愛する侯爵様、化け物の妻など今世も冷遇してくださいませ

結月てでぃ

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俺の美しい妻

1.美しい人

 部屋の扉をノックされ、入室を許可すると執事が入ってくる。

「侯爵様、ご相談が」

 聞くと、新しく迎えた妻のことだという。
 なんの問題があるのかと問うと、問題などなに一つないと返ってきた。

「素晴らしい方です」

「それは屋敷を見れば分かるだろ」

 前侯爵夫人ーー母が亡くなってから、この屋敷はまるで明かりが消えたかのように暗く、静まり返っていた。
 それが彼女が来てから、僅かではあるが確実に雰囲気が変わったのだ。

 決して華美だとか、賑やかではない。
 だが、庭は屋敷の中から見ただけでも青々しい芝のアーチが美しい曲線を描いているのが分かる。
 殺風景だった廊下の窓にはカーテンがつけられ、花が飾られた。
 誰もいなかったサロンには、ふくよかな紅茶の匂いが薫り染めるかのように柔らかく香っている。

 清廉な愛らしさといえばいいだろうか。
 自分の色を出すというよりはこの屋敷が元々持っていた素材の良さを引き出したかのような彩り。

 まるで、自分の母が帰ってきたかのようだった。

「口さがない世間に我々まで惑わされるところでしたが、いやはや……素晴らしい奥様が来てくださいましたな」

 この執事がここまで人のことを褒める姿を見たことがない。
 先日、妻のところに過去の帳簿をごっそり持っていったかと思えば、四・五日で冬支度に掛かる予算をまとめてきた。
 文句ひとつ出ない完璧な予算案だった。

「伯爵家は教育に興味がないと思っていましたが、そうではないようですね」

「ああ、だが……あの者は本当にメルシー・クレイヴンファーストなのだろうか」

 夜会で見た女と彼女の姿が一致しない。
 見知っているメルシーは、もっと傲慢な女だ。

 メルシー・クレイヴンファーストは、己こそが世界で一番美しく、恵まれていると思っているような人間だった。
 それこそ庭など時期外れで土地に合わない花々で覆って枯らせ腐らせ、屋敷の内装も原型をなくす過分な装飾をすると確信するような――。

「それでは、別人だと?」

「顔どころか、体型も声も違うんだ」

 メルシーは豊満な胸と尻を強調させる、過度な露出度や体にピッタリと沿うドレスを好む。
 緋色の髪を腰よりも長く伸ばし、虎のように爪を鋭くとがらせている。
 女にしては低くよく通るが、毛嫌いする女には棘を刺すようにキンキンと金切り立った声の持ち主だった。

 だが、今この屋敷にいるメルシーは背は高いが、夜会で出会った女よりも低く感じられる。
 胸は平べったくスレンダーだが、程よく柔らかそうだ。
 声も冬の花々のように落ち着いていて、耳に不快な響きを残さない。

 精神も肉体もそぐわない彼女は、到底メルシーだとは思えなかった。
 あれが成長したとて、今の妻になれるはずもない。

「前伯爵夫妻に子どもがいたのか……?」

 考えつくとしたら、それしかなかった。
 私生児だとしても、あの女の股から出てくるとは信じがたい。

「奥様の長袖の下の秘密はご存知で」

「メイドから聞いている」

 彼女が着てきたドレスはまるで窓拭きに使うようなボロ布のようで、見ていられないほどにみすぼらしかった。
 どんなに困窮した暮らしを送ってきたのかと案じ、華やかなドレスを贈っても「こんな顔ですので」と彼女はしまい込んでしまうのだ。

「勿体ないから着ろ」と言っても、うなずかない。

「似合う方にお譲りいたします」

 などと、顔をうつむかせて淡々とした口調で断るのだ。

 妻は常に露出が少なく、地味な色柄で飾りけのないドレスしか好まない。
 おかげで、最近ではこちらに対して衣装係のメイドがつまらないと嘆いてくるようになってしまった。

