10 / 11
10.葦原
しおりを挟む
また大きく葦原が揺れる。向井くんは座り込んだらしく、姿が見えなくなった。声だけが聞こえるようになり、かえって気持ちが楽になる。
「うん」
私も乾いた石を探して座ると、川音が近くなり、不思議と心が安らいだ。
「俺さ、親父が苦手……っていうか嫌いなんだ。顔見るたびに、部活で結果出せってうるさくてさ」
「何部なの」
私が鼻をすすりながら尋ねると、向井くんが座りなおすような衣擦れの音がした。
やや間があって、答えが返ってくる。
「サッカー部」
うちの高校のサッカー部は弱小で有名だ。ろくに練習もしない部だから、一年生で部員になった人がいるのか、と驚いた。
「チームプレイだから……難しいね」
私は声を絞り出したが、うまく相手に届いているかはわからない。
「親父は期待される側のことはちっとも考えてくれない。母親はそれが嫌で離婚したんだ」
「お母さん、いないんだ」
「うん」
二人で黙り込む。私が抱えている気持ちが、胸の中で小さな木の葉になってバタバタと暴れ出す。
だめだよ。
だめだ。
言葉にしたら変わってしまう。
私が作ってきた私が、崩れて溶けて、とんでもない怪物になる。
また涙が溢れてきて、空を仰ぐとすでに夕闇がせまっており、一番星が光り出していた。
泣きたくなんてないのに、なぜだろう、向井くんの声がやけに優しくあったかく感じられて、止まらない。向井くんに気づかれないようにハンカチで顔を拭いていると、
「あ、上、見て。龍神坂の方」
向井くんがまた穏やかなトーンでつぶやく。
教えてくれた方を見ると、一等星より明るい星がいくつも、一列に並んで紺碧の夜空を駆け上っていく。
「え、何、あれ!」
私は驚きでひっくり返りそうになった体を、なんとか岩に手をついて支えた。 二十、いやもっとあるだろうか。
流れ星のように消えはせず、並んだ星たちは、それぞれに粒だった光のまま、行進するように動いていく。
ダイヤモンドが連なったネックレスが、天球を滑っていくような不思議な光景。
藍色のグラデーションを背景に、流れていく白い光はあまりにきれいで、息をするのも忘れて見入った。
「UFO? 隕石?」
まさかミサイルじゃないよね、とドキドキしたけれど向井くんは落ち着いている。
「いいもの、見れたね」
「今の何? いいものなの?」
私はまた昂る気持ちを必死に押さえながら尋ねる。
「あれは、アメリカの企業が打ち上げてるスターリンク衛星だよ。一気に三十基ほどを打ち上げるから、ああやってまっすぐ一列に並んで飛んでいくんだ」
向井くんがまるで辞典を読み上げるようにすらすらと教えてくれる。
すごく頭のよい人のようだ。
私はポケットを探った。
「写真、あ、動画! ああ、携帯置いてきちゃった……」
私はバッグをまるごと自転車のかごに置いてきてしまったことを後悔した。
きらめく星の軌道は、見慣れた山林の稜線に消えていく。
「みっちゃんに教えたかったのにな」
無意識に呟いてしまった。きっと向井くんに、みっちゃんって誰だろう、と思われているだろう。私は少し迷って付け加える。
「えっと、兄のこと。……すごく優しいんだ。血はつながってないんだけど、私のこと、とても大切にしてくれてて」
向井くんはいつの間にか、また立ち上がってこちらを向いていた。
「いいな」
向井くんが羨んだのは、優しい兄がいること、だろうか。
それとも、私の寂しさだろうか。
「ひよりさん……また会える?」
向井くんが唐突にそんな風に尋ねた。
私は笑って、
「だって同じ学校だよ」
答えたとたんにハッとした。
いつのまにか自分の手の平も見えないくらいに暗くなっている。
それなのに、どうして向井くんの表情が見えたのか。
葦原の葉をかきわけようと、咄嗟に茂みに手を入れる。
「向井くん?」
自分の手が視界をふさぐのがもどかしい。
茂みを越えていくのはあきらめて、息せき切って裸足で川に飛び込み、葦原を回り込む。鼓動が耳のそばでドキン、ドキンと大きな音を立てる。
じゃぶじゃぶと水をかきわけ進んだ。大きな石ころがゴロゴロしていて足裏が痛い。
「向井くん!」
向井くんのいたはずの場所に目をこらす。チカっと丸い光に目を射られた気がした。
川の水がさらさらと知らぬ顔で流れていく。
暗がりには誰もいない。
ざわっと温い風が大きく葦を揺すり、通り抜けていく。
――いない。
向井くんが人ならざるものだったのかということよりも、取り残された胸の中の言の葉が、苦しく飛び回っていた。
「聞いてもらいたかったな」
普通の星空に、普通の夜道。
普通の街灯、普通の風。
向井くんは、もう死んでしまった人なんだろうか。私はどうして生きていくんだろう。
世界がぐるぐる回って、普通の私が許されていることにむしゃくしゃした。
どこかに検査ゲートができて、ポーンと弾かれてしまえばいいのに。
あなたは刃物を隠しているから、この先に行けませんと、言ってくれたらいいのに。
「うん」
私も乾いた石を探して座ると、川音が近くなり、不思議と心が安らいだ。
「俺さ、親父が苦手……っていうか嫌いなんだ。顔見るたびに、部活で結果出せってうるさくてさ」
「何部なの」
私が鼻をすすりながら尋ねると、向井くんが座りなおすような衣擦れの音がした。
やや間があって、答えが返ってくる。
