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千世の計画に、最後まで抵抗したのは彼女の担当官を務める七瀬だった。
しかし千世の意志のほうが固く、結局折れたのは七瀬のほうだった。
「絶対、無茶なことはしないでくださいね?」
何度もそう念押しする七瀬に、千世は律儀に逐一うなずいて返す。
その顔はとても生真面目だったが、四郎からすると本当に聞いているかどうか、聞き入れるかどうかは怪しいところであった。
四郎に、千世の真意はわからない。他人なのだから、当たり前だが。
千世が心の奥底でなにを望んでいるのかわかりはしなかったものの、四郎としては暴れられるのなら、彼女の真意や理由など、どうでもよかった。
一方、七瀬はどうでもよくないので、千世に何度も「無茶はするな」と念押しをしているのだろう。
それくらいのことを察せるていどの社会性は、四郎にもあった。
「死に急いでいるような感じがしませんか?」
千世が囮になるという計画は、他の反発はほとんどなく実行に移された。
都合上、護衛官などの女性保護局の職員だけではなく、警察との協働となったが、四郎の評判は警察内にも轟いているらしい。
四郎と顔を合わせた警察官は漏れなく珍獣を見るような目で四郎を見た。
が、四郎にとってそれはいつものことだったので、気にはしない。
外出するために着替えると言って引っ込んだ千世の私室の扉を見つめていると、七瀬に小声でそんなことを問いかけられる。
「会って数日の相手のことなぞわかりはしない」
四郎がそうバッサリと切るようにして返すと、横に立つ七瀬はなんとも言えない表情になった。
しかし四郎にこれ以上言葉を重ねても無意味と判断したのか、ひとことだけ
「千世さんの警護、頼みますよ」
と告げたきり賢明にも黙り込んだ。
「数を減らせないでしょうか」
千世からそんな提案がなされたのは、彼女を囮に瓜生透也をおびき出す計画を開始してからたった二日後のことだった。
千世の言う「数」とは、言うまでもなく、彼女を警護する護衛官や警察官の「数」のことである。
千世がそんなこと言い出したのは、瓜生透也を巡回中の警察官が発見したものの、逃がしてしまった直後のことだった。
瓜生透也は警察官と格闘の末、怪我を負わせて再び逃走した。警察官が携帯していた拳銃を奪おうとする素振りもあったと聞く。
「ダメですよ! 警護の数を減らして、万が一千世さんになにかあったらどうするんです?」
元から、千世を囮にする計画に難色を示していた七瀬は、当然のように反対した。
だが変わらず千世は岩のように意志が固い。
そのような千世の性質は、担当官である七瀬もよくわかっているのだろう。
眉を下げて困った顔を作りつつ、からめ手に出る。
「千世さんになにかあったら、宮城先輩が悲しみますよ」
千世の焦げ茶色の瞳に、一瞬だけ動揺が走って、目が泳いだ。
四郎は、七瀬の言う「宮城先輩」とやらにすぐに心当たりはなかったものの、文脈からして千世にとっては大事な人物なのだろう。
「……それでも、父を早く捕まえて欲しいんです」
「千世さん……」
七瀬が千世の名を呼んだが、彼女は貝のように黙り込んでしまった。
しかしその目から闘志は失われていない。
それでも「宮城」とやらは千世にとってはよほど大切な存在なのか、先ほどよりも瞳に宿る火の勢いは衰えたように四郎には見えた。
囮となる千世のすぐそばで警護する人数を減らすという話は、四郎が思っていたよりもスムーズに通った。
四郎は内心で疑問を覚えたものの、すぐに「どうでもいいか」と考えて、頭に叩き込んだ瓜生透也の顔写真を思い浮かべる。
四郎は、もうひとりの、元から千世についていた護衛官の後輩と共に、彼女を警護しつつ目的地へと徒歩で向かう。
本来であれば、希少な女性は徒歩で移動したりなどしない。どこへ行くにも自動車での移動が鉄則であった。
しかし今は千世を囮に瓜生透也をおびき出すという計画なのだ。
もちろん、「目的地」というのも瓜生透也らしき不審者が目撃された地点を指す。
一〇人に聞けば、一〇人が「危険だ」と答えるだろうこの計画に不安を覚えていないのは、恐らく四郎と――千世くらいのものかもしれなかった。
千世は馬鹿なのか、そうでなければもはや覚悟を決めきってしまっているのか、四郎は彼女の不安そうな表情を見たことがない。
四郎以外の護衛官や警察官、担当官である七瀬の不安そうな顔は腹いっぱいになるまで見たが、千世のそんな表情は未だに見ていなかった。
豪胆なのか、馬鹿なのか――。
四郎がどちらか決めかねていると、不意にその耳朶になにか異様な空気が触れたのが、わかった。
四郎が「そちら」を向くのと同時に、三人が歩く歩道に隣接する公園のフェンスが激しく揺れ動き、金網がこすれ合う音が響き渡った。
木々の隙間を駆け下りて、フェンスを素早く乗り越えた――瓜生透也の姿は、まるで野生のサルのようでもあった。
千世は素早く公園側から車道側へと、何歩か下がる。
一方の四郎の後輩の護衛官は、襲撃してきた瓜生透也におどろいたのか、肩を揺らして「うっ」と喉から声を絞り出す。それでも千世の前にすぐ出られたのだから、護衛官としては及第点だ。
そして四郎は後輩の護衛官のさらに前へと飛び出し、瓜生透也と真っ向から対峙した。
