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kanade

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気が付けば、亮はあの場所にいた。
いつものように、薫が足を投げ出し座っている。
「薫!」
亮が声をかけても、薫は振り向かなかった。
亮は強引に薫の前に回り込むと、薫は哀しげな、何もかもあきらめたかのような無気力な笑みを浮かべていた。前髪の奥の瞳は、どこか遠くを見つめていて、目が合わない。
亮はどうにか薫を引き戻そうと、その細い肩に手をかける。
「薫、お願いだから、生きてくれ。」
「ごめん。」
薫は謝るだけで、亮と目を合わせようともしない。
もし、お前が死ぬんなら、俺も後を追って死んでやるから。
そんな脅し文句が思い浮かんだけれど、亮はそれを口にする気になれなかった。
脅すのは、あの最低な主治医と薫の両親だけで十分だ。
薫を無理やり生かすべきじゃない。
薫が、生きたいと思ってくれなきゃだめなんだ。
亮は薫の肩から手を放して、その横に腰掛ける。
「ねぇ、何で薫は生きたがらないの?俺と話してて楽しくなかった?」
「楽しかったよ!」
薫がばっとこっちを向いた。珍しく、素直だ。
亮は手を伸ばしてそのさらさらの黒髪を撫でた。
「ありがとう。俺も楽しかった。ねぇ、何でか教えてよ。俺がどうにかしてあげる。」
薫は目を伏せた。しばらく黙ったあと、かすかな声で言った。
「俺の本性知ったら、亮だって離れてくから。」
「薫の本性って……同性愛者だってこと?」
薫が目を見開いた。
何でそれを、と唇が声にならない言葉を紡いだのがわかった。
亮が宿の小母さんに聞いたことを話すと、薫は哀しげに微笑った。
昨日の夜、亮が薫を描いていて楽しい、と答えたときと同じ、ひどく哀しげで儚い笑顔。
薫は震える声で言った。
「軽蔑したでしょ?」
「まさか! 」
薫が鋭く亮を睨んだ。
「嘘つかないでいいから。皆、最初はそう言う。」
亮は唇をかんだ。自殺しようとしたという話から覚悟はしていたけれど、薫の心の傷は予想以上に深い。
「どうしたら、信じてくれる?」
その問いは、自然と零れ落ちた。
薫はしばらく黙り込んでから自嘲するような笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺を抱いてよ。」
「いいの?」
亮は咄嗟の返答に我ながらぎょっとする。これでは、欲望が丸出しではないか。
薫も驚いたように目を丸くした。
「え、亮?」
亮はやけになって大声で言う。
「俺だって、薫が好きで、抱きたいと思ってた!」
「嘘だ……」
「嘘じゃない!」
亮は勢いで薫の顎を持ち上げて、唇を重ね合わせる。舌までは入れずに顔を離した。
「伝わった?」
薫は真っ赤な顔で固まっている。 
「伝わった……」
「俺は薫が好き。だから、生きてほしい。それじゃ、薫が生きる理由にはならない?」
薫はいまだ真っ赤な顔だったが、つらそうに顔を歪めた。
「けど、俺はあの町で生きてける自信がない。亮もあと少しで帰っちゃうし。」
亮はあの主治医の顔を思い浮かべて歯噛みした。確かにこの田舎町は少数派にとってはひどく生きにくい。亮がここに残って支えてあげらればいいのだが、亮もあんな人たちと共生していく気はしなかった。
そこまで考えて、はっと思い付いた。
それなら。薫がここを出ればいい話だ。
「薫が、俺と一緒に東京来ればいいよ。」
「は!?」
「俺はまだ学生だから薫を養えないけど、事情話せば、俺の両親は金くらい貸してくれるよ。もう少ししたら卒業だし、就職したら多分どうにかなるし、何の問題もない。」
「亮はもうすぐ就職できるかもしれないけど!俺は高校すら卒業してない。」
「東京なら、定時制がある。完全に養われることに抵抗あるなら定時制行きながらバイトしてバイト代を生活費としていれればいい。」
薫が口にした懸念も、口には出してないそれも、亮は全力で解決しにかかり、ダメ押しの一言を追加した。
「それに、東京は良くも悪くも隣人同士の関係が薄いから。俺らが恋人同士だってそもそもばれないし、例えばれたとしても誰も気にしないよ。」
薫が俯いたまま何かを呟いた。
「……い。」
物音一つしないこの空間でさえ聞き取れないような小さな声だったけれど、了解には薫が何と言ったのかわかった。
いきたい。
生きたい。
行きたい。
亮は自然と笑顔になった。
「おいで、薫。俺と一緒に生きよう。」
うん、と顔を上げて頷いた薫は笑顔だったけれど、涙でぐしょぐしょだった。
でも、亮はこの表情を描きたい、強く思った。
すると、手にスケッチブックと鉛筆が現れた。
流石夢。
亮は感心しながら鉛筆を走らせる。
「何やってんの。」
笑いながら、泣きながら、薫が睨んでくる。
幸せな気持ちで、亮はそんな薫に微笑みかけた。
「今から迎えに行くから。」
薫はこくん、と頷いた。
「うん、待ってる。」


