11 / 19
第一話 「ディンバー公子街へ行く」
第十歩 みな、誰かのために
しおりを挟む
「てめぇ、なに」
「なにしやがるって? それは俺のセリフだよ。お前、なに言ってんだよ」
ディンバーは床に落ちた地図を拾い上げた。丁寧に伸ばす。
「……これが「こんなもん」なのか? 俺には立派な地図に見えるけどね。壁に貼ってある帝国地図もいいものだけど、これは発行元もちゃんと中央図書学院となっているし、見る限り古いだけでその正確さも申し分ない。何より等高線が描かれてて、石灰岩や花崗岩のマークも入っている。良い地質学図だね。地質学図は7年前から発行されてるけど……これは5年前のか、まだまだ使えるね」
ディンバーはメイとジルの前に再びしゃがみこんだ。
「二人はこれを買いに行ったんだね。これが良かったんだよな」
メイとジルは一度顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
「壁を塞ぐためでも、花を包むためでもなく」
再び二人が頷く。
「……プレゼント、だったんでしょ」
メイの瞳に見る見るうちに涙がたまった。その隣でジルも唇を噛む。
「キールへの、プレゼントだったんでしょ?」
とうとう二人ともが泣き出した。その二人を両手に抱くようにして、ディンバーがその背中をなでてやると、ますます二人はしゃくりあげるように泣き出した。
「キールが、家の人を大事にしているのはすぐに分かった。特にこの家をみたら、すぐにね。扉の取っ手は下の方に付けられてるし、家の造りも丁寧だ。ベッドは二つ、母親と弟妹たちのものだね。君は床で寝てる」
ディンバーは本に囲まれた布を指差した。
「そこでしょ、君が寝てるのって。……キールは自分をスラム出だって言うけど、文字が読めて、貴族との話し方を知ってて、しかもこの国の最高紙幣を見たことがあるってのも気になっていたんだよね。教育をうけたのか、それを教える人がいたのか、自分で習得したか……いずれにしろ、キールには「学」がある。ってことは、ここにある本は多分キールのだろ」
キールの代わりに、弟妹たちが頷いた。
「地質学、土壌、地図。キールの本については内容が分からなくても、地図はわかったんだよ。そして本の表紙に書かれた絵を見て、石もキーポイントになった。そうしているうちにこれを見つけたんだよ。石の絵が描かれている地図をさ。おりしも、キールの誕生日は明後日」
「は?」
ディンバーはにやりと笑って壁を指差した。
「かわいい花のマークがついてるよ」
やっと落ち着いてきた二人をベッドに座らせ、ディンバーもその隣に腰を下ろす。
「キールの口ぶりからすると、お母さんは体調を崩してるんじゃないかな。だから、夜中は薬か何かで眠ってるのか、何しろキールがいなければ二人はこっそりと家を出ることができた。いつもキールは夜には家に帰ってるみたいだから、二人にしたら、いつ夜市にプレゼントを買いに行こうかと焦っていたんだと思う。古地図なんてなかなか普通のお店じゃ買えないもんね。これまでにも何度か夜市に行ってるんじゃないかな。商品に目星をつけて、お金をためて。本当なら仕事終わりにぱっと行って帰ってくるつもりだったんだろうね。でも、急に忙しくなってしまった。キールが家を空けたから。それで、仕事が終わったら夜になってしまい、母親が眠って、今日はキールが帰ってこないと判断してあわてて家を出た」
そこでディンバーは口をつぐんだ。
「ごめんね。キールを引きとめたのは俺なんだ。ちょっと楽しくなっちゃってさ、帰らないでほしかったら。でもキールが帰ってたら君たちは外へは行かなかったよね。じゃぁ、外に出たのは俺のせいで、君たちが怒られたのも、その傷も俺のせい。だから、謝らせてくれる?」
ディンバーは一気にまくしたてると、立ちあがって二人の前で頭を下げた。
「ごめんなさい」
二人はびっくりした顔をしたまま固まっていた。
「……それは、お前のせいじゃないだろ」
キールはばつが悪そうにぼそりという。立ち上がり、椅子に腰をかけると、苦笑した母親から水でぬらした布を受け取っていた。
「そう、おれのせいじゃないか。じゃぁ、誰のせいかな」
「それは……規則を」
「確かに陽が落ちてからの子供の外出ってのはいただけないね。でもさ、これはやりすぎでしょ。叱って家に返せばいいでしょ。それに罰金? 誰に迷惑かけて罰を受けるんだ?」
くるりと振り返ったディンバーは声を落とした。
「キール。間違えるなよ」
ディンバーはじっとキールを見つめる。
これまでも何度か見た瞳だった。怒ってるのか、悲しんでいるのか。
「いいか。青年会とやらが夜間外出した子供の足を、こんな風になるまで傷つけるのはおかしいんだ」
「……おかしい?」
「そう。足を無くした子もいるっていうけど、比べるなよ。こんな風に傷つけられたことに怒れよ。簡単に自分を折るなよ。最初から自分を下に置くなよ。家族を下に置くなよ。ちゃんと考えろ、でないとずっと気付かないままだぞ」
キールはその言葉の意味を考えるかのようにじっと自分の手元を見つめた。
その様子に、ディンバーは少しだけ息を吐く。
「せかしすぎたかな……。なぁ、キール、……宿を飛び出した時、何を考えてた?」
キールはのろのろと顔を挙げて、少し逡巡してからゆっくりと、記憶をたどるように口を開いた。
「……何って……もしかしたら、足を、切らなくちゃならないような怪我をしてるかもしれないって、もしかしたら……し…」
キールが大きく息を吸った。
ディンバーはキールの傍に歩み寄ると、その肩に手を置く。
「大丈夫だ。生きてるし、彼女の足も治る」
「なんで、家にいなかったんだろって……俺……」
「そうだな。家にいればよかったって思ったよな。俺も思ったよ。帰してやれば良かったって。ここに着いて、聞こえたのがどなり声で良かった」
キールが小さく鼻をすすった。
小さな足音がキールの周りに集まる。
「ごめんね。ごめんね兄ちゃん。俺、もっとちゃんとするから。ごめんなさい」
「ごめん。泣かないで。ねぇ、泣かないで」
おそらくキールは父親代わりで、厳しいけれど頼れる兄で。母親も病弱なら、キールは一人でこの家を守っていたのだろう。
地図をキールに手渡すと、そのままキールは古びた羊皮紙に顔をうずめた。
「メイ、ジル。ありがとう。大事にする。大事にするよ」
その時、乱暴に扉が開けられた。
「なにしやがるって? それは俺のセリフだよ。お前、なに言ってんだよ」
ディンバーは床に落ちた地図を拾い上げた。丁寧に伸ばす。
「……これが「こんなもん」なのか? 俺には立派な地図に見えるけどね。壁に貼ってある帝国地図もいいものだけど、これは発行元もちゃんと中央図書学院となっているし、見る限り古いだけでその正確さも申し分ない。何より等高線が描かれてて、石灰岩や花崗岩のマークも入っている。良い地質学図だね。地質学図は7年前から発行されてるけど……これは5年前のか、まだまだ使えるね」
ディンバーはメイとジルの前に再びしゃがみこんだ。
「二人はこれを買いに行ったんだね。これが良かったんだよな」
メイとジルは一度顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
「壁を塞ぐためでも、花を包むためでもなく」
再び二人が頷く。
「……プレゼント、だったんでしょ」
メイの瞳に見る見るうちに涙がたまった。その隣でジルも唇を噛む。
「キールへの、プレゼントだったんでしょ?」
とうとう二人ともが泣き出した。その二人を両手に抱くようにして、ディンバーがその背中をなでてやると、ますます二人はしゃくりあげるように泣き出した。
「キールが、家の人を大事にしているのはすぐに分かった。特にこの家をみたら、すぐにね。扉の取っ手は下の方に付けられてるし、家の造りも丁寧だ。ベッドは二つ、母親と弟妹たちのものだね。君は床で寝てる」
ディンバーは本に囲まれた布を指差した。
「そこでしょ、君が寝てるのって。……キールは自分をスラム出だって言うけど、文字が読めて、貴族との話し方を知ってて、しかもこの国の最高紙幣を見たことがあるってのも気になっていたんだよね。教育をうけたのか、それを教える人がいたのか、自分で習得したか……いずれにしろ、キールには「学」がある。ってことは、ここにある本は多分キールのだろ」
キールの代わりに、弟妹たちが頷いた。
「地質学、土壌、地図。キールの本については内容が分からなくても、地図はわかったんだよ。そして本の表紙に書かれた絵を見て、石もキーポイントになった。そうしているうちにこれを見つけたんだよ。石の絵が描かれている地図をさ。おりしも、キールの誕生日は明後日」
「は?」
ディンバーはにやりと笑って壁を指差した。
「かわいい花のマークがついてるよ」
やっと落ち着いてきた二人をベッドに座らせ、ディンバーもその隣に腰を下ろす。
「キールの口ぶりからすると、お母さんは体調を崩してるんじゃないかな。だから、夜中は薬か何かで眠ってるのか、何しろキールがいなければ二人はこっそりと家を出ることができた。いつもキールは夜には家に帰ってるみたいだから、二人にしたら、いつ夜市にプレゼントを買いに行こうかと焦っていたんだと思う。古地図なんてなかなか普通のお店じゃ買えないもんね。これまでにも何度か夜市に行ってるんじゃないかな。商品に目星をつけて、お金をためて。本当なら仕事終わりにぱっと行って帰ってくるつもりだったんだろうね。でも、急に忙しくなってしまった。キールが家を空けたから。それで、仕事が終わったら夜になってしまい、母親が眠って、今日はキールが帰ってこないと判断してあわてて家を出た」
そこでディンバーは口をつぐんだ。
「ごめんね。キールを引きとめたのは俺なんだ。ちょっと楽しくなっちゃってさ、帰らないでほしかったら。でもキールが帰ってたら君たちは外へは行かなかったよね。じゃぁ、外に出たのは俺のせいで、君たちが怒られたのも、その傷も俺のせい。だから、謝らせてくれる?」
ディンバーは一気にまくしたてると、立ちあがって二人の前で頭を下げた。
「ごめんなさい」
二人はびっくりした顔をしたまま固まっていた。
「……それは、お前のせいじゃないだろ」
キールはばつが悪そうにぼそりという。立ち上がり、椅子に腰をかけると、苦笑した母親から水でぬらした布を受け取っていた。
「そう、おれのせいじゃないか。じゃぁ、誰のせいかな」
「それは……規則を」
「確かに陽が落ちてからの子供の外出ってのはいただけないね。でもさ、これはやりすぎでしょ。叱って家に返せばいいでしょ。それに罰金? 誰に迷惑かけて罰を受けるんだ?」
くるりと振り返ったディンバーは声を落とした。
「キール。間違えるなよ」
ディンバーはじっとキールを見つめる。
これまでも何度か見た瞳だった。怒ってるのか、悲しんでいるのか。
「いいか。青年会とやらが夜間外出した子供の足を、こんな風になるまで傷つけるのはおかしいんだ」
「……おかしい?」
「そう。足を無くした子もいるっていうけど、比べるなよ。こんな風に傷つけられたことに怒れよ。簡単に自分を折るなよ。最初から自分を下に置くなよ。家族を下に置くなよ。ちゃんと考えろ、でないとずっと気付かないままだぞ」
キールはその言葉の意味を考えるかのようにじっと自分の手元を見つめた。
その様子に、ディンバーは少しだけ息を吐く。
「せかしすぎたかな……。なぁ、キール、……宿を飛び出した時、何を考えてた?」
キールはのろのろと顔を挙げて、少し逡巡してからゆっくりと、記憶をたどるように口を開いた。
「……何って……もしかしたら、足を、切らなくちゃならないような怪我をしてるかもしれないって、もしかしたら……し…」
キールが大きく息を吸った。
ディンバーはキールの傍に歩み寄ると、その肩に手を置く。
「大丈夫だ。生きてるし、彼女の足も治る」
「なんで、家にいなかったんだろって……俺……」
「そうだな。家にいればよかったって思ったよな。俺も思ったよ。帰してやれば良かったって。ここに着いて、聞こえたのがどなり声で良かった」
キールが小さく鼻をすすった。
小さな足音がキールの周りに集まる。
「ごめんね。ごめんね兄ちゃん。俺、もっとちゃんとするから。ごめんなさい」
「ごめん。泣かないで。ねぇ、泣かないで」
おそらくキールは父親代わりで、厳しいけれど頼れる兄で。母親も病弱なら、キールは一人でこの家を守っていたのだろう。
地図をキールに手渡すと、そのままキールは古びた羊皮紙に顔をうずめた。
「メイ、ジル。ありがとう。大事にする。大事にするよ」
その時、乱暴に扉が開けられた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる