怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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七人目 座敷童の神隠し

化け物に姉を攫われまして、と少年は目を伏せて

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 僕が生まれる前、両親は事業が失敗して、六つの姉を連れてこの家に転がり込んだそうです。お腹を膨らませた母とボロボロの絵本一冊しか持たない姉を連れ帰った父を見て、祖父は何も言わず、家に迎え入れてくれました。
 泣き腫らした顔をした母の肩を抱き、体温を移すように撫でてやりながら、祖母はこう言ったそうです。

「うちには座敷童がいるの。これからは何も心配いらないから。きっと全部がうまくいくからね」

 祖母の言葉通り、父は仕事を得て、母は無事僕を産みました。それが座敷童のお陰かどうかは、今でもわかりません。だっては、僕の誕生を望んでいなかったから。
 僕が今も住む家は、この町から電車を何本も乗り継いで行かなきゃいけない田舎にあります。石ころ転がる田舎道を自転車で走って、いくつもの大きな畑を越えて、その向こうにようやく見える大きな古い家。それが父の生家で、僕が今も住まう家――祖父母が〝座敷童〟と呼ぶ化け物が住まう家です。
 部活を終えて、田舎道を自転車で走ると気持ちがいいですよ。時期によっては、頻繁に虫の体当たりを食らいますけどね。それでも、車のほとんど通らない農道を自転車で駆け抜けるのは、本当に気持ちがいい。
 そんな気持ちよさを味わわせてくれた自転車を片付けて玄関へ走るとね、部活終わりだから、結構暗いんですよ。部活自体は好きだったけど、帰る時間が遅くなるのはいやだったな。
 僕の家は古いから、玄関も引き違い戸なんです。わかりますか? そうです、そういう互い違いになるガラス戸。それを開けて家に入るんです。するとね、「おかえり」って呼びかけられるんです。祖母に。
 あ、すみません。もちろん生きてます。いえ、生きてました。去年までは。ああ、いえ、気にしないでください。僕から話したことですから。
 僕の「ただいま」に、台所から祖母が優しい声で「おかえり」って。「晩ご飯、できてるよ」って言ってくれるんです。その前の年までは、祖父も生きてました。祖母の優しい声に遅れて、元気な濁声が僕に今日の具合を聞いてくるんです。「楽しかったか」「怪我しなかったか」って。
 高校生なのに、小学生みたいな心配をされてました。ちょっと恥ずかしかったけど、僕はこんなやり取りが好きでした。
 でも、遅い時間に帰った日のやり取りは好きじゃありません。今も、好きじゃないです。
 遅い時間に帰るとね、僕が十歳の時に消えた姉の声が聞こえるんです。「おかえりぃ」って。

「たーくん、おかえりぃ」

 たーくん。僕のことをそう呼ぶのは、姉だけです。靴を脱いだ足を置いた、廊下の床板の隙間から、姉にそう呼びかけるんです。
 消えたとき、姉は十七歳でした。そのときと声は一切変わりません。僕が同じ年になっても、姉の声は十七歳の少女のままです。その声は、僕以外に聞こえないんです。
 幻聴だと思いますか? そうですね。僕もそう思って、何度も自分に言い聞かせましたよ。だけど姉は、僕の目の前で消えて行方不明とされてる姉は、あの家にんです。
 見ました。見ましたよ。僕の目の前で姿を消す姉を。姉が姿を消す瞬間を。
 姉は引きずり込まれたんです。あの家の隙間に、の手によって。
 僕はね、ほとんど祖父母に育てられたものなんです。僕が幼稚園に通えるようになった途端、母が働き出したので。でも僕は母を恋しがって泣きませんでした。農業を営む傍らで祖父母が可愛がってくれましたし、何より姉が、専ら僕の世話を焼いてくれていましたから。
 七つ上の姉は、身内から見てもきれいな人でしたよ。艶やかな黒髪に、つるりとした白い肌。切れ長の涼しげな目に、赤い唇。その横にぽつりと控えめに存在するほくろ。笑うとき必ず口元に添えられる、細い指。いつでも穏やかで耳に心地よい声は、笑うと心底楽しそうに弾けて……。
 きれいで優しい姉が、僕は本当に大好きでした。
 だから僕から姉を奪ったあいつが、心の底から憎い。
 初めてあいつを認識したのは、五歳の誕生日を過ぎた頃でした。七つ上の姉は十二歳。あいつもちょうど、そんな年頃に見えました。気の強そうな、意地が悪そうな、吊り上がった目をした青い着物の男の子。それがあいつの見た目です。
 あいつは隙間や影に潜んでいて、大人がいなくなるとぬるりと現れました。僕の前ではなく、姉の前に。
 僕はもう、見た瞬間からあいつが嫌いでした。わかっていたんでしょうね、あいつが姉にどんな感情を抱いているか。あいつが姉を、どうしようとしているか。
 でも幼い僕はそれらを上手く伝えられなくて、ただ姉にあいつが嫌いだからと訴えました。そうすると姉はいつも、悲しそうな顔をしていました。