「サッカー部」
うちの高校のサッカー部は弱小で有名だ。ろくに練習もしない部だから、一年生で部員になった人がいるのか、と驚いた。
「チームプレイだから……難しいね」
私は声を絞り出したが、うまく相手に届いているかはわからない。
「親父は期待される側のことはちっとも考えてくれない。母親はそれが嫌で離婚したんだ」
「お母さん、いないんだ」
「うん」
二人で黙り込む。私が抱えている気持ちが、胸の中で小さな木の葉になってバタバタと暴れ出す。
だめだよ。
だめだ。
言葉にしたら変わってしまう。
私が作ってきた私が、崩れて溶けて、とんでもない怪物になる。
また涙が溢れてきて、空を仰ぐとすでに夕闇がせまっており、一番星が光り出していた。
泣きたくなんてないのに、なぜだろう、向井くんの声がやけに優しくあったかく感じられて、止まらない。向井くんに気づかれないようにハンカチで顔を拭いていると、
「あ、上、見て。龍神坂の方」
向井くんがまた穏やかなトーンでつぶやく。
教えてくれた方を見ると、一等星より明るい星がいくつも、一列に並んで紺碧の夜空を駆け上っていく。
「え、何、あれ!」
私は驚きでひっくり返りそうになった体を、なんとか岩に手をついて支えた。 二十、いやもっとあるだろうか。
流れ星のように消えはせず、並んだ星たちは、それぞれに粒だった光のまま、行進するように動いていく。
ダイヤモンドが連なったネックレスが、天球を滑っていくような不思議な光景。
藍色のグラデーションを背景に、流れていく白い光はあまりにきれいで、息をするのも忘れて見入った。
「UFO? 隕石?」
まさかミサイルじゃないよね、とドキドキしたけれど向井くんは落ち着いている。
「いいもの、見れたね」
「今の何? いいものなの?」
私はまた昂る気持ちを必死に押さえながら尋ねる。
「あれは、アメリカの企業が打ち上げてるスターリンク衛星だよ。一気に三十基ほどを打ち上げるから、ああやってまっすぐ一列に並んで飛んでいくんだ」
向井くんがまるで辞典を読み上げるようにすらすらと教えてくれる。
すごく頭のよい人のようだ。
私はポケットを探った。
「写真、あ、動画! ああ、携帯置いてきちゃった……」
私はバッグをまるごと自転車のかごに置いてきてしまったことを後悔した。
きらめく星の軌道は、見慣れた山林の稜線に消えていく。
「みっちゃんに教えたかったのにな」
無意識に呟いてしまった。きっと向井くんに、みっちゃんって誰だろう、と思われているだろう。私は少し迷って付け加える。
「えっと、兄のこと。……すごく優しいんだ。血はつながってないんだけど、私のこと、とても大切にしてくれてて」
向井くんはいつの間にか、また立ち上がってこちらを向いていた。
「いいな」
向井くんが羨んだのは、優しい兄がいること、だろうか。
それとも、私の寂しさだろうか。
「ひよりさん……また会える?」
向井くんが唐突にそんな風に尋ねた。
私は笑って、
「だって同じ学校だよ」
答えたとたんにハッとした。
いつのまにか自分の手の平も見えないくらいに暗くなっている。
それなのに、どうして向井くんの表情が見えたのか。
葦原の葉をかきわけようと、咄嗟に茂みに手を入れる。
「向井くん?」
自分の手が視界をふさぐのがもどかしい。
茂みを越えていくのはあきらめて、息せき切って裸足で川に飛び込み、葦原を回り込む。鼓動が耳のそばでドキン、ドキンと大きな音を立てる。
じゃぶじゃぶと水をかきわけ進んだ。大きな石ころがゴロゴロしていて足裏が痛い。
「向井くん!」
向井くんのいたはずの場所に目をこらす。チカっと丸い光に目を射られた気がした。
川の水がさらさらと知らぬ顔で流れていく。
暗がりには誰もいない。
ざわっと温い風が大きく葦を揺すり、通り抜けていく。
――いない。
向井くんが人ならざるものだったのかということよりも、取り残された胸の中の言の葉が、苦しく飛び回っていた。
「聞いてもらいたかったな」
普通の星空に、普通の夜道。
普通の街灯、普通の風。
向井くんは、もう死んでしまった人なんだろうか。私はどうして生きていくんだろう。
世界がぐるぐる回って、普通の私が許されていることにむしゃくしゃした。
どこかに検査ゲートができて、ポーンと弾かれてしまえばいいのに。
あなたは刃物を隠しているから、この先に行けませんと、言ってくれたらいいのに。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)
MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。
かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。
44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。
小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。
一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。
ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる