サマーミラージュ

持田ぐみ

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10.葦原

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 また大きく葦原が揺れる。向井くんは座り込んだらしく、姿が見えなくなった。声だけが聞こえるようになり、かえって気持ちが楽になる。

「うん」

 私も乾いた石を探して座ると、川音が近くなり、不思議と心が安らいだ。

「俺さ、親父が苦手……っていうか嫌いなんだ。顔見るたびに、部活で結果出せってうるさくてさ」
「何部なの」

 私が鼻をすすりながら尋ねると、向井くんが座りなおすような衣擦れの音がした。
 やや間があって、答えが返ってくる。

「サッカー部」

 うちの高校のサッカー部は弱小で有名だ。ろくに練習もしない部だから、一年生で部員になった人がいるのか、と驚いた。

「チームプレイだから……難しいね」

 私は声を絞り出したが、うまく相手に届いているかはわからない。

「親父は期待される側のことはちっとも考えてくれない。母親はそれが嫌で離婚したんだ」
「お母さん、いないんだ」
「うん」

  二人で黙り込む。私が抱えている気持ちが、胸の中で小さな木の葉になってバタバタと暴れ出す。

 だめだよ。
 だめだ。

 言葉にしたら変わってしまう。
 私が作ってきた私が、崩れて溶けて、とんでもない怪物になる。

 また涙が溢れてきて、空を仰ぐとすでに夕闇がせまっており、一番星が光り出していた。

 泣きたくなんてないのに、なぜだろう、向井くんの声がやけに優しくあったかく感じられて、止まらない。向井くんに気づかれないようにハンカチで顔を拭いていると、

「あ、上、見て。龍神坂の方」

 向井くんがまた穏やかなトーンでつぶやく。
 教えてくれた方を見ると、一等星より明るい星がいくつも、一列に並んで紺碧の夜空を駆け上っていく。

「え、何、あれ!」

 私は驚きでひっくり返りそうになった体を、なんとか岩に手をついて支えた。 二十、いやもっとあるだろうか。

 流れ星のように消えはせず、並んだ星たちは、それぞれに粒だった光のまま、行進するように動いていく。

 ダイヤモンドが連なったネックレスが、天球を滑っていくような不思議な光景。
 藍色のグラデーションを背景に、流れていく白い光はあまりにきれいで、息をするのも忘れて見入った。

「UFO? 隕石?」

 まさかミサイルじゃないよね、とドキドキしたけれど向井くんは落ち着いている。

「いいもの、見れたね」
「今の何? いいものなの?」

 私はまた昂る気持ちを必死に押さえながら尋ねる。

「あれは、アメリカの企業が打ち上げてるスターリンク衛星だよ。一気に三十基ほどを打ち上げるから、ああやってまっすぐ一列に並んで飛んでいくんだ」
 向井くんがまるで辞典を読み上げるようにすらすらと教えてくれる。

 すごく頭のよい人のようだ。
 私はポケットを探った。

「写真、あ、動画! ああ、携帯置いてきちゃった……」

 私はバッグをまるごと自転車のかごに置いてきてしまったことを後悔した。
 きらめく星の軌道は、見慣れた山林の稜線に消えていく。

「みっちゃんに教えたかったのにな」

 無意識に呟いてしまった。きっと向井くんに、みっちゃんって誰だろう、と思われているだろう。私は少し迷って付け加える。

「えっと、兄のこと。……すごく優しいんだ。血はつながってないんだけど、私のこと、とても大切にしてくれてて」

 向井くんはいつの間にか、また立ち上がってこちらを向いていた。

「いいな」

 向井くんが羨んだのは、優しい兄がいること、だろうか。
 それとも、私の寂しさだろうか。

 「ひよりさん……また会える?」

 向井くんが唐突にそんな風に尋ねた。

 私は笑って、

「だって同じ学校だよ」

 答えたとたんにハッとした。

 いつのまにか自分の手の平も見えないくらいに暗くなっている。
 それなのに、どうして向井くんの表情が見えたのか。

 葦原の葉をかきわけようと、咄嗟に茂みに手を入れる。

「向井くん?」

 自分の手が視界をふさぐのがもどかしい。

 茂みを越えていくのはあきらめて、息せき切って裸足で川に飛び込み、葦原を回り込む。鼓動が耳のそばでドキン、ドキンと大きな音を立てる。

 じゃぶじゃぶと水をかきわけ進んだ。大きな石ころがゴロゴロしていて足裏が痛い。

「向井くん!」

 向井くんのいたはずの場所に目をこらす。チカっと丸い光に目を射られた気がした。

 川の水がさらさらと知らぬ顔で流れていく。
 暗がりには誰もいない。

 ざわっと温い風が大きく葦を揺すり、通り抜けていく。

――いない。

 向井くんが人ならざるものだったのかということよりも、取り残された胸の中の言の葉が、苦しく飛び回っていた。

「聞いてもらいたかったな」

 普通の星空に、普通の夜道。
 普通の街灯、普通の風。

 向井くんは、もう死んでしまった人なんだろうか。私はどうして生きていくんだろう。

 世界がぐるぐる回って、普通の私が許されていることにむしゃくしゃした。

 どこかに検査ゲートができて、ポーンと弾かれてしまえばいいのに。

 あなたは刃物を隠しているから、この先に行けませんと、言ってくれたらいいのに。

 
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