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土岐四郎との面会後、自宅マンションの部屋に帰り、夕食を済ませて風呂にも入ったあと。
朔良はおもむろに今日の面会について千世に切り出した。
「土岐さんのことはどう思った?」
本心を覆い隠した、曖昧な問いだと朔良自身、苦笑しそうになる。
しかし千世にそんな本心は伝わらなかったらしい。
千世は横に長いソファの隣に座る朔良の、自分より高い位置にあるその顔を見上げる仕草をする。
ひとと話すときはその顔を見て――という教えを、律儀に守ってのことだった。
「……むずかしい、です」
千世は一瞬、考えるように目を伏せたが、すぐにたどたどしい口調ながらそう答える。
「難しい? まだ上手く言語化できないってことかな」
「それもあります。けど……」
「うん」
言葉を上手く紡ぐことに慣れていない千世に付き合う朔良の姿は、ひとによっては根気強く映るかもしれない。
けれども朔良は千世が一生懸命に、感じたことや心の内を表現するために言葉を口にする姿を、微笑ましく見ていた。
たしかにもどかしく感じる瞬間はあることにはあるものの、総じて千世とのやり取りそのものを朔良は尊いものだと感じている。
しかし今だけは、少しだけ千世の発せられる言葉を待つこの時間は――少し、恐ろしくも感じられた。
土岐四郎は、巧みに千世の興味を掻き立てることに成功した。
父親に拉致され、抑圧され、社会から切り離されて長年過ごしてきた千世は、他人からの悪意には鈍感で、歳不相応に無垢だ。
ゆえに狡猾な大人の手にかかれば、ひとたまりもないだろうことは、容易に想像がつく。
朔良には土岐四郎の思惑は残念ながらわからない。
単に珍しいおもちゃを弄んでいるだけというのならば、業腹ではあるものの、興味を失うのも早そうだと理性的に思う。
けれども、土岐四郎が口にした「千世に対して恋愛感情がない」というのが嘘であった場合、ないし結果的に嘘になってしまった場合。
そうであったときに、己がどういった反応を見せるのか――感情を抱くのか、朔良にはわからなかった。
朔良には――幸いと言うべきなのかはよくわからなかったものの――学生時代に女性と交際していた経験がある。
もちろんその女性には朔良以外の恋人がいて、朔良は当然のようにその中では一番ではなかったし、平等な扱いを受けた覚えもなかった。
けれども、それに不満を覚えたり、他の彼氏たちに嫉妬心を抱いたことはなかった。
今振り返ると、その女性に対して朔良は「本気」じゃなかった。
本気で愛していたわけではなく、ただその場の空気や「女性と付き合える男性は上等」といった社会の空気に流されて、恋人「ごっこ」をしていたにすぎないと、改めて振り返ってそう思う。
結局、大学三年生になる前あたりで、朔良は一方的に別れを突きつけられた。
突きつけられて初めて、「ああ、彼女のことは別にそんなに好きじゃなかったんだな」と気づいたのだ。
そのうちに公務員試験や続く就職活動などで忙しくなったので、女性と付き合っていたこと自体が、夢まぼろしのようなおぼろげな記憶へとなっていった。
朔良の家庭は経済的に余裕があったわけではなく、弟たちの生活費だの学費だのを捻出するため、女性と付き合っているあいだもアルバイト三昧の生活を送っていた。
そういうところがよくなかったのだろうと今さらながらに思ったりはしたものの、どうしようもない。
そうして試験を無事にパスしたのち、女性保護局の職員になり――現在に至る。
まさか担当女性と恋仲になってしまう未来が待っていると、朔良が予想だにしなかったことだけは、たしかである。
今でも信じられない気持ちでいるし、未だに葛藤もある。
自分でも言うのもなんだが、朔良は普通に、真面目に、道を歩いてきた自覚がある。横道にそれたことはない。
家庭事情からそうなってもおかしくはなかったとは思うものの、そういった思い切りの良さは朔良にはなかった。
堅実に、誠実に――。そう思って生きてきて、周囲からの評価も概ねそうだったように思う。
けれども、「担当女性に手を出した」。……実際のところ朔良と千世の関係は未だ清いままであったが、「手を出した」と形容されたり、誤解されたりしても致し方ないと朔良は思っている。
千世は今年で一九を数える。自分の意思で結婚もできるし、法的には成人として扱われる。
しかしその生い立ちや、内面を少しでも知っていると、やはり「手を出す」ことに抵抗感を覚えるのが一般的な感覚だろう。
けれども朔良は、その一線を超えてしまった。
好きになって、もっと近づきたいと思った。
惚れてしまって、もっと触れてみたいと思った。
愛してしまって、ずっと一緒にいたいと思った。
しかし、いくら真摯な言葉を重ねても、朔良の行いは「不祥事」でしかないわけで――。
だから、朔良の内には未だ葛藤がある。
そして朔良の思いに応えてくれた千世が、いつかその選択を「間違いだった」と思う日が来るのではないか――という恐れもある。
愛はあるが、自信はない。
朔良の今の思いを端的に表現すると、そうだ。
だから千世が四郎に対して能動的な「また会えるか」という言葉を口にしたことで、朔良は恐れを抱いた。
なぜなら千世は、朔良がかつて交際していた女性のように、別れに際して「仕方がない」とあきらめられるような存在ではなかったから。
だから朔良は、千世が土岐四郎に接してなにを感じ、それ彼をどう評するのかが気にかかった。