「そんなこと言わないで、たーくん」

 姉は優しい。優しい人なんです、姉は。優しい姉が悲しむから、姉の前であいつのことを悪く言うのはやめました。けれどこっそり、祖父母にあいつの存在を教えました。家の隙間から、影から、変な子が現れては意地悪をするので怖いと訴えたんです。二人は――特に祖父は――初の男孫である僕を可愛がっていてくれたので、どうにかしてくれると思っての行動でした。
 しかし二人は僕の期待を裏切り、笑い飛ばしたんです。

「そりゃあこの家の座敷童だな」

 そう言ったのは、祖父でした。

「いっつも男の前には顔見せようとしないから、男が嫌いなんだろう」

 祖父は「しょうがない」と言って豪快に笑い、祖母も「遊んでもらえなくて残念ね」ところころ笑う。
 違うのに。
 僕はそんな理由であいつを嫌っているわけではないのに。
 あいつのじっとりした目が、嫌だったんです。嫌な重みのある視線で、姉を刺すから。影の中から、隙間の中から、いつでも姉を見ているから。
 僕にはわかりました。あいつは、姉が好きでした。大好きな姉を僕以外の誰かも好いているだなんて、姉もその思いを返すかもしれないだなんて、僕は我慢がなりませんでした。
 でも、あいつを嫌う理由はそれだけではありません。
 あいつはいつも、姉の前で僕を貶めるんです。姉にくっつく僕を突き飛ばし、冷ややかな目で僕を睨むんです。

「お前だけは、仲間に入れてやんねえ」

 それがあいつの口癖でした。抵抗もできず突き飛ばされた僕を睨みつけそう言うと、姉をどこかへ連れていこうとするのが常でした。
 そんなとき姉はいつも、あいつより僕を優先してくれました。
 尻餅をつく僕を助け起こし、悪くもないのに「ごめんねぇ」と謝り、拗ねた顔をするあいつを咎めました。

「そんな冷たいこと言わないで。わたしの弟なんだから」

 このときばかりは、胸が空く思いでした。大好きな姉に叱られて、ざまぁみろという気分でした。
 姉は、優しい人でした。あいつは、これっぽっちも優しくなかった。僕は姉が大好きで、あいつが大嫌いでした。
 大人が近くにいると、あいつは影や隙間から出てこないんです。出てこられないのかどうかは、わかりません。とにかく大人がいると、あいつが姉に触れられなかったのは事実です。
 僕はこれ見よがしに姉にしがみつき、姉を見るあいつの前で、勝ち誇った気分でいました。しかし姉は、そんな僕を意地悪なあいつと同じように咎めました。姉は僕にも、あいつにも優しかったんです。

