さよなら聖女様

やなぎ怜

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前編

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 聖女さまはおっしゃいました。「わたしは『かわいそうな死にかた』をしたの」と。

 聖女さまはまたこうもおっしゃいました。「わたしは神様から『転生特典』をもらったの」。

 聖女さまは折に触れて私にそうおっしゃいました。

 そうすると卑屈な私は幻聴してしまうのです。

「わたしは『かわいそうな死にかた』をしたの」

「わたしは神様から『転生特典』をもらったの」

「だからあなたもわたしを敬いなさい――」

 もちろん、聖女さまは最後の言葉をおっしゃったことは一度としてありませんでした。

 しかし私にはどうしてもその科白せりふが、聖女さまの素晴らしい青の瞳から発せられているように思えて仕方がなかったのです。

 けれども私は、それがただの卑屈な勘違いであるかどうかをたしかめるすべを持ちません。

 聖女さまはきっと、そんな私の卑しい本性を見抜いていたのでしょう。

 太陽のようにまばゆく周囲を照らし、心をあたためる聖女さまは、しかし私に対してはひどく冷淡でしたから。

 きっと、私の醜い嫉妬心を、聖女さまは見透かしていたのでしょう。

 私の幼馴染、義理の弟――そして、婚約者。

 みんながみんな、聖女さまを素晴らしい人物だと褒めそやす中で、私はきっとぎこちない笑みしか作れなかったでしょうから。

 だから聖女さまは私の前ではにこりとも笑いませんでした。

 いつも苛立ったご様子で、私が至らぬ点を挙げては、ため息をついてばかりいたのですから。

 そんなひとを――好きになるのは、愛するのは、少し無茶なことだと思うのです。

 けれどもそんなことはひとことだって言えません。

 態度に出すことだって、できません。

 聖女さまはみんなに愛されているのですから。

 聖女さまが私に冷たく当たっても、みんな、それを当たり前のものとして受け入れています。

 私の至らない点を聖女さまは挙げて、あえて苦言を呈してくださっているのだと、みんなそう言います。

 聖女さまはあえて憎まれ役という泥をかぶって、私のために言ってくださっているのだと、みんなそう言います。

 ……ただひとり、聖騎士さまを除いて。

 聖騎士さまは、聖女さまを素晴らしいひとだとは言いません。

 聖騎士さまは、聖女さまに「愛している」とは言いません。

 聖騎士さまは、「あなたはいつも頑張っている」と言ってくれます。

 私はそれだけで、救われました。

 私が、聖女さまを素晴らしいひとだとは思えなくても、愛することができなくても、聖騎士さまはそれをおかしいことだとは言わないのです。

 それだけで、どれほど私は救われたでしょうか。

 聖女さまから課せられた作業や仕事、修行の日々の中で、私は私が思っていたよりもずっと心を摩耗させていたようです。

 しょせん、私は聖女さまを補佐するための代行。

 かけがえのある存在で、いずれは還俗して家庭人となることを定められている身。

 窮屈な今と未来に押しつぶされそうになって、私の心はだれにも聞こえない悲鳴を上げていたのでしょう。

 それは私自身ですら気づかない悲痛な声でした。

 けれども聖騎士さまはお気づきになられた。

 そして私にお声をかけてくださった。

「どうしても好きになれない人間がいるのはおかしいことじゃありませんよ」

 聖騎士さまの、柔和だけれどもしっかりとした芯のある声に耳を傾けると、私の心は少し軽くなりました。

 神殿つき騎士である聖騎士さまとは、職務柄、顔を合わせることは多かったものの、いずれも交わす言葉は事務的なものばかりでした。

 ですから私はずっと聖騎士さまはとても真面目で、少し怖い印象を持っていたのです。

 私的な言葉を交わすようになってからも、聖騎士さまが真面目なかただという印象はありましたが、もう怖いなどとは思えなくなりました。

 聖騎士さまはとてもお優しいかたです。

 思いやりのある立派なおかたです。

 そんな聖騎士さまですらだれもかれもを愛することはできないのだと思うと、私は心が落ち着くのです。

 いつからか、ぎこちなくしか笑えなかった私の強張った顔も、聖騎士さまの前では不思議とゆるんでしまいます。

 ……きっと、聖女さまか――あるいは聖女さまに近しいかたが、そんな私をどこかで見たのでしょう。

「信じられない! 婚約者がいる身でありながら逢引きだなんて! 汚らわしいわ! 恥を知りなさい!」

 目を吊り上げた聖女さまは、顔を真っ赤にして私を叱責されました。

 私と聖騎士さまはそのように――聖女さまが邪推されるような関係では、決してありません。

 けれども聖女さまはいくら私が言葉を募ろうと火に油を注ぐかのごとくで、烈火の勢いで糾弾をやめません。

 私はその日のうちに神殿内の反省室へと送られました。

 そして夜を三度、そこで過ごしたあと、私は還俗後の婚姻の約束が白紙になったこと、そして地の果てにある神殿で無期限の奉仕を命じられたのでした。

 私は理不尽な思いをすると同時に、しかし窮屈な今と未来から解放された気持ちでいっぱいになりました。

 実際に地の果てにあるという神殿は、物にこそこと欠きましたが、ひとびとはむしろ力強く今を生きていたのです。

 だれかに命じられ、本心を押し殺しながらの奉仕ではなく、この地に生きる人々のために献身したいと、心から思えました。

 ――けれども、この地に骨をうずめる覚悟をして一年ほどが経ってから、唐突に聖騎士さまがやってきたのです。

「聖女様が遠行されました」

 そして聖騎士さまは、私が聖女になったのだとそう告げました。

 聖女代行ではなく、聖女としての初めての仕事は聖女さま――聖女さまを見送ることでした。

 元聖女さまのご遺体は、ひと目見ることすら叶いませんでした。

 ですから、私は葬儀のさなかですら、まだ元聖女さまがどこかで生きておられるような気がしたのです。

 けれども元聖女さまの棺がおごそかに墓地へと運び出され、土がかけられ埋葬されゆくさまを見て、私はようやく元聖女さまはもうどこにもいらっしゃらないのだと思い知りました。

「さよなら聖女さま」

 心の中でそうつぶやくと、元聖女さまは私の中で本当の死人になりました。
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