瑠璃子

るる。

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瑠璃子

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なんて綺麗な月夜なんでしょう。
おや、お客様がいらっしゃっていたのですか。
失礼いたしました。
私、こちらの宿の主人でございます。
主人というのは名ばかりで、ほとんどは女将である妻が宿を仕切っているんですがね。
そのうち追い出されるんじゃあないかとひやひやしていますよ。
お客様は今夜だけのお泊まりですか?
はあ、それはそれは。
お互い妻の尻に敷かれているんですねえ。
失礼、笑いすぎました。
お詫びと言ってはなんですが、よかったらおひとついかがですか?
一人で飲む酒は、寂しくて心が寒くなるんですよ。
あ、お客様に酌なんてさせちまって。
妻に見られたらつまみ出されますよ。
なんて言いながら飲んじまってすいません。
せっかくですから、お互いの話でもしましょうか。
私から?
良いですけれど、つまらん話しかできませんよ。
そうですねえ、じゃあ、一人娘の話を。
いやいや、私の子ではありませんよ、そんなに老けて見えますか、私。
なんて言うのは冗談ですよ、冗談。
私がまだ大学に通っていた頃、お金がなくてね。
いろんなアルバイトをして貯めていたんですが、どうしても足りなくて。
終いには講義に出られないくらいになってしまいましてね、どうしようかと悩んでいたんです。
そんなときに、家庭教師にならないかって誘われたんです。
相手はお隣の山下さんという方で、娘が一人だけ居たんですよ。その子の家庭教師を頼まれて。
その子が粉ミルクを飲んでいた頃から知っていたのですが、もうそんな歳になったのかとひっくり返りそうになりましたよ。
山下さんは、お隣だからよく知っているし、大学に通うくらいならうちの子に勉強を教えられるだろうって。
その子が通っていたのは名門の私立中学だったんですよ、そんな子に私が勉強を教える?
逆に教えられることになると思ってましたよ。
それでも、なんだかぽんぽんと話が進んでしまって、気づいたら山下さん家のベルを鳴らしていたんです。
はーいって少し高めの声が聞こえて、ドアが開きました。
そこで会った子が山下さん家の瑠璃子ちゃんだったんです。
つやつやした長い黒髪に、白い肌。
はじめましてと話す声が鈴の音のようで、この子は本当に中学生なのかと焦りましたよ。
見ているとこっちも中学生に戻ったような、そんな幻覚さえ見そうでした。
恥ずかしい話ですが、一目惚れしたんですよ。それも初めての恋でした。
「先生のこと、近藤さんって呼んだらいいの?それともえっちゃん?」
「先生と呼ばれるのが一番嬉しいかな。」
「嫌よ、ずっとえっちゃんって呼んできたのに。今さら他人のフリしないで。」
少し眉間に皺が寄っても愛らしいというのは、もはや罪ですよ。
あらやだ、久しぶりに話したから飲みすぎたんでしょうか。口がよく動いてしまう。
続けろって?言われなくても続けますよ。ええ。
「えっちゃんは大学で何の勉強しているの?」
「先生の勉強」
「どこの?」
「高校の」
「じゃあ、私が高校に入るまでに卒業してもらわないとね」
「無理だよ、大学院にも行くんだから。
そんなことよりお嬢さん、手が止まってますよ」
瑠璃子は見た目こそ立派なお嬢さんでしたが、中身は昔と全然変わっていませんでした。
けらけら笑い、私のことをからかってばかりで勉強の手が進まなくてね。生徒として見たら最悪でしたよ。
でもまあ、瑠璃子は頭の良い子でね、学年で五本の指に入るほど優秀でした。
私が教える必要なんて無かったのに、私でなければ嫌だといつも言っていました。
そんなことを言われたら、誰だって誤解しますよ。ええ、私もしました。
相手は何個も歳が離れている近所の子でした。こんな思いは消してしまえと、何度も何度も、胸を叩きましたよ。

ある日のことでした。
瑠璃子といつものように勉強していたとき、消しゴムが落ちたんです。
すぐに拾おうとしたら、手に少し触れてしまったんです。
ごめんよと言おうと思ってね、顔を見たら。
そこには瑠璃子とそっくりな女がいました。
瑠璃子が、女の顔をしていました。
14、5の女の子なんて、どこにもいなくて。
その日はどちらも話さずに終わりました。