目が覚めると、荒い足音が聞こえて、丁度山内が戻ってきたことがわかった。
隣の翼は苦笑している。
「ぐっすりだったね。」
「薫に会ったんだ。説得できた。」
翼は大きな目を見開いて、それから、ふわっと笑った。
「ホントによかった。」
その時、緩んだ部屋の空気を吹き飛ばすように不機嫌な顔つきの山内が戻ってきた。
「ついてこい。」
一方的に言ってあるきだす山内の背を追いかける。歩きながら、一応薫が目を醒ましても殺すのかと質問したが、山内にも欠片くらいは良心が残っていたらしく、即答でそんな訳がないだろうと返ってきた。
薫の病室は割と奥の方で、狭い田舎の病院のくせに長く歩かされた。
病室の前には生真面目な雰囲気の中年の男女がいた。薫の両親……いや、『西宮夫妻』だろう。黒髪をしっかり七三に撫でつけた神経質そうな印象の父親はエリートっぽい外見なのに、何で薫の入院費くらい出せないのだろうか。
亮は苛立ちを抑えて二人に軽く会釈して、病室に入る。
窓際のベッドに横たわり、目を閉じていたのは確かに薫だった。
細い身体からはたくさんの管が伸びていて痛々しい。
わずかな距離だったけれど、亮はいてもたってもいられず、山内を押しのけるようにしてベッドに駆け寄った。
亮はその脇にひざまずいて、薫の白い手を握る。
「薫。俺、亮だよ。起きて。」
まず、手がぴくりと動いて亮の手を握り返した。
亮はほっとして声をかけ続ける。
「薫、わかる?約束通り、ちゃんと迎えにきたよ。」
薫の目がゆっくりと開いた。筋力が落ちているのか、起き上がることはできなかったけれど、その瞳はしっかりと亮をとらえているのが分かる。
「かおる。」
亮は、薫が生きていたことに本当にホッとして、涙声になった。
「りょう。」
薫も、負けず劣らず涙声だし、ずっと使っていなかった声帯ではかすれてしまっている。
けれど、亮はそんなことはどうでもよかった。
薫が今目の前で喋っていて、動いていて、そして、生きている。
それだけが重要だ。
「おかえり。」
亮は自然とそう言っていた。薫も、そう言われることがわかっていたかのように、いつもの屈託ない笑いを浮かべて、こたえた。
「ただいま。」


『西宮夫妻』は薫を東京に連れ出すことにごねていたけれど、薫は眠っている間に戸籍上は18歳をこえたから、法的に親権は存在しないとだけ言い捨てて後は面倒になって取り合えず放置してきた。
5年も眠っていた薫の体はひどく弱っていたけれど、少しでも早く薫を山内の監督下から救い出したかったから、東京の大病院長である父の権力をちょっと拝借して、、強引に退院させて父の病院に連れてきた。『西宮夫妻』を見捨ててきたのは、その事情もある。
亮にとって何よりも優先すべきことは薫の身体だった。
ちなみに、翼から連絡があって知ったが、小母さんが上手く仲裁してくれたらしい。あの親子には、頭が上がらない。いつか、必ず恩返しをしたい。
本当の両親ではないけれど、翼は叔父さん叔母さんも大好きで、お互い大事に思っていることは短い滞在期間にも伝わってきた。『親子』と言って差し支えないだろう。
一番それに抵抗があるのは本人たちだから、彼らが『親子』であると胸を張って言えるようになることを何かするつもりだが、まだいいアイディアは浮かんでいない。
「じゃあ、薫、行ってくるね。」
「行ってらっしゃい、亮。」
9月の新学期。
亮は薫と二人で暮らし始めた新居から出かけた。しっかりと薫の唇にキスをして。
出かける時や、朝起きたとき、夜寝る前、目があった時。
キスなんて何度もしているのに、そのたびに真っ赤になる薫は本当に可愛い。
リハビリの結果みるみる回復した薫は、今、週5でバイトをしながら定時制高校に一年生として通っている。
少し遅れていたところは、亮が教えた。こう見えても、亮は東都大学に通っているのだ。高校生の勉強くらい教えられるし、卒業さえすれば薫を養う自信がある、と胸を張ったら
「何それ嫌み。」とじと目で見られた。
けれど、そんなくだらないやりとりができることが、幸せだ。
ずっとこうしていられたらいいな、と思うし、それを叶えるためには、亮は何だってするつもりだ。



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