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朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
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「えっ……どちらさま?」
チカは思わず間抜けな問いをしてしまった。
前に立つ男は、舌打ちをしてあっという間にチカの隣にいたマシロの腕を引き寄せる。そのまま右手でマシロの両腕をうしろに回して、左手に握られたナイフを彼女の首筋につきつけた。
非常事態だ。どこからどう見ても、非常事態だ。「どちらさま?」などとのん気な問いをしている場合ではなかった。しかし時すでに遅し。あっという間にマシロを人質に取られてしまった。
男の正体はわからない。黒い服を着ているので信者である“黒子”かとも思ったが、見たことがない顔だ。となると“城”に金目のものを盗みに入った、泥棒なのかもしれない。
しかし人質を取ってナイフをつきつけているのだから、もう立派な強盗だ。単なる泥棒よりも強盗のほうが罪が重いという知識が、あせりの中でチカの脳裏をよぎって行った。
「近づくなよ! こいつがどうなってもいいならな!」
粗野な口調で威勢よくそう言いはしたものの、男の声は若干震えていた。男も、チカと同じくらい動転しているのだろう。この広い“城”でバッタリと出くわすわけがないと、高を括っていたのかもしれない。
しかしチカとマシロはバッタリと出くわしてしまった。これはもう、双方にとって不幸としか言いようがない。
チカはどうすればいいのか悩み、ちらりとマシロを見る。チカほど動揺している様子はなかったが、どうすればいいのか判じかねているという点においては、同じのようだ。
多少の怪我は“城”にいる限り、午前〇時をまたげば治る。けれども、致命傷を受けた場合はどうなるのだろう。チカの中に遅まきながら不安が生まれた。
「……なにが目的なんですか? 金目のものが欲しいならあげますから、彼女を放してやってください」
「金目のもの」と言いはしたものの、そんなものが“城”の倉庫に眠っているのかは不明であった。
当たり前だが“城”から出られないチカたちに、貨幣や紙幣などといったものは価値がなく、持つ意味もない。だから「金目のもの」のうち、わかりやすい「お金」はこの“城”にはないのだった。
であれば、この男が泥棒に入った目的はなんだろうか。まさか、チカたちの命を狙ってきたわけではないだろう。それは先ほどの言葉の様子からも、明らかである。
そんな風に考え込むチカは、その場から一歩も動いていないにかかわらず、男の顔色はなぜだかどんどんと悪くなっているように見えた。
「クソッ、よりにもよって……」
男がなにごとかをぶつぶつとつぶやくも、この距離ではチカの耳には入らなかった。
「そこから動くなよ!」
男はマシロにナイフの切っ先をつきつけたまま、ずるずるとおぼつかない足取りで後退する。そのまま、廊下の曲がり角に到達しようかというとき――「ゴッ」と、固いもの同士がぶつかる音がして、男がその場に崩れ落ちた。
「なんなのこいつ」
不機嫌そうな声と目で廊下の角から顔を出したのは、アオだった。さっとよどみのない動作で、男が握っていたナイフを没収する。
マシロはパチパチと目をまたたかせて、廊下に崩れ落ちた男と、今しがた姿を現したアオとを見比べる。
チカはあわててマシロたちのいる場所へ駆け寄った。
幸い、マシロに怪我はないようだ。それを確認してチカはホッと安堵する。
「で、なにこいつ」
「わかんない。泥棒っぽかったけど……」
「えー? 泥棒? じゃあもっとボコっていいかな」
「話聞けなくなっちゃうよ……」
「いいじゃん。泥棒なんていくらでもボコっていいんだよ。知らないの?」
チカは「泥棒にも人権はあるんだよ……」と言おうとしたが、昏倒させられた泥棒の意識が戻るのが先だった。
