最弱の鬼、最強の白狼に溺愛される

よるひこ

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プロローグ

2、

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「そうか、雪月。お前は鬼の一族なのだな。言われてみれば、小さいが角があるな」
「あ、これは……えと……」

 角を消して見えなくするのは、鬼がもつ術としては初歩の初歩。赤子でもできると言われているほど簡単なもの。
 でも私にはできない。それこそが、私が最弱で無能な鬼であることの証。

「で?なぜ鬼のお前が、こんな雪の中で寝ていた?鬼とは阿呆なのか?」

 俺の記憶では、こんな愚かなことをする鬼は未だかつて存在しなかったが。

 犬はそう言って、呆れたように首を傾げて私を見る。

「こ、こんなとこで寝る鬼はいないよ!私は、ちょっと、その……」
「なんだ、何かしら特別な理由でもあるのか?それにしたって、お前のような幼い子供が……」
「えっと、その……お風呂が……」
「風呂?ここらに露天風呂でもあるのか?そんな匂いはしないがな」

 言って犬は鼻をヒクヒク動かす。その様が図体の大きさに似合わずあまりに可愛らしくて、笑ってしまった。

「なぜ笑う」
「え?犬さんが可愛いから」
「犬さん……お前は俺が怖くないのか?」
「どうして?あなたは悪い犬なの?」
「俺ほどに善良な犬は存在しない」
「ならいいじゃない」

 犬としては冗談のつもりだったのかもしれない。
 ただ9歳の純粋だった私は、言葉を素直に受け入れて微笑んだ。

 それだけだった。

 たったそれだけの行為なのに、犬の眼がまた細められ……空気がやわらぐのを感じた。

「犬さん?」

 首を傾げて問いかけるも、返答はない。なんとなく視線をそらした私は、眼を大きく見開いた。

「ねえ、怪我してるよ!」
「ん?ああ、大したことはない、すぐに治る」
「駄目だよ、バイキン入ったらどうするの!?」
「おい、お前まさか服を裂いて傷口を巻こうとか考えてないだろうな」

 図星だった。今まさに私は自分の服を破いて包帯代わりにしようとしていたのだ。だが犬の毛で温まったとはいえ、まだ指は思うように動かず、力も入らない。薄手とはいえ服を引き裂くことができずに苦労していた。

「それ以上薄着になってどうする、凍死するつもりか?」
「でも犬さんが……」
「大丈夫だと言ってるだろう?俺は慣れているからな」
「怪我に慣れてるの?」
「ああ」

 平然と頷くその様を見て、胸が痛んだ。

「嘘だよ」考えるより先に言葉が出た。

「は?」
「怪我に慣れるなんて嘘、痛いものは痛いよ」
「いやだから……」
「私は慣れない!痛いものは痛い!毎日怒られて馬鹿にされて胸が痛い、殴られ蹴られて全身が痛い、ちっとも慣れることなんてできない!」
「お前……」
「だから犬さんも、痛い時は痛いって言っていいんだよ」

 怪我は確かに大したことないのかもしれない。雪を朱に染めていた血は、減っている気がする。もう傷口が閉じかけているのかも。
 それでも痛みはあるだろう。

 そっと私は怪我をしている左後ろ足に手を伸ばした。

「おい?」
「痛いの痛いの、とんでけー」

 もう記憶もおぼろげだ。
 幼い、今よりもっと幼い頃。
 まだ家族が自分を家族としてくれていた頃に、母が私にしてくれた。

 怪我をして泣きじゃくる私に、優しく微笑みながら母が……。その横には心配そうに覗き込む姉がいて。

「……なぜ泣く」
「なんでもない」

 幸せだったあの頃。もう二度と、あの日には戻れない。そのことが今更ながらに、私に涙させる。
 大きくて強そうな犬の痛みが感じられるようで、私は痛くないようにそっと傷口に触れた。

「!?おい!」
「え?」

 何が起きたのかわからない。ただいつの間にか気を失っていたらしく、私はまた犬に抱え込まれるようにして温もりに包まれていた。

「どうかしたの?」
「覚えてないのか?」
「なにを?」

 犬はどうして驚いているのだろう?

 そういえば、なぜか傷が綺麗になっている。

「凄いね、もう治ったんだ」

 私の言葉に金の瞳を細めて、犬は言った。

「どうやら俺は見つけたらしい」
「見つけた?なにを?」
「……」

 返事はない。
 ただスッと彼は立ち上がり、その背に乗るよう私を促す。

 どこに行くのだろう?
 答えは一瞬で与えられる。

「え……」

 目の前には、吹雪がやんで姿を現した、見覚えのある屋敷。

「そんなに遠くまで来てなかったのかな?」
「そうじゃない。俺が早いだけだ」
「連れてきてくれたの?」
「見ての通り」

 なぜ犬が私の家を知っているのか。
 なぜ連れ帰ってくれたのか。

 そもそも、なぜ犬が言葉を話しているのか。

 本来ならば気づくべきことを、世間に疎い私は気づかなかった。

 ゆっくりと地面に降り、当然のように屋敷に向かって歩く。

 帰りたくない。
 その思いが一度、私を振り返らせた。

 犬はそこにまだ立っていた。

「強くなれ」
「え?」
「強くなれ、雪月。お前はきっと強くなれる、それを俺は知っている」
「犬さん?」
「俺は犬じゃない」
「え、そうなの?」
「そして俺には名前がある」
「ご、ごめん……」

 名前がある相手に失礼をしてしまったと謝れば、フッとその表情が優しくなった。まるで怒ってないと、安心させるように。

「強くなれ。そして俺を見つけてみろ。さすれば俺はお前を……」
「私を?」
「……まあ、その時に説明してやる」

 一瞬の強い風、舞う粉雪、奪われる視界。
 風が止み視界が戻る頃には、既に犬の姿はなかった。

 それは遠い記憶。幼い頃の、夢のような記憶。

 でも私は知っている。
 彼はいる、きっといる。
 彼を探し出せば、きっとその先に……。

 まだ見ぬ未来への確信を胸に、私は今度こそ振り返らずに屋敷へと戻った。

 これが私の人生の転機。
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