お姉ちゃんが怒った。

やなぎ怜

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お姉ちゃんが怒った。

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 わたしには年の離れた妹――由花ゆかがいる。

 小学校三年生、今年で九歳になるからわたしとは一〇も年が離れていることになる。

 ちょっと背伸びをしたくなる年頃だからなのか、学校や友人たちの前ではそれらしく振る舞っているようなのだが、家ではまだまだわがままいっぱいで生意気盛り。正直、鬱陶しいと思ってしまうこともある。

 けれどもわたしにとって、由花はそういうところも含めて可愛い妹だ。

 許容できるワガママなら「仕方ないなあ」と言って応じてしまうことも少なくない。

 ――けれども、だ。

 けれども、もちろんわたしも一個の人間であるからして、なんでもかんでも由花の言うことを聞けるわけではない。

 ときには滅茶苦茶な要求を突っぱねることだってある。

 そういうとき、由花はことさら大泣きして見せることもある。

 正直に言って、気分はよくない。けれども可愛がることと甘やかすことはイコールではないのだ。

 わたしは由花の涙に心臓をちくちくと刺されるような感覚を味わいながらも、そういうときは無視してしまう。

 わたしにとって由花は可愛い妹であると同時に、大事な家族でもある。

 だから、由花が間違っていたときは叱るし、ときには罰だって伴う。

 けれどもわたしは生来からよく言えばおっとりとしていて、悪く言えばどんくさい。だから、常識はずれなことを言われたりしても、すぐには反応できずにあとで思い出してイライラしてしまうタイプだ。

 そうであるから、由花を叱るのはもっぱらわたしよりはチャキチャキとしている母親であったり、父親であったりする。

 怒る、という行為にはパワーがいるし、正しく叱るには頭を使う。子供を正しくしつけられる親っていうのは大変で、偉大だ。

「親の心、子知らず」とはよく言ったもので、今はまさに「姉の心、妹知らず」といった状況である。

 話は一ヶ月近くも前に遡る。

 端的に言ってしまうと、わたしと由花は異世界に召喚……もとい、拉致された。

 年頃の少年少女が「異世界トリップ」――なんて物語で見る分にはいいけれど、いざ当事者にされると戸惑いを覚える。

 わたしは別に現状に不満を抱いているわけでもないし、この世からの消失を望む自殺志願者でもない。

 だから急に異世界に拉致されて、お決まりのように「聖女がどうのこうの」という口上を述べられても、戸惑うことしかできなかった。

 幸いだったのは「聖女がどうのこうの」という仕事を終えれば、元の世界に帰してくれる――帰す方法がある、ということくらいか。

 わたしだってもちろん馬鹿じゃないので、それがウソの可能性についても考えた。

 けれどもこんなことはいざその段にならなければ、ウソかどうかなんて知るすべはない。

 考えに考えた末、それが本当だと仮定することでわたしはどうにかこうにか、精神の均衡を保つという選択肢を取った。

 聖女の仕事は、「他人に祝福を与える」ことだった。ざっくりとした内容の仕事である。

 異世界の人たちはその仕事は簡単だということをやたらに強調してきた。

 そんなに簡単な仕事だったなら、したい人間はたくさんいるんじゃないかと思う。

 けれどもそこはお決まりのように、異世界の人から見て異なる世界の人間にしか「他人に祝福を与える」ことはできないらしい。

 しかも、その仕事を終えた場合、これからの人生が上手く行く「加護」みたいなものを与えられるとのことだ。

 なんだかなあ、というのがわたしの感想である。

 なんだか変な宗教の勧誘にでも引き留められた気分だった。

 実は「祝福」を与える仕事は命を削る行為だ、とか説明された方が納得が行くような……やっぱりそんな展開はごめんなような、複雑な気持ちである。

 わたしがそうやってうんうん大してよくもない頭を回転させている横で、由花はなぜかはしゃいでいた。

 理由を聞けば、最近読み始めたネット上のアマチュア小説にそういう展開がよく出てくるらしい。

 けれども由花がわくわくしていたのは途中までで、「聖女うんぬん」に該当するのがわたしであるということが判明してからは、妹はわかりやすいほどガッカリしていた。

 一方のわたしは早いとこ由花のドリームが粉砕されてよかったと安堵した。

 万が一にも「聖女うんぬん」に該当するのが由花だった場合、調子に乗って「元の世界に帰りたくない」なんて言い出したらどうしようと戦々恐々としていたのだ。

 九歳の由花はまだまだ視野が狭く、昔から調子に乗りやすい――乗せられやすい――性格をしている。

 だからもし異世界に来て不思議な力を授かって、周囲の人間にちやほやされたら調子に乗ってそんなことを言い出したとしても不思議ではないと、わたしは思ってしまったのだった。