次の家庭教師の日、私は初めて休みました。
多少調子が悪くても毎度行っていたのに、本当に大丈夫なの、瑠璃子の母さんは心配してくれてね、うちにたくさんのお見舞いを届けてくれました。
風邪が移るといけないからと瑠璃子は来ませんでしたがね。
でも、お見舞いの果物の中に、手紙が入っていたんです。一枚だけ。

「熟してないのは嫌い?」

心臓がどきりと鳴った気がしました。
母親は果物のことだと思って入れたのでしょう。が、私には瑠璃子のことにしか思えませんでした。
あの顔を思い出す度、私の心臓は止まりそうになるのです。
所謂、恋の病というやつでした。
瑠璃子も私のことが好きなのだろうか。
今思えば、ただ単に果物のことを書いていたのかもしれません。
しかし、私のなかの瑠璃子という存在は、可愛らしい小鳥から、色気づいた雌猫になっていたのです。
再び会ってしまったら、この思いはどうなってしまうのだろう、恋をしたことがなかった未熟者は、恋の甘さよりも苦味のことばかり考え、しばらく暇をもらいました。

ふらふらと考えていた頃、どこでどんな情報を得たのか、大学のチャラチャラした男に声をかけられました。
合コンなんてどうだよ。
ああ、いいんじゃないかな。
つまらねえ男だな、いいから来いよ。
チャラチャラした男に、べらべら話す女。
ガンガンと脳みそを揺する音楽。
そのどれもが私にとって不愉快でした。
とうとう吐き気がやって来て、その場から離れました。
廊下に来ると、もう一人、女性が出てきました。
べらべら話す女ではなく、私と同様に縮こまっていた女でした。
「外、雨降ってますね。」
「ええ。」
「近藤さん、この後空いてますか?雨宿りしたいんですけど。」
「...ええ。」
余計なことまで話してしまいましたね。
そのあと?やめてくださいよ、三日月に唾吐かれます。
とにかく、そうやって瑠璃子と離れていればこの気も紛れると思っていたんですよ。
しかしね、貴方もご存じの通り、恋する乙女というものは恐ろしいもので、家に来たんですよ。
そうです、瑠璃子が家に来たんです。
まあ、アパートの隣の部屋なんて三歩歩けば着くようなものですが、私と瑠璃子にとっては三里よりも遠い距離でしたよ。
「瑠璃子」
「ええ、そうよ。好いた男にたくさん無視された瑠璃子よ」
「お嬢ちゃん、こんな時間にお外にいるなんて褒められたことじゃないね。家へ帰りなさい」
「清一さん」
場の空気が一気に静まりました。
清一さん、ずっと呼ばれてみたかった、私の名でした。
「清一さん、私ね、貴方が好きなの。笑っては駄目よ、本気なんだから。
貴方が触ったペンも、私が貸して読んでくれた本も、吸って吐き出した空気も、全部宝物になるの。好きよ、貴方が好きなの」
「やめてくれ、君に僕なんかは相応しくない」
「相応しくないなんて言うのは誰?母さん?父さん?
貴方のことを悪く言うなら、あの三日月にだって唾を吐いてやるわ」
頬を伝う涙さえ美しい、その名にある宝石のように。
心からそう思いました。
「瑠璃子、お願いがある」
「何でも聞くわ、教えて?」
「君が僕のことを心から愛してくれているのなら、待っていて欲しい。
君が世間の言う大人になった頃、もう一度君に訪ねるから」
「ええ、わかったわ、私、何年でも待つ。
何年だって待ってやるわ」
そうして私たちは別れたんです。
はあ、長話をしたのが久しぶりで、少し眠くなって参りました。
続き?夜は長いですから、少し休みましょうよ。
おや、妻が来ました。お客様、逃げる用意をしてください。
ああ、捕まってしまった。
お客様の前だぞ、そんなに怒るな。
わかった、私が悪かった、ごめんよ、


瑠璃子。
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