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6章
02 綺麗なヤーさん
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喫茶店から出てくるスーツ姿の男がふたりいた。
ひとりは冴えない表情をした壮年期の男。もうひとりは若々しい風貌で、まだまだスーツに着られている感じのする青年――北川と大山だ。
「吸うか?」
先に歩き出した北川が、背広の胸ポケットからタバコを取り出して大山に勧める。
青年は顔に少し嫌悪感を滲ませながら、敢然と断った。
「主任、いくら勧められても自分は吸いませんよ!」
北川は舌打ちをし、口にくわえたタバコに火をつけた。
「酒もたばこは飲まず、ギャンブルもしない。今どきの若モンは何が楽しみで生きているのかわからん。俺の若いころじゃ考えられんかった」
「今の若者は健康志向なんすよ! わざわざ体に悪いモノを摂取しませんし。ギャンブルなんて不確実性の塊などもってのほか!」
「余裕がない、の間違いじゃないのか」
「そうっすね。それもあります。景気が悪いから仕方ないっすね!」
北川がなんとも言えない表情でたばこの紫煙を吐き出す。
「ったく、いい記事を書いたら、ちょっとは給料にイロをつけてほしいよな。ただでさえ、この部門に関しては人手が足りてねえんだから」
「編集とライターを兼務は大変っすよね……」
北川が書く、女性が主体となって働く職場を紹介する文章は、どの層からも評判がよかった。本人の下品なところは抑えられ、良い所をとことん褒め、働く女性と職場を巧みにリンクさせている。行ったことのない人も、行ってみたい気持ちにさせるのが得意だった。
「まあ、まだそこまで多くないからいいけどな。ほかの興味もクソもないものも書けって言われたら、そらどだい無理な話だ」
「給料2倍っすかね!」
「アホ、給料5倍だ」
「吹っ掛けますね!」
「当然の対価だ、バカ野郎。だからおまえも、俺の仕事をできるようにがんばってくれや。アラフォーのおっさんには、編集とライターの二足のわらじはキッツいんだわ」
「仕事をもらえれば、自分もがんばります!!」
「ほう。それなりにまともで、老若男女が読んでも違和感のない文章を書けるってか?」
「それはもう!」
「昨日の宿題もずいぶんとまあ、お得意のメルヘンチックな文体でそんなこと言えたもんだ。どうして『少子高齢化』ってお堅いテーマに、ミルキーウェイなんて単語が出てくるんだ。しかもそこから下りて来るって表現はなんだよ!」
「昔、母が、『赤ちゃんはミルキーウェイから下りて来るのよ。だから人は誰でも輝ける素質を持ってるの』と、言ってたんすよ!」
「……一理あるのかねえのかわからんが、頭メルヘンは母親譲りか。しかも筋金入りとくれば矯正も不可能だな」
「北川さんは自分の色を出してもいい、と、言ってましたよね!?」
「限度があるわ。ったく、おまえの頭をかち割って中を見てみたいわ。俺よりイカレてんじゃねーか?」
「そうなんですかね」
「そうに決まって……あ!」
北川が反対側の歩道を歩く背の高い女――優美を見つけた。歩行者専用の信号機が点滅しているのにも関わらず、横断歩道に向かって駆け出す。
「ちょ、待ってくださいよ!!」
大山も置いてかれまいと後を追う。
「ねえ優美。こっちに向かって男が走ってくるよ……」
――早速かかったな。
(まさかこんな早いとは、思いもしなかったわ)
優美はわざとらしく驚いて見せた。
「あれは……北川さんと大山さんっ?」
「知り合い?」
「うん。最近は来てなかったけど、常連のお客さんよ」
「そ、そうなんだ……」
渚はつぶやくように言って、優美の腕を強く締め付ける。
優美が渚の表情をうかがうと、顔面蒼白でガタガタと震えていた。
「大丈夫?」