 しかし幸いにも「聖女」とやらはわたしで、由花は単に巻き込まれただけらしいということがわかったので、わたしのそれは杞憂に過ぎなかったわけだが。

 とにもかくにも、こっちが聖女の仕事をしようがしまいが、元の世界へ帰す儀式をするのには最低でも準備に一ヶ月半はかかるらしく、わたしは仕方なくうさんくさい「祝福を与える」仕事とやらをすることになった。

 衣食住は保障されるとのことだったので、仕方なく腹を括った次第である。さすがにこちらに一切の非がなくとも、一ヶ月半も食っちゃ寝を突き通せるだけの度胸は、小心者であるわたしに備わっているはずもなかった。

「祝福を与える」仕事はとにかくそれっぽく念じるだけでいいらしい。そうすると祝福を与えたい相手がぽわっと蛍の光のようにひかって、それでOK。拍子抜けするほど簡単である。

 それよりも面倒で疲れたのは、毎日のように長蛇の列をなす「祝福」を欲する人間たちを相手にしなければならないという点だ。

 一日中ニコニコ笑顔でいて、それっぽい恭しい言葉づかいをせねばならなかったので、わたしの顔の筋肉は酷使に酷使を重ねることとなった。

 わたしは毎日のように早く仕事が終わることを祈り、夕暮れ時が近づけばわかりやすいほど心を元気にさせた。

 そして眠気で朦朧とする意識の中夕食を胃の中にかっ込み、ベッドに入ると即就寝。泥のように眠った。

 そんな感じだったので顔色は常に悪く、化粧で誤魔化すのが日常となっている。

「聖女」の仕事はたしかに簡単だった。簡単だったが、単純作業を流れで繰り返さなければならないというのは、思ったよりもキツイものがあった。

 まだふわふわと気楽に生きていける大学一年生にして、わたしは社会の厳しさの一端を少ないながらに学ぶことになったのであった。

 わたしがそうやって四苦八苦しているあいだに由花はなにをしていたかと言うと、異世界人側の好意で短期間だけ「学院」とやらへ通うことになっていた。

 この世界には貴族制度があるものの、「学院」は身分の上下関係なくすべての子供を受け入れる学校機関であるらしい。

 この世界に存在する魔法のお陰で言語の隔たりも存在しないので、由花はなんの問題もなく「学院」で勉強出来るだろう。一ヶ月半もグータラさせるのもなんだからと、わたしはその提案を受け入れたわけだ。

