の中から携帯を取り出し、電話をかけた。
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