「な、なんとかね……」
渚は優美のほうを見ず、全身を震わせているだけである。
そこへ、人ごみを掻き分けて駆けつけた北川。ふたりの前にたどり着いたはいいが、膝に手をつき、荒い息を吐き散らしているばかりだ。
「大丈夫っすか! 無理しないでくださいよ! 不健康の塊なんすから!」
追いついた大山は北川の背中をさすってやる。息を切らしておらず、余裕の表情だ。
「今日はお出かけっすか!? 私服は結構男よりっすけど、かっこよくて似合ってるっすよ!!」
「ありがとうございます。北川さんと大山さんは――」
大山が優美を褒めていると、北川が後ろに手を回して尻をつねった。
「いってェッ!!!」
息が整った北川が勢いよく上体を起こし、青い顔にやっとのことで笑みを貼りつける。
「ああ~、こんなにも折も日柄もよく邂逅(かいこう)できるとは、本日はまさにわたくしの心からぶ厚い雲が一気に取り去らわれました。いい意味でのハリケーンが吹き荒れました。晴れ渡る空の下での優美さんもまた、一種の女神のような美しさと妖艶さを兼ね備え、女性は羨みの目線を受けることになるでしょう。ところで隣の素敵なお方はどなたでありましょうか?」
北川の目が不気味に光っている。
渚が半身を優美の背に隠す。
「友達です。この娘は恥ずかしがりやなもので、すいません」
「いやいや、いいんですいいんです。強制でもなんでもありませんので。かえって恐怖の印象を与えてしまい、申し訳ございませんでした。このような良き日よりゆえに、お茶でもどうですかとお誘いしたかったのでありますが――」
北川の長々とした話が続く中、スーツ姿で派手な色合いのネクタイをつけた若者が、横をすり抜けた。そして、すれ違い際に北川の肩に自分の肩をぶつける。
北川が文句を言おうとしたが、若者が一瞬早く振り返った。
「ッテェなコラ! 肩がはずれちまったじゃねェか! どうしてくれんだ、オオ!?」
若者はぶつかった肩をわざとらしくブラブラさせている。北川が何か言い返す前に、若者が耳元で小さくドスを効かせた。
「ちょっとツラ貸せや。嫌なんて言ってみやがれ、このポケットの中に入ってるモンで……」
北川が恐怖に震えつつ視線を下に向ければ、若者の右手がポケットに突っ込まれている。膨らみが大きく、恐怖と不安が一層掻き立てられた。
「おい」
若者の声に、北川は想像の世界から帰ってきた。すると、北川の鼻先には若者の顔があるではないか。ヤーさん系にしては、傷ひとつもなく綺麗な顔をしている。最近のヤの人はスキンケアを欠かさないのか。などと一瞬のうちに頭によぎるがしかし、能面のような表情である。北川は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げて、何度も小刻みにあごを上下させた。
不意に、若者の口角が限界までつり上がる。
北川は気絶しそうだったが、自分のわき腹をつねってこらえた。
「そっかそっか、わかってくれたか。俺もよォ、街ン中で光(ひかり)モンを振り回したくねェからよ」
言葉は優しく、口元は喜怒哀楽でいう喜だったが、目は一切笑っていなかった。
「つーワケで、このままじゃ歩きも怪しいから、肩を貸してくれや。オッサンは力がねェだろうから、はずれてねーほうだ。オウ、そこのわけェモンも肩貸せや」
「は、はい!!」
ことの成り行きを静観していた大山が、若者のはずれたほうの肩に身を入れる。
「あーあ、これはきっと天罰なんだろうな……」
大山のつぶやきを耳ざとく聞き取った若者が、ドスを効かせた声を響かせた。
「わかってンなら、さっさとやれ!」
「は、はい!!!」
「あの、私たちはどうすれば?」
優美がおずおずと尋ねる。せっかく、治まった怒りが再熱した若者の眉間に、深くしわが刻まれた。
「俺はよォ、テメェよりタッパのある女は嫌いなんだ。さっさとうせやがれッ!」