 問題は由花である。

 当初は「異世界の学校」ということではしゃいでいたのだが、ものの一週間でホームシックにかかり、通学を嫌がり始めたのだ。

 ならば学校に通わず自宅学習でもすればいいのではと提案すれば、それはそれで嫌らしい。

「学院」の毛色の違う生徒ということでイジメられでもしたかと思えば、そういうこともないようだ。由花本人も他の生徒は優しいと言ってはいた。

「早く家に帰りたい」と由花に言われ、わたしは困ってしまった。

 だって、それはわたしの力でどうこう出来る問題ではない。

 ここは出先のデパートではなく、異世界なのだ。手持ちの金でどうにか出来る場所ではない。

 仕方なくわたしは由花をなだめすかして、「学院」に行くのが嫌ならあてがわれた離宮にいればいいと言った。

 由花は「わかった」と言って一応納得はしてくれたようだ。

 そしてまたわたしは聖女としての慌ただしい日々に流されて、由花とはほとんど顔を合わせることなく、気がつけば異世界にきてから一ヶ月が経っていた。

 わたしに落ち度があるとすれば、由花のことを他人任せにしていたことだろうか。

 他人の口から聞かされる、由花が「学院」に普通に通っているという言を鵜呑みにしていたことだろうか。

 とにもかくにもある日突然爆弾が降ってきて、それは爆発した。

 ――由花が婚約者のある男といちゃこらしている。

 それはわたしにとって爆弾にも等しかった。

 ゾンビのようになりながらも、久しぶりに与えられた休暇を楽しもうとしていたわたしの元へやってきたのは、由花とそう歳の変わらない女の子が三人。

 年上であり聖女でもあるわたしに皆気後れのようなものを感じながらも、一様に意志の強い瞳を持ってやってきた。

 話してみてまず驚いたのは彼女らが丸きりわたしと同年代くらいの女の子のような、しっかりとしたしゃべり方をすることだろうか。

 正直に言って元の世界のわたしと同じ大学生でも、もっと言葉遣いがなってない人間がごろごろいる。

 次に驚いたのは彼女らが貴族――というのは見た目でわかっていたが――で、齢一〇ほどですでに婚約者のある身である、ということだった。

 貴族であれば早々に婚約者が決まっている、というのは驚くべき話でもないらしいということに、わたしは二度驚いた。

 そしてさらにわたしを――悪い意味で――驚かせたのは、彼女らの婚約者と妹が学院でいちゃいちゃしているということである。

 いや、彼女らは「いちゃいちゃ」などと俗っぽい言葉は使わなかった。

 かなりの言葉をかけて、学院でたびたび開かれるお茶会の場で仲睦まじくして、それを隠そうとしていないということをわたしに訴えたのだ。

 つまり、姉であるわたしから妹に一言物申してやってくれ、ということである。

 どうやらすでに直接、婉曲に婚約者のいる男といちゃくつくな、というようなことは言ったらしいが、由花は聞く耳を持たず、仕方なく姉であるわたしに直談判しにきた――というのが今回の訪問の経緯であるらしい。

 わたしは由花がそんなことをしているとは露ほども知らず、また身内のひいき目ゆえに、まさかそのようなことをしているとは思いたくなかった。

 しかし目の前にいるきちんと筋道立てて話せるご令嬢たちが、ウソをついているとも思えなかった。

 だがわたしが改めてリサーチした結果、ご令嬢たちの言っていたことが真実であることがわかる。

 由花の世話を任せていた侍女さんたちは皆口を濁して割らせるのに苦労した。しかし最終的には由花がいわゆる貢がれている状態であるということまで判明して、わたしは頭を抱えた。

 そしてわたしは悩みに悩んだ末、無理くりに聖女の仕事を一日休みにさせて、由花の通う学院へ直接赴くことにしたのであった。

 もちろん、由花が婚約者のいる男といちゃこらしている現場を押さえるためだ。

 押さえて、それからどうしようかまではハッキリと考えていなかった。

 ただ、気まずい現場を身内である姉に押さえられれば、由花だって反省するかもしれないと、かなり楽観的に考えていたのだった。

 しかし、わたしが学院にきてまず驚いたのはその禍々しい空気だった。

 お付きの侍女さんや騎士さん、学院付きの女中さんはなにも感じないと言うその空気。

 聖女にしか感じ取れないものなのかもしれないと考えたわたしは、由花に会うより先にとその禍々しい空気の根源へと迫ることにした。

 望まずとも聖女らしい行動が板についてしまっているのは、泣けばいいのか笑えばいいのか。

 そしてわたしはいともたやすく、その禍々しい空気の根源へとたどり着いた。

 鮮やかな花々が咲き誇るその中庭は、お茶会を開催するにはうってつけの開けた場所で――そこにいるのがまるで当たり前のような顔をしている由花が、四人の男たちに囲まれてドヤ顔を披露していた。

 わたしはうしろに控えている、学院側から使わされた案内役の女中さんを振り返った。

 心得たもので、女中さんは「あちらはナントカ男爵子息のナントカさま」「あちらはナントカ伯爵子息のナントカさま」と一人一人説明してくれる。

 学院は平民でも通えると先に聞いていたのだが、由花に侍っている男子たち――いずれも一〇歳前後に見える――はすべて貴族の子息であるらしかった。

 わたしは深呼吸をすると勇気を持って一歩前へと足を踏み出した。

「由花っ! これは――どういうことなの?」
「お、お姉ちゃん……?」

 ドヤ顔を晒していた由花はわたしの姿を認めるや、さっとその顔に気まずさを覗かせる。

 どうやら自分が調子に乗った態度を取っているという自覚自体は彼女の中にあるようだ。そのことに、わたしは一度安堵する。

 由花の周囲にいた四人の男子たちは、突如現れた不審な女ことわたしの登場にざわつく。

「お姉さまですか?」取り巻きのひとりの言葉に、由花は「まあね」と気取った返しをする。家族に対してはそんな返事はしないことを鑑みると、由花の自我の発達を喜ぶべきか、ちょっと考え込んでしまう。

