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第1話 湯気は地域密着型から始まった
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鍋の季節だ。
所沢の1K、25㎡。
本来は二人入居不可のアパート。
それでも俺たちは、二人で暮らしている。
違反とか、そういうのじゃない。
ちゃんと金を払ってるし、掃除もしてる。
うるさくしないし、ごく普通の社会人だ。
ただ――
この部屋は、狭い。
そして、壁が薄い。
だから、俺たちの暮らしは、いつも“静か”だ。
俺は榎本新一、三十歳、フリーターだ。
自転車で十分のところにある、大手うどんチェーンで働いてる。ポジションは……バイトリーダーみたいなところだ。
「ただいまー」
18時ちょい前。
玄関を開けて、彼女の声がした。
麻生久美。三十七歳。
俺より七つ上。
豊洲で働いてる派遣社員で、週五で通っている。
毎日、電車で都内まで出て、帰ってくる。
しんどいはずなのに、よくしゃべる。
口数が多いタイプっていうより、思ったことを全部出すタイプ。
「今日、駅のホームでさ」
靴を脱ぎながら、もう話してる。
「めっちゃ押された……クソが。押す人ってさ、押せば世界が広がると思ってんのかな」
「ねぇ。通勤はきついよ。久美ちゃん偉いわ」
「ねー、ほんと偉いよわたし。あー、疲れた」
会話は、どうでもいい。
でも、こういうどうでもいい会話をするのが、俺たちの日常だった。
仲はいい。喧嘩もしない。
一緒にテレビも見るし、酒も飲んで、笑い合う。
ただ、どこか老夫婦みたいな距離感になってしまった。
理由は簡単。夜の営みがほとんどないのだ。
それは、俺が彼女に感じてる体の相性が合わない。
最初は頑張った。
でも、頑張るものじゃないと分かった。
それからは触れない。
触れないまま日が過ぎる。
俺だけが溜まる。溜まったら、こっそり一人で済ませる。
それが、俺の日常の一部になっていた。
日常の一部といえば、バイトを終えるのが十七時頃。その帰りにスーパーに行き、すぐに自宅まで帰る。そして、いつも通り彼女が帰ってくる十八時頃までに夕食の準備をしておき、風呂に湯を張っておく。
そして、帰宅した彼女はコートを脱いで、バッグを床に置くと、財布から千円札を一枚、テーブルに置く。
「はい。明日のご飯代」
毎日、晩ご飯代は1000円。
これが日常の一部であり、ルーティン。
「おう、ありがと」
俺は千円札を財布にしまう。
彼女はそれ以上、献立の話をしない。
しないというより、もう完全に任せている。
料理は俺の仕事。
決めるのも俺。
買うのも俺。
作るのも俺。
彼女は食べる。
感想を言う。
そして眠る。
五年ぐらいこんな感じで生活してる。
バイトがある日は、職場の近くにある地域密着型のスーパーで買い出しをする。
ここは、ほとんどの食材が安く、俺らフリーターの味方だ。
特に豚肉がうまい。そして安い。
節約しながらも、ちゃんとうまいものが食える。
「今日も鍋?」
久美が背中越しに言う。
「うん、そうだよ」
「もう寒くなってきたから、鍋でいいよね」
「しかも、あそこのスーパーは肉がうまいからね」
「豚しゃぶ豚しゃぶー」
少しウキウキ気分で彼女は風呂場に行った。
その言い方が、好きだ。
俺は、自分が役に立っている気がする。
豆腐もネギもえのきも、家にある。
だから肉に寄せられる。
豚の種類は肩ロース一択。
脂の白さ。赤身の色。そして、加工日。
俺は、何の才能もないくせに、ここだけは細かい。
バイトの発注作業より真剣かもしれない。
19時。
「いただきます」
豚肉を湯にくぐらせる。
ピンクが白に変わる。
それをまずは、ポン酢に落とす。
「……うまい」
そしてすぐに白米を掻きこむ。この毎回同じの作業が毎回嬉しい。
うまい。うますぎる。
豚しゃぶタイムは二十時頃に終え、二人ともまったりタイムが始まる。その瞬間だった。
俺の胸の奥が、変にざわついた。
腹の底が熱い。
胃じゃない。
もっと下。
(……なんだ)
でも、体のどこかが変に目を覚ます。
彼女の横顔が視界に入る。
無防備で、何も考えてない顔。
その顔を見ただけで、俺の中の“何か”が強くなる。
嫌な強さ。
「えっちゃん、どうした」
彼女が俺を見る。
俺の顔が赤いのかもしれない。
「暑いの?」
「いや、少し食べ過ぎたかも。お腹が張ってるな」
「そう、胃薬飲む?」
「いや、ちょっとすれば落ち着くかも」
嘘じゃないが、この日は変な感じだった。
「明日も鍋かな?」
「うん」
俺は笑おうとした。
でも、笑えなかった。
部屋は暖く、彼女はテレビを見ながら笑っていた。
生活は平和だ。
なのに、俺の中だけが不穏に沸いていく。
この日を境に、俺は自分の欲を制御できなくなる。
まだ、そのことを知らないまま。
所沢の1K、25㎡。
本来は二人入居不可のアパート。
それでも俺たちは、二人で暮らしている。
違反とか、そういうのじゃない。
ちゃんと金を払ってるし、掃除もしてる。
うるさくしないし、ごく普通の社会人だ。
ただ――
この部屋は、狭い。
そして、壁が薄い。
だから、俺たちの暮らしは、いつも“静か”だ。
俺は榎本新一、三十歳、フリーターだ。
自転車で十分のところにある、大手うどんチェーンで働いてる。ポジションは……バイトリーダーみたいなところだ。
「ただいまー」
18時ちょい前。
玄関を開けて、彼女の声がした。
麻生久美。三十七歳。
俺より七つ上。
豊洲で働いてる派遣社員で、週五で通っている。
毎日、電車で都内まで出て、帰ってくる。
しんどいはずなのに、よくしゃべる。
口数が多いタイプっていうより、思ったことを全部出すタイプ。
「今日、駅のホームでさ」
靴を脱ぎながら、もう話してる。
「めっちゃ押された……クソが。押す人ってさ、押せば世界が広がると思ってんのかな」
「ねぇ。通勤はきついよ。久美ちゃん偉いわ」
「ねー、ほんと偉いよわたし。あー、疲れた」
会話は、どうでもいい。
でも、こういうどうでもいい会話をするのが、俺たちの日常だった。
仲はいい。喧嘩もしない。
一緒にテレビも見るし、酒も飲んで、笑い合う。
ただ、どこか老夫婦みたいな距離感になってしまった。
理由は簡単。夜の営みがほとんどないのだ。
それは、俺が彼女に感じてる体の相性が合わない。
最初は頑張った。
でも、頑張るものじゃないと分かった。
それからは触れない。
触れないまま日が過ぎる。
俺だけが溜まる。溜まったら、こっそり一人で済ませる。
それが、俺の日常の一部になっていた。
日常の一部といえば、バイトを終えるのが十七時頃。その帰りにスーパーに行き、すぐに自宅まで帰る。そして、いつも通り彼女が帰ってくる十八時頃までに夕食の準備をしておき、風呂に湯を張っておく。
そして、帰宅した彼女はコートを脱いで、バッグを床に置くと、財布から千円札を一枚、テーブルに置く。
「はい。明日のご飯代」
毎日、晩ご飯代は1000円。
これが日常の一部であり、ルーティン。
「おう、ありがと」
俺は千円札を財布にしまう。
彼女はそれ以上、献立の話をしない。
しないというより、もう完全に任せている。
料理は俺の仕事。
決めるのも俺。
買うのも俺。
作るのも俺。
彼女は食べる。
感想を言う。
そして眠る。
五年ぐらいこんな感じで生活してる。
バイトがある日は、職場の近くにある地域密着型のスーパーで買い出しをする。
ここは、ほとんどの食材が安く、俺らフリーターの味方だ。
特に豚肉がうまい。そして安い。
節約しながらも、ちゃんとうまいものが食える。
「今日も鍋?」
久美が背中越しに言う。
「うん、そうだよ」
「もう寒くなってきたから、鍋でいいよね」
「しかも、あそこのスーパーは肉がうまいからね」
「豚しゃぶ豚しゃぶー」
少しウキウキ気分で彼女は風呂場に行った。
その言い方が、好きだ。
俺は、自分が役に立っている気がする。
豆腐もネギもえのきも、家にある。
だから肉に寄せられる。
豚の種類は肩ロース一択。
脂の白さ。赤身の色。そして、加工日。
俺は、何の才能もないくせに、ここだけは細かい。
バイトの発注作業より真剣かもしれない。
19時。
「いただきます」
豚肉を湯にくぐらせる。
ピンクが白に変わる。
それをまずは、ポン酢に落とす。
「……うまい」
そしてすぐに白米を掻きこむ。この毎回同じの作業が毎回嬉しい。
うまい。うますぎる。
豚しゃぶタイムは二十時頃に終え、二人ともまったりタイムが始まる。その瞬間だった。
俺の胸の奥が、変にざわついた。
腹の底が熱い。
胃じゃない。
もっと下。
(……なんだ)
でも、体のどこかが変に目を覚ます。
彼女の横顔が視界に入る。
無防備で、何も考えてない顔。
その顔を見ただけで、俺の中の“何か”が強くなる。
嫌な強さ。
「えっちゃん、どうした」
彼女が俺を見る。
俺の顔が赤いのかもしれない。
「暑いの?」
「いや、少し食べ過ぎたかも。お腹が張ってるな」
「そう、胃薬飲む?」
「いや、ちょっとすれば落ち着くかも」
嘘じゃないが、この日は変な感じだった。
「明日も鍋かな?」
「うん」
俺は笑おうとした。
でも、笑えなかった。
部屋は暖く、彼女はテレビを見ながら笑っていた。
生活は平和だ。
なのに、俺の中だけが不穏に沸いていく。
この日を境に、俺は自分の欲を制御できなくなる。
まだ、そのことを知らないまま。
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