しかし千世の意志のほうが固く、結局折れたのは七瀬のほうだった。
「絶対、無茶なことはしないでくださいね?」
何度もそう念押しする七瀬に、千世は律儀に逐一うなずいて返す。
その顔はとても生真面目だったが、四郎からすると本当に聞いているかどうか、聞き入れるかどうかは怪しいところであった。
四郎に、千世の真意はわからない。他人なのだから、当たり前だが。
千世が心の奥底でなにを望んでいるのかわかりはしなかったものの、四郎としては暴れられるのなら、彼女の真意や理由など、どうでもよかった。
一方、七瀬はどうでもよくないので、千世に何度も「無茶はするな」と念押しをしているのだろう。
それくらいのことを察せるていどの社会性は、四郎にもあった。
「死に急いでいるような感じがしませんか?」
千世が囮になるという計画は、他の反発はほとんどなく実行に移された。
都合上、護衛官などの女性保護局の職員だけではなく、警察との協働となったが、四郎の評判は警察内にも轟いているらしい。
四郎と顔を合わせた警察官は漏れなく珍獣を見るような目で四郎を見た。
が、四郎にとってそれはいつものことだったので、気にはしない。
外出するために着替えると言って引っ込んだ千世の私室の扉を見つめていると、七瀬に小声でそんなことを問いかけられる。
「会って数日の相手のことなぞわかりはしない」
四郎がそうバッサリと切るようにして返すと、横に立つ七瀬はなんとも言えない表情になった。
しかし四郎にこれ以上言葉を重ねても無意味と判断したのか、ひとことだけ
「千世さんの警護、頼みますよ」
と告げたきり賢明にも黙り込んだ。
「数を減らせないでしょうか」
千世からそんな提案がなされたのは、彼女を囮に瓜生透也をおびき出す計画を開始してからたった二日後のことだった。
千世の言う「数」とは、言うまでもなく、彼女を警護する護衛官や警察官の「数」のことである。
千世がそんなこと言い出したのは、瓜生透也を巡回中の警察官が発見したものの、逃がしてしまった直後のことだった。
瓜生透也は警察官と格闘の末、怪我を負わせて再び逃走した。警察官が携帯していた拳銃を奪おうとする素振りもあったと聞く。
「ダメですよ! 警護の数を減らして、万が一千世さんになにかあったらどうするんです?」
元から、千世を囮にする計画に難色を示していた七瀬は、当然のように反対した。
だが変わらず千世は岩のように意志が固い。
そのような千世の性質は、担当官である七瀬もよくわかっているのだろう。
眉を下げて困った顔を作りつつ、からめ手に出る。
「千世さんになにかあったら、宮城先輩が悲しみますよ」
千世の焦げ茶色の瞳に、一瞬だけ動揺が走って、目が泳いだ。
四郎は、七瀬の言う「宮城先輩」とやらにすぐに心当たりはなかったものの、文脈からして千世にとっては大事な人物なのだろう。
「……それでも、父を早く捕まえて欲しいんです」
「千世さん……」
七瀬が千世の名を呼んだが、彼女は貝のように黙り込んでしまった。
しかしその目から闘志は失われていない。
それでも「宮城」とやらは千世にとってはよほど大切な存在なのか、先ほどよりも瞳に宿る火の勢いは衰えたように四郎には見えた。
囮となる千世のすぐそばで警護する人数を減らすという話は、四郎が思っていたよりもスムーズに通った。
四郎は内心で疑問を覚えたものの、すぐに「どうでもいいか」と考えて、頭に叩き込んだ瓜生透也の顔写真を思い浮かべる。
四郎は、もうひとりの、元から千世についていた護衛官の後輩と共に、彼女を警護しつつ目的地へと徒歩で向かう。
本来であれば、希少な女性は徒歩で移動したりなどしない。どこへ行くにも自動車での移動が鉄則であった。
しかし今は千世を囮に瓜生透也をおびき出すという計画なのだ。
もちろん、「目的地」というのも瓜生透也らしき不審者が目撃された地点を指す。
一〇人に聞けば、一〇人が「危険だ」と答えるだろうこの計画に不安を覚えていないのは、恐らく四郎と――千世くらいのものかもしれなかった。
千世は馬鹿なのか、そうでなければもはや覚悟を決めきってしまっているのか、四郎は彼女の不安そうな表情を見たことがない。
四郎以外の護衛官や警察官、担当官である七瀬の不安そうな顔は腹いっぱいになるまで見たが、千世のそんな表情は未だに見ていなかった。
豪胆なのか、馬鹿なのか――。
四郎がどちらか決めかねていると、不意にその耳朶になにか異様な空気が触れたのが、わかった。
四郎が「そちら」を向くのと同時に、三人が歩く歩道に隣接する公園のフェンスが激しく揺れ動き、金網がこすれ合う音が響き渡った。
木々の隙間を駆け下りて、フェンスを素早く乗り越えた――瓜生透也の姿は、まるで野生のサルのようでもあった。
千世は素早く公園側から車道側へと、何歩か下がる。
一方の四郎の後輩の護衛官は、襲撃してきた瓜生透也におどろいたのか、肩を揺らして「うっ」と喉から声を絞り出す。それでも千世の前にすぐ出られたのだから、護衛官としては及第点だ。
そして四郎は後輩の護衛官のさらに前へと飛び出し、瓜生透也と真っ向から対峙した。
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