「……で、なんの用?」

 またしても背伸びした様子で言葉を続ける由花に若干イラッとしてしまう。

 しかしそんなことよりもまずは聞きたいことがあった。

「そんなこと、言わなくてもわかってるんじゃない? それよりも由花、最近なにか変わったことはなかった? なんか空気がおかしくて――」

 そこまで言ったところで、先ほどから感じていた禍々しい空気がさらに淀み、中空でぐにゃりと渦を描いた。

「ぎえっ」と大変現実的リアルで可愛らしくない声を上げた由花に、取り巻きの男子たちが「なんだこれは?!」と続き、白い優雅なイスから半立ちになる。

 巨大な空気のよどみは由花のすぐ背後で渦を巻き――やがて収束する。

 しかしわたしの目にはさらなるよどみが増えただけで、禍々しい空気が消えたわけではないということは明らかであった。

「――ククククッ……お初お目に掛かるな……今代の聖女よ」
「なっ、なにこれ?!」
「ユカっ、離れて!」

 わあわあキャアキャアと先ほどまで和やかだったお茶会の場は騒然となる。

 かく言うわたしも目の前の異常事態に唖然となってしまった。

 うしろに控えていた騎士さんたちはさすがに訓練を受けているだけあって、空気が奇妙に渦を巻き始めたときからサッとわたしと侍女さんたちを背に隠すようにして前に出てくれていた。そのスマートな所作には惚れてしまいそうだ。

 現れたのは、ひとことで言うと「悪魔」だった。いや、実際にそれは正真正銘の「悪魔」らしかった。

 姿を露わした悪魔はお茶会のテーブルの上で浮遊しながら、余裕たっぷりに話を始める。

 婉曲的でクソ長い話を要約すると、悪魔は聖女を排除するために使わされた存在であるらしい。

 しかし聖女の力は強大であるため、まずはその妹である由花をターゲッティングした。

 由花はほいほいそれに引っかかり、悪魔のアイテムに手を出した。ちなみに道に置いておいたらしい。由花、そんなものを拾うな。

 そして由花は悪魔のアイテムを大いに使用して、逆ハーレムを築いた――。

「まずはお前の妹から餌食にして――グエッ」

 わたしは怒った。ただでさえ忙しい聖女ひとの仕事を増やすなと言いたかった。あとひとの妹になにをしているんだと思った。

 その怒りは拳となって悪魔の顔面にめり込んだ。

 悪魔は死んだ。

 いや、死んだかはわからないが、消えた。

 同時にあれほど重苦しかった、禍々しい空気は雲散霧消し、悪魔のアイテムのせいで由花に好意を抱いていたらしい男子たちも、目を覚ましたようだった。

 そして目を覚ますと同時に今までの自分の行いが道義的にもかなりマズイということに気づいたらしい。

 可哀想に、まだ一〇歳前後だと思しき男子たちはその場でうろたえ、ある者は非常に気まずげに由花を見た。

「さすがです聖女さま!」

 わたしはそんな歓声を浴びつつ、再度由花を見やった。

 由花はこの流れについて行けていないらしく、ポカーンとした表情で先ほどまで悪魔がいた場所を見つめていた。

「由花、逆ハーレムごっこはおしまいだよ」

 わたしの言い方にカチンときたのか、由花はムッとした顔をしてから周囲にいる男子たちを見まわした。

 男子たちはちょっとムゴいが、由花の視線から逃れるように顔をそらす。

 わたしたちの世界にいる一〇歳前後の男の子よりも精神が成熟しているとは言え、やはりまだまだ子供なのだろう。

 どうしていいのかわからないらしく、みな一様に気まずそうな顔をして明後日の方向を見ていた。

 ひとりだけ気遣わしげに由花を見ていたものの、やはりその表情はどこかカタい。

「そんな言い方、ないと思う」
「……そうだね。ごめんね。でも、婚約者のある男の子にちやほやされて、注意も聞き入れなかったのはよくないと思うよ。あと、道に落ちている物は軽率に拾っちゃダメだよ」
「そんなの言われなくってもわかってるし。でもみんな由花のこと好きって言ってくれたもん。好きっていう気持ちにはウソついちゃいけないと思う」
「そうだね。だれかを好きだって気持ちは大切だと思うよ。でも、結婚の約束をしている女の子がいる男の子が、他人のことを恋愛的に好きって言うのはね、やっちゃダメなことなんだよ」

 わたしはなるべく優しくわかりやすく言おうとした。

 ぶっちゃけるとお母さんみたいにどうにか由花を説き伏せようとした。

 しかしそれは失敗してしまったらしい。

 由花の顔は強張って、同時にその心も、わたしの言い分に対して反発を抱いていることは明らかであった。

「なんで? 親に決められた人と結婚しなきゃいけないなんて可哀想だよ」
「可哀想かどうかは本人たちが決めることだと思うよ。うわべだけ見て、型にはめて『可哀想』なんていっちゃダメだよ」
「みんな由花のほうが好きだって言ってたもん。ね? ね?」

 由花は苦しげな様子で周囲の男子を見やったが、その声に応えられる者はいなかった。

「ダメなものはダメなんだよ、由花。こっちの世界でだって浮気とか不倫はダメな――んですよね?」

 まさかいいわけはなかろうと思いつつ、後ろに控えていた侍女さんたちに尋ねる。

「もちろんです」との言葉にわたしは安堵した。よかった。世界が違っても浮気や不倫はダメなんだな。

「姦通罪は男女ともに両手首を切り落としたのち、晒し刑に処されます」

 侍女さんから淡々と告げられた言葉に、問いかけたわたしの方が恐れおののいてしまう。

 由花は「姦通罪」や「晒し刑」という語はわからなかったようだが、「手首を切り落とす」というパワフルすぎるワードにビビったのか、若干目を見開いている。

「でもでもでもっ、由花のこと好きって言ってくれたのはウソじゃないし! なんでコンヤクシャがいるからって好きって言われるのはダメなの?! そのコンヤクシャに夢中になれない、魅力がないから悪いんだよ!」

 今思い返すと、由花の言葉はきっとドラマかなにかから影響を受けたセリフのような気もする。

 けれど、それは地雷だった。

 わたしには大地雷だった。

 それは遡ること高校一年生のころの話である。忘れもしない夏休み前のある日、わたしはクラスの男子に告白されて人生初の彼氏ができた。そして忘れもしない夏の終わり、わたしは彼氏を寝盗られた。

 元彼氏の軽薄すぎて道徳心の欠片もない言動は、ムカつきすぎたからなのか、もはや思い出せない。

 それよりもわたしの心に突き刺さったのは、彼氏を寝盗ったクソ女のセリフである。

堂島どうじまさんってホント魅力ないっていうか~ホント魅力なさすぎてダイキ(元カレの名前)が可哀想過ぎるっていうか~マジ魅力なさすぎるから~こんなカンタンに彼氏奪われちゃうんだよお~? わかるぅ~?」

 昔のわたしは今よりもずっと大人しくて地味だった。だからクソ女のツラひとつ張り飛ばせず、涙をこらえるしかなかった。今思い出しても業腹である。張り手どころか拳で応じてもよかったと、今なら言える。

 今でもふと思い出すたびに枕を拳で殴りつけてしまうくらい、未だに消化できていない思い出である。

 だから「魅力がないから悪い」という浮気女のセリフは、わたしにとっては大地雷だった。

 しかも身内である妹からそんなセリフが出たことにわたしは動揺し、今思うに暴走した。これはあとで大いに反省した次第である。

 ……こーいうやつは、こちらがいくら言葉を尽くしても、理解なんてひとつもしてくれない。

 わたしの頭はそんな思考で埋め尽くされた。

 唐突に黙り込んだわたしを、侍女さんたちがハラハラしながら見ている様子を空気で感じた。

 由花も由花で、あんなことを言ったものの、単に引っ込みがつかなくなっての言葉だったのだろう。気まずそうな顔をして、「だって、お姉ちゃんばっかりちやほやされてズルイ」と言いながら、視線を足元の青芝へと寄越していた。

 しかし由花のしぼり出すようなその声は、わたしには届かなかった。

 わたしは由花のもとへ、スーッと近づいた。

「由花」

 いつになくドスの効いたわたしの声に、由花がびっくりしたような顔をする。

 しかしいつもなら由花には甘いわたしは、そのときはそんな由花の様子を気にも留めなかった。

「由花、おしりペンペンするから、おしり出して」

「え?」
「おしりペンペンするから、おしり出して。ほら」
「え? え?」
「おしりペンペンするから、おしり出して。ほら、早く」
「え? え? え?」
「おしりペンペンするから(以下略)」

 わたしは壊れた機械のように何度もその言葉を繰り返した。

 完全に据わっていただろうわたしの目と、ドスの効いたその声に場の空気は極限まで凍りついた。

 取り巻きだった男子たちも、騎士さんも、侍女さんたちも、わたしの得も言われぬ迫力になにも言えず、わたしと由花を見つめるしかなかった。

 由花は助けを求めて視線をさまよわせたが、ついぞ助けはこなかった。

「ご、ごめんなさあい……」

 わたしの迫力に負けて涙目で謝罪をした由花の言葉と謝罪行脚をもって、この馬鹿馬鹿しい逆ハーレム騒動は終焉したのであった。


「……なーんてこともあったよね~」
「わー! 言わないでよお姉ちゃん! それ、あたしの中じゃ黒歴史になってるんだからね!」

 あれから五年。無事に元の世界へ帰れたわたしは五年という月日の中でなんとか社会人となり、由花は中学生になっていた。

 肉体的にも精神的にも成長した由花の中では、例の逆ハーレム騒動は完全な黒歴史となっているらしく、気軽な気持ちでからかったこっちが申し訳なるくらい顔を赤くしてあわあわと慌てている。

「まー黒歴史って言えるようになってよかったじゃない。さすがに中学生にもなってあのときのことが反省できてなかったらマズいし……」
「まあね。うん。お姉ちゃんもありがと」
「え?」
「あたしのために叱ってくれて。でなきゃ今でもクソ女だったかもしれないし」

 よもや単に地雷を踏まれたからあそこまで怒ったとは言いづらい。

 しかしそこまで考えて感謝の気持ちを述べられるようになった由花からは、確実な成長を感じられて感慨深かった。

 そして驚くべきことがひとつ。

「お姉ちゃんがあたしの目を覚ましてくれなきゃ、リーくんも本気であたしのこと見限ってたかもしれないしね」

 リーくんとはあのときの由花の取り巻きであった男子のひとり、リー・ギレットくんのことである。

 あのときは気づかなかったが、直談判にやってきたご令嬢は三人。由花の取り巻きは四人。リーくんだけは唯一婚約者や恋人のいない男の子だった。

 なんでも出自が複雑らしく、学院でもちょっと距離を置かれていたが、由花が強引に逆ハーレムに加えた男の子とのことである。

 けれどもリーくんはそれを最大限いい方向に解釈したらしく、強引ながらも自分を輪の中に入れてくれた女の子、という認識で由花に対して感謝の念を抱いていたらしい。

 そしてその感謝の念は恋心となって、しかし逆ハーレムを築いている由花には言い出せず、逆ハーレムの中で悶々としていたらしい。

 それが爆発したのが由花が帰る直前になって。

 わたしやら侍女さんやらがいるのもお構いなしに、由花に熱烈な愛の告白をしたのであった。

 普通の物語だったらここで涙の別れ……となるのだろうが、そこは異世界の魔法力。

 一度召喚した異世界人は特殊な魔法式を組み込んだアイテムを使えば、なんと異世界と元の世界を行き来できるようになると言うのだ。

 なんだそれは、とわたしは思った。

 呼ぶのに一ヶ月、帰るのに一ヶ月半かかるんじゃないんかい。

 曰く、一度来て、帰らないとホールとやらが安定しないとかなんとかかんとか……。

 ただ、最初に異世界人を召喚する労力はかなりのものなので、そのアイテムもほぼ使い道がないものだったそうなのだが……。

 くだんのアイテムは指輪という形で由花に手渡された。もちろん、わたしという聖女の後押しがあったことも、スムーズに由花へとアイテムが手渡された背景にある。

 でもやっぱり、なんだかんだみんなハッピーエンドが好きなんだろう。悪用されるかもとかいうもっともな反対の声がありつつも、最終的に異世界のみなさんは由花にアイテムを委ねてくれた。この点は、今でも感謝してもしきれない。

 このままお付き合いが続いたら、将来的にどうなるのかわからない。

 由花が異世界に移住するのか、はてまたリーくんがどうにかこちらに来てしまうのか……。

 でも、まあ、姉としてはどちらにしても最大限応援する次第である。

 そんなことよりも、だ。

 聖女を務めあげたわたしには、これからの人生ハッピーにすごせる加護が与えられるはずである。

 はずであるのだが、未だに彼氏のひとりもできないのはどういうことだろうか……。

 加護がうんぬんという話はウソだったのだろうか……。

 いや、でも、就職が上手く行ったからウソじゃないのか……。

 由花ばっかりズルイ……などと大人げなく思ってしまうわたしであった。
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