私と彼女の逃避行

といろ

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第六話

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 朝食と昼食、それからおやつとの区別が曖昧になった食事を終えて、彼女と共にカフェを出る。席を立つ直前に見たスマホでは午後の二時過ぎだった。
 私も彼女もそれほど喋らないまま、ぐだぐだとゆるゆるの間の言葉で表せるような時間を過ごした。おかげでスマホの充電はほとんど満タンだし、ポータブル充電器の充電もある程度溜まったと思う。ついでに私のお腹も膨れた。

 準備はできた、さてさて東京観光だ。
 店の外に出たら見慣れない景色が広がっていた。東京に来ていることを実感する。ますます楽しみになってきた。彼女は横で伸びをしている。私より少し高い背が身体をほぐすのを見ながら、声をかけた。

「どのタピオカがいいとかある?」
「さっき調べたよ、ここは?」

 彼女がスマホを見せてくれる。鹿のロゴマークのお店だった。有名なのは知っているけど、地元にはないから飲んだことないやつ。

「これ! 聞いたことある!」
「うちにはないし、気になるなと思って」
「いいね、行こ!」

 お店の名前を聞いて私のスマホで検索をかける。地図を見ると、それほど遠くではないようだった。

「あの交差点渡るよ」
「はーい。さっき通った時も思ったけど、あれってテレビでよく見る交差点かな?」
「たぶんそう。なんか、すごいね」

 ハロウィンの時期の混雑ぶりが映像越しでも嫌になるくらいだった、あの交差点に向かう。
 さっき通ったときと同じくらい人がいて、ちょっとうんざりした。

「人ってどこからこんなに湧いてくるんだろうね」
「多いよねぇ」
「そんなにたくさん居たら揉め事が起こるのも当然な気がする」
「えぇ? そうかな、それはわかんない」

 彼女の言葉は意外だった。冗談かと思うくらい。真意を確かめたくて、人にぶつからないよう気をつけながら彼女の顔を伺う。何か考えるように視線を彷徨わせていた。それなりに本気で言っているらしい。

「考え方が違うじゃん、みんな」
「それはそうだろうねぇ」
「じゃあ揉めちゃうでしょ」
「ううん、でも、お互い歩み寄るなり遠ざかるなりして欲しくない? 人間なんだからさ」

「あー、そういうこと」

 なるほど、なるほど、と口から何度も相槌が漏れる。小さな違和感が、すうっと解けて言ったような気がした。
 彼女の思考の輪郭を捉えた気がして少し嬉しい。それが共感できるものかは別として。

「確かに、そうだったら素敵だけどね」
 そんな話をしながら歩いていたら、道に迷った。





 渋谷ってこんなに小道が多いのか。
 人の多さは覚悟していたけれど、道がここまでわかりにくいのは予想していなかった。でもよく考えたら駅の中が迷路みたいなわけだし、簡単に想像できた話だったかもしれない。

「この道が、ここだから……」
「あ、このビルこれじゃない?」
「ほんとだ」
 スマホの中の地図と目の前の景色を照らし合わせて場所を探る。彼女が見つけたビルを基準にして、地図の向きがある程度わかった。
「あ、ここか! こっちっぽい!」
 地図の通りに二つに分かれた路地を見つけて、向かって左側の道を進む。結構急な坂になっていて、こんな都会に急な坂があるのかと驚いた。それを彼女に伝えると、都会をなんだと思ってたのとからかうように笑ってから、実は私もだなんて彼女が言うから、何だそりゃって二人で笑う。


「ここ左!」
「はーい」
 坂を登って、その後何故か一度降って、もう一度坂を登って行ったところにそのタピオカ屋さんはあった。

「あんまり並んでないね」
 彼女が言う。店の前に並んでいるのは十人足らずで、これなら買うまでに三十分もかからないんじゃないか。

「そろそろブームも落ち着いたのかな」
「そうなのかなあ。美味しいのに。わたし、タピオカブームが終わってもたくさん買ってる気がする」
「お店、なくならないといいよね」

 タピオカブームがいつから始まったのかとか、誰が仕組んだのだとか、それからタピオカが流行ったことでの問題とか、私は正直どうだっていい。だってタピオカ美味しいし。彼女とお店に並ぶ時間も食べ歩きをする時間も楽しいし。
 でも、たぶんこの社会的なブームが終わってしまったら、タピオカ屋さんは減っちゃうし、代わりみたいに何か違うものが出てくるんだろうな。タピオカが好きって言ったら、古くない? って言われる日が来るんだろうな。
 そう思うと、うっすらと吐き気がする。



「何味にしたの?」
「ほうじ茶! ミルクティー以外のタピオカ飲むの初めて!」
 いつものお店は彼女が飲めるメニューが一択だからなあ。心底嬉しそうな姿がなんというか、微笑ましい。

 彼女がスマホを起動してインカメに切り替えた。長い腕が、私たち二人とお店の看板をカメラに捉える。
「とりまーす」
 彼女のスマホで撮られた写真は、すぐに私のスマホに届いた。二人とも程よく盛れてる。何より楽しそう。

 投稿していいか聞こうとして、思い止まる。そういえば私たち、家出中だった。家出というか、私の認識としては、逃避行だけど。
 彼女はどういう認識だろう。初めに逃げるって言葉を使ったのは彼女だから、少なくともその意識はあるんだろうな。でも家出も逃げてるみたいなものだしなあ。
覚えていたら夜にでも聞いてみよう。外で喋るのにはあんまり似合わないはなしだから。

「あ、ほうじ茶の味する。おいしい」
 タピオカを持っていない空いている手で、満足気な彼女の手を取った。
「もうちょっとこの辺り見て回ろうよ」
「さんせーい!」



 とりあえず登ってきた坂を降って、誰かの家の横を通って、結局初めの交差点に戻ってきた。
 東京にはなんでもあるような気がしていたけど、いろいろある場所は限られていて。あるところにはあるけれどそこにしかない、みたいな。その中でしか生活できないみたいで、なんだか複雑な気分だ。
 せっかく来たからには楽しむけれども。

「やっぱり都会の店舗は規模が違うね……」
 彼女が感心したように言う。私たちはさっき通った交差点にまた戻ってきていた。

 私たちが住む地域にも、一応存在する大型レンタルショップ。ただ、彼女のいう通り、この店舗は規模が全然違っていた。どちらかというとレンタルより販売がメインなのかもしれない。

 二人で店内を物色する。地下から上の階まで、これはのんびり回るようなお店じゃないなあ。目的を決めて買いにくるのが良さそうだ。
 まあ今の私たちには、買いたいものなんて特にないんだけど。

「あ、これ好きなやつじゃない?」
 彼女がいつも楽しそうに話しているアイドルグループを見つけて指差す。
「ん? あ、違う違う、私が好きなのはこっち」
 彼女は私の手を持って位置を修正した。私の指の先にさっきとはちょっと違う、でも同じテイストのグループのCDが並んでいる。
「こっちか。まだ見分けつかないや」

 思わず口に出して、言葉選びを間違えたかもしれないと慌てた。

 それは杞憂だったみたいで、彼女はけらけら笑っている。
「そりゃあ好きでもないと見分けつけるの難しいよ。わたしも他のはいまいちわかんないもん」
「たしかに、私もだわ」
「でしょ?」

 私の好きなアーティストグループについて、彼女が知っているかといえばそうでもないよなあ。となればその逆も当然成り立つわけで。
 私たちは、私と彼女は同じ生命体ではないんだな。なんて当たり前のことがなんだかおかしくて、彼女につられて笑ってしまった。
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