「たーくん、そんな意地悪したらだめよ」

 そう言う姉の目は、あいつが潜む隙間に向いていました。姉はあいつの視線に気づいているようでした。あの粘つく不快な視線に気づいていながら、姉はあいつを拒まなかったんです。
 ああ、思い出したら腹が立ってきた。すみません、水を飲ませてください。……はぁ、だめだ。すみません、もう少し。ええ、大丈夫です。話します。話させてください。
 ……それから季節が過ぎ、月日を重ね、姉は小学校を出て、中学生になりました。あいつの外見も、姉同様年に成長していきました。姉と変わらなかった背はぐんと高くなりましたよ。なのに相も変わらず、指も入らないような隙間に潜んで姉を見つめていました。
 分け隔てなく優しかった姉の天秤があいつに傾き始めたのは、姉が十四になった冬の頃でした。
 吹き荒ぶ雪と風の音に眠れなかった夜のことです。トイレに行こうと自室を出た僕は、その帰り、ひそひそと誰かが話す声を聞きました。
 声は長い長い廊下の向こうから聞こえました。僕は夜の廊下が嫌いでした。あいつ以外にも、何か想像もできないような醜悪な化け物がうずくまっているような気がするからです。実は今も、夜の廊下は苦手です。
 その廊下の向こうから、ひそひそ声は二人分聞こえていました。一人は姉。間違えようがありません。ではもう一人は誰か? それは、認めたくありませんでした。
 古い家なので、歩くだけで床は軋みます。幸い幼い僕の体重の軽く、ゆっくり、息を殺して歩くことで、床の軋みをかなり抑えられました。
 荒れ狂う天候は、僕に味方していてくれたんでしょうか。それとも、あいつの味方だったんでしょうか。廊下を渡り、食堂を抜け、そっと台所を覗き込んでも、足音はまったく立ちませんでした。
 けれど僕は、台所を覗いて後悔しました。割れた地面に飲み込まれるような、そんな思いを味わいました。
 暗がりの中、姉はいました。
 流し台に手をついて寄りかかり、湯気の立ち上るマグカップを片手に、冷蔵庫の隙間に話しかけていました。姉の声に相づちを打つ、あいつの声が聞こえました。あいつの声に潜めた笑い声を立てる、姉の声が聞こえました。
 姉が浮かべる笑顔は、僕に見せるものと、違ったんです。
 あいつにしか見せないであろう、幼い僕でもわかるような、好意と媚びを滲ませた笑顔だったんです。
 僕に聞かせる声とも違いました。
 あいつにしか聞かせないであろう、幼い僕でもわかるような、恋慕と甘えを含んだ声だったんです。
 僕の見ている前で、隙間にいるあいつの手が、姉に伸びました。姉は流し台に寄りかかるのをやめ、あいつの手をぴしりと叩きました。ざまぁみろと胸の空くような気になりましたが、それも束の間。晴れたはずの胸は、すぐにもやもやしたもの満たされました。
 姉の白く細い指と、あいつの影のようなぺらぺらした指が、絡み合ったんです。
 指を絡めては解き、追いかけてはまた絡め、逃げるように解く。訳のわからない手遊びに興じる姉の横顔は、とても楽しそうでした。僕はそれ以上見ていたくなくて、姉とあいつに気づかれないよう、そっと廊下を引き返しました。
 部屋に戻ってからも二人の手遊びが暗闇に浮かび上がって、嫌な気持ちになって、なかなか寝つけなかったのを今もよく覚えています。
 それから……それから。すみません、もう一杯水を。すみません、すみません。大丈夫です。話せます。だからどうか、最後まで聞いてください。
 そう……そうです。忘れられない、あれは姉が十七になった夏のことです。
 夏休みは目前で、僕も姉も半日で帰宅できる日々が続いていた頃です。当然、父と母は仕事に出ています。祖父母も野良仕事に出ていました。家には僕と姉の二人きり――あいつを入れるなら三人きりか――である日が増えていました。
 あの日のお昼はそうめんでした。僕より先に帰っていた姉は、制服のままでそうめんを茹でてくれていました。
 鞄を下ろした僕は、「ただいま」も言わず姉の背中を見つめていました。その頃の姉は、すっかり僕に構ってくれなくなっていたからです。姉が高校生になったというのも、原因の一つでしょう。でも主な原因はです。
 姉が十五になった頃から、あいつは大人がいようと関係なしに姉に話しかけるようになっていました。あいつの声を聞くと、姉は何もかもを放り出し、あいつと話せる場所へ移動するようになりました。僕の宿題を見ている最中だろうと、祖母の手伝いをしている最中だろうと、食事をしている最中だろうと、お構いなしに。
 このままではいつか、姉はあいつに取られるのではないか。
 そんな不安を覚えた僕は、姉に手紙を書きました。渡したのは梅雨時の晴れ間、洗濯物を干しているときです。あいつが隠れるような影も隙間もない庭に姉がいるのを見計らって、僕は姉に手紙を手渡したんです。

「姉ちゃん、これ」

 僕が差し出した手紙を、姉は受け取ってくれました。僕はうつむき、地面を見つめていました。手紙が開かれるかさかさという音が、やけに大きく聞こえていたのを覚えています。
 手紙に書いたのは、たった一言です。

『姉ちゃん どこにも 行かないで』

 微かに「あ」と姉が呟くのを聞いた僕は、恐る恐る顔を上げました。顔を上げた僕を見た姉は、困ったような、少し恥ずかしそうな、そんな顔で笑い、僕の前にしゃがみ込みました。

「どこにも行かないよ。ずっとここにいるから」

 ――本当に?

 姉があいつに取られる――連れ去られるという不安は消えませんでした。けれど姉が僕の手紙を大事そうに折りたたんでエプロンのポケットに入れてくれたから、僕は姉の言葉を受け入れました。その言葉通り、どこにも行かないと思うことにしました。

 ――今はああやってあいつに夢中になっていても、いつかは目を覚まし、こっちを見てくれる。

 そう信じ込んだんです。
 だからあのときも、鞄を下ろして突っ立ったまま、エプロン姿の姉の背を無言で見つめていたんです。だけど姉は、僕を見ませんでした。僕の気配に気づきもしないで、そうめんを茹でていました。僕に気づいてくれたのは、そうめんを盛り付けるお皿を探しに振り向いたときでした。
 だから僕は、二人きりでお昼を食べたあと、流し台で食器を洗っている姉に縋りついたんです。

「姉ちゃん、遊んで」

 姉は驚いたように手を止め、僕を見ました。見上げると、優しさに困惑と諦めをひとさじずつ混ぜたような顔が、僕を見下ろしていました。

「何して遊ぶの?」

 優しい声でした。僕は安心して、「かくれんぼ」と即答しました。かくれんぼなら、姉が鬼になったなら、姉は僕を見つけるためだけにすべてを注いでくれるからです。
 姉は「ちょっと待っててね」と、また食器に向き直りました。

「かくれんぼするなら、お座敷の準備をしないとねぇ」
「僕がやる」

 そう言って僕は、慌てて座敷へ走りました。
 え? ああ、そうです。僕らにとって、かくれんぼは座敷から始まる遊びなんです。襖をすべて開け放ち、庭に面した窓を開けて、明かりを取り込み、風を通らせ、隠れにくくした上でかくれんぼをするんです。
 窓を開け放しても、家からは決して出ない。
 そういう決まりでした。どうしてそんな決まりを作ったかは、忘れてしまいました。思い返すとあいつが原因だった気もします。
 準備が整った頃、食器を洗い終えた姉が座敷にやってきて僕の頭を撫でました。

「それじゃあ、姉ちゃんが鬼をやるね。たーくんは隠れておいで」

 優しい声に、優しい目に、優しい手つき。それらすべてが僕に向いているのが嬉しくて、なのに素直に喜びを表せなくて、僕は生意気な口調で返しました。

「姉ちゃん、ちゃんと百まで数えてよ」

 それでも姉は怒ったりせず、「はいはい」と優しくうなずき、ゆっくりと数え始めました。

「いーち、にーい」

 姉の声が、座敷を抜けて廊下へ響きます。姉がしっかり目を瞑っているのを確認した僕は、どこに隠れるか思案しながら座敷を出ようとしました。
 その瞬間です。あいつが、畳の目の隙間からしゅるりと出てきたのは。
 僕が「あっ」と声を上げる間もなく、あいつは姉の腕を掴み、伸び上がるように鴨居の隙間に飛び込んだんです。