「す、すいませんっ。行こっ、渚ちゃん」
半ば気を失いかけている渚の手を引いて、優美はその場を駆け去る。
(ありがとう、兄さん)
喫茶店から出てくるスーツ姿の男がふたりいた。
ひとりは冴えない表情をした壮年期の男。もうひとりは若々しい風貌で、まだまだスーツに着られている感じのする青年――北川と大山だ。
「吸うか?」
先に歩き出した北川が、背広の胸ポケットからタバコを取り出して大山に勧める。
青年は顔に少し嫌悪感を滲ませながら、敢然と断った。
「主任、いくら勧められても自分は吸いませんよ!」
北川は舌打ちをし、口にくわえたタバコに火をつけた。
「酒もたばこは飲まず、ギャンブルもしない。今どきの若モンは何が楽しみで生きているのかわからん。俺の若いころじゃ考えられんかった」
「今の若者は健康志向なんすよ! わざわざ体に悪いモノを摂取しませんし。ギャンブルなんて不確実性の塊などもってのほか!」
「余裕がない、の間違いじゃないのか」
「そうっすね。それもあります。景気が悪いから仕方ないっすね!」
北川がなんとも言えない表情でたばこの紫煙を吐き出す。
「ったく、いい記事を書いたら、ちょっとは給料にイロをつけてほしいよな。ただでさえ、この部門に関しては人手が足りてねえんだから」
「編集とライターを兼務は大変っすよね……」
北川が書く、女性が主体となって働く職場を紹介する文章は、どの層からも評判がよかった。本人の下品なところは抑えられ、良い所をとことん褒め、働く女性と職場を巧みにリンクさせている。行ったことのない人も、行ってみたい気持ちにさせるのが得意だった。
「まあ、まだそこまで多くないからいいけどな。ほかの興味もクソもないものも書けって言われたら、そらどだい無理な話だ」
「給料2倍っすかね!」
「アホ、給料5倍だ」
「吹っ掛けますね!」
「当然の対価だ、バカ野郎。だからおまえも、俺の仕事をできるようにがんばってくれや。アラフォーのおっさんには、編集とライターの二足のわらじはキッツいんだわ」
「仕事をもらえれば、自分もがんばります!!」
「ほう。それなりにまともで、老若男女が読んでも違和感のない文章を書けるってか?」
「それはもう!」
「昨日の宿題もずいぶんとまあ、お得意のメルヘンチックな文体でそんなこと言えたもんだ。どうして『少子高齢化』ってお堅いテーマに、ミルキーウェイなんて単語が出てくるんだ。しかもそこから下りて来るって表現はなんだよ!」
「昔、母が、『赤ちゃんはミルキーウェイから下りて来るのよ。だから人は誰でも輝ける素質を持ってるの』と、言ってたんすよ!」
「……一理あるのかねえのかわからんが、頭メルヘンは母親譲りか。しかも筋金入りとくれば矯正も不可能だな」
「北川さんは自分の色を出してもいい、と、言ってましたよね!?」
「限度があるわ。ったく、おまえの頭をかち割って中を見てみたいわ。俺よりイカレてんじゃねーか?」
「そうなんですかね」
「そうに決まって……あ!」
北川が反対側の歩道を歩く背の高い女――優美を見つけた。歩行者専用の信号機が点滅しているのにも関わらず、横断歩道に向かって駆け出す。
「ちょ、待ってくださいよ!!」
大山も置いてかれまいと後を追う。
「ねえ優美。こっちに向かって男が走ってくるよ……」
――早速かかったな。
(まさかこんな早いとは、思いもしなかったわ)
優美はわざとらしく驚いて見せた。
「あれは……北川さんと大山さんっ?」
「知り合い?」
「うん。最近は来てなかったけど、常連のお客さんよ」
「そ、そうなんだ……」
渚はつぶやくように言って、優美の腕を強く締め付ける。
優美が渚の表情をうかがうと、顔面蒼白でガタガタと震えていた。
「大丈夫?」
「な、なんとかね……」
渚は優美のほうを見ず、全身を震わせているだけである。
そこへ、人ごみを掻き分けて駆けつけた北川。ふたりの前にたどり着いたはいいが、膝に手をつき、荒い息を吐き散らしているばかりだ。
「大丈夫っすか! 無理しないでくださいよ! 不健康の塊なんすから!」
追いついた大山は北川の背中をさすってやる。息を切らしておらず、余裕の表情だ。
「今日はお出かけっすか!? 私服は結構男よりっすけど、かっこよくて似合ってるっすよ!!」
「ありがとうございます。北川さんと大山さんは――」
大山が優美を褒めていると、北川が後ろに手を回して尻をつねった。
「いってェッ!!!」
息が整った北川が勢いよく上体を起こし、青い顔にやっとのことで笑みを貼りつける。
「ああ~、こんなにも折も日柄もよく邂逅(かいこう)できるとは、本日はまさにわたくしの心からぶ厚い雲が一気に取り去らわれました。いい意味でのハリケーンが吹き荒れました。晴れ渡る空の下での優美さんもまた、一種の女神のような美しさと妖艶さを兼ね備え、女性は羨みの目線を受けることになるでしょう。ところで隣の素敵なお方はどなたでありましょうか?」
北川の目が不気味に光っている。
渚が半身を優美の背に隠す。
「友達です。この娘は恥ずかしがりやなもので、すいません」
「いやいや、いいんですいいんです。強制でもなんでもありませんので。かえって恐怖の印象を与えてしまい、申し訳ございませんでした。このような良き日よりゆえに、お茶でもどうですかとお誘いしたかったのでありますが――」
北川の長々とした話が続く中、スーツ姿で派手な色合いのネクタイをつけた若者が、横をすり抜けた。そして、すれ違い際に北川の肩に自分の肩をぶつける。
北川が文句を言おうとしたが、若者が一瞬早く振り返った。
「ッテェなコラ! 肩がはずれちまったじゃねェか! どうしてくれんだ、オオ!?」
若者はぶつかった肩をわざとらしくブラブラさせている。北川が何か言い返す前に、若者が耳元で小さくドスを効かせた。
「ちょっとツラ貸せや。嫌なんて言ってみやがれ、このポケットの中に入ってるモンで……」
北川が恐怖に震えつつ視線を下に向ければ、若者の右手がポケットに突っ込まれている。膨らみが大きく、恐怖と不安が一層掻き立てられた。
「おい」
若者の声に、北川は想像の世界から帰ってきた。すると、北川の鼻先には若者の顔があるではないか。ヤーさん系にしては、傷ひとつもなく綺麗な顔をしている。最近のヤの人はスキンケアを欠かさないのか。などと一瞬のうちに頭によぎるがしかし、能面のような表情である。北川は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げて、何度も小刻みにあごを上下させた。
不意に、若者の口角が限界までつり上がる。
北川は気絶しそうだったが、自分のわき腹をつねってこらえた。
「そっかそっか、わかってくれたか。俺もよォ、街ン中で光(ひかり)モンを振り回したくねェからよ」
言葉は優しく、口元は喜怒哀楽でいう喜だったが、目は一切笑っていなかった。
「つーワケで、このままじゃ歩きも怪しいから、肩を貸してくれや。オッサンは力がねェだろうから、はずれてねーほうだ。オウ、そこのわけェモンも肩貸せや」
「は、はい!!」
ことの成り行きを静観していた大山が、若者のはずれたほうの肩に身を入れる。
「あーあ、これはきっと天罰なんだろうな……」
大山のつぶやきを耳ざとく聞き取った若者が、ドスを効かせた声を響かせた。
「わかってンなら、さっさとやれ!」
「は、はい!!!」
「あの、私たちはどうすれば?」
優美がおずおずと尋ねる。せっかく、治まった怒りが再熱した若者の眉間に、深くしわが刻まれた。
「俺はよォ、テメェよりタッパのある女は嫌いなんだ。さっさとうせやがれッ!」
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