ドグマの城

やなぎ怜

文字の大きさ
34 / 78

菖蒲華(あやめはなさく)

しおりを挟む
 地下植物園にアヤメのような花があった。いや、それはカキツバタだったかもしれない。いずれにせよ「ような」という言葉をつけるくらいには、チカの花に対する知識は乏しかった。

 問題は、その花がアヤメかカキツバタかということではなく――。

「どっ……」

 大急ぎで部屋に舞い戻ったチカは、静かに読書をしていたアマネを視界に入れるや、それだけ言う。当然、アマネは「なにがなんだかわからない」といった顔で本から視線を上げ、怪訝な目でチカを見る。

 肩で大きく呼吸を繰り返しながら、息も絶え絶えにチカは続きの言葉を口にする。

「ドッペルゲンガーが、出た……」

 アヤメかカキツバタか知れないが、美しい花に興味を持って近づいたチカを待っていたのは、想定外の出来事。しかし“城”では悲しいかな、チカの想定の上を軽々と飛び越えて行くような事象は枚挙にいとまがない。

 当然、チカのドッペルゲンガー――寸分たがわず瓜二つのニセモノが現れたとしても、“城”の不可思議な魔力に慣れ切った人間からすれば、そうおどろくべきことでもないのであった。

 大慌てのチカに対して、アマネは至極冷静に――しかしため息をついて本を閉じた。

「植物園に行ったのか?」
「そ、そう」
「……おおかた、去年の球根が残っていたんだろうな。全部掘り起こしたと思っていたが」

 どうやらアマネがこの不可思議な出来事の事情に精通しているらしいとわかって、チカはちょっと落ち着いた。

 それでも全速力で部屋まで走ってきたので心臓の鼓動は未だ騒がしい。おまけに自分のドッペルゲンガーが今も“城”を徘徊しているとあっては、イヤなドキドキは止まらない。

「そのままにしてここまで来たのか?」
「そのままっていうか……捕まえようとする前に向こうが逃げた」

 アマネがめんどうくさそうな顔をして、大きなため息をつく。読書をしているあいだは消えていた眉間のしわが復活している。チカは申し訳なく、うしろめたい気持ちになった。

「あれは……なに?」
「……ドッペルゲンガーというよりは、ニセモノ。実体がある。アヤメかカキツバタかは知らねえが、それに近づくとなぜか出てくる」

 チカはアマネにわざわざ問うまでもなく、それが“捨品”絡みの厄介ごとであることを悟った。

 先ほど、「去年の球根がどうの」とアマネが言っていたところからして、チカの記憶が吹き飛ぶ前にあれこれとあった出来事なのだろう。

 そしてその球根は掘り出したものの、取りこぼしがあったために今年また花を咲かせた。そこにチカが不用意に接近してしまい――チカのドッペルゲンガー……否、ニセモノが現れた、というあらましのようである。

「悪いことはしねえと思うが、まあ、捕まえねえとな」

 アマネが至極めんどくさそうな声を出しながら、腰を上げた。

「おい、行くぞ」

 ランタンを手にしたアマネが、ぶっきらぼうな口調でチカに声をかける。部屋を出て行こうとするアマネの背を、チカはあわてて追った。

「他のみんなには言わなくて――」
「すぐ捕まえられるだろ。それに……お前と一緒にいないとややこしい」
「そっか。ニセモノは私そっくりだもんね」
「それに、ふたりがかりのほうが楽だ」
「うん」

 アマネは愛想はないが頼りにはなる。チカが困っていれば助けようとしてくれる。これで人当たりがよければ文句はないのだが……と思ってしまうのは、少し欲張りすぎだろうかとチカは思ってしまう。

 しかしアマネの仏頂面に慣れた今となっては、ニコニコ笑顔の彼が想像しづらい。否、不気味ですらある。

 結局「今のままでいい」という結論に落ち着いてしまうあたり、ひとの心とはなんとも身勝手なものだ。

「捕まえたあとはどうするの?」
「ショウブ湯に浸ける」
「え?」
「ショウブの葉を入れた湯にぶち込むと消えるんだよ。……先に言っておくが、なんでかは知らねえ」

 チカが不思議そうな顔をしたからだろう、アマネは丁寧にショウブ湯の説明までしてくれた。さすがのチカもショウブ湯がなにかくらいはわかっていたが、思わず聞き返すような声を出してしまったのは無理からぬことだろう。

「……それで消えるんだ」
「ああ。だからニセモノと本物の見分けはすぐにつく」
「へえ~……」

 チカは「へえ」としか言いようがなかった。相変わらず、“城”の中で起こる不可思議な出来事に論理は不要とばかりの意味不明さであった。

「……それでニセモノが消えるんだったら、私も消えそう」

 チカのその言葉には、さほど他意はなかった。間違っても本気ではなかったし、半ば冗談で口にした言葉だった。

 チカは、記憶がない。これまで築いてきただろう六人との記憶は、綺麗さっぱり忘れてしまっている。そんな己は、六人の知る「チカ」ではないだろうという思いを、ずっとどこかで抱いていた。

 それがぽろっと口から出てしまった。それだけの話だった。

 だが、チカの言葉はアマネの足を止めるにはじゅうぶんだった。

「は?」

 急にアマネからすごむような声を発されて、チカは少々びっくりした。

 アマネがじっとこちらを見ているのがわかる。痛いほどの視線を感じる。目はかすかに見開かれて、その瞳の奥に激情の炎が見えた気がした。

「……くだらねえこと言ってんじゃねえよ」
「……いや……うん、まあ、そうだけど」

 チカは一瞬だけ反論するかどうか迷ったが、結局アマネを怒らせたくなくてなんとなくで同意する。

 しかしそんなチカの心の動きは、アマネにはお見通しのようだった。

「別に、記憶がねえお前をニセモノだなんて思ったことはない……。……他の連中もそうだろ」

 チカは、アマネなりにこちらを気遣って、励ましてくれているのだと解釈することにした。

 相変わらずぶっきらぼうな口調だが、言っている言葉からはこちらを慮っていることがわかる。

 それにしたって目つきや表情が怖いので、アマネはどこまでも不器用だなあと思わざるを得ないが。

「アマネは……前の私に戻ってきて欲しくはないの」
「前も後もあるかよ。お前はお前だ。くだらねえこと考えてる暇があったらニセモノを捜せ」

 アマネのその肯定は、甘くもあり、苦くもあった。

 今の、ありのままの己を肯定されてうれしいと思う反面、どうしたって記憶を失う前と後とではきっと違う人間だろうとチカは思ってしまうのだ。

 ――……記憶が戻れば全部解決するのかな。

 チカはそう思いつつ、再び歩みを進め始めたアマネの背を追った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...