 ――姉が、あいつに攫われた。

 蹈鞴を踏んだ僕は踵を返し、鴨居に向かって何度も飛びました。

「返せ、姉ちゃんを返せ!」

 鴨居の隙間から、にゅう、と手が伸びたのを見て僕は跳ねるのをやめました。伸びた姉のものではありません。姉のものではない手は、汚物でも持つように何かを摘まんでいました。
 僕が姉に渡した、あの手紙でした。
 鴨居から伸びたのは、あいつの手でした。あいつは摘まんでいた僕の手紙を、乱暴に投げ捨てました。

「こいつはもう、おれのもんだ」

 そう言い残し、あいつの手は隙間に引っ込んでしまいました。
 それから僕がいくら喚こうが罵ろうが、隙間からは何の応答もありませんでした。飛び跳ね疲れた僕は、畳の上にぺたんと座り込み、ただ鴨居を見上げていました。
 どれくらいそうしていたか――もう、覚えていません。それなりに長い時間だったんじゃないんでしょうか。
 ゆっくりと立ち上がって、僕はふらふら外へ出ました。日差しがあるときは帽子を被るよう言われていたのに、帽子も被らず、それどころか靴すら履かなかったように思います。大事な何かが、胸からすっぽり抜け落ちた気分でした。
 僕は外へ出て、畑にいる祖父母を探しました。麦わら帽子を被った祖母が僕に気づいたときの目の丸さは、何だか忘れられません。

「あれ、たー坊。どうしたの」
「ばーちゃん」
「帽子も被らないで……靴も履いてないの? どうしたのよ、たー坊」

 日に焼けた祖父母の顔を見ても、僕の胸から落ちたものは戻りません。ぼんやりした声で、僕は今し方目の前で起きたことを伝えました。

「姉ちゃんが、おばけに連れてかれた」

 それから僕の家は大騒ぎになりました。十七歳の少女が忽然と消えたんです。当然といえば当然ですね。
 部屋を見ても家出の痕跡もなく、友人関係に何かがあったわけでもなく、不審者が入り込んだ様子もない。隙間に引きずり込まれたと訴えても、誰も信じてくれません。
 そのうち、家族も近所の人たちも、姉は神隠しに遭ったのだと諦めてしまいました。
 僕の言うことを信じる人は誰もいません。見たのは僕だけ。姉を隙間から連れ戻せるのは、連れ戻そうと思えるのは、僕だけでしょう。
 だから僕は、幼いなりに努力しました。
 タイヤがパンクするまで自転車を走らせ、あちこちの神社やお寺にお参りしました。話をしても信じてもらえませんでしたが、お守りやお札、塩なんかを買って、あいつのいる隙間に突きつけたり、貼りつけたり、振りまいたりしました。
 けれどどれも効果はありません。姉を取り戻すのは、不可能だったんです。
 家中が寝静まった夜。家のあちこちの隙間から、姉の忍び笑いが聞こえるんです。誰かとじゃれているような、楽しげな声なんです。
 僕が一人で過ごしているとき、時折、刺すような視線がを感じます。姉を見つめていたあの目が、敵意を持って僕を見ているんです。
 姉を取り戻すつもりだった僕は、隙間のあいつに姉との仲を見せつけられ、心が折れてしまいました。

 ――姉は、幸せなのだ。

 二人が幸せそうにしている声を聞いて、僕はそう思うことで胸を癒やしました。この年になるまで、僕は夜毎、二人が仲睦まじく話す声を聞き流して眠りについていました。二人の声はきっと、僕が成人しても、家を出るまで――姉のことを諦めるまで、聞くことになるんだと思います。
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