「あっ」
チカ、マシロ、アオ、三人の声が重なる。
泥棒は意識を取り戻したばかりのせいか、よろよろとおぼつかない足取りで廊下の向こうへと逃げて行こうとした。
しかし。
「――やば、『風』だ」
泥棒が走って行く方向から、三人のあいだへ向けて、空気がするすると通り過ぎて行くのがわかる。
三人が身構えた次の瞬間、廊下の向こうから突風が吹きつけて、チカは思わずまぶたをきつく閉じた。
そして次に目を開けたときには、泥棒の姿はどこにもなかったのであった。
「おーい、『風』こっちにきてないか?」
廊下の向こうから顔を出したのはユースケだ。隣にはササ、続いてアマネとコーイチが顔を見せる。
「泥棒見なかった?!」
チカはあわてて四人に向かって声を張り上げる。しかし四人とも、不思議そうな顔をして周囲を見回すばかりだ。
そもそも、チカたちは「風」を追っていたのだった。“城”の中に入り込んだらしい「風」は色んなものを吹き上げてしっちゃかめっちゃかにするので、追い込み漁のごとく「風」をエントランスホールへ追い込んで出そうと七人は画策し、その作戦を遂行している最中であったのだ。
だが、先ほど感じた「風」の気配はもうどこにもない。それどころか、泥棒の姿も見えず、影も形もなくなっていた。
「泥棒ってなんだ」
アマネたちと合流したチカは、かいつまんで先ほどの出来事を説明する。
「『風』はともかく、その泥棒とやらはどこに消えたんだよ」
コーイチが全員が抱いた当然の疑問を口にする。しかし七人の中でそれに対する正確な答えを提示できる者は、当たり前ながら存在しなかった。
「『風』が攫って行ったんじゃないの?」
「そうとしか思えない」と投げやりな答えを出したのはアオだ。
「まー……泥棒なら消えても問題ないか」
ユースケもまた、投げやりに答える。
結局、あの「風」はなんだったのかはわからないし、泥棒とは言いはしたものの、“城”に侵入した男も目的はわからないままである。
なんとなくスッキリしない思いを抱えつつも、だれにも怪我がなくてよかったとチカは思うことにした。
チカは思わず間抜けな問いをしてしまった。
前に立つ男は、舌打ちをしてあっという間にチカの隣にいたマシロの腕を引き寄せる。そのまま右手でマシロの両腕をうしろに回して、左手に握られたナイフを彼女の首筋につきつけた。
非常事態だ。どこからどう見ても、非常事態だ。「どちらさま?」などとのん気な問いをしている場合ではなかった。しかし時すでに遅し。あっという間にマシロを人質に取られてしまった。
男の正体はわからない。黒い服を着ているので信者である“黒子”かとも思ったが、見たことがない顔だ。となると“城”に金目のものを盗みに入った、泥棒なのかもしれない。
しかし人質を取ってナイフをつきつけているのだから、もう立派な強盗だ。単なる泥棒よりも強盗のほうが罪が重いという知識が、あせりの中でチカの脳裏をよぎって行った。
「近づくなよ! こいつがどうなってもいいならな!」
粗野な口調で威勢よくそう言いはしたものの、男の声は若干震えていた。男も、チカと同じくらい動転しているのだろう。この広い“城”でバッタリと出くわすわけがないと、高を括っていたのかもしれない。
しかしチカとマシロはバッタリと出くわしてしまった。これはもう、双方にとって不幸としか言いようがない。
チカはどうすればいいのか悩み、ちらりとマシロを見る。チカほど動揺している様子はなかったが、どうすればいいのか判じかねているという点においては、同じのようだ。
多少の怪我は“城”にいる限り、午前〇時をまたげば治る。けれども、致命傷を受けた場合はどうなるのだろう。チカの中に遅まきながら不安が生まれた。
「……なにが目的なんですか? 金目のものが欲しいならあげますから、彼女を放してやってください」
「金目のもの」と言いはしたものの、そんなものが“城”の倉庫に眠っているのかは不明であった。
