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俺の美しい妻
3.見えているのに
「それでは、ごゆっくりとお過ごしください」
メイドのリリアは紅茶とケーキや焼き菓子を持ってきたあと、速やかに退室していった。
頑張ってくださいと俺に目配せするのを忘れずにだ。
今度、彼女から伯爵家のことを聞いてみるかと思いながら斜め前を見る。
「どうして離れたところにいるんだ。隣に座るといい」
「恐れ多いですわ、侯爵様。遠慮させていただきます」
隣に座るように促したが、断られる。
彼女はテーブルの側面にある一人がけのソファーに座ったままだ。
膝に手を置き、涼し気に佇む彼女の凛とした姿に、思わず見惚れそうになる。
なにか話をせねばと口を開く。
「普段どのような紅茶を好むのか」
声を掛けたことにまるで驚くように、まばたきをした彼女はゆるりと首を振った。
「嗜まないわけではありませんが、リリアの方がより詳しいですわ」
この間は庭のハーブで作った紅茶を持ってきてくれましたのと言う。
彼女は大きく裂けた口の端を穏やかに上げる。
手に持った小さなティーカップなど丸呑みできそうだ。
「最近はよく白湯を飲むようにしております」
「何故白湯を?」
訝しむと、彼女はあらと言った。
「健康にいいんですのよ」
穏やかに笑うので、今度メイド長か専属医にでも聞いてみようかという気持ちが湧いてくる。
カップに口が触れ、傾くと彼女の肩がビクリと震えた。
熱かったのだろうか、口を手で押さえる。
まるで痛みを堪えているようにも見え、手を伸ばして頬を撫でてみた。
(なんだ、この感触は……!?)
見た目には凸凹している頬なのに、触れると滑らかな絹のようだ。
侯爵は驚きに目を見開き、目の前の妻を見つめる。
「……口の中を火傷したか」
「ええ、でも気になさるほどではありませんわ」
大丈夫ですと気丈に振る舞う彼女の照れた様子に見惚れてしまう。
「あの……あまり見ないでいただきたいのですが」
目を伏せて困惑した彼女に「すまない」と謝る。
相手が妻とはいえ、あまりに不躾な視線だった。
「私が猫舌なだけですわ。今度リリアに言いますので、お気になさらないでください」
皮膚のただれた唇は開くたびにぬちゃりと伸びて、ぷつりと切れた。
「ぬるい方がいいのか」
「はい。その、伯爵家では冷茶を好むので……お恥ずかしいですわ」
伯爵家では彼女に紅茶さえ出さなかったのだな――自分の目が鋭くなっていくのを感じた。
これは疑いではなく事実だろう。
そもそも、まともな食事が与えられていたかどうかも怪しい。
ここに来た時の彼女は木剣ですら持つ力がなく、折れてしまうかどうか不安になったほどに細かった。
「ほら、ケーキも食え」
「ありがとうございます」
それに、彼女は甘味に非常に弱く少量しか口にしない。
舌が甘味を捉えやすく、濃く感じるのは今まで食べたことがなかったからだろう。
初日の剣の稽古後に褒美の茶と菓子を持って行かせたメイドは、不思議そうな顔をして帰ってきた。
「とても驚いていて、そういえばこんな味だったわね……とおっしゃられていました」
などと言っていたとメイド長からの報告で聞いている。
ともすればすぐに遠慮をしてしまう彼女の皿に、シュークリームとジャムクッキーを盛り付けていく。
今のうちに慣れておかないと女性のティーパーティで困ってしまうだろう。
シュークリームのフタを取ってクリームをスプーンで塗りつけ、齧りついた。
大きな口だなと思って見ていたが、口から離れるとシュー生地に出来た齧り跡があまりに小さくて目を疑う。
口とサイズが合わないのだ。
妻の口は大きく裂けていて、歯並びが悪くところどころ欠けている。
なのに、シュー生地には多くのご婦人のように小さく、そして綺麗な半円の噛み跡しかない。
これはどういうことだ。
試しにソースが付いていると言って指で口元を拭う。すると、ふにっと柔らかな感触がした。
「あっ……も、申し訳ございません」
思わず手を引いてしまったので、気持ちが悪いと感じたのだと勘違いした妻が謝ってくる。
「いや……大丈夫だ」
大丈夫だと言いながら、もう一度口元に手を持っていく。
さっきのふにふにとした、心地よい感触はなんだったのだと胸が早鳴るのを感じつつも触れる。
やはり、手から伝わってくるのは見た目と全くそぐわない柔らかさだ。
「あ、あの……侯爵様?」
「目を閉じてくれ」
そう言ってから、顔全体を撫でまわしていく。
なだらかな線を描く頬、豊かなまつ毛、傷ひとつ荒れひとつないきめ細やかな肌。
まさかと思い、震えそうになる手で細く捏ねた泥にしか見えない髪に指を通すと、驚くほど滑らかに滑り落ちていく。
凹んで見える後頭部は丸く、触り心地が良かった。
手からの感触だけで、その美貌が推し量れる。
この感触が本物であるなら、今まで見たことがないほどの美人だろう。
(おかしい……)
嫉妬した妖精が変えるのは見た目だけではない。
感触もなにもかもが変わるはずだ。
これは一体どういうことか。
今まで気にもしていなかった妻の外面が見せかけのものかもしれない。
その事実は、侯爵をひどく慌てさせたのだった。
メイドのリリアは紅茶とケーキや焼き菓子を持ってきたあと、速やかに退室していった。
頑張ってくださいと俺に目配せするのを忘れずにだ。
今度、彼女から伯爵家のことを聞いてみるかと思いながら斜め前を見る。
「どうして離れたところにいるんだ。隣に座るといい」
「恐れ多いですわ、侯爵様。遠慮させていただきます」
隣に座るように促したが、断られる。
彼女はテーブルの側面にある一人がけのソファーに座ったままだ。
膝に手を置き、涼し気に佇む彼女の凛とした姿に、思わず見惚れそうになる。
なにか話をせねばと口を開く。
「普段どのような紅茶を好むのか」
声を掛けたことにまるで驚くように、まばたきをした彼女はゆるりと首を振った。
「嗜まないわけではありませんが、リリアの方がより詳しいですわ」
この間は庭のハーブで作った紅茶を持ってきてくれましたのと言う。
彼女は大きく裂けた口の端を穏やかに上げる。
手に持った小さなティーカップなど丸呑みできそうだ。
「最近はよく白湯を飲むようにしております」
「何故白湯を?」
訝しむと、彼女はあらと言った。
「健康にいいんですのよ」
穏やかに笑うので、今度メイド長か専属医にでも聞いてみようかという気持ちが湧いてくる。
カップに口が触れ、傾くと彼女の肩がビクリと震えた。
熱かったのだろうか、口を手で押さえる。
まるで痛みを堪えているようにも見え、手を伸ばして頬を撫でてみた。
(なんだ、この感触は……!?)
見た目には凸凹している頬なのに、触れると滑らかな絹のようだ。
侯爵は驚きに目を見開き、目の前の妻を見つめる。
「……口の中を火傷したか」
「ええ、でも気になさるほどではありませんわ」
大丈夫ですと気丈に振る舞う彼女の照れた様子に見惚れてしまう。
「あの……あまり見ないでいただきたいのですが」
目を伏せて困惑した彼女に「すまない」と謝る。
相手が妻とはいえ、あまりに不躾な視線だった。
「私が猫舌なだけですわ。今度リリアに言いますので、お気になさらないでください」
皮膚のただれた唇は開くたびにぬちゃりと伸びて、ぷつりと切れた。
「ぬるい方がいいのか」
「はい。その、伯爵家では冷茶を好むので……お恥ずかしいですわ」
伯爵家では彼女に紅茶さえ出さなかったのだな――自分の目が鋭くなっていくのを感じた。
これは疑いではなく事実だろう。
そもそも、まともな食事が与えられていたかどうかも怪しい。
ここに来た時の彼女は木剣ですら持つ力がなく、折れてしまうかどうか不安になったほどに細かった。
「ほら、ケーキも食え」
「ありがとうございます」
それに、彼女は甘味に非常に弱く少量しか口にしない。
舌が甘味を捉えやすく、濃く感じるのは今まで食べたことがなかったからだろう。
初日の剣の稽古後に褒美の茶と菓子を持って行かせたメイドは、不思議そうな顔をして帰ってきた。
「とても驚いていて、そういえばこんな味だったわね……とおっしゃられていました」
などと言っていたとメイド長からの報告で聞いている。
ともすればすぐに遠慮をしてしまう彼女の皿に、シュークリームとジャムクッキーを盛り付けていく。
今のうちに慣れておかないと女性のティーパーティで困ってしまうだろう。
シュークリームのフタを取ってクリームをスプーンで塗りつけ、齧りついた。
大きな口だなと思って見ていたが、口から離れるとシュー生地に出来た齧り跡があまりに小さくて目を疑う。
口とサイズが合わないのだ。
妻の口は大きく裂けていて、歯並びが悪くところどころ欠けている。
なのに、シュー生地には多くのご婦人のように小さく、そして綺麗な半円の噛み跡しかない。
これはどういうことだ。
試しにソースが付いていると言って指で口元を拭う。すると、ふにっと柔らかな感触がした。
「あっ……も、申し訳ございません」
思わず手を引いてしまったので、気持ちが悪いと感じたのだと勘違いした妻が謝ってくる。
「いや……大丈夫だ」
大丈夫だと言いながら、もう一度口元に手を持っていく。
さっきのふにふにとした、心地よい感触はなんだったのだと胸が早鳴るのを感じつつも触れる。
やはり、手から伝わってくるのは見た目と全くそぐわない柔らかさだ。
「あ、あの……侯爵様?」
「目を閉じてくれ」
そう言ってから、顔全体を撫でまわしていく。
なだらかな線を描く頬、豊かなまつ毛、傷ひとつ荒れひとつないきめ細やかな肌。
まさかと思い、震えそうになる手で細く捏ねた泥にしか見えない髪に指を通すと、驚くほど滑らかに滑り落ちていく。
凹んで見える後頭部は丸く、触り心地が良かった。
手からの感触だけで、その美貌が推し量れる。
この感触が本物であるなら、今まで見たことがないほどの美人だろう。
(おかしい……)
嫉妬した妖精が変えるのは見た目だけではない。
感触もなにもかもが変わるはずだ。
これは一体どういうことか。
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その事実は、侯爵をひどく慌てさせたのだった。
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