雨の種

春光 皓

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語り継がれるもの

雨が降り止んだ日

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「人の命を捧げる……? 一体、どういう意味ですか?」


 高木の言葉に、いち早く反応したのは瑠奈だった。

 瑠奈はその身を乗り出して、高木の返事を待つ。


「つまり、神木様は人の命で生きている――とでも言えばわかりやすいかもしれない。少し語弊があるかもしれないが、神木様は人の命があって初めて、生まれ変わることが出来ると私は考えている」


「それはつまり、神木様が生まれ変わるには……、そういうことですか?」


 洸太郎は冷静さを保つように言ったつもりだったが、自分のモノとは思えない程に、その声は震えていた。

 一方、高木は表情を崩すこともなく、落ち着いた口調のまま続けていく。


「それを犠牲と捉えるか、世界を守ると捉えるか……。それは人それぞれではあるがね」


 窓を叩く風の音だけが、室内に響き渡る。


「それで」


 束の間の沈黙の後、洸太郎は拳を強く握りながら高木に尋ねた。


「その生まれ変わりと、『熱の葉』というのは、どのように関係しているのですか?」

「古書にある『雨が降り止んだ日』というのは、もちろん、その日のことだけを記しているわけではない。実際に雨が降り止む前――その前兆とも呼べる出来事が、過去にも存在していたんだ」


 高木は古書の中から該当すると思わしき頁を開き、現在まで続く過去について、話し始めた。


「雨が降り止む数年前、先代の宮司は神木様の前で、ひらひらと落ちる一枚の葉っぱが目に留まった。普段から毎日のように神木様の前に来てはお祈りをしていたこともあり、いつもなら全く気にならないはずの、一枚の葉っぱにだ。その葉に手を伸ばすと、その葉は人体よりも熱を持っていた。まるで、湯船に浮かべていたかのようだったそうだ」


「あの時と一緒だ……。私も不思議と、その葉っぱにだけ無意識のうちに手を伸ばしてて」


 瑠奈は当時を振り返るように言った。


「先代の宮司は不思議に思い、その葉を持ち帰った。そして、その日から約十年、『熱の葉』は枯れることなくその熱を保ち続けていたという」

「そんなことって……」

「あまりにも不可解な話ではあるが、これは神木様からの何かのメッセージであると考えた。何か意味を持つ葉っぱであると。そして十年を数ヶ月過ぎた日、雨は次第に弱まり始め、日常生活に影響を及ぼすまでになっていった。もしやと思った先代の宮司が『熱の葉』を確認したところ、葉の熱は既に失われており、葉先が枯れ始めていたそうだ」


「電車やバスの本数が減ったりしていることが日常生活への影響だとすると……、今も昔と同じ状況になってきているってこと……?」


 千歳は目を見開きながら、床に向かって言葉を吐く。


「しかし、葉先の枯れ始めに気付いた翌日、雨は急激に強まった。今までが嘘だったかのように、雷を伴いながら降りしきった」

「そ、それなら今回だって、今からまた前みたいに、急に振り出すかもしれないってことだ」


 大介が淡い希望を込めるように高木を見つめたが、高木はゆっくりと首を左右に振った。


「雨が荒れ始めてから数日後、雨は完全に止んでしまった。つまり――神木様が亡くなったんだ。あの異常気象は、神木様の最後のお力だった」


 洸太郎は、まるで近い将来を予言されているような気がしていた。



「これが『雨が降り止んだ日』についての詳細だ」



 瑠奈、大介、千歳の三人は、話の途中から視線を落としていたが、洸太郎だけは四人の方をしっかりと見ながら話す高木を真っすぐと見つめていた。


 現実から目を逸らしてはいけない――そんな洸太郎の気持ちが、そうさせていたのかもしれない。


「高木さん。それでも昔、神木様は生まれ変わった。今度は『神木様が生まれ変わった日』についても、教えていただけますか?」


 洸太郎の言葉に、三人も「そうだ」と言わんばかりに、高木へと視線を集めた。

 その視線には、今まで以上に熱が籠っていた。


「そうだね。それを話す前にもう一つ、先代宮司の体験を話そう」


 そう言って高木は古書を数頁前に戻した。


「『熱の葉』の熱が消え、葉先が枯れ始めてから続いた異常気象。その異常気象が鎮まる前の夜、風に乗るようにして、それは突然、現れた」


 屋根に当たる雨の音が少しずつ大きくなってきている。

 室内にこの音が響き渡るのは、一体、いつ振りであろうか。

 これが今でなければ、手を打って喜んでいたことだろう――と洸太郎は思った。

 
 しかし、今は「過去の中の雨」を探すことに集中しようと自分に言い聞かせていた。


「それっていうのは?」


 洸太郎の言葉に高木は一つ頷くと、更に鋭さを増した視線を向けて答えた。



「種だ。古書には『雨の種』と記されている」



「雨の種……」

「そのお姿はとても美しく、初めて見たにも関わらず、一目で神木様のものだとわかったそうだ。まるで、凝縮された神木様を見ているようだったと」


 高木は尚も淡々と続けていく。


「先代の宮司は大切に『雨の種』を保管した。そして雨が降り止んだその日、雨の種に導かれるように神木様の元を訪れた。そこで――神木様の最後のお姿を見た」

「枯れていた……わけですね」

「あぁ。大層ご立派なお姿だったそうだ。持てる力を全て振り絞ったかのように葉は全て落ち、幹はやせ細っていたそうだ。しかし、それでも尚、威厳を保たれていたと。神木様は最後の最後まで、私たちに命を与え続けてくださった」


 高木は力強く言う。

 洸太郎は長い瞬きをするように、初代神木様を想った。


「それから先代の宮司は雨の種を握りしめ、再び雨が降ることを願い続けた。しかし、雨が降ることはなかった」

「それはまだ、神木様が生まれ変わっていなかったから?」

「そうだ。神木様が蘇る……いや、生まれ変わるまで、この世界には雨が降ることはなかった。ただただ、雨のない世界で、私たちの日常は少しずつ、そして確実に崩れて行った」

「食物が育たなくなったりはしそうですけど、今より文明も発達していなかった時代でも、やはり影響があったんですね」


 洸太郎は水源寺に来るまでの、瑠奈との会話を思い返しながら尋ねた。


「今は電車を始めとする、交通機関などへの影響が大々的に騒がれているが、そんなレベルの話ではない。それは食物よりも、とても、とても大きな問題だ。むしろこの問題は、現代の方が影響は大きいのではないかと私は危惧している」


「現代の方が影響のある問題――それって一体、何ですか」


 高木の表情が一層厳しいものに変わったので、洸太郎は高木から目が離せなくなっていた。


 高木は静かに頷き、口を開く。




んだ」
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