朔良はおもむろに今日の面会について千世に切り出した。
「土岐さんのことはどう思った?」
本心を覆い隠した、曖昧な問いだと朔良自身、苦笑しそうになる。
しかし千世にそんな本心は伝わらなかったらしい。
千世は横に長いソファの隣に座る朔良の、自分より高い位置にあるその顔を見上げる仕草をする。
ひとと話すときはその顔を見て――という教えを、律儀に守ってのことだった。
「……むずかしい、です」
千世は一瞬、考えるように目を伏せたが、すぐにたどたどしい口調ながらそう答える。
「難しい? まだ上手く言語化できないってことかな」
「それもあります。けど……」
「うん」
言葉を上手く紡ぐことに慣れていない千世に付き合う朔良の姿は、ひとによっては根気強く映るかもしれない。
けれども朔良は千世が一生懸命に、感じたことや心の内を表現するために言葉を口にする姿を、微笑ましく見ていた。
たしかにもどかしく感じる瞬間はあることにはあるものの、総じて千世とのやり取りそのものを朔良は尊いものだと感じている。
しかし今だけは、少しだけ千世の発せられる言葉を待つこの時間は――少し、恐ろしくも感じられた。
土岐四郎は、巧みに千世の興味を掻き立てることに成功した。
父親に拉致され、抑圧され、社会から切り離されて長年過ごしてきた千世は、他人からの悪意には鈍感で、歳不相応に無垢だ。
ゆえに狡猾な大人の手にかかれば、ひとたまりもないだろうことは、容易に想像がつく。
朔良には土岐四郎の思惑は残念ながらわからない。
単に珍しいおもちゃを弄んでいるだけというのならば、業腹ではあるものの、興味を失うのも早そうだと理性的に思う。
けれども、土岐四郎が口にした「千世に対して恋愛感情がない」というのが嘘であった場合、ないし結果的に嘘になってしまった場合。
そうであったときに、己がどういった反応を見せるのか――感情を抱くのか、朔良にはわからなかった。
朔良には――幸いと言うべきなのかはよくわからなかったものの――学生時代に女性と交際していた経験がある。
もちろんその女性には朔良以外の恋人がいて、朔良は当然のようにその中では一番ではなかったし、平等な扱いを受けた覚えもなかった。
けれども、それに不満を覚えたり、他の彼氏たちに嫉妬心を抱いたことはなかった。
今振り返ると、その女性に対して朔良は「本気」じゃなかった。
本気で愛していたわけではなく、ただその場の空気や「女性と付き合える男性は上等」といった社会の空気に流されて、恋人「ごっこ」をしていたにすぎないと、改めて振り返ってそう思う。
結局、大学三年生になる前あたりで、朔良は一方的に別れを突きつけられた。
突きつけられて初めて、「ああ、彼女のことは別にそんなに好きじゃなかったんだな」と気づいたのだ。
そのうちに公務員試験や続く就職活動などで忙しくなったので、女性と付き合っていたこと自体が、夢まぼろしのようなおぼろげな記憶へとなっていった。
朔良の家庭は経済的に余裕があったわけではなく、弟たちの生活費だの学費だのを捻出するため、女性と付き合っているあいだもアルバイト三昧の生活を送っていた。
そういうところがよくなかったのだろうと今さらながらに思ったりはしたものの、どうしようもない。
そうして試験を無事にパスしたのち、女性保護局の職員になり――現在に至る。
まさか担当女性と恋仲になってしまう未来が待っていると、朔良が予想だにしなかったことだけは、たしかである。
今でも信じられない気持ちでいるし、未だに葛藤もある。
自分でも言うのもなんだが、朔良は普通に、真面目に、道を歩いてきた自覚がある。横道にそれたことはない。
家庭事情からそうなってもおかしくはなかったとは思うものの、そういった思い切りの良さは朔良にはなかった。
堅実に、誠実に――。そう思って生きてきて、周囲からの評価も概ねそうだったように思う。
けれども、「担当女性に手を出した」。……実際のところ朔良と千世の関係は未だ清いままであったが、「手を出した」と形容されたり、誤解されたりしても致し方ないと朔良は思っている。
千世は今年で一九を数える。自分の意思で結婚もできるし、法的には成人として扱われる。
しかしその生い立ちや、内面を少しでも知っていると、やはり「手を出す」ことに抵抗感を覚えるのが一般的な感覚だろう。
けれども朔良は、その一線を超えてしまった。
好きになって、もっと近づきたいと思った。
惚れてしまって、もっと触れてみたいと思った。
愛してしまって、ずっと一緒にいたいと思った。
しかし、いくら真摯な言葉を重ねても、朔良の行いは「不祥事」でしかないわけで――。
だから、朔良の内には未だ葛藤がある。
そして朔良の思いに応えてくれた千世が、いつかその選択を「間違いだった」と思う日が来るのではないか――という恐れもある。
愛はあるが、自信はない。
朔良の今の思いを端的に表現すると、そうだ。
だから千世が四郎に対して能動的な「また会えるか」という言葉を口にしたことで、朔良は恐れを抱いた。
なぜなら千世は、朔良がかつて交際していた女性のように、別れに際して「仕方がない」とあきらめられるような存在ではなかったから。
だから朔良は、千世が土岐四郎に接してなにを感じ、それ彼をどう評するのかが気にかかった。
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