サマーミラージュ

持田ぐみ

文字の大きさ
2 / 11

2.幽霊の噂

しおりを挟む
 休み時間も、次の授業のことで頭がいっぱいだ。宿題のノートを見返していると、他の子たちが話しかけてきた。

「ねえねえ、松永さんさあ、龍神坂の方から来てなかったっけ?」

 顔をあげると、季穂も含めた女の子たちが、近くの机に集まっていた。季穂もその輪に加わっている。

「うん、龍神坂、通るよ」
 私は伸びをして立ち上がった。
 自分から声をかける余裕はないけれど、話題を振ってもらえると、少しほっとできる。

「あそこらへんでさ、幽霊見た子がいるらしくてさ」

 声をかけてくれた和田さんという子がそんな風に続けた。ショートカットで小柄、いつも早口でテンションが高いおしゃべり好きな子だ。

「え、幽霊? こわ……どんな幽霊なの?」

 話しの方向が思わぬホラーで、ぶわっと鳥肌が立った。

 夕暮れ時の龍神坂の入口は、確かに鬱蒼としていて、爽やかな朝の風景からはかけ離れたものになる。

 木々に囲まれた車道は街頭も少なく、普段だって、まるで洞窟に入っていくような勇気がいるのだ。

「二組の子なんだけど、剣道部でさ。神社のそばに道場があるんだけど。稽古の後、夜八時くらいに龍神坂の近くの橋を渡ってたら、河原にぼうっと白い人影が浮いてたんだって」

 夜八時だと、橋の上の照明以外に光はない。夏には毎年、神社の例大祭があり、花火会場になる河原ではあるけれど、普段は犬の散歩の人がたまに通るくらいだ。

「剣道部の先輩も一緒に見たんだって。自転車停めて見てたら、すぐ消えたって言ってた」

「何もしない幽霊なんだ」

 追いかけてくるとか、足を引っ張ってくるとかではないらしい。

「あそこの川ってさ、橋に人柱使ってたんだって。小学校のときの先生が言ってたよ」

 和田さんの隣でそう言ったのは、神崎さん。サラサラの髪にぱっちりとした瞳が可愛らしい子だ。

「じゃあ出るね」

 どっしりと季穂が断言した。

 「出るね、じゃないよ~私、毎日あそこ通るんだよ」

 放課後すぐに帰ればまだ明るいけれど、演劇部の活動がある日は七時頃になる。
 
 あの坂は自転車を漕いでは登れない。

 教科書の詰まったスクールバッグをかごに載せ、押していくのが精一杯だ。人ならぬものに追いかけられたらと思うと、なかなか鳥肌が引かない。

「部活ある日は、親に送ってもらったら?」

 季穂に言われて、私はなんと説明しようか迷う。
 まだ、季穂には私と母の関係については説明していない。

「あ~……」

 言い淀んでいると、和田さんが人差し指を私に突きつけた。

「わかる! 言いにくいよね。『好きで部活やってるんだから頑張って帰ってこい!』とか言うもん、うちのママも」

 和田さんの言葉に神崎さんが手を後ろに組み、体を左右に揺らしながら続けた。

「うちはお父《とう》なら送ってくれるかもしれないけど、お父《とう》は連絡付きにくくて待つんだよね~iPhoneの音、完全にサイレントにしててさ」

 かわいい顔立ちの神崎さんだけれど、父親のことを『お父』と呼ぶ。

 みんなそれぞれ違った家族関係があって、そういうのが垣間見える話が私は好きだ。テレビやマンガに出てくるような、『標準』の家なんてない、ということを実感できるからかもしれない。

「あっそういえば、お父が昨日買ってきたお菓子、季穂が絶対好きなヤツだったよ」

 神崎さんがスナック菓子の説明を始め、季穂と和田さんが前のめりで食いつき、あっという間に休み時間が終わって幽霊の話題はそれきりになった。

  放課後、私は季穂と演劇部の練習場所である、校舎の端の講堂に行く。

 講堂は一年生から三年生の教室が並ぶメインの建物から、L字に分かれた分棟の突き当りにある。古めかしい木造の建物は、天井が低く、いまだに蛍光灯の照明しかない。

 幽霊が出そうな場所という意味では負けていないこの廊下で、私はまた昼間とは違う緊張感に見舞われる。

 講堂の手前には理科室があり、そこに放課後集まるのが、みっちゃんの所属する科学部なのだ。

 みっちゃんと鉢合わせになりたいような、なりたくないような気持ちで、いつも床板の軋む廊下を歩いていく。

 すると、理科室の扉がガラっと開き、中から二人の男子生徒が飛び出てきた。

「痛いっておまえ」

 笑いながらじゃれあっているワイシャツ姿の男子生徒。

 ネクタイをきちんと締めているほうがみっちゃんで、だらしなく襟をはだけているのが鳴田だった。二人とも、プラスチック製のパイプを手に、チャンバラのようなことをしていたらしい。

「珠月先輩、妹さんですよ」

 ほらっ、と鳴田が私を手の平で示す。古い校舎を背景にした鳴田はタイムスリップしてきた未来人のような妙な違和感がある。

「なにやってんだか」

 ふうっと、私はため息をついて二人を避けて行こうとした。

「あ、美味しかったですよ、スペシャルドリンク」

 私と同じ速さで歩きながら、季穂が追い抜きざま、みっちゃんの方を向く。

「あれっ、季穂ちゃんも飲んだの?」

 みっちゃんが問うので、季穂が足を止めた。仕方なく私も振り返る。

「うん、二人で分けっこして飲んだ」

 朝は時間が無くなって、昼休みに二人で味見をした。レモンの酸味はフルーティでほんのり甘く、疲れが吹き飛ぶ味だった。

「そっか、じゃあ、明日は季穂ちゃんの分も作ろうか」

「おっ、じゃあ、オレもオレも! 作って先輩」

 鳴田が肩をシェイクさせながらみっちゃんに近づくと、みっちゃんは悪霊を封じるように鳴田のおでこを押さえた。

「オマエは塩化ナトリウムでいいな?」

「いきなり廉価版になった」

 季穂が吹きだす。

「オレも岩塩がいいです! いや、せめて食塩で!」

 絡みはじめた鳴田とみっちゃんに手を振り、私と季穂は講堂へと入っていく。

  演劇部の稽古が終わったのは午後六時頃。

 私と季穂が校舎を出ると淡い夕焼け空が広がっていた。
 夕陽の残光が西の空にたなびく雲に当たり、ラベンダー色の影ができている。

「おお、きれいじゃのう」
 季穂が芝居がかった調子で額に手を翳した。まだムワっと暑い空気を透明な箒で掃き清めるように、ゆるやかな夕風が通り抜けていく。

 駐輪スペースの端には、鳴田の乗ってきた自作自転車がまだ置いてあった。昼休みに雪村先生になんと言われたのだろう。

「鳴田、明日もこれに乗って来るのかな」

 私がヘルメットを付けながらつぶやくと、もう準備のできていた季穂は首を傾げる。

「どうだろ。だって鳴田の家、ここからそんなに遠くないよね」

「そうなの?」

 季穂は私よりも情報通だ。鳴田の家は、父親が変わっているらしく、倉庫のような建物に住んでいるとは聞いたことがある。

 倉庫と聞いて、学校の近くではなく、自分と同じように離れた集落に暮らしているのかと勝手に思っていた。

 季穂とはバス通りに出たところで別れ、いつも通り急な龍神坂を、自転車を押して歩く。 

 今日は車通りがあり、時折行き過ぎるヘッドライトに勇気づけられながら、薄暮の雑木林を上り詰めていく。

 てっぺん辺りの傾斜がゆるやかになっていて、ラストスパートの力を出し切れない。

 登りきるとあとは楽で、ペダルに足を軽くかけたまま、カーブでスピードを出し過ぎないようにだけ気を付けながら、重力に身を任せた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...