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水兎
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にわか雨が降ってきた。
傘はない。急いで民家の軒先に逃れる。
はい、と言って渡されたのはガンダムのハンカチだ。
「これは……」
「このまえ、どこかの猫ちゃんからもらったの」
――猫?
僕は、物を運び入れてくるわが家にいた猫のことを想像する。
「……それってどんな猫?」
「うーんとね、片耳だけ黒い白猫ちゃん」
「へえ」
心のなかでにやけてしまった。ノラのやつ生きていたんだ。
「なんかね、子猫ちゃんを二匹連れていたよ。白の子と黒の子。ママ猫なんだね」
――ノラ、お母さんになるためにいなくなっていたのか。
生きていただけじゃなくて、そんな授かり物まで。白と黒の兄弟は猫の世界にもいるんだ。僕の胸に春を「連れ戻し」てくれた気分だ。
「きっと子猫はかわいいんだろうね」
「うん、小さくてとってもかわいかったよ」
僕はハンカチで体を拭きながら雨を見る。
「こういう雨は好きかも」
「うん、私も。やんだらきっと虹が出るよ」
水兎は遠くの空を眺めている。虹がもう見えているかのように。
雨の軌跡を見つめながら水兎は言葉を空に放った。
「咲馬さんが初めて私のライブ来てくれたとき、讃美歌を歌ったのには理由があるの」
雨音が続く。そんなことはこれまで聞いていなかった。疑問に思ったことさえない。
「あの日は、お母さんの命日だったの。歌声を天国に届けたいと思って、特別に一曲だけ『アメイジング・グレイス』を歌わせてもらったんだ。あの日から讃美歌アイドルなんて言ってみたりして」
水兎はまだ空を見つめている。僕も同じ方向を見上げた。
「歌、届いたかな?」
「間違いなく。その返事だよ、この雨。なんかあったかいしね」
「あったかいね。とってもあったかい」
水兎の頬に水滴がついていることに気づく。
でも気づかないふりをした。ただの雨粒かもしれないから、なんて自分に言い聞かせながら。
僕は人生を賭けてその歌声と水兎のことをまもっていく。異父きょうだいという事実が明らかになってしまうと、水兎の歩む道にとって障害となる。だから「秘密」として、そっとこの胸にしまっておこう。
「今、なにか考えていたでしょ」
「いや、別に」
「嘘。目が白黒していたもん」
「白と黒か――」
「え、なに?」
「なんでもない」
「ま、いっか」
水兎は虹のような笑顔を放った。
「最後にアンコールが起こってくれてよかった」
サクラでアンコールを起こすことはやめようと事前にみんなで話していた。客が望んでこそのアンコールなのだということで意見が一致した。
自然に起きたことで僕も美倉もほっとしていた。退場しようとしていた水兎もはにかみながら戻ってきた。
アンコールがあったときにはおこなおうと思っていたことがある。
マイクの前に戻った水兎――Pierisの後ろに映像が映し出される。それは、僕が作った、僕らが作り上げてきた「ガンダムラビルス」の動画だ。
動画はひと月まえに完成していた。そのことを美倉に報告すると、ただちに動きを見せた。
僕の動画をガンダムラビルスの正式な宣伝用動画として採用したいとバンダイナムコホールディングスから依頼が来た。美倉は動画とあわせてPierisのことも伝えていた。ライブには関係者席を設けていたが、美倉は先方をそこに招待していたのだ。
つかささんは動画のために楽曲を制作してくれた。
ガンプラ動画とPierisの歌声の融合、それが今回のもくろみの一つだった。
二長さんと美倉、そして歌声を聴いた先方との話し合いは良好に進みそうだ。
「じつは永大さんから聞いていなかったんだ。バンダイの方が来るって」
「そうか……。美倉なりの考えだったのかもしれないな。美倉は大活躍したよ」
「咲馬さんもだよ。これ、がんばってくれた咲馬さんに金メダル」
「金メダル?」
水兎がスカートのポケットから取り出したのはゲームスポットよこやまのメダルだ。
「私がお店でメダルを大量に当てた日のこと覚えてる?」
はっきりと覚えている。僕が初めて行ったライブの日に渡した一枚を使って、一三〇〇枚ものメダルを当てたのだ。
――金メダル。
そんなようなことを言っていた。あの一枚は金メダルだね、と。
「当てた日、一枚をポケットにしのばせたんだ。ずっとおまもりとして持っていたの。咲馬さんからもらった一枚が、私を歌手としてアラバヒカに立たせてくれた」
「大げさだよ」
「そんなことないよ。雨が降れば作物が育ち、やがて私たちの命となって心が晴れる。メダルの一枚が晴れ舞台に行き着くことだってあるんだよ」
思わず、ふっと笑ってしまった。めちゃくちゃなことを言っているようで妙に納得させられてしまった気もする。
降っていたことが幻だったかのように、雨はあがっていた。青空のなかに白い月が浮かんでいる。
僕たちはまた晴れ舞台に踏み出そう。
「行こうか」
「うん」
歩道にできた大きな青空を水兎は覗き込んだ。
――池水に、影さへ見えて、咲きにほふ、馬酔木の花を、袖に扱入れな。
僕は地面に広がるこの風景を、心の袖にしまっておきたいと思った。
水兎は顔を上げ、思い切りそのなかに飛び込む。
水が兎のように高く跳ねた。月まで届けと願ってみる。
※
『白と黒』 作詞ミト&アムカス/作曲・編曲美倉つかさ
それでも僕はこの道なき道を歩くと決めた
針の折れた羅針盤持って 見てきたような景色を初めて歩く
時間が幻だと知った夜 砂漠の砂時計は左に回って落ちた
祈りの雨はわざとらしく泣き叫ぶ こんな嘘を愛しく思う
嘘でできたオアシスに 見たことある顔が映り込む
たしかこれは僕の顔 嘘の水面は真実を映した
ほとりに落ちる果実を拾う
昼を失くしたこの土地で これが太陽の欠片だと気づく
食べてしまおうか 大事に持ち歩こうか
ふたつの選択肢
いつだって人生はふたつの道を選ばされる
それでも僕はこの道なき道を歩くと決めた
針の折れた羅針盤持って 見てきたような景色を初めて歩く
落ちたままにしておこう 僕は見て見ぬふりをした
新しい選択肢 道がひらかれる音がする
僕を呼ぶ声 進む決意 今行かないとすぐに過去
砂漠の夜は深く寒い だから立ち止まるわけにはいかない
昼と夜を繰り返す世界 もうすぐ見えると予感した
置いてきた欠片は 今でも光っているだろうか
頼りない羅針盤の針が笑うように光る
そして僕はこの道なき道を歩くと決めた
針の折れた羅針盤持って 見てきたはずの景色を初めて歩く
(了)
傘はない。急いで民家の軒先に逃れる。
はい、と言って渡されたのはガンダムのハンカチだ。
「これは……」
「このまえ、どこかの猫ちゃんからもらったの」
――猫?
僕は、物を運び入れてくるわが家にいた猫のことを想像する。
「……それってどんな猫?」
「うーんとね、片耳だけ黒い白猫ちゃん」
「へえ」
心のなかでにやけてしまった。ノラのやつ生きていたんだ。
「なんかね、子猫ちゃんを二匹連れていたよ。白の子と黒の子。ママ猫なんだね」
――ノラ、お母さんになるためにいなくなっていたのか。
生きていただけじゃなくて、そんな授かり物まで。白と黒の兄弟は猫の世界にもいるんだ。僕の胸に春を「連れ戻し」てくれた気分だ。
「きっと子猫はかわいいんだろうね」
「うん、小さくてとってもかわいかったよ」
僕はハンカチで体を拭きながら雨を見る。
「こういう雨は好きかも」
「うん、私も。やんだらきっと虹が出るよ」
水兎は遠くの空を眺めている。虹がもう見えているかのように。
雨の軌跡を見つめながら水兎は言葉を空に放った。
「咲馬さんが初めて私のライブ来てくれたとき、讃美歌を歌ったのには理由があるの」
雨音が続く。そんなことはこれまで聞いていなかった。疑問に思ったことさえない。
「あの日は、お母さんの命日だったの。歌声を天国に届けたいと思って、特別に一曲だけ『アメイジング・グレイス』を歌わせてもらったんだ。あの日から讃美歌アイドルなんて言ってみたりして」
水兎はまだ空を見つめている。僕も同じ方向を見上げた。
「歌、届いたかな?」
「間違いなく。その返事だよ、この雨。なんかあったかいしね」
「あったかいね。とってもあったかい」
水兎の頬に水滴がついていることに気づく。
でも気づかないふりをした。ただの雨粒かもしれないから、なんて自分に言い聞かせながら。
僕は人生を賭けてその歌声と水兎のことをまもっていく。異父きょうだいという事実が明らかになってしまうと、水兎の歩む道にとって障害となる。だから「秘密」として、そっとこの胸にしまっておこう。
「今、なにか考えていたでしょ」
「いや、別に」
「嘘。目が白黒していたもん」
「白と黒か――」
「え、なに?」
「なんでもない」
「ま、いっか」
水兎は虹のような笑顔を放った。
「最後にアンコールが起こってくれてよかった」
サクラでアンコールを起こすことはやめようと事前にみんなで話していた。客が望んでこそのアンコールなのだということで意見が一致した。
自然に起きたことで僕も美倉もほっとしていた。退場しようとしていた水兎もはにかみながら戻ってきた。
アンコールがあったときにはおこなおうと思っていたことがある。
マイクの前に戻った水兎――Pierisの後ろに映像が映し出される。それは、僕が作った、僕らが作り上げてきた「ガンダムラビルス」の動画だ。
動画はひと月まえに完成していた。そのことを美倉に報告すると、ただちに動きを見せた。
僕の動画をガンダムラビルスの正式な宣伝用動画として採用したいとバンダイナムコホールディングスから依頼が来た。美倉は動画とあわせてPierisのことも伝えていた。ライブには関係者席を設けていたが、美倉は先方をそこに招待していたのだ。
つかささんは動画のために楽曲を制作してくれた。
ガンプラ動画とPierisの歌声の融合、それが今回のもくろみの一つだった。
二長さんと美倉、そして歌声を聴いた先方との話し合いは良好に進みそうだ。
「じつは永大さんから聞いていなかったんだ。バンダイの方が来るって」
「そうか……。美倉なりの考えだったのかもしれないな。美倉は大活躍したよ」
「咲馬さんもだよ。これ、がんばってくれた咲馬さんに金メダル」
「金メダル?」
水兎がスカートのポケットから取り出したのはゲームスポットよこやまのメダルだ。
「私がお店でメダルを大量に当てた日のこと覚えてる?」
はっきりと覚えている。僕が初めて行ったライブの日に渡した一枚を使って、一三〇〇枚ものメダルを当てたのだ。
――金メダル。
そんなようなことを言っていた。あの一枚は金メダルだね、と。
「当てた日、一枚をポケットにしのばせたんだ。ずっとおまもりとして持っていたの。咲馬さんからもらった一枚が、私を歌手としてアラバヒカに立たせてくれた」
「大げさだよ」
「そんなことないよ。雨が降れば作物が育ち、やがて私たちの命となって心が晴れる。メダルの一枚が晴れ舞台に行き着くことだってあるんだよ」
思わず、ふっと笑ってしまった。めちゃくちゃなことを言っているようで妙に納得させられてしまった気もする。
降っていたことが幻だったかのように、雨はあがっていた。青空のなかに白い月が浮かんでいる。
僕たちはまた晴れ舞台に踏み出そう。
「行こうか」
「うん」
歩道にできた大きな青空を水兎は覗き込んだ。
――池水に、影さへ見えて、咲きにほふ、馬酔木の花を、袖に扱入れな。
僕は地面に広がるこの風景を、心の袖にしまっておきたいと思った。
水兎は顔を上げ、思い切りそのなかに飛び込む。
水が兎のように高く跳ねた。月まで届けと願ってみる。
※
『白と黒』 作詞ミト&アムカス/作曲・編曲美倉つかさ
それでも僕はこの道なき道を歩くと決めた
針の折れた羅針盤持って 見てきたような景色を初めて歩く
時間が幻だと知った夜 砂漠の砂時計は左に回って落ちた
祈りの雨はわざとらしく泣き叫ぶ こんな嘘を愛しく思う
嘘でできたオアシスに 見たことある顔が映り込む
たしかこれは僕の顔 嘘の水面は真実を映した
ほとりに落ちる果実を拾う
昼を失くしたこの土地で これが太陽の欠片だと気づく
食べてしまおうか 大事に持ち歩こうか
ふたつの選択肢
いつだって人生はふたつの道を選ばされる
それでも僕はこの道なき道を歩くと決めた
針の折れた羅針盤持って 見てきたような景色を初めて歩く
落ちたままにしておこう 僕は見て見ぬふりをした
新しい選択肢 道がひらかれる音がする
僕を呼ぶ声 進む決意 今行かないとすぐに過去
砂漠の夜は深く寒い だから立ち止まるわけにはいかない
昼と夜を繰り返す世界 もうすぐ見えると予感した
置いてきた欠片は 今でも光っているだろうか
頼りない羅針盤の針が笑うように光る
そして僕はこの道なき道を歩くと決めた
針の折れた羅針盤持って 見てきたはずの景色を初めて歩く
(了)
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