当たり前だが“城”から出られないチカたちに、貨幣や紙幣などといったものは価値がなく、持つ意味もない。だから「金目のもの」のうち、わかりやすい「お金」はこの“城”にはないのだった。
であれば、この男が泥棒に入った目的はなんだろうか。まさか、チカたちの命を狙ってきたわけではないだろう。それは先ほどの言葉の様子からも、明らかである。
そんな風に考え込むチカは、その場から一歩も動いていないにかかわらず、男の顔色はなぜだかどんどんと悪くなっているように見えた。
「クソッ、よりにもよって……」
男がなにごとかをぶつぶつとつぶやくも、この距離ではチカの耳には入らなかった。
「そこから動くなよ!」
男はマシロにナイフの切っ先をつきつけたまま、ずるずるとおぼつかない足取りで後退する。そのまま、廊下の曲がり角に到達しようかというとき――「ゴッ」と、固いもの同士がぶつかる音がして、男がその場に崩れ落ちた。
「なんなのこいつ」
不機嫌そうな声と目で廊下の角から顔を出したのは、アオだった。さっとよどみのない動作で、男が握っていたナイフを没収する。
マシロはパチパチと目をまたたかせて、廊下に崩れ落ちた男と、今しがた姿を現したアオとを見比べる。
チカはあわててマシロたちのいる場所へ駆け寄った。
幸い、マシロに怪我はないようだ。それを確認してチカはホッと安堵する。
「で、なにこいつ」
「わかんない。泥棒っぽかったけど……」
「えー? 泥棒? じゃあもっとボコっていいかな」
「話聞けなくなっちゃうよ……」
「いいじゃん。泥棒なんていくらでもボコっていいんだよ。知らないの?」
チカは「泥棒にも人権はあるんだよ……」と言おうとしたが、昏倒させられた泥棒の意識が戻るのが先だった。
「あっ」
チカ、マシロ、アオ、三人の声が重なる。
泥棒は意識を取り戻したばかりのせいか、よろよろとおぼつかない足取りで廊下の向こうへと逃げて行こうとした。
しかし。
「――やば、『風』だ」
泥棒が走って行く方向から、三人のあいだへ向けて、空気がするすると通り過ぎて行くのがわかる。
三人が身構えた次の瞬間、廊下の向こうから突風が吹きつけて、チカは思わずまぶたをきつく閉じた。
そして次に目を開けたときには、泥棒の姿はどこにもなかったのであった。
「おーい、『風』こっちにきてないか?」
廊下の向こうから顔を出したのはユースケだ。隣にはササ、続いてアマネとコーイチが顔を見せる。
「泥棒見なかった?!」
チカはあわてて四人に向かって声を張り上げる。しかし四人とも、不思議そうな顔をして周囲を見回すばかりだ。
そもそも、チカたちは「風」を追っていたのだった。“城”の中に入り込んだらしい「風」は色んなものを吹き上げてしっちゃかめっちゃかにするので、追い込み漁のごとく「風」をエントランスホールへ追い込んで出そうと七人は画策し、その作戦を遂行している最中であったのだ。
だが、先ほど感じた「風」の気配はもうどこにもない。それどころか、泥棒の姿も見えず、影も形もなくなっていた。
「泥棒ってなんだ」
アマネたちと合流したチカは、かいつまんで先ほどの出来事を説明する。
「『風』はともかく、その泥棒とやらはどこに消えたんだよ」
コーイチが全員が抱いた当然の疑問を口にする。しかし七人の中でそれに対する正確な答えを提示できる者は、当たり前ながら存在しなかった。
「『風』が攫って行ったんじゃないの?」
「そうとしか思えない」と投げやりな答えを出したのはアオだ。
「まー……泥棒なら消えても問題ないか」
ユースケもまた、投げやりに答える。
結局、あの「風」はなんだったのかはわからないし、泥棒とは言いはしたものの、“城”に侵入した男も目的はわからないままである。
なんとなくスッキリしない思いを抱えつつも、だれにも怪我がなくてよかったとチカは思うことにした。
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