突然結婚したわたしの話

あせき

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梶塚家にご挨拶7

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「あ……え、えぇと、ごめんなさい。わたしったらみっともなく取り乱してしまって……」

 ――でも少し放っておいて欲しいほど恥ずかしい。
 だけれどここは強い意思を持って、今すぐ穴に入りたい衝動を抑えて立ち向かわなければならない現実に、わたしは平静を取り繕う。
 改めて思い返すまでもなく、この場には梶塚くんの父親も、さらには年頃の妹さんまでいたのだ。
 結婚の挨拶をするために訪れた真面目な席のはずが、いったいどうしてあのように縺れ込んだのかちょっと理解が追いつかないが、ここでさらなる醜態を晒すわけにはいけない。
 とは言っても心臓はまだ痛いし、顔もまだ火照っている。
 名誉挽回したいのは山々だが、少し大目に見てもらいたい。
 客観的に見ても少し、いや、かなりキワドイ体勢だっただろう。
 だからこそ郁真くんのお父さんも怒鳴り声を上げたのだろうし、こうして幸音さんにまで心配を掛けてしまって……なにか違和感を感じるのは気のせいかしら?
 一連の流れにどうもなにか引っかかるものを感じるが、恥ずかしさのせいか思考が上手く働かず、つい頭を押さえてしまう。

「その……祥子さん、無理してませんか?」
「え?」
「正直に言ってください。万が一のことがあっても祥子さんは父と二人で守りますから安心してください」
「ええ?」

 想像以上に何か妙な心配をされている気配を感じていると、やけに真剣な顔つきで幸音さんは続けて言った。

「兄さんに、なにか脅されたりとかしてるんじゃないですか?」
「え……おど、ぇえ!?」

 しかしその物騒で突飛な話に耳を疑う。
 わたしの知っている梶塚く……郁真くんからは想像しがたいが、兄妹だからこそ見せるそんな意外な一面があるのだろうか。
 だけど、どうしてわたしに対してそんな一言が今出てくるのか、そんな脅されているように見える場面があっただろうか。わたしのこのハッキリしない態度が原因だろうか。全くの聞き間違いで、実はなにか「オドサレ」というわたしの知らない若者言葉的ななにか新しい単語でもあるのだろうか。
 真意がわからず戸惑っていると、

「幸音は何をバカなこと言ってるんですか」

 離れたところで言い合っていた二人が話を切り上げ戻ってきたようだ。
 郁真くんが幸音さんに言いながら、その隣に腰を掛ける。

「ちょ、なんでこっちに座んの?」
「……俺だって祥子さんの隣がいい」

 声だけでなく珍しく顔まで明ら様に不満げな郁真くんはそう零し、郁真くんのお父さんはわたしに向かってすみませんとまた頭を下げた。

「本当に申し訳ありません祥子さん。うちの息子が失礼を」
「そ、そんな謝らないでくださいっ。こちらこそ、その、みっともない姿をお見せしてしまいすみません」
「いえいえ、全部常識を投げ捨てた郁真のせいですから」

 常識を投げ捨てただなんて極端な言い回しに驚きつつ、ちらりと郁真くんの様子を伺うと視線に気付いたのか笑顔を向けられた。
 それだけのことになぜだか不思議と安堵する。
 いや、冷静に考えてみれば梶塚家ではこれくらいよくある掛け合いなのかもしれない。
 思い返してみると「キモチワルイ」やら「バカ」と言った暴言、罵り言葉が既に自然と交わされている。父子家庭で男性比率も高い家庭なのだからきっと日常的に軽いコミュニケーションとして使用されているのだろう。
 安堵した理由を自分の中で納得させたところで、郁真くんのお父さんが様子を伺うように声をあげた。

「えー……まぁ、その、あれです。私からは郁真と結婚していただいた感謝と、今後も恐らく多大なるご迷惑をかけてしまうだろうことをですね、きちんとお伝えしたかったんです」

 郁真くんのお父さんが席に着き、改めて仕切り直すかのように繰り返された言葉に、今度はただ耳を傾けた。
 もちろんまだ「申し訳ない」という気持ちも「悪いことをした」という漠然とした罪悪感も感じたままだけれど、なんとなく……そうなんとなく、またなにか余計なことを言って余計な事になってしまうことを少しばかり危惧しただけだ。
 郁真くんのお父さんはそれから、ふと微笑んだ。

「それから、もし郁真のことを含めてなにか困ったことがあれば、私は祥子さんの味方をするので遠慮なく助けを求めてください。あなたも、もう梶塚家の一員ですから」
「郁真くんのお父さん……」

 ここに来るまで、ずっと、どう考えてもなにかしら言われることを考えていた。
 例え信頼する息子の頼みでも、頼みを聞いた後でも、『教師』のくせに挨拶も出来ない人が息子と結婚するなんてと、『教師』のくせに生徒を誑かして恥ずかしくないのかと、『教師』のくせに生徒に何を教えているんだと言われても、そもそもの年の差を考えても父親の立場からしたらわたしに対して否定的であって全くおかしくはないのだ。
 それなのに、まさかこんなに、あっさりと言っていいほどすんなり受け入れてくれるとは信じられなくてつい、言ってしまう。

「ほ、ほんとうに良いんですか?わたしなんかが郁真くんと結婚してしまって……」
「祥子さん、もう俺たち結婚してますからね?」
「郁真」
「……」

 空かさずわたしの失言に訂正を入れる郁真くんを一言で黙らせる姿は流石父親というべきだろうか。

「お義父さんと呼んでくださっても結構ですよ、祥子さん」

 しかし、気を取り直すように言われたその提案に、わたしは素直に頷くことが出来なかった。

「で、でも……」
「いつまでも『郁真くんのお父さん』じゃ、少し余所余所しいではありませんか。遠慮しないでください」

 言い淀むわたしに、郁真くんのお父さんはそう言ってくれたのだが、申し訳ないことにどうしても抵抗がある。
 教師として、誰それのお父さん、お母さんと呼び慣れているからと言った理由ではない。
 単純に、自分勝手な気持ちの問題だ。

「その……そう年の変わらない方をお義父さんと呼ぶのは、ちょっと……」
「「え」」

 郁真くんのお父さんと、幸音さんが声を揃える。

「「え?」」

 間を置いてもう一度声を揃えて、ばっ、ばっ、と二人してわたしと郁真くんを見た。

「なんですか二人して」

 郁真くんが二人に不思議そうに返すのがなぜだかまた恥ずかしい。

「……えー……そう、だったんですね……その、すみません。いや、あの、お若く見えますね」

 これはフォローされているのだろうか、余計に恥ずかしく感じて居たたまれない。
 ……いくつだと思われていたのかしら?

「その、梶塚誠司です。どうぞお好きなようにお呼びください」

 改めて自己紹介されて、右手が差し出される。
 どうなる事かと思ったし、まだ恥ずかしさも消えてない。
 心の中は未だ落ち着きの欠片もないけれど、わたしにその手を取らないという選択肢はない。

「その……何卒よろしくお願いします、誠司さん」

 ――しかしまさか、この日家に帰ると「お義父さん」呼びにするよう郁真くんに土下座で頼まれることになるとは、この時のわたしは露程も思わなかった。
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