 その衣装係ですら、着替えや湯浴みの時には室内に入れてもらえないらしい。
 伯爵家から連れてきたリリアというメイドか、自分ひとりでするそうだ。
 こんなに醜い顔の女の世話をするのは苦痛でしょうからというのが理由らしい。
 それ以外のことはメイドたちの中で不満が出ないようにと、なんでも平等に仕事を与えているようなので苦情を呈すことすらできない。

 だが――それでも、報告に上がってくるものがあった。
 服の下に、複数の怪我や火傷の跡があるのだと。
 あれは日常的に暴力を振るわれていない限りはできないと、メイドたちは声を揃えて言う。
 昔はばあやと呼んでいたメイド長など、怒りに怒ってこの部屋の扉を開け放ったほどの傷だという。

「十中八九、虐待だろうな」

 前伯爵夫妻には子どもがいないとされていたが、奥方と交流があった婦人たちは彼女が身籠っていたのを知っていた。
 大きくなったお腹を撫でて「もうすぐ子どもが産まれるの」と笑っていたのに、それきり伯爵家の門が閉ざされてしまい――会えないうちに馬車の事故で亡くなってしまったのだと。

 気にかかっているのはそれだけではない。
 この結婚は陛下からの命令だった。
 いつまでもひとり身でいるものではない、この女はどうだと有無を言わさず受け入れさせられた。

 迎え入れた女が化け物だったというのは、少なからず己に衝撃を与えたのだが。

「伯爵家への資金援助はまだお受けされないので?」

 控えていた執事に問われ、当然だとうなずく。
 妻の今までの待遇を考えると、とてもではないが優しくする気にはなれない。
 それどころか身売りさせるつもりかと怒りが湧いてくる有様だった。

「来たら今まで通り追い返してやれ」

 妻の母親と名乗る女は、頻繁に屋敷の前まで馬車で乗りつけてくる。
 やつは道を歩けば石ころのように当たる、ろくでもない人間だった。あのメルシーの母親にふさわしい外道。

 日に日に妻に送られてくる手紙の数は増えている。
 何を企んでいるのかと怪しんで、初めに届いた手紙を無断で開封して中を検めたのだ。だが、笑えるほどに馬鹿げた内容だった。

 妻への罵倒と、俺に実家への援助をこぎつけるよう誠心誠意働け、初夜は成功したのか、一刻も早く子を産んで地位を確立させろ――なんて愚かなのかと、暖炉にくべて燃やしてやった。

「あのような屑に、二度と彼女を会わせてやるものか」

 自分の妻は、美しい人だ。
 屋敷の花園で新しく咲いた花を見て、無垢な笑みを浮かべる姿。
 愛おしいのだと語りかけてくるような柔らかな目がこちらを見る度に、抱き締めたくなる。

 妻のことを不気味だという者がいるが、この目にはどうにも可愛らしく映って仕方がない。
 なにせ、動きや表情が可愛いらしいのだから。
 魂が美しいというのは妻のような人のことをいうのだと、周りに言いふらしてやりたかった。

「少し出てくる」

 立ち上がると、執事はやんわりと微笑みながら白い髭を指でつまんで整える。

「奥様のところですかな」

 知った顔を……分かっているなら聞かなくてもいいだろう。
 どうして俺の考えが分かったんだと言いたかったが、長年付き合ってきた彼にはお見通しなのだろう。

「いってらっしゃいませ」

 などと朗らかに送り出されると、まるで自分が幼い子どもに戻ったかのようで落ち着かない。

 腰を摩りながら廊下を歩いていく。
 こちらを見透かしているようで、まるっきり遠くを見ているかのような不思議な目をする妻。
 どう言い、どう振る舞えば彼女はこちらを見てくれるのだろうか。

 毎朝の剣の訓練で泣きそうに潤ませるよりも面白い顔が見られるだろうかと、想像するだけで笑ってしまいそうになる。
 緩んだ口元を手で押さえながら、己の歩みが早まっていくのを感じた。
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