かさね譚

やなぎ怜

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~宿題~

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 小学生のあるとき、夏のあいだ、私は母方の祖父母の家に預けられていた。

 山を背負い、海が間近に迫った典型的な田舎の村で、私はつまらない夏休みをすごしていた。


 退屈に拍車をかけたのは祖父母から出された「宿題」の存在だった。

 小学生の夏休みと宿題は切っても切り離せない関係である。

 私はと言えば出された宿題をのろのろと夏休みをいっぱいに使って消化する、そんな子供だった。

 しかし今いるのは娯楽に乏しい田舎の村。

 自然、やることがなく、私の手は学校から出された宿題へと向かった。

 そういうわけで夏休みが終わりに近づく前に、私は学校から出された宿題を片付けてしまっていたのだった。

 やることがなくなってつまらない顔をしていたからだろうか。

 祖父母は私に「宿題」を課した。

「いらんことしいだ」と内心で思いつつ、祖父母宅では半ば猫をかぶっていた私は、黙ってその「宿題」に手をつけた。

 そのころ、祖父母は村で行われる祭りの準備に忙しくしており、そして私に課された「宿題」は、なんでもその祭りに関係するものだと言う。

「宿題」の内容は単純なもので、古びた和綴じの本を別の紙に書き写す、というものだった。

 しかしその和綴じの本の内容は、私にはさっぱりわからない。

 草書体とも違う、謎の象形文字のような線をひたすらマネて別の紙に書き写す。

 祖父母が祭りの準備に忙しくているのをいいことに、私はその「宿題」をのろのろと進めていた。

 加えて、その「宿題」をしていると頭が痛くなってくる。

 大人になった今でも頭痛とは無縁の生活を送っているので、持病とかではないと思う。

 単調な作業を続けていたせいかもしれないし、違うかもしれない。

 いずれにせよその「宿題」をこなすのは、私にとっては苦痛を伴うものであった。

 けれども先述したように、祖父母に対しては猫をかぶっていたので、「宿題」の文句を言えない。

 かと言って一切「宿題」をしないのもはばかられたので、私は結局のろのろと亀どころかナメクジの歩みで謎の文字を書き写す作業を続けた。

 和綴じの本は祖父が厳重に管理しており、毎日朝食を終えると

「宿題だよ~」

 と言って、机の上に置くのであった。

 そして私は内心で幾度となくため息をつきながら、単調な作業に従事した。

「それは子供の役目なんや」

 私がつまらなさそうな顔をしていたからかもしれない。

 祖父は真面目くさってそう告げた。

 今村にいる子供は私ひとりだったので、だれかにその役目を押しつけるような逃げ道はなかった。

 私は黙々と謎の文字を書き写しながら、祭りのことについて考える。

 いったいどんな祭りなのか、私は聞かされていなかった。

 一方で別に知りたいとも思わなかった。

 多少の好奇心は刺激されたものの、根が不精であったので、祖父母に尋ねようとは考えなかった。

 そしてその肝心の祭りだが、結局私はその祭りを見れなかったので、今をもってどのようなものだったかは知れない。

 祭りの三日前に歳の離れた兄が迎えにきたのだ。

 それも夜も深まった時間帯に、私が寝起きしていた離れへ、隠れるようにしてやってきた。

 なぜこんな時間にやってきたのか、私はさっぱりわからなかったものの、そのときは眠くてしょうがなく、兄に言われるがままその手を繋いで村をあとにした。

「振り返っちゃダメだからね」

 兄は優しい声音で何度もそう念押しをした。

 そうして兄に連れられて帰った私は、それから母方の祖父母とは会うような機会はなかった。

 そしてすっかりあの夏の出来事など忘れ去ってしまった。

 しかし後年、ふと思い出して兄にあの夏の出来事を話した。

 兄は

「実のところ、僕も全部を知っているわけじゃないんだけど」

 と前置きをして、私が母方の祖父母だと思っていたふたりは、赤の他人だろうと告げた。

 赤の他人とは言えど、狭い村のことなので、もしかしたら母と血縁関係にあるかもしれない、とも。

 あの村が亡き母の郷里であったのは事実らしい。

 だから兄は私を迎えに行くことができたのだと。

「かさねの字はね本当は『暈』という字が入っているんだ。めまい、という字にもこの漢字は入っているね」

 兄は「だからかさねは悪いものからはよく見えないんだよ」と言う。

 私は意味がよくわからなかった。

 わかったのはどうもギリギリの綱渡りをしていたようだ、ということくらいで。

 いずれにせよあの村にはもう近づかないほうがいいと兄は言う。

 ……祖父母から課された「宿題」を終えずに村を出てきてしまったこともある。

 怒られるのはだれだってイヤだ。

 私は兄の言